黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

台地を行くVol.5車窓から見た崖

2024-11-02 15:29:35 | 散歩

そもそも私が23区北側の台地に興味を持ったのは、山手線の車窓から見える断崖のせいである。すなわち、上野から田端の先までは進行方向左側はずっと崖で、あー、台地なんだなー、と思ったのだが、ふと右側に注意してみると低地である。例えば、田端駅。左側は崖だが(この上にVol.2で訪れたオリュンポスの神々が使う改札がある)、

右側はビル群である。

ってことは、ここら辺の山手線(並行して走る京浜東北線・新幹線も)は台地の崖下を走ってることに思いが至った。そして、田端の先、京浜東北線・新幹線と山手線の分岐点からは、山手線の進行方向の右側にも崖が見えるようになる。その崖がこれである。

この分岐点はVol.2とVol.3で台地の上から眺めた場所であり、Vol.3では富士見橋を渡って崖上を歩いたその崖である。つまり、ここからしばらくは、山手線は上野台地の中を突っ切っていることに思いが至ったのである。

そして、駒込の手前でそろそろ上野台地から降りるあたりには山手線最後の踏切があり(第二中里踏切。Vol.2で横の道を歩いた)、それを車窓から見たのがこれである。

そしてこの後、駒込の辺りで今度は本郷台地に出くわすからそれを突っ切り(崖の復活)、巣鴨を過ぎたあたりで台地が切れて(崖の消滅)、大塚を過ぎたあたりで今度は豊島台地に出くわすからそれを突っ切り(崖の復活)……という感じで台地と低地(谷間)を交互に進行するのが山手線の姿なのである。

以上を図にするとこんな感じ。

さて、次回のVol.6では、再び電車から降り、白山台地を半周した小旅の報告をするつもりである。

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スター錦野のフルート(夢はかなう)

2024-11-02 11:10:45 | 音楽

数日前に見た夢は、「Spufé Sé」という綴りを見て、意味が分からず、「この綴りを覚えておいて、明朝起きたら辞書を引こう」と思う内容だった。夢の中で、これは夢だと理解している点が奇っ怪だった。実際、翌朝、起きたときに綴りを覚えていて辞書をひいた(意味はやはり分からなかった)。夢が実現した(かなった)わけである。この場合の「夢」は夜見る夢(Traum)のことであるが、「夢」には願望(Wunsch)・希望(Hoffnung)の意味もある。大谷選手が実現した「ワールドシリーズで優勝」の夢はもちろん後者である。

大谷選手は、既に高校生のとき「人生設計ノート」に「ワールドシリーズ優勝」を書いていた。その他、当該ノートに書いたことを次々に実現するから、そこに書いたことは「夢」というよりタイトルそのままに「設計」だったようである。38歳時には「結果が出なくなり引退を考える」そうだから、いっそう現実的である。だが、メジャーリーグを引退してもそれで終わりではなく、帰国してリトルリーグを指導し優勝させると書いたそうだ。大谷選手の場合、これも「夢」ではなく「設計」なのかもしれない。

何歳になっても夢を持つのは良いことである。例えば、シニアから楽器を始めて名人になる夢だって見てバチは当たるまい。スター錦野は、70歳を過ぎてフルートを始めて3年経った今、ちゃんと曲を吹いていたから大したものである(徹子の部屋)。私は、いろんな楽器をやる中、特にフルートに苦戦してるから尚更尊敬である。聴くと、スター錦野は昔からトランペットを吹いてたというから楽器の素養はおありなのだな。ウチにはトランペットもあるが、これはもう苦戦どころではなくなかったことにしているからウチの楽器のラインナップには入ってない。それでも格闘した経験のおかげでちゃんと吹いてる人を尊敬できるようになった。競馬のファンファーレも吹けたらいいなと思う。

ラインナップに入ってる楽器については、プータローになった時点で、どれもこれも一日10分ずつ練習して全体的に底上げしよう(護送船団方式)という「設計」をしたのだが、既に「夢のまた夢」と化している。計画がブレるところが大谷選手と超凡人たる私の違いである(だが、現総理大臣とは似たり寄ったりである)。こないだある楽器について体験レッスンを受けたときは、よし、あれもこれも先生につこう!と心中の熱気球がおおいに膨らんだものだが、気球は直にしぼんで墜落してしまった。お月謝をどうやって工面しようか、という心配は杞憂に終わった。

そんなくせして、トロンボーンを買って吹いてみたいという夢は相変わらずである。性懲りもないとはこのことである。

因みに、友人にアマチュアのカウンター・テナー(裏声で高い音域を歌う男性歌手)がいるんだけど、彼はもういい歳。カウンター・テナーは衰えが早くて、彼の歳のカウンター・テナーなど滅多に聞かない。でも、彼は歳に抗っていつかシューベルトの「美しい水車屋の娘」のリサイタルを開くと言っている。本人は「設計」のつもりだけど私から見たらこれも「夢のまた夢」である。人のことで悪いけど。

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