松林さんの記事「戦争中のおかしなことども」の下記記述について。
>1939年
> 6月7日 満蒙開拓青少年義勇軍2500人の壮行会挙行(徴兵以前の16~19歳の男子。45年までに8万6000人あまりが満州に送られた。敗戦でシベリアに送られたのもこの人たち。何人が無事帰還したのか?)
たしか、信じられないような死亡率だったような記憶があり、少し調べてみました。でも満蒙開拓青少年義勇軍だけの数字は見つけられませんでした。
「在満日本人開拓者移民はおよそ27万人で、そのうち引揚げに至るまでに戦死・自決・餓死・凍死・病死した人が、約7万8500人」
これに対し、
「他方、敗戦時における在満日本人の総数は、だいたい155万人といわれており、その引揚げまでの死亡者総数は17万6000人」
「青少年義勇軍を含む開拓民の在満日本人全体に対する割合は、およそ17パーセントでしかないのに、死亡率はというと50パーセントに近いからである。(上笙一郎『満蒙開拓青少年義勇軍』中公新書)」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sengo14.htm
こういった数字もありました。
「シベリア抑留者は65万人、死者6万人。約9%。というのがが定説のようです。抑留者107万人、死者34万人という説もあります。
満州開拓者は27万人、死者78000人。約28%。
青少年義勇軍は86500人、死者24200人、約28%。」
しかし、「長野県第7次斉藤中隊218人、死者123人、約56%。」というところも。
http://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/369ef74d6b576fd3b7ed2add497e21b2
こうした記憶が失われることがないように、記録を大切にしたいと思いました。
「護憲+BBS」「戦争中のこと」より
珠
>1939年
> 6月7日 満蒙開拓青少年義勇軍2500人の壮行会挙行(徴兵以前の16~19歳の男子。45年までに8万6000人あまりが満州に送られた。敗戦でシベリアに送られたのもこの人たち。何人が無事帰還したのか?)
たしか、信じられないような死亡率だったような記憶があり、少し調べてみました。でも満蒙開拓青少年義勇軍だけの数字は見つけられませんでした。
「在満日本人開拓者移民はおよそ27万人で、そのうち引揚げに至るまでに戦死・自決・餓死・凍死・病死した人が、約7万8500人」
これに対し、
「他方、敗戦時における在満日本人の総数は、だいたい155万人といわれており、その引揚げまでの死亡者総数は17万6000人」
「青少年義勇軍を含む開拓民の在満日本人全体に対する割合は、およそ17パーセントでしかないのに、死亡率はというと50パーセントに近いからである。(上笙一郎『満蒙開拓青少年義勇軍』中公新書)」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sengo14.htm
こういった数字もありました。
「シベリア抑留者は65万人、死者6万人。約9%。というのがが定説のようです。抑留者107万人、死者34万人という説もあります。
満州開拓者は27万人、死者78000人。約28%。
青少年義勇軍は86500人、死者24200人、約28%。」
しかし、「長野県第7次斉藤中隊218人、死者123人、約56%。」というところも。
http://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/369ef74d6b576fd3b7ed2add497e21b2
こうした記憶が失われることがないように、記録を大切にしたいと思いました。
「護憲+BBS」「戦争中のこと」より
珠