黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

モーツァルトのオペラとクラリネット

2025-01-22 18:16:43 | オペラ

モーツァルトとクラリネットと言えば、最晩年に書いたクラリネット五重奏曲とクラリネット協奏曲の二大名曲が頭に浮かぶ。アントン・シュタードラーというクラリネットの名人がいて、その音色に惚れ込んだモーツァルトが彼のために書いたという。それまで、モーツァルトとクラリネットは縁遠かったイメージ。例えば、あのジュピター交響曲にクラリネットのパートはない。クラリネットは新しい楽器で、この頃ようやく実用化されたものだからなぁ、と思っていた。

だが、少し、その登場時期を早める必要がありそうだ。というのも、例によってレーザーディスクのダビングをしていて、直近ではモーツァルトのダ・ポンテ三部作(「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」)を聴いたのだが、たしかに、「フィガロの結婚」のスコアにクラリネットのパートはあることはあるのだが、ほんのちょびっとであり(それでも、そのほんのちょびっとの中に、あの有名なケルビーノの「恋とはどんなものかしら」や伯爵夫人のアリアが入っているのだからモーツァルトの楽器を見る目をさすがである)、オーボエの活躍には遠く及ばない。例えば、第4幕のスザンナのアリアで歌に先立ってメロディーを奏でるのはオーボエである。

ところが、「ドン・ジョヴァンニ」と「コシ・ファン・トゥッテ」では一転クラリネットが大活躍である。多くのアリアで歌とからむのはクラリネットである。「フィガロ」と「ドン・ジョヴァンニ」の間に何かがあったのだろうか?そこで年代を調べてみた。するとこうである。

1779年 シュタードラーがウィーン宮廷楽団と契約。
 この間、モーツァルトとシュタードラーが仲良しになる。
1786年 モーツァルトの「フィガロの結婚」がウィーンで初演される。
1787年 シュタードラーがウィーン宮廷楽団に正式に入団する。
1787年 モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」がプラハで初演される。
1788年 モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」のウィーン初演が皇帝の要望にょり宮廷劇場で行われる。
1789年 モーツァルトがクラリネット五重奏曲を作曲。
1790年 モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」がウィーンで初演される。
1791年 モーツァルトがクラリネット協奏曲を作曲。

このように、モーツァルトがシュタードラーのクラリネットに触発されてクラリネット五重奏曲やクラリネット協奏曲を書いた時期と「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」を書いた時期が相前後している。モーツァルトは以前からシュタードラーとは仲良しだったが、シュタードラーが宮廷劇場に正式に入団して一層その音を身近に聴くようになり、その音に感銘してクラリネットが主役の曲やオペラのクラリネット・パートを書いた、という仮説は悪くない筋書きだと思う。ただし、私は一瞬、シュタードラーの宮廷劇場正式入団の後に「ドン・ジョヴァンニ」が初演されたから、シュタードラーに吹かせるために「ドン・ジョヴァンニ」のクラリネット・パートを書いたに違いないと色めきだったが、考えてみれば「ドン・ジョヴァンニ」の初演地はプラハであり、作曲の段階で皇帝がウィーンでもやれ!と言っていたかどうかは不明である。だから、「シュタードラーのために」書いたとは言わないでおこう。

私はふざけた話が好きだからダ・ポンテ三部作は大好物で数え切れないほど聴いてきたが、クラリネットがこんなに気になったのは今回が初めてである。別に、最近クラリネットをたくさん吹いてるわけではない(毎日吹いてるのはオーボエである)。かように、音楽は聴くたびに新たな発見があるものである。本を読むのも同じである。

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「コシ・ファン・トゥッテ」とジェンダー・フリー

2025-01-22 11:36:17 | オペラ

モーツァルトのオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」の私の一番好きな箇所も、前作の「ドン・ジョヴァンニ」の終曲と同様の快活な重唱。それは第1幕のエンディングで、こんな感じ。

フィオルディリージ(一番上のソプラノのパート)がラを伸ばしてるところに(青いライン)、負けるものかとドラベッラ(二段目)とデスピーナ(三段目)が長い音で入ってくるところなど(赤いライン)わくわくする。調も「ドン・ジョヴァンニ」の終曲と同じニ長調。

因みに、このオペラのタイトル「コシ・ファン・トゥッテ」(Cosi fan tutte)は、二作前の「フィガロの結婚」に「Cosi fan tutte」の歌詞がちらっと出てくるのだが(次の楽譜の赤いライン)、

皇帝がこれを聴いて面白がって、この歌詞を使ったオペラを書け、とモーツァルトに命じたのが出来たきっかけだと。

その意味は「女はみんなこうしたもの」。イタリア語のイの字も知らなかった頃の私は、「Cosi」は「こうした」で、「tutte」が「みんな」だから、「fan」が「女」だと思ったわけだが、大間違い(ブログのためならば自分の恥をさらすことを厭わないワタクシ)。「tutte」は「全て」の女性複数形でこれだけで「すべての女は」。「fan」は「fannno」の省略形で「する」「ふるまう」の意味。だから「Cosi fan tutte」は直訳すると「すべての女はこのようにふるまう」となり、これを意訳して「女はみんなこうしたもの」となるのである。

ところで、「女はこうしたもの」などというジェンダーによる決めつけは、ジェンダー・フリーのこのご時世においてはふてほど(不適切にもほどがある)。これを改める方法の一つは、一切、「女は……」という日本語訳を表に出さず、表記をイタリア語の「Cosi」のみにすること。どんなに破廉恥な歌詞でも外国語となるとありがたがってかしこまって聞く日本人のなんと多いことか。だからである。

だが、どこぞから日本語訳を聞きつけるかも知れぬ。その場合の対策は、その昔、クラシック好きの子供達のアイドルだった元NHKアナウンサーの後藤美代子さんが私の知る限り唯一放送でご自分の意見をおっしゃったと思われるあの名言、すなわち、「わたしは『男はみんなこうしたもの』と言いたい」を実行に移すことである。すると、タイトルは「Cosi fan tutti」となる。すると、逆差別だと言って怒る男が現れるかもしれない。その場合は、「tutti」は男性形複数だが、男女ひっくるめた全員のことも「tutti」と言うようだから(全合奏のとき楽団員に女性がいても指揮者は「Tutti!」と言う)、これは「人はみなこうしたもの」の意味なのだ、と言ってやればよい。事実、このオペラは、出てくる男どもも相当馬鹿である。

なお、某国の新しい大統領は、性は「male」と「female」しか認めないと言うような保守派であり、前大統領の施策を次々と反故にしているから、この方が「Cosi fan tutti」などと聞いたらたちどころに「Cosi fan tutte」に戻せとお命じになるだろうか。

因みに、「ふてほど」は「不適切にもほどがある」の四文字略語であるが、このドラマが言いたかったことは、「不適切にもほどがあると言うにもほどがある」だったと思う。

 

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