トッパンホールでの演奏会を聴きに行くにあたって考えた。最寄り駅は飯田橋駅か江戸川橋駅。いつもは飯田橋駅から歩くんだけど(南から攻めるんだけど)、地図を見ると、小石川植物園から傳通院を抜けて、北の台地から下りてくルートがある。一ノ谷の戦いでの義経の別働隊も、平氏の陣地の北の丘陵から攻め下ったんだった。よし!今回はそのルートを歩こう。
【本郷台地の上り下り】スタートは地下鉄千代田線の根津駅。ここら辺は低地で根津谷と言うらしい。谷根千の一角である。帝国大学のある本郷台地方面は……おお!上り坂!上り坂を見るとワクワクする私であるからさっそく上る。
帝国大学は、漱石の時代は一個しかなかった。坂の途中から道路横がその帝国大学の敷地になる。その敷地は広大。やはり官営は違う(これに比べると、早稲田大学など箱庭のよう)。木々は鬱蒼としている。その木々の枝がかなり広い歩道すら乗り越えて車道に大きくはみ出していた。
普通の一軒家の垣根の葉っぱなどは少し道路にはみ出ただけでも近所から苦情がくるが、帝国大学のはみ出しようはその比ではない。だが、そこはそれ帝国大学である。そんな浮世の些末事に気を取られるようでは最高学府に相応しい学問はできないに決まってる。だから、帝国大学の葉っぱはこれで良いのである。
その帝国大学をぐるっと回ってしばらく行き、おしゃれなイタ飯屋さんの反対側の角を曲がると今度は下り坂が現れた。
浄心寺坂と言うそうだ。この坂を下って本郷台地から降りるわけである。坂を下りきるとそこは谷(指ヶ谷)。白山通りが通っている。前回のVol.6で白山台地の突端から巣鴨駅に戻るとき通った道である。その通りの先、南の彼方に後楽園遊園地の観覧車が見えた(赤矢印)。
でも、遊園地には行かずに(ゴールはトッパンホールだから)、谷(白山通り)を渡って次なる台地に向かう。
【白山台地の上り下り】次の台地はVol.6で崖下を半周した白山台地である。そこに乗るべく蓮花寺坂を上る。
上りきってしばらく行くと下り坂になり、右側に小石川植物園の塀が現れた。
小石川植物園が乗ってるのが小石川台地ではなく白山台地であるところがフェイントである。その坂(御殿坂)を下りきったところの小石川植物園の塀沿いの道は、Vol.6で歩いた道である。こうして白山台地から下りきるとまた谷(小石川谷)に出た。千川通りが通っている。
【小石川大地の上り下り】谷(千川通り)を渡って直進し、おしゃれなイタ飯屋さん(坂も多いがおしゃれなイタ飯屋さんも多い)の角を曲がるとまた上り坂が現れた。次に乗っかりにかかるのは小石川台地である。
その途中に、時代がかった建造物が現れた。
近くにあった案内板を読むと、ここら辺は井上哲次郎って偉い哲学者の邸宅の跡地で、屋敷は空襲で焼けたが土蔵だけ残った、その残った土蔵がコレだそうだ(哲次郎が哲学者なのは偶然の一致?しかし、川上哲治は哲学者ではない)。ここまで来ると、傳通院はすぐそこにあるはずなのだが、一向にそれらしき建物が出てこない。ここは裏手にあたるようだ。ぐるっと回ったら現れた。
ここからは、傳通院の正面の大通りを進む。すると、大昔、桂小金治が司会をしてた頃のアフタヌーンショーで「しあつのこころー、ははごころー」と念じておられた浪越徳次郎さんの銅像が現れた。
浪越徳治郎さんが設立した指圧学校だった!そして、そのお墓が傳通院にあることを今知った。今でこそ、「わっはっは」はアニマル浜口さんの専売特許だが、元祖はこの人だった。大通りをさらに行くと春日通りにぶつかった。大体、このあたりの大通りは谷筋を通っているのだが、この通りは珍しく台地の上を通っている。春日通りの先、南の彼方に再び後楽園遊園地の観覧車が見えた(赤矢印)。
今度は、さっき見たときより大きい。直線距離が縮まったようだ。だが、遊園地に行く暇がないのはさっきと同様である。小石川台地を下ろう。今度の下り坂は道幅が広い。安藤坂と言うらしい。
カーブを経て下りきると神田川に出た。
だいぶ日も暮れた。トッパンホールはすぐそこである。ここで満足してビールを飲んではいけない。演奏会を聴くのがこの日の最終目的であった。
ビールは演奏会を聴き終えてから飲んだ。この日の踏破図はこの通り。赤点線が歩いたルートである。
上り下りした台地は、本郷台地、白山台地、小石川台地である。思わず♪みっつのだいちをめぐりあるいたほねとかわ!と歌いたくなる。ひょっこりひょうたん島の「海賊の歌」の替え歌である。