こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

エデュケーション--大学は私の人生を変えた  by タラ・ウェストーバー

2021年12月13日 | Weblog
衝撃である。これがノンフィクションとは信じがたい。あまりの衝撃で時々本を閉じた。読み進めるのが苦しかったからだ。この話が19世紀の出来事ならば、そんなこともあったのかと読み終えたと思う。しかし、この著者は1980年生まれで、私の長女と同い年である。

著者はタラ・ウェストーバー。彼女自身の半生を描いたノンフィクションである。国家を全く信用していない極端なキリスト教徒の父(本書の中で精神的な問題があるのではと示唆されている)のもとで、7人兄弟の末っ子としてアイダホ州に生を受ける。学校にも病院にも行かせてもらえず、出生証明書さえもない。父や兄に精神的にも肉体的にも暴力を受け、それでも家族の一員でいることに多大な努力をしながら、壮絶な子供時代を送る。壮絶すぎて時々本を閉じざるを得なかった。

そんな彼女が自分で学ぶことを始め、大学入学検定試験に合格する。そこから、父がこれまで家族に押し付けていた世界観に疑問を抱くようになる。彼女にとって初めての学校である大学の授業で「ホロコースト」とは何かと質問をするほど、育ってきた環境はあまりにも普通とはかけ離れていた。大学在学中も家族との関係に悩みながら、それでもケンブリッジ大学に留学をし、ハーバード大学で学び続ける。父親から家族を取るか学びを取るかと迫られたときに、どうしても元の異常なほどに限られた世界には戻れないと判断すると、ほとんど勘当状態になる。家族を愛しているため、そのことに発狂するほど悩むタラ。せめて母親がタラを理解してあげていたら、彼女の苦悩はもっともっと少なくて済んだはずだ。

最初はある程度の常識を持ち合わせていた母親だが、とんでもない状況下で交通事故に遭った際、病院にもいかずやり過ごさざるをえず、その後、夫の狂気に巻き込まれていく。母親ならば、もっと子供を守るべきであろう、もっと分かってあげるべきであろうと思ったが、母親は自分自身を守るだけで精いっぱいだったのかもしれない。

読み終えて、タラの父親のような人たちが今も存在していることにも驚きを覚えた。日本にいるとトランプ政権がどうしてあれほど支持されるのか不思議だが、この本を読んで、その理由が垣間見えた気もする。

読むのがつらい本だが、一度は手にする価値がある。





唐松岳・五竜岳

2021年08月19日 | Weblog

7月の末に山友と唐松・五竜岳に行ってきました。八方池山荘に宿泊し、1日目は高山植物の観賞会。ニッコウキスゲ、カラマツソウ、マツムシソウ、ゴゼンタチバナ、ハクサンフウロ、シナノキンバイ、ヨツバシオガマ、ハクサンコザクラ、アズマギク、などなど。


シモツケソウも素敵なピンクで輝いていました。


翌朝は4:30の出発です。八方池に着いたのが6時ごろ。写真でしか見たことがなかった景色が広がっていました。白馬三山の姿がくっきりと池に反映されていたのです。
朝一番のゴンドラで上がってきた人たちは、八方池に着いたのが8時ごろで、その頃は山々はガスの中だったそうです。やっぱり山は早朝に限る! ここでゆっくり朝ご飯をすませて、唐松岳に向かって出発。

時々ガスがかかったけれど、雪渓を眺めながら唐松をめざしました。

唐松岳頂上山荘はコロナで宿泊は受け付けておらず、売店だけがあいていました。ザックをデポして頂上までひと登り。山荘まで下りてきてひと息ついたら、さて、いよいよ五竜岳を目指します。ここから五竜山荘までは気が抜けません。なかなかの岩場のスリル。下を見ないで前だけを見て進みました。大黒岳を過ぎたころからは普通の山道になり、五竜山荘が見えた時は思わず顔がほころびました。途中で親子の雷鳥にも出会えてラッキー。


当初、五竜岳登山は明朝にという計画でしたが、明日はどうやら雨模様。時間もまだ1時なので、昼食を済ませてからアタックすることにしました。登り1時間、下り40分。なかなか手ごわい山でした。スリル満点。片側が切れ落ちているのに鎖がついていないところを登るときに、帰りはどうやって降りるのかな?と思いつつ、ひたすら頂上を目指す。もうすぐもうすぐと言い聞かせつつ、やっと頂上にたつも、残念ながらガスガス。でも時折晴れて、はるか下の方に五竜山荘が見下ろせました。

タップリ充実感を堪能して、さあ下山。さっきの所はどうだろうかと思いつつ降りていくと、階段状の足場が思ったよりしっかりしていて、岩に寄り掛かるようにして下りればさほどの怖さを感じませんでした。それにしても五竜岳は登りがいのある山。さすがの百名山です。

夕食後、小屋から外を眺めると、夕焼け空に巨大なゴジラが浮かび上がり、山々をひと飲みにするようでした。

翌日は雨がパラパラ来るも、アルプス平まで下りるだけと気が楽です。振り返ると昨日登った五竜岳。圧倒的な存在感で晴れ間にそびえています。


下山は西遠見山、大遠見山、中遠見山、小遠見山と越えて地蔵の頭、そしてアルプス平駅。駅の周りは高山植物園になっていて、見事な花々が競い合って咲いていました。ありがとう。アルプスの山々、高山植物の花々、そして雷鳥の親子。八方池の絶景と岩場のスリルを堪能し、圧倒的な五竜岳に感銘を受けた山旅でした。


華氏451度 by レイ・ブラッドベリ

2021年08月15日 | Weblog

1953年に書かれたSF小説「華氏451度」を読んだ。華氏451度とは、この温度で書物の紙は引火し燃えるということのようである。近未来のディストピア(ユートピアの反意語)を描いていて、本を読むことだけでなく、本を持っているということだけで罰せられ、あらゆる本は密告によって燃やされる世界だ。「消防士」は火事を消すのが仕事だが、このSF物語の中では「消防士」は昔々に存在した職業で、今は「昇火士」がケロシンで家ごと本を焼いてまわる。

この物語が1953年に出版されたということが、私にとっては驚きだった。先見の明に脱帽である。

ラジオやテレビの普及で、人間は物を考えることをしなくなり、だんだんと要約、短縮、省略して、込み入った考えは遠心分離機ではじき飛ばしてしまう。その結果、本は無用の長物、いや有害にさえなる。そして、権力者に強いられるまでもなく、大衆は本を燃やすことに走るという設定である。1953年当時はインターネットもSNSもなかったのにである。

昨今では、SNSなどの発信においては、文章が短く、丁寧な説明もなく感情をそのままむき出しでぶつけることが多いような気がするし、私自身、テキストメッセージでやり取りするときは、長い文章を書くのを面倒がり、果ては絵文字でやり取りすることも多々ある。そんな今だから、「華氏451度」は真に迫る思いがする。若いころに比べて物事を短絡的にしか考えられなくなっている自分に気づき始めているからだ。これは年齢のせいではない。テクノロジーの発達が社会にもたらした負の一面であると思う。

でも、著者は1953年にこのメッセージを発している。驚きだ。この物語は出版当時より、今こそ読まれるべき本だと感じた。

北岳と小太郎山

2021年07月23日 | Weblog

山梨百名山登頂を目指している山友から、小太郎山に行かないかと誘いがありました。「いいね」と答えてから調べてみると、小太郎山のすぐ隣は日本第2の高峰、北岳です。私はまだ北岳に登ったことがありません。ここまで来て、北岳に行かない理由はないでしょう。

ということで、広河原から大樺沢、八本歯のコルを経て北岳山頂に立ち、肩ノ小屋で1泊。翌日、小太郎尾根分岐から小太郎山をピストンし、草スベリを通って広河原に下山しました。



なんといっても山小屋泊の醍醐味は夕焼けと朝焼けです。夜には天の川も綺麗に見えました。小屋からは朝焼けの富士山のシルエットだけでなく、正面に甲斐駒岳とその奥に八ヶ岳が見事に姿を現しました。仙丈ケ岳もすぐ隣に鎮座していました。大自然に囲まれて至福のひと時です。

さて、2日目。小屋から20分ほどで小太郎山分岐です。上から見下ろすと、小太郎山はすぐそこに見えています。尾根道を少しアップダウンしていけば楽勝に見えました。ところがどっこい。破線ルートだけあって道はところどころ不明瞭。歩けども歩けども次々に小ピークが現れ、なかなか小太郎山に着きません。結局、往復で3時間半以上もかかりました。侮れない小太郎山。



とはいえ、小太郎山山頂から見る北岳は別格。大変に格好良く、なかなかの眺めでした。晴天の中にどっしり構える北岳。さすが富士山に次ぐ高峰です。反対側のバットレスの眺めとはまた違った、風格のある山容です。

久しぶりの高山で足はヘロヘロになりましたが、天気に恵まれ、山の偉大さを実感した山旅でした。



「淳子のてっぺん」by 唯川恵

2021年07月01日 | Weblog

ノンフィクションにほんの少しのフィクションを加えて書かれた「淳子のてっぺん」。読み応えのある本だった。文庫本で625ページの大作だが、あっという間に読み終えた。「エベレスト? 女なんかに登れるもんか!」という時代に、女性だけの隊で世界の最高峰、エベレストを目指した田部井淳子さんの物語だ。

今から20年ほど前にどこかの里山を歩いていた時、すれ違った人から「あら! 田部井さんですか?」と声をかけられたことがある。その時は、あら、いやだ、私あんなにおばさんじゃないし。。。と思った。地球上で一番高い所、8848メートルの山頂を女性で初めて踏破した田部井さんとは知っていたが、テレビなどで見かける田部井さんは、どこにでもいるような気のいいおばさんという感じだったからだ。エベレストと七大陸最高峰への登頂に成功しているのに驕りの欠片も見当たらない。

この本を読むと田部井さんの性格の良さと高度順化の凄さがどれほどのものかよく分かる。いたるところで泣けるし、登山の描写ではハラハラドキドキ。77才で亡くなったのだから、山から生還していることは明らかなので遭難の心配はしなかったが、あの時代の海外遠征となると、山に登ること以上に、それこそ山ほどの問題が持ち上がる。それがハラハラ、ドキドキなのである。

そして、「淳子のてっぺん」はエベレストの山頂ではない。ではどこか。思い出すだけで涙が出てくる。これからしばらくは、田部井さん自身が書かれた著作を読んでみようと思う。



可睡ゆりの園と可睡斎

2021年06月21日 | Weblog
静岡県袋井市に「可睡ゆりの園」というところがあると知った。早速、訪ねてみた。色とりどりで様々な種類のユリがワーッと咲いていてそれはそれは見事だった。咲く場所や種類によってはもう花が終わりかけているものもあったが、それでも圧倒された。白、黄色、オレンジ、うす桃色、ピンク、濃いピンク、深紅、えんじ、そして白にピンクが混じったものや、黄色の花びらがピンクで縁取りされているもの、えんじ色が黄色で縁取りされているもの等、各国の原種のユリだけでなく改良を加えた園芸品種も様々に咲き誇っている。コスモスや菜の花の丘は見たことがあるが、ユリの丘は初めてだった。壮観。

その後、ゆりの園のすぐ隣に「可睡斎」という古刹があるというので、せっかく静岡まで来たのだからと寄り道することにした。折しも風鈴祭りが開催中されていた。これがまた風情溢れて、カラフルな風鈴が風に揺られてカラリコロリと涼しげな音を立てていた。

「可睡斎」とはお寺の名前にしては一寸変わったネーミングだと思っていたら、これは徳川家康に関係があるようだ。可睡斎のHPによると、
*****家康の幼少期から長い縁を育んでいた11代目の住職は、立派な殿様になった家康に呼ばれ、城への長い道を駕籠に揺られ、謁見する際に疲れからこっくりこっくりと眠ってしまいました。あろうことか、殿様である家康と面談のその時に…。「無礼である!」といきり立つ勇猛な家臣達に、家康が発した言葉があります。「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、 和尚睡る可し 睡る可し(ねむるべし)」と申されたと言われています。 *****

このお寺の境内には、武田勢に追われた家康が、その身を隠して命拾いをしたという小さな洞窟もある。

さらにここには貴重な文化遺産がある。大東司(お手洗い)である。昭和12年に水洗式トイレとして建設されたもので、現在でも現役である。私もこの文化遺産の中で用を足してきた。なかなか興味深いお寺である。

毎年1月から3月までは、3000体ものお雛様が国登録有形文化財「端龍閣」に飾られるという。来年になったら見に来てみようかと思う。ひょんなことからいろいろ面白いものが発見できた一日だった。



「人間の土地へ」

2021年06月17日 | Weblog

心揺さぶられる本。いかに自分が小さな価値観で狭い世界に住んでいるのかを教えられた本。

日本人女性で初めて世界第二の高峰K2登頂に成功し、内戦下のシリアで暮らした女性のノンフィクション。著者はなんと我が家の次女と同い年。裏表紙の作者の写真を見ると丸顔でかわいらしい女性。この写真からは、本に書かれているような人生を歩んできたとは信じがたい。

山歩きを趣味としている私は、K2登頂という言葉に惹かれてこの本を手にした。しかし、登山の話はほんの入り口、出発点に過ぎない。K2登山の際に知り合った山の麓の人たちに魅せられ、彼女の関心は山の頂から麓の風土に移っていき、今度はカメラを手にして、中国からユーラシア大陸を西に向かって旅を始めた。

その中で、シリアの遊牧民の一家と出会う。砂漠の夕日はあくまで美しく、星々は天にきらめき、あくせく働かずとも豊かで平和な日々を送る人々に魅せられて毎年のようにシリアに通う。その家族の12番目の息子ラドワンに恋をする。ラドワンはラクダをこよなく愛しラクダの放牧を天職としていた。そのラドワンと結婚を考えるようになった時、史上最悪と言われるシリアの内戦が勃発する。

ニュースで知る内戦と彼女の視線で捉えた内戦とはまるで別世界だ。シリアの人々がなぜ政府に反旗を翻しているのか、普通の若者がなぜISに加担するのか、命からがら難民キャンプにたどり着いた人々がなぜまたシリアに戻っていくのか。同じ人間としてその気持ちがとてもよく理解できる。

私にとってイスラムの文化はとても遠いものだった。でもこの本を読むと、家から自由に出られない女性たちの生活が理解できなかったのは自分の価値観でしか物事を考えられなかったからだと良く分かった。

内戦前の静かで穏やかな生活は、砂漠で暮らす人々にとって日本では経験できない至福の時間だった。だが、内戦ですべてが変わった。シリアの徴兵制で政府軍にいたラドワンが市民に銃を向けることができず脱走兵になる。紆余曲折があり、二人は結婚を決意する。

賄賂、裏切り、逃亡、逮捕。二人を取り巻く人々にも様々な困難が襲ってくる。それらの事件を一つずつ丁寧に描くことにより、シリアという国の状況が良くわかってくる。

このストーリーは過去の話でもなく未来の話でもなく、今私たちが生きているこの時代に起こっていることで、語っているのは私の娘と同い年の女性だということに衝撃を感じないではいられない。

心揺さぶられる本。いかに自分が小さな価値観で狭い世界に住んでいるのかを教えられた本。














4歳は面白い

2021年04月12日 | Weblog


4歳になったばかりの孫が熱を出したというので留守番に行きました。コロナのため、1歳半になった妹も保育園には行けません。娘は会社を休めないというので、おチビちゃん二人をまとめて面倒を見ることになりました。

朝、機嫌よくママを送り出した二人でしたが、何かちょこっとママにお話をしたくなったお兄ちゃんが、ママ~と玄関に行ったとき、娘はすでに家を出ていました。さあ大変。ママ~、ママ~、と泣き叫ぶお兄ちゃん。どうしようもないのでしばらくほっておきました。でも、なかなか収まる様子がありません。しびれを切らしたばあばは、お兄ちゃんに言いました。「そうね。ママがいいよね。ママじゃないとだめだよね。では、ばあばは帰るね。」4歳になったお兄ちゃんですから、それは困るということが理解できたのでしょう。ピタリと駄々をこねるのを止めました。

暫く機嫌よく遊び、お昼ご飯も済み夕方になりました。熱は下がり元気が出てきたお兄ちゃんは、狭いマンションの部屋の中ではエネルギーが発散できません。そろそろヤダヤダマンの登場です。

××というビデオが見たいと言い出しましたが、録画一覧を見てもお目当てのビデオが見つかりません。困ったなと思っていると、案の定、「××が見たい。××が見たい。他のじゃ嫌だ!」と大騒ぎを始めました。困ったばあばは言いました。「〇〇くん、世の中にはね、自分の思うとおりにならないことが沢山あるの。」するとどうでしょう。私の言ったことが理解できたとは思わないのですが、ピタリと静かになりました。そして、別の番組を静かに見始めました。

4歳って面白いですね。2歳や3歳だとヤダヤダマンを貫き通していたのですが、ほんの少し相手の言い分が分かるようになってきたのでしょうか。いつもは、パパやママに甘やかされていると思えるお兄ちゃんですが、少しづつ大人になっていくようです。

1歳半の妹は、いくつかの単語が話せるようになり、かわいい盛りです。熱が下がったばかりでは公園にも行けず、狭い家の中で二人を預かるとヘロヘロになりますが、孫との貴重な時間、楽しく愉快な一日でした。



八ヶ岳ブルー

2021年02月23日 | Weblog


先週、山友2人と北八ヶ岳に行ってきた。天気は快晴。ただし風が少し強かった。1日目はゴンドラで山頂駅から北横岳まで歩き、北横岳ヒュッテに宿泊。2日目は、小屋から歩いて15分ほどの北横岳山頂から朝日を仰ごうと朝6時前に出発して山頂に来たものの雲が多く風が強く、立っているだけでも大変だった。空が赤々としてきたが、寒いので小屋に戻ろうと話していたその時、太陽が雲の間から顔を出した。その赤いこと小さいこと! まるでサクランボのように美味しそうだった。今まで見たこともない景色に驚き、寒さも忘れてシャッターを切った。



朝食を済ませてから、三ッ岳、雨池山、雨池峠、縞枯山、茶臼山、五辻、山頂駅とぐるりと周回コースを歩いた。三ッ岳の一峰から雨池山の登り口までの下りがかなり急で、雪の表面が凍ってなくて本当に良かった。三ッ岳は岩がゴロゴロのピークが三つ連なっている所だが、雪がタップリあったので夏道よりもずっと歩きやすかったと思う。



厳冬期の冬山を歩く体力はないが、雪山ハイクは大好きである。雪の白さに映える八ヶ岳ブルーは、格別に素晴らしかった。そのうえ、山頂に上がれば、近くは浅間山、赤岳、編笠岳から、遠くは南アルプス、御嶽、乗鞍、中央アルプスそして北アルプスまで見渡せる。こんな贅沢な景色はそうそう見られるものではない。なんとラッキーなことだろう。浮世の憂さをすべて忘れて、雪山を満喫した2日間だった。






エルサルバドル内戦体験 by エスコバル瑠璃子

2021年02月17日 | Weblog

「逃避行」

JICA横浜2階回廊・3階展示室 で、「ラテンアメリカ探訪アート展 Nosotros 4」が開催されている。
このブログに載せた絵は3枚とも、このアート展で購入してきたエスコバル瑠璃子さんの絵のポストカードを写真に撮ったものである。

瑠璃子さんとは、2・3度、FB等でコメントを交わした程度のお付き合いだが、何年か前、偶然彼女のブログを読む機会があり壮絶な人生を歩んでこられた方であることを知った。それで今回、その方がどのような絵をお描きになるのか興味を持ち、JICA横浜に行ってみた。

動物や花の絵に混じって、圧倒的な存在感を放っているのは、エルサルバドルの内戦を描いたものである。大きなキャンバスのものもあれば小さめのものもある。でもどれも、描いた目的がはっきり伝わってくる。内戦の語り部としての絵である。

「戦火を逃れて」

瑠璃子さんは1976年から1984年にかけて中米のエルサルバドルで暮らしていた。エルサルバドル人の男性と結婚したからである。この時、内戦の混乱の中で「死体が『物』に変化して転がっている町の情景は『常識的な』光景だった。」と彼女は語っている。市場に買い出しに行く時、死体とは気づかず、その上を飛び越えて行ったとも。

中米の様子はニュースで取り上げられない限り、私は何も知らずに暮らしてきた。でも、瑠璃子さんのブログを読んだときに大きな衝撃を受けた。そして、この絵である。彼女が難民として日本に戻ってきてから40年近くが経つ現在は、かの国もまた大きな変化を遂げているだろうが、それでもなお、私が受けた衝撃は大きかった。

「薪を売る少女」





不思議な夢

2021年02月04日 | Weblog

不思議な夢を見た。右の耳から大量の砂がこぼれ落ちる夢だ。

数週間前から右の耳に違和感があり、首を振ったり顎を上下に動かすと何かカサコソと音がする。まるで耳垢が中でダンスをしているみたいに。でも、耳の掃除をしても何も出てこない。きれいなものだ。あまり気になるので、「明日は耳鼻科へ行ってみよう」と思って寝たのだが、翌朝、大量の砂が耳からこぼれ落ちる夢を見て、驚いて目を覚ました。不思議なことにそれからカサコソと音がしなくなった。

なんだか狐につままれたような気がする。






コロンボとポワロ

2021年02月01日 | Weblog


今、はまっているドラマがある。それは、「刑事コロンボ」と「名探偵ポワロ」。本放送の時間では見られないため録画してみているが、この二人がすこぶる対照的な人物のため、倍楽しめる。

「刑事コロンボ」は、1968年から1978年までアメリカで放送されたもので、基本設定はあるものの、多くの脚本家や監督が手掛けており、それぞれのストーリーがそれぞれの作り手の個性を反映し、バラエティー豊かな作品群になっている。毎回、視聴者は最初に完全犯罪もどき殺人を目撃し、その犯人が誰であるかは分かったうえで、ストーリーが始まる。

いつもよれよれのレインコートを着てボロボロの外車に乗り、安物の葉巻を吸いながら一見愚鈍そうな素振りで、ドラマを見ている私たちにはすでに知らされている真犯人に迫っていく。犯人は社会的に高い地位についている極めて知性が高い人物で、普通の警察の捜査であれば完全犯罪になるような事件ばかりである。そこにコロンボが登場する。いつもいつも寝不足か、あるいはお腹を空かした状態で登場することが多い。自分の流儀で現場検証を終えると、ほんの些細な、平凡な人間ならば見過ごしてしまうような小さな齟齬に疑問を持ち、熱心にそして執拗にその疑問を追及していく。そして最後には真犯人が自白せざるを得ない証拠をつかむ。コロンボの口癖は、犯人と話をした後、ドアのところで振り向きながら、「あ! あと一つ忘れてました。」と言うのと、何かというと「うちのかみさんがね・・・」と話をすることだ。

どのストーリーも基本パターンは同じなのに、毎回毎回楽しめる。時代背景は古いが、そこもまた今となっては魅力である。

一方「名探偵ポワロ」は、すべてにおいて全く逆である。まず、舞台はアメリカでなくイギリスである。原作者は言わずと知れたアガサ・クリスティ。第一次世界大戦後が舞台で、当時のイギリス社会の描写も面白い。様々な人物が登場し事件が起こる。コロンボと違い、視聴者は誰が犯人か皆目見当もつかない。いわゆる推理小説の定石を踏んでいろいろなことが起こるが、最後に、バラバラだった出来事をポワロが「灰色の脳細胞」を駆使して見事に整理し謎を解きあかす。そして、ポワロの人物像もすこぶる興味深く、彼は整理整頓を常とし、身なりには異常なほど気を使い、乱雑さは許容できない。まさにコロンボと正反対である。ポワロはベルギー人で、第一次大戦中にドイツの侵攻でイギリスに亡命することを余儀なくされた。故国ベルギーでは警察官として活躍したのち退職していた。イギリスにおいては上流階級の人々とも交流がある。

コロンボがおいしいハンバーグとすれば、ポワロは美味なフランス料理というところだろうか。一つだけ「刑事コロンボ」と「名探偵ポワロ」の共通点をあげれば、それは、どちらも声優が素晴らしいということだろう。コロンボは小池朝雄氏、ポワロは熊倉一雄氏である。

名作は時代を超えて人々を楽しませる。

万年筆

2020年07月30日 | Weblog

若い頃、万年筆で手紙や日記を書くのが好きだった。その愛用の万年筆がひょっこり引き出しから出てきた。もう30年近くも使っていない。すっかり生気を失っている。愛おしくなってせっせと磨いてやった。少し、生き返ったように見える。

モンブランの万年筆。先っぽにあの有名なホワイトスターのマークが白く輝いている。ボディはえんじ色。ペンの太さは並太。このペンを使っていた頃、もっと太書きのものが欲しかった。ショーウインドーを覘いたら定価が2万円だった。育ち盛りの幼い子供たちをかかえていた当時、自分のために2万円の万年筆を買うのは憚られた。そこで、自分に言い聞かせた。英検1級を取得したら、そのご褒美としてこの太書きのモンブランを買おうと。

それから数年後、晴れて1級を取得した頃は、万年筆のことなどもうすっかり忘れていた。ボールペン全盛の時代になっていた。今では、書き心地もインクの色も万年筆のようなボールペンが沢山出回っている。

モンブランの万年筆。なんだか甘酸っぱい思い出だ。

コロナの良い副作用

2020年05月26日 | Weblog

非常事態宣言が解除になりました。これまで自粛自粛でいろいろな副作用が出て、日々の生活や経済に大きな影響を及ぼしてきました。その中で良い副作用もあったように感じています。

家から40分ほど歩くと大きな公園に行くことができます。ステイホーム期間中、運動不足の解消のために時々、この公園まで足を延ばして散歩を楽しんでいました。この公園は1989年に福岡に転勤になる前、我が家の庭でした。道路を挟んで反対側が公園の入り口だったので、幼い娘たちを連れて毎日利用していました。その頃は公園に行けば、様々な年齢層の子供たちがいつも駆け回っていたものです。



ところが13年後に福岡から戻ってみると、子供の姿はほとんど見当たらず、70代、80代の退職世代が、釣りをしたり散歩をしたりしているのを見かけるだけになってしまいました。あ~これが高齢化社会なんだ、とつくづく実感したのを覚えています。帰京した際、この公園からは離れたところに居を構えたため、年に数回訪れる程度になってしまいましたが、いつ行っても人影はまばら。そして18年が経ちました。



ところがどうでしょう。自粛生活が始まったら、少しづつ、子供たちの姿が戻ってきました。5月の連休などは昔の賑やかさを思い出すほどになりました。子供だけではありません。大人もジョギングや山菜摘みを楽しんでいます。山一つを丸ごと公園にしたようなところですから、三密にはなりません。それぞれに初夏の一日を楽しんでいます。何よりうれしかったのは、子供たちの元気な声。あちらでもこちらでもにぎやかです。学校はもとより、塾もお稽古事もみ~んなお休みになってしまったからでしょう。



そして、目立つのは幼児を連れた若いパパたち。乳母車を押したり、3歳くらいの子供とかけっこしたり。何ともほほえましい光景です。平日でも見かけました。きっとテレワークで時間調整しているのでしょう。ある人がFacebookでつぶやいていました。「毎日息子と何をして遊ぼうかと頭を悩ませてきたが、自粛が解除され仕事に戻ることを考えると、嬉しくもあり、寂しくもある」

コロナが収束した際、元の生活に戻るのではなく、自粛期間に見つけた良い点を積極的に取り入れられたらいいのにと思うのです。

ペスト

2020年05月24日 | Weblog
コロナが猛威を振るう今、世界中で売れ行き好調の本です。

北アフリカのフランス領、アルジェリアのオラン市をペストが襲う。その時、人々は何を思い、どう行動するのか。そしてどのように助け合うのかが描かれています。1947年に出版された大昔の物語で決して読みやすくはないのですが、とても心に響くものがありました。前半は読み進むのに時間がかかりました。でも、後半はぐんぐん進みます。物語の語り手が誰なのか最後の方で明かされます。カフカの「変身」と共に不条理文学として有名ですね。

近所の本屋さんが皆閉まっているので、アマゾンで注文しました。単行本と思い1700円支払ったのですが、なんと届いたのは750円の文庫本でした。なるほど、需要と供給のバランスですね。身をもって学びました。