老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「日本的集団主義」と「世間」

2018-10-16 11:46:33 | 社会問題
名無しの探偵さんのコラム「日本的集団主義の源流と今」について。

私も「日本的集団主義」と「世間」については以前から考えていました。

少し探偵さんの考察とは離れますが、「世間」についてはあの夏目漱石も「草枕」の中で「智に働けば角が立つ…(中略)とかくこの世は住みにくい」と書いています。「世間」とは何でしょうか。先進諸国には「世間」という言葉も無いし訳す事が出来ないそうです。コミニティとも違うし、規範とも違う。

探偵さんのさんがコラムのなかで紹介された阿部謹也氏の研究にあるように、日本の社会が西洋の「市民社会」を受け継ぐ事が出来なかったために、「基本的人権」さえも学校で習う「勉学」の世界に留められてしまったのではないでしょうか。

別の言い方をすれば「本音と建て前」だから、学校では授業の中では「基本的人権」という言葉は教えても生徒達の基本的人権などは蔑ろにして、虐めや教師の体罰などで不登校になったり自死する子どもがいても、組織を守るために隠蔽しようとするのです。市民社会が本当に人権を大事に思っているのならそんな学校の酷い体質を許すはずが有りません。

探偵さんが仰る「集団主義のプラス面は終焉しマイナス面が肥大化している」と言うのは本当にその通りだと思います。

マイナスな集団主義を肥大化させているのはマスコミの仕業もあるのではないでしょうか。マスコミが新しい「世間」を作りあげている。そんな気がします。私は身近な人達から「テレビで言っていた」「ニュースで言っていた」という言葉を何度も聞きました。大衆はそれほどバカではない、と思いたいのですが。

マイナスな集団主義を補填するように生きているのが「世間」。「KY」という言葉に象徴される同調圧力。

皆と同じ事が好きでない私は「KY」の極みだと思います。毎日の暮らしの中でプライベートはせめて「世間に棹をさして」生きていこうと思っています。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
パンドラ

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