こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

「淳子のてっぺん」by 唯川恵

2021年07月01日 | Weblog

ノンフィクションにほんの少しのフィクションを加えて書かれた「淳子のてっぺん」。読み応えのある本だった。文庫本で625ページの大作だが、あっという間に読み終えた。「エベレスト? 女なんかに登れるもんか!」という時代に、女性だけの隊で世界の最高峰、エベレストを目指した田部井淳子さんの物語だ。

今から20年ほど前にどこかの里山を歩いていた時、すれ違った人から「あら! 田部井さんですか?」と声をかけられたことがある。その時は、あら、いやだ、私あんなにおばさんじゃないし。。。と思った。地球上で一番高い所、8848メートルの山頂を女性で初めて踏破した田部井さんとは知っていたが、テレビなどで見かける田部井さんは、どこにでもいるような気のいいおばさんという感じだったからだ。エベレストと七大陸最高峰への登頂に成功しているのに驕りの欠片も見当たらない。

この本を読むと田部井さんの性格の良さと高度順化の凄さがどれほどのものかよく分かる。いたるところで泣けるし、登山の描写ではハラハラドキドキ。77才で亡くなったのだから、山から生還していることは明らかなので遭難の心配はしなかったが、あの時代の海外遠征となると、山に登ること以上に、それこそ山ほどの問題が持ち上がる。それがハラハラ、ドキドキなのである。

そして、「淳子のてっぺん」はエベレストの山頂ではない。ではどこか。思い出すだけで涙が出てくる。これからしばらくは、田部井さん自身が書かれた著作を読んでみようと思う。



可睡ゆりの園と可睡斎

2021年06月21日 | Weblog
静岡県袋井市に「可睡ゆりの園」というところがあると知った。早速、訪ねてみた。色とりどりで様々な種類のユリがワーッと咲いていてそれはそれは見事だった。咲く場所や種類によってはもう花が終わりかけているものもあったが、それでも圧倒された。白、黄色、オレンジ、うす桃色、ピンク、濃いピンク、深紅、えんじ、そして白にピンクが混じったものや、黄色の花びらがピンクで縁取りされているもの、えんじ色が黄色で縁取りされているもの等、各国の原種のユリだけでなく改良を加えた園芸品種も様々に咲き誇っている。コスモスや菜の花の丘は見たことがあるが、ユリの丘は初めてだった。壮観。

その後、ゆりの園のすぐ隣に「可睡斎」という古刹があるというので、せっかく静岡まで来たのだからと寄り道することにした。折しも風鈴祭りが開催中されていた。これがまた風情溢れて、カラフルな風鈴が風に揺られてカラリコロリと涼しげな音を立てていた。

「可睡斎」とはお寺の名前にしては一寸変わったネーミングだと思っていたら、これは徳川家康に関係があるようだ。可睡斎のHPによると、
*****家康の幼少期から長い縁を育んでいた11代目の住職は、立派な殿様になった家康に呼ばれ、城への長い道を駕籠に揺られ、謁見する際に疲れからこっくりこっくりと眠ってしまいました。あろうことか、殿様である家康と面談のその時に…。「無礼である!」といきり立つ勇猛な家臣達に、家康が発した言葉があります。「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、 和尚睡る可し 睡る可し(ねむるべし)」と申されたと言われています。 *****

このお寺の境内には、武田勢に追われた家康が、その身を隠して命拾いをしたという小さな洞窟もある。

さらにここには貴重な文化遺産がある。大東司(お手洗い)である。昭和12年に水洗式トイレとして建設されたもので、現在でも現役である。私もこの文化遺産の中で用を足してきた。なかなか興味深いお寺である。

毎年1月から3月までは、3000体ものお雛様が国登録有形文化財「端龍閣」に飾られるという。来年になったら見に来てみようかと思う。ひょんなことからいろいろ面白いものが発見できた一日だった。



「人間の土地へ」

2021年06月17日 | Weblog

心揺さぶられる本。いかに自分が小さな価値観で狭い世界に住んでいるのかを教えられた本。

日本人女性で初めて世界第二の高峰K2登頂に成功し、内戦下のシリアで暮らした女性のノンフィクション。著者はなんと我が家の次女と同い年。裏表紙の作者の写真を見ると丸顔でかわいらしい女性。この写真からは、本に書かれているような人生を歩んできたとは信じがたい。

山歩きを趣味としている私は、K2登頂という言葉に惹かれてこの本を手にした。しかし、登山の話はほんの入り口、出発点に過ぎない。K2登山の際に知り合った山の麓の人たちに魅せられ、彼女の関心は山の頂から麓の風土に移っていき、今度はカメラを手にして、中国からユーラシア大陸を西に向かって旅を始めた。

その中で、シリアの遊牧民の一家と出会う。砂漠の夕日はあくまで美しく、星々は天にきらめき、あくせく働かずとも豊かで平和な日々を送る人々に魅せられて毎年のようにシリアに通う。その家族の12番目の息子ラドワンに恋をする。ラドワンはラクダをこよなく愛しラクダの放牧を天職としていた。そのラドワンと結婚を考えるようになった時、史上最悪と言われるシリアの内戦が勃発する。

ニュースで知る内戦と彼女の視線で捉えた内戦とはまるで別世界だ。シリアの人々がなぜ政府に反旗を翻しているのか、普通の若者がなぜISに加担するのか、命からがら難民キャンプにたどり着いた人々がなぜまたシリアに戻っていくのか。同じ人間としてその気持ちがとてもよく理解できる。

私にとってイスラムの文化はとても遠いものだった。でもこの本を読むと、家から自由に出られない女性たちの生活が理解できなかったのは自分の価値観でしか物事を考えられなかったからだと良く分かった。

内戦前の静かで穏やかな生活は、砂漠で暮らす人々にとって日本では経験できない至福の時間だった。だが、内戦ですべてが変わった。シリアの徴兵制で政府軍にいたラドワンが市民に銃を向けることができず脱走兵になる。紆余曲折があり、二人は結婚を決意する。

賄賂、裏切り、逃亡、逮捕。二人を取り巻く人々にも様々な困難が襲ってくる。それらの事件を一つずつ丁寧に描くことにより、シリアという国の状況が良くわかってくる。

このストーリーは過去の話でもなく未来の話でもなく、今私たちが生きているこの時代に起こっていることで、語っているのは私の娘と同い年の女性だということに衝撃を感じないではいられない。

心揺さぶられる本。いかに自分が小さな価値観で狭い世界に住んでいるのかを教えられた本。














4歳は面白い

2021年04月12日 | Weblog


4歳になったばかりの孫が熱を出したというので留守番に行きました。コロナのため、1歳半になった妹も保育園には行けません。娘は会社を休めないというので、おチビちゃん二人をまとめて面倒を見ることになりました。

朝、機嫌よくママを送り出した二人でしたが、何かちょこっとママにお話をしたくなったお兄ちゃんが、ママ~と玄関に行ったとき、娘はすでに家を出ていました。さあ大変。ママ~、ママ~、と泣き叫ぶお兄ちゃん。どうしようもないのでしばらくほっておきました。でも、なかなか収まる様子がありません。しびれを切らしたばあばは、お兄ちゃんに言いました。「そうね。ママがいいよね。ママじゃないとだめだよね。では、ばあばは帰るね。」4歳になったお兄ちゃんですから、それは困るということが理解できたのでしょう。ピタリと駄々をこねるのを止めました。

暫く機嫌よく遊び、お昼ご飯も済み夕方になりました。熱は下がり元気が出てきたお兄ちゃんは、狭いマンションの部屋の中ではエネルギーが発散できません。そろそろヤダヤダマンの登場です。

××というビデオが見たいと言い出しましたが、録画一覧を見てもお目当てのビデオが見つかりません。困ったなと思っていると、案の定、「××が見たい。××が見たい。他のじゃ嫌だ!」と大騒ぎを始めました。困ったばあばは言いました。「〇〇くん、世の中にはね、自分の思うとおりにならないことが沢山あるの。」するとどうでしょう。私の言ったことが理解できたとは思わないのですが、ピタリと静かになりました。そして、別の番組を静かに見始めました。

4歳って面白いですね。2歳や3歳だとヤダヤダマンを貫き通していたのですが、ほんの少し相手の言い分が分かるようになってきたのでしょうか。いつもは、パパやママに甘やかされていると思えるお兄ちゃんですが、少しづつ大人になっていくようです。

1歳半の妹は、いくつかの単語が話せるようになり、かわいい盛りです。熱が下がったばかりでは公園にも行けず、狭い家の中で二人を預かるとヘロヘロになりますが、孫との貴重な時間、楽しく愉快な一日でした。



八ヶ岳ブルー

2021年02月23日 | Weblog


先週、山友2人と北八ヶ岳に行ってきた。天気は快晴。ただし風が少し強かった。1日目はゴンドラで山頂駅から北横岳まで歩き、北横岳ヒュッテに宿泊。2日目は、小屋から歩いて15分ほどの北横岳山頂から朝日を仰ごうと朝6時前に出発して山頂に来たものの雲が多く風が強く、立っているだけでも大変だった。空が赤々としてきたが、寒いので小屋に戻ろうと話していたその時、太陽が雲の間から顔を出した。その赤いこと小さいこと! まるでサクランボのように美味しそうだった。今まで見たこともない景色に驚き、寒さも忘れてシャッターを切った。



朝食を済ませてから、三ッ岳、雨池山、雨池峠、縞枯山、茶臼山、五辻、山頂駅とぐるりと周回コースを歩いた。三ッ岳の一峰から雨池山の登り口までの下りがかなり急で、雪の表面が凍ってなくて本当に良かった。三ッ岳は岩がゴロゴロのピークが三つ連なっている所だが、雪がタップリあったので夏道よりもずっと歩きやすかったと思う。



厳冬期の冬山を歩く体力はないが、雪山ハイクは大好きである。雪の白さに映える八ヶ岳ブルーは、格別に素晴らしかった。そのうえ、山頂に上がれば、近くは浅間山、赤岳、編笠岳から、遠くは南アルプス、御嶽、乗鞍、中央アルプスそして北アルプスまで見渡せる。こんな贅沢な景色はそうそう見られるものではない。なんとラッキーなことだろう。浮世の憂さをすべて忘れて、雪山を満喫した2日間だった。






エルサルバドル内戦体験 by エスコバル瑠璃子

2021年02月17日 | Weblog

「逃避行」

JICA横浜2階回廊・3階展示室 で、「ラテンアメリカ探訪アート展 Nosotros 4」が開催されている。
このブログに載せた絵は3枚とも、このアート展で購入してきたエスコバル瑠璃子さんの絵のポストカードを写真に撮ったものである。

瑠璃子さんとは、2・3度、FB等でコメントを交わした程度のお付き合いだが、何年か前、偶然彼女のブログを読む機会があり壮絶な人生を歩んでこられた方であることを知った。それで今回、その方がどのような絵をお描きになるのか興味を持ち、JICA横浜に行ってみた。

動物や花の絵に混じって、圧倒的な存在感を放っているのは、エルサルバドルの内戦を描いたものである。大きなキャンバスのものもあれば小さめのものもある。でもどれも、描いた目的がはっきり伝わってくる。内戦の語り部としての絵である。

「戦火を逃れて」

瑠璃子さんは1976年から1984年にかけて中米のエルサルバドルで暮らしていた。エルサルバドル人の男性と結婚したからである。この時、内戦の混乱の中で「死体が『物』に変化して転がっている町の情景は『常識的な』光景だった。」と彼女は語っている。市場に買い出しに行く時、死体とは気づかず、その上を飛び越えて行ったとも。

中米の様子はニュースで取り上げられない限り、私は何も知らずに暮らしてきた。でも、瑠璃子さんのブログを読んだときに大きな衝撃を受けた。そして、この絵である。彼女が難民として日本に戻ってきてから40年近くが経つ現在は、かの国もまた大きな変化を遂げているだろうが、それでもなお、私が受けた衝撃は大きかった。

「薪を売る少女」





不思議な夢

2021年02月04日 | Weblog

不思議な夢を見た。右の耳から大量の砂がこぼれ落ちる夢だ。

数週間前から右の耳に違和感があり、首を振ったり顎を上下に動かすと何かカサコソと音がする。まるで耳垢が中でダンスをしているみたいに。でも、耳の掃除をしても何も出てこない。きれいなものだ。あまり気になるので、「明日は耳鼻科へ行ってみよう」と思って寝たのだが、翌朝、大量の砂が耳からこぼれ落ちる夢を見て、驚いて目を覚ました。不思議なことにそれからカサコソと音がしなくなった。

なんだか狐につままれたような気がする。






コロンボとポワロ

2021年02月01日 | Weblog


今、はまっているドラマがある。それは、「刑事コロンボ」と「名探偵ポワロ」。本放送の時間では見られないため録画してみているが、この二人がすこぶる対照的な人物のため、倍楽しめる。

「刑事コロンボ」は、1968年から1978年までアメリカで放送されたもので、基本設定はあるものの、多くの脚本家や監督が手掛けており、それぞれのストーリーがそれぞれの作り手の個性を反映し、バラエティー豊かな作品群になっている。毎回、視聴者は最初に完全犯罪もどき殺人を目撃し、その犯人が誰であるかは分かったうえで、ストーリーが始まる。

いつもよれよれのレインコートを着てボロボロの外車に乗り、安物の葉巻を吸いながら一見愚鈍そうな素振りで、ドラマを見ている私たちにはすでに知らされている真犯人に迫っていく。犯人は社会的に高い地位についている極めて知性が高い人物で、普通の警察の捜査であれば完全犯罪になるような事件ばかりである。そこにコロンボが登場する。いつもいつも寝不足か、あるいはお腹を空かした状態で登場することが多い。自分の流儀で現場検証を終えると、ほんの些細な、平凡な人間ならば見過ごしてしまうような小さな齟齬に疑問を持ち、熱心にそして執拗にその疑問を追及していく。そして最後には真犯人が自白せざるを得ない証拠をつかむ。コロンボの口癖は、犯人と話をした後、ドアのところで振り向きながら、「あ! あと一つ忘れてました。」と言うのと、何かというと「うちのかみさんがね・・・」と話をすることだ。

どのストーリーも基本パターンは同じなのに、毎回毎回楽しめる。時代背景は古いが、そこもまた今となっては魅力である。

一方「名探偵ポワロ」は、すべてにおいて全く逆である。まず、舞台はアメリカでなくイギリスである。原作者は言わずと知れたアガサ・クリスティ。第一次世界大戦後が舞台で、当時のイギリス社会の描写も面白い。様々な人物が登場し事件が起こる。コロンボと違い、視聴者は誰が犯人か皆目見当もつかない。いわゆる推理小説の定石を踏んでいろいろなことが起こるが、最後に、バラバラだった出来事をポワロが「灰色の脳細胞」を駆使して見事に整理し謎を解きあかす。そして、ポワロの人物像もすこぶる興味深く、彼は整理整頓を常とし、身なりには異常なほど気を使い、乱雑さは許容できない。まさにコロンボと正反対である。ポワロはベルギー人で、第一次大戦中にドイツの侵攻でイギリスに亡命することを余儀なくされた。故国ベルギーでは警察官として活躍したのち退職していた。イギリスにおいては上流階級の人々とも交流がある。

コロンボがおいしいハンバーグとすれば、ポワロは美味なフランス料理というところだろうか。一つだけ「刑事コロンボ」と「名探偵ポワロ」の共通点をあげれば、それは、どちらも声優が素晴らしいということだろう。コロンボは小池朝雄氏、ポワロは熊倉一雄氏である。

名作は時代を超えて人々を楽しませる。

万年筆

2020年07月30日 | Weblog

若い頃、万年筆で手紙や日記を書くのが好きだった。その愛用の万年筆がひょっこり引き出しから出てきた。もう30年近くも使っていない。すっかり生気を失っている。愛おしくなってせっせと磨いてやった。少し、生き返ったように見える。

モンブランの万年筆。先っぽにあの有名なホワイトスターのマークが白く輝いている。ボディはえんじ色。ペンの太さは並太。このペンを使っていた頃、もっと太書きのものが欲しかった。ショーウインドーを覘いたら定価が2万円だった。育ち盛りの幼い子供たちをかかえていた当時、自分のために2万円の万年筆を買うのは憚られた。そこで、自分に言い聞かせた。英検1級を取得したら、そのご褒美としてこの太書きのモンブランを買おうと。

それから数年後、晴れて1級を取得した頃は、万年筆のことなどもうすっかり忘れていた。ボールペン全盛の時代になっていた。今では、書き心地もインクの色も万年筆のようなボールペンが沢山出回っている。

モンブランの万年筆。なんだか甘酸っぱい思い出だ。

コロナの良い副作用

2020年05月26日 | Weblog

非常事態宣言が解除になりました。これまで自粛自粛でいろいろな副作用が出て、日々の生活や経済に大きな影響を及ぼしてきました。その中で良い副作用もあったように感じています。

家から40分ほど歩くと大きな公園に行くことができます。ステイホーム期間中、運動不足の解消のために時々、この公園まで足を延ばして散歩を楽しんでいました。この公園は1989年に福岡に転勤になる前、我が家の庭でした。道路を挟んで反対側が公園の入り口だったので、幼い娘たちを連れて毎日利用していました。その頃は公園に行けば、様々な年齢層の子供たちがいつも駆け回っていたものです。



ところが13年後に福岡から戻ってみると、子供の姿はほとんど見当たらず、70代、80代の退職世代が、釣りをしたり散歩をしたりしているのを見かけるだけになってしまいました。あ~これが高齢化社会なんだ、とつくづく実感したのを覚えています。帰京した際、この公園からは離れたところに居を構えたため、年に数回訪れる程度になってしまいましたが、いつ行っても人影はまばら。そして18年が経ちました。



ところがどうでしょう。自粛生活が始まったら、少しづつ、子供たちの姿が戻ってきました。5月の連休などは昔の賑やかさを思い出すほどになりました。子供だけではありません。大人もジョギングや山菜摘みを楽しんでいます。山一つを丸ごと公園にしたようなところですから、三密にはなりません。それぞれに初夏の一日を楽しんでいます。何よりうれしかったのは、子供たちの元気な声。あちらでもこちらでもにぎやかです。学校はもとより、塾もお稽古事もみ~んなお休みになってしまったからでしょう。



そして、目立つのは幼児を連れた若いパパたち。乳母車を押したり、3歳くらいの子供とかけっこしたり。何ともほほえましい光景です。平日でも見かけました。きっとテレワークで時間調整しているのでしょう。ある人がFacebookでつぶやいていました。「毎日息子と何をして遊ぼうかと頭を悩ませてきたが、自粛が解除され仕事に戻ることを考えると、嬉しくもあり、寂しくもある」

コロナが収束した際、元の生活に戻るのではなく、自粛期間に見つけた良い点を積極的に取り入れられたらいいのにと思うのです。

ペスト

2020年05月24日 | Weblog
コロナが猛威を振るう今、世界中で売れ行き好調の本です。

北アフリカのフランス領、アルジェリアのオラン市をペストが襲う。その時、人々は何を思い、どう行動するのか。そしてどのように助け合うのかが描かれています。1947年に出版された大昔の物語で決して読みやすくはないのですが、とても心に響くものがありました。前半は読み進むのに時間がかかりました。でも、後半はぐんぐん進みます。物語の語り手が誰なのか最後の方で明かされます。カフカの「変身」と共に不条理文学として有名ですね。

近所の本屋さんが皆閉まっているので、アマゾンで注文しました。単行本と思い1700円支払ったのですが、なんと届いたのは750円の文庫本でした。なるほど、需要と供給のバランスですね。身をもって学びました。




ロベール・ドアノー

2020年02月20日 | Weblog
写真が好きな人であれば、ロベール・ドアノーを知らない人はいないだろう。

「伝書鳩が地図を読むことを覚えたとしたら、きっと方向感覚を失ってしまうだろう。自分にとって大事なことは、大きな好奇心をもってパリの雑踏の中を自由に歩くことだ。」

そう語るドアノーはパリ以外はどこにも旅行したことがないらしい。生涯をパリの街角の風景を写し取ることに捧げ、人々に向けられた彼の眼差しはとても優しい。

横浜そごう美術館でドアノーの写真展が開かれていると知り、早速行ってみた。「恋人」「街路」「子供達」「酒場」「芸術家」の5つのセクションに区分されていた。すべてモノクロの写真は皆すべて上品なタッチとユーモアにあふれていた。ここにある写真は京都現代美術館「何必館(カヒツカン)」のコレクションだそうだ。この美術館の館長梶川芳友氏は、「ドアノーの写真にはカメラという機械を全く感じない。ドアノー自身の一瞬の瞬きであるように思われる。」と語っているが、写真を前にすると本当にそう感じる。


この写真が一番好きだ。「パビヨンの子供」というタイトルが付けられていた。何気なく見ていたら通り過ぎてしまったかもしれない写真だが、これは1945年に撮られたもので、第2次世界大戦の傷跡が生々しいパリの街に一人の天使が降り立ったと説明がされていた。どんな悲惨な状況でも、子供たちの笑顔は大人を勇気づけてくれる。


またこの写真はユーモアにあふれている。犬の散歩をしている紳士が絵描きのヌードの絵を覗いている。よく見ると画家の向こうのベンチに女性の足が見えている。カメラを向けるドアノーを見つめるフォックステリアの表情も面白い。

私の拙い説明では何とももどかしいが、是非、会場でドアノーの温かいまなざしを感じてほしい。「コダック賞」「ニエプス賞」などを受賞し、1994年4月にパリで亡くなっている。

自由人の難しさ

2020年02月17日 | Weblog
昨年3月末で退職し、晴れて自由人の身になってもうすぐ1年になろうとしている今、つくづく自由人でいることの難しさを感じている。どのように説明したらよいのか言葉に詰まる。行きつくところ、自己管理の難しさというところだろう。

昨年の今頃、周りの人たちに、「4月から自由人だ! 嬉しい~」と誰彼構わず吹聴していたら、ある先輩がアドバイスをくれた。「自由人になったら、『きょうよう』と『きょういく』がとても大事だよ」と。「??」という顔をした私に、彼は説明してくれた。教養と教育ではない。「今日用がある」つまり、きょうよう。「今日行く所」つまり、きょういく。仕事に行かずともよくなるのは嬉しいが、することが何もなくなると酒の味も落ちるというのだ。なるほど。。。と納得したが、それは男性の話であって、家事など諸々の日常事をこなす女性の場合は当てはまらないんじゃないかと、その時は深く考えもしなかった。

退職後7か月頃までは、在職中にはできなかった長期旅行やいろいろなことがスケジュールを埋め、子育て中の娘たちからは気軽にSOSが入り、仕事中より忙しい時期もあった。が、切迫流産の危機を乗り切った次女の出産も無事に済み、産後のお手伝いも済んだら、手帳のスケジュール欄が真っ白になった。日々の雑用はあるが、なんだかとても物足りなく感じた。さぼろうと思えば、思いっきり何でもさぼれる。そうすると日々の生活が不規則になる。ということは健康にも良くない。つまるところ緊張感に欠けるのだ。人に厳しく、自分に甘い私は、このままではよくない方向に転げ落ちてしまうと感じ始めた。退職したら毎日運動をして、勉強をして。。。などと計画していたが、実行に移すのはかなりの意志力と情熱が必要であることを悟った。

ということで、現在のところ、自由人を謳歌するどころか、自由人の難しさを感じている。興味半分でなんにでも手を出し、すぐに飽きてしまう私は、今後10年を見据えて、本当に自分が情熱を傾けられるものを探す必要に迫られている。


多摩川散策

2020年02月04日 | Weblog
1月の中頃から風邪をこじらせ気管支炎を患っていた。熱はないものの薬のせいか体は怠く前向きな気持ちになれずにいた。3週間目に入り大分回復してきたので、リハビリを兼ねて多摩川の土手を散策してきた。六郷土手で電車を降りて多摩川駅まで歩いてみた。

まず驚いたのは昨年の台風の傷跡。河原敷きに泥やゴミが蓄積されているところがそこかしこにあり、かなり背の高い木の枝に藁くずやビニール袋などが沢山ぶら下がっていた。こんなところまで水嵩が上がってきたんだとビックリ。土手沿いの住民の方たちはどんなにか怖い思いをされただろうと改めて感じた。やはり現場に足を運ぶということはこういうことかと納得した。ニュースで聞いているだけではここまでの実感は湧かなかった。

あれから4か月近くがたち、今日の多摩川はいたって平和に流れていた。


そんな多摩川を眺めているご老人がいた。沢山のカモメを友人にして何を語っていたのだろう。何を見つめていたのだろうか。

今日は晴天を期待していたが、生憎空は厚い雲に覆われてきた。広く市民に開放された河川敷では、ゴルフやテニスを楽しんでいる人の姿が見られた。土手沿いの道では、たくさんの人がジョギングや散歩を楽しんでいる。気管支炎で仕事以外は外出を控え、ほとんど引きこもり状態だった私にとっては、多摩川の広々とした景色は久しぶりに気持ちをリフレッシュしてくれた。


ゴールの多摩川駅の傍に浅間神社があったので寄ってみた。境内から河原を眺めることができ、もう少し天候が良ければ富士山の雄姿も拝めるらしい。こんなところにも小さなビュースポットがあったなんて、ちょっと嬉しくなった。多摩川のお陰で気持ちが少し前向きに変わった一日だった。


お兄ちゃんの試練

2019年10月13日 | Weblog

 

次女に第二子が産まれました。可愛い可愛い女の子です。上の子は男の子。2年7か月でお兄ちゃんになりました。昔から男の子は育てにくいと言われてきましたが、見ている限り娘たち夫婦はさほどの苦労もなく上手に育児をし、これまでスクスクと育ってきたように思います。良くおしゃべりする、これまた可愛い可愛い男の子です。

そのお兄ちゃんに妹が生まれたことで大きな変化が! ヤダヤダマン全開です。「保育園には行かない。」「歯磨きなんか大嫌い。」「僕も赤ちゃんになりたい。」「おっぱいが飲みたい。」。。。。おもちゃを投げる、牛乳をぶくぶくしちゃう。。。産後の1ヵ月間、娘の家に泊まり込みでお手伝いに来ているばぁばはへとへとです。

でも、よく観察していると、子供ながらにいろいろと大人を試したり、自分の心と戦ったりしているのがよくわかり、そのけなげな姿がまたかわいい💛 ある時は、「保育園にはママと行く。ばぁばは赤ちゃんとお留守番してて。」と寝室に閉じ込められたり、またある時は、「ばぁば、大好き~~」と甘えてきたり。少年の心は揺れています。彼にとって一番つらいのが授乳の時間。機嫌よく遊んでいても急に荒れだし、今や、豆台風と化しています。本物の台風19号は大きな被害を出して日本列島を横切っていき、今日はスカッと秋晴れです。豆台風も秋晴れになってほしいところです。ちっちゃなちっちゃな豆台風も、人生の最初の試練をクリアしてお兄ちゃんになったことを受け入れられるといいなと願っています。まぁ時間の問題でしょうが。

それにしても娘三人を育ててきた私にとっては、新鮮な体験でした。やはり男の子と女の子は違うのでしょうね。こんな苦労は初めてです。若いパパとママもさすがに大変そう。ばぁばは1ヶ月過ぎたら引き上げますが、その後もしばらくは大変でしょうね。3人ともがんばれ~~ そんな騒動をよそに、赤ちゃんはお腹がいっぱいならスヤスヤと天使の寝顔を見せています。