まず、カウンセリングに来る人というのは親を求めているのだそうです。勿論その人たちにも親は存在するのですが、親としての役割を果たしていない名ばかりの親なんだと先生は仰っています。子どもが成長する過程において2歳なら2歳の、10歳なら10歳の愛情の与え方があるのだけれど、その時期に与えるべきものを与えていなかったばっかりにスムーズに育たなかったのだそうです。
幼児は自分がかまってもらいたいときに母親が病気で寝ていても容赦しないで甘えてくる、クライアントもカウンセラーに対してそれに近い感覚を求めてくるそうです。インタビュアーのセラピストさんが、怒りや憎しみを抱えいる人にアロマのトリートメントをすることによって大脳辺縁系が刺激され、怒りがほぐれるとことがあると話すと、それで治るのは心の悩みの軽いほうだとぴしゃっと言われてます。
ほんとうに深刻な人は、おいしいとかいい香りとか感じる五感そのものがなくなってしまっているそうです。なので精油の香りがいい香りだ、花を見てきれいだと感じることができる人には治療の可能性が残されているということです。
セラピストとして大切なのはまずクライアントとの間に距離を保つこと。クライアントに寄り添いすぎて自分のほうが辛くなってしまうケースはよくあるようです。そして自分ができることとできないことをしっかり見極めること。
新米の大工さんは自分がベテランの宮大工と同じレベルだとは思っていない。でも心という見えないものを扱う人は、自分のレベルが見えなくなってしまう。自分にできるレベルを超えたことをやろうとするから、結果的に間違った対応をしてしまい逆に不信感を持たれてしまう。
ありえることだと感じました。セラピストに限らず人間って本能的に他人にアドバイスをしたがるものなんですね。日常生活においても結婚後ずっと家庭に納まっていた人に仕事のアドバイスされたり、まだ結婚もしてない人から子育てのアドバイスをされるのは、いささか閉口だけど、まあ、聞き手に余裕があればそれですむ問題でしょう。でもお金を払ってカウンセリングに来ている人にお門違いなアドバイスをしたら、自分だけではなく、その職についている人全体にも不信感を持たれてしまいますね。
己をわきまえる。どんな職業にもいえることですが、確かにセラピストは自分の位置を見失いやすい環境にあるので、特に気をつけなければならないですね。
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幼児は自分がかまってもらいたいときに母親が病気で寝ていても容赦しないで甘えてくる、クライアントもカウンセラーに対してそれに近い感覚を求めてくるそうです。インタビュアーのセラピストさんが、怒りや憎しみを抱えいる人にアロマのトリートメントをすることによって大脳辺縁系が刺激され、怒りがほぐれるとことがあると話すと、それで治るのは心の悩みの軽いほうだとぴしゃっと言われてます。
ほんとうに深刻な人は、おいしいとかいい香りとか感じる五感そのものがなくなってしまっているそうです。なので精油の香りがいい香りだ、花を見てきれいだと感じることができる人には治療の可能性が残されているということです。
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新米の大工さんは自分がベテランの宮大工と同じレベルだとは思っていない。でも心という見えないものを扱う人は、自分のレベルが見えなくなってしまう。自分にできるレベルを超えたことをやろうとするから、結果的に間違った対応をしてしまい逆に不信感を持たれてしまう。
ありえることだと感じました。セラピストに限らず人間って本能的に他人にアドバイスをしたがるものなんですね。日常生活においても結婚後ずっと家庭に納まっていた人に仕事のアドバイスされたり、まだ結婚もしてない人から子育てのアドバイスをされるのは、いささか閉口だけど、まあ、聞き手に余裕があればそれですむ問題でしょう。でもお金を払ってカウンセリングに来ている人にお門違いなアドバイスをしたら、自分だけではなく、その職についている人全体にも不信感を持たれてしまいますね。
己をわきまえる。どんな職業にもいえることですが、確かにセラピストは自分の位置を見失いやすい環境にあるので、特に気をつけなければならないですね。
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私も医療に従事している以上、患者さんは(こういう言い方が適切かどうかは解りませんが)「弱者」で、私たちは医療を施す立場です。だからといって上に立てばいいのか、隣に寄り添えばいいのか、下から持ち上げればいいのか。距離はどのくらい取るのがベストなのか。「してあげる」のか「させていただく」のか、それとも他に方法があるのか。など、色々考えさせられます。
また、中途半端な知識で患者さんに情報を提示できない、かといって自信なさそうなのも問題。どこまで勉強すれば自分に自信を持って正確な情報を正確に理解できるように伝え、納得して選んでいただけるのか。自己満足ではなく、患者さんの立場に立って。そこもまた日々の努力を求められているのですね。
仕事柄、妊娠中の口の中の変化とその対策を妊婦さんに指導することがありますが、私は妊娠どころか結婚もしてない(^^;)本来なら医学的知識と実体験を織り交ぜてお話しできたらいいのにね、とは思うけどこればっかりはどうしようもないです(笑)いやはや…。
↑これ、どんな職業にも言えることですよね。専門性が求められれば求められるほど有り得ますよね。特に相手が自分を頼ってきたときほど責任も大きいし難しいですね。
私も上の子が赤ん坊の頃、子どもの英語教室の講師やっていて、自分では幼児の扱いに慣れている気になっていたけど、自分の子どもがその年齢になってみると全然わかっていないことに気づきました。今にして思うと恥ずかしいです。