ボヤキ嫁の日々の記録

“超”がつくほどの楽天家ダンナと文句が多いボヤキ嫁の日々の記録
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ビルマ旅行(3) ピンウーリン・その3

2012年12月22日 | 旅行 - ビルマ

ビルマ滞在3日目。この日はピンウーリンで午前中を過ごし、マンダレー近郊を見て廻った。

ピンウーリンには英国統治時代の名残が多く残っている。英国統治時代の知事のオフィス兼居住地が宿泊したホテルのすぐ裏にあり、裏のホテルの宿泊客だというと中に入れてくれた。宿泊したホテルのオーナーがこの施設を管理しているらしい。

(当時のホテル入り口の写真が掲載されていた)

(入り口には当時の政府要人の蝋人形が何体も置かれていた。)

この建物、現在もホテルとして機能しているとのことで、一泊10数万円出せば止まれるとのこと。入り口に蝋人形が置いてあるホテルか。。。ちょっと泊まりたくないな。建物の中にはバー、屋内プール(水はきちんと張られていた)もあり、しっかり管理されている様子。

ホテルで英国統治下に建てられたピンウーリン内に現存する建築物を紹介する本を購入した楽天家ダンナ、午前中はこれらの建物めぐりとなった。

こういう建物が現存しているのを見ると、気候だけでなく観光地としても軽井沢に似ているなと思った。訪ねた建築物の中に、住居として使っているものがあり中に入れなかった場所があった。書籍には沢山の建築物について写真とともに解説らしきことが書いてあるようだが、残念ながら全てビルマ語で書いてあり、ボヤキ嫁にはまったく分からず。

その後街に戻り、丘の上にあるパゴダをお参りした。若い女の子が楽しそうにやってきてお参りして帰っていった。

お寺に気軽に遊びに行く。それが普通の生活なのかしら。靴を脱ぐまではきゃあきゃあ言っていたが、靴を脱ぎ境内に入ってからは静かになっていた。若者の信仰心の厚さや正しい振る舞いは、親がしっかりと躾けているのだろう。 

その後、ビルマにおける東武ワールドスクエアー的な場所へと行った。この場所はビルマ国内の有名な建造物のミニチュアが置かれている。

ここもピンウーリンの公園と同じく植物はしっかりと整備されていたが、建物はまったくといった感じ。毎回入場料はビルマ人価格と外国人価格が違うのだが、ボヤキ嫁は今までビルマ人価格でどこへも入場。ロンジーを着ていなくてもビルマ語で話しかけられる顔、背の低さ、ポッチャリな体つきが功を奏したようです。

ピンウーリンは他の地域よりも平均気温が低いため、セーターなど厚手の服が多く売られている地域とのことで、一緒に旅行していた楽天家ダンナの妹家族はセーター購入に勤しんでいた。

ピンウーリンの街で昼食。

ボヤキ嫁用は右端に移っているチキンのカレー。中央下に移っている佃煮のようなものは、牛肉を干して味付けしたもの。これをご飯に混ぜて食べる。お昼時間を少し過ぎていたので、楽天家ダンナ曰く「美味しい料理が売り切れていた。」とのこと。この大皿に盛られたご飯、皆さんペロリと食べていて、さらにお代わりまでしていたよ。本当に皆さんよく食べます。 

昼食後、一路マンダレーへ。 

(マンダレー編に続く)


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