あさイチで宮崎を特集していて、天岩戸の説明で、岩戸に隠れてしまった天照大神(あまてらすおおみかみ。「てんしょうたいしん」と呼んではなりませぬ)を引っ張り出すため「さまざまな儀式」が行われたと言っていて、なにが「さまざまな儀式」だよ、アメノウズメのストリップだろうにNHKは「ストリップ」と言えないものだから「さまざまな儀式」なんて言い方をしてるんだよな、大河で吉原の遊郭の話をしてるくせに変なところだけ気を遣っちゃって……と思いながら、そもそもホントにストリップだったのかな?この目でたしかめてみなきゃ、と思って古事記の現代語訳を見て、イザナギとイザナミの国作りのところでは「ちゃんと」「あなたの体の足りないところに私の体の余ったところを入れて子作りをしよう」となっているので、よし、これなら信用できると思って、天岩戸の箇所を読んでみると、おろ?アメノウズメが胸をはだけて、なんちゃらを陰部まで引き下げて踊り狂った、とあるけれど脱いだとは書いてない。これって、激しく踊って衣服が乱れただけなのかもしれない。しかも、それを見ていた神様達は大笑いをした、とある。ストリップを見て大笑いというのも変な話だ。専門の偉い先生は、是非「ストリップだったのかそうでなかったのか」を検証してほしい。
それに対し、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」の七つのヴェールの踊りは、一枚ずつヴェールを脱いでいくから正真正銘のストリップのはずなのだが、これもオペラの演出によってストリップだったりそうでなかったりして、例えば、あるサロメはホントに全部脱いで舞台上ですっぽんぽんになったけど、別のサロメは、ただ舞台をうろうろ歩き回るだけで一枚も脱がなかったから「オペラでストリップも見られるよ」と言って客を呼んだのであれば詐欺である(って呼ぶわけがない)。
浅草六区のフランス座は、かつてはストリップ劇場で、合間にお笑い芸人(渥美清、ビートたけしと言った錚錚たる面々)の漫談やコントが行われていて、ストリップを見に来た客の前で芸をして受けるのは至難の業だが渥美清は大受けだったというからさすがである。その六区をこないだ久しぶりに歩いたら、フランス座の看板からストリップの「ス」の字もなくなっていた。ストリップ業から撤退したそうだ。それに対し、同じ六区の「ロック座」はストリップ劇場として健在だった。そう言えば、以前勤めていた会社と同じフロアーにあった会社の女子社員が仲間うちだけで行く都内巡りの行き先の相談をしていてロック座が候補にあがっていて、一人が「こんな機会でもなきゃ行けないし」と強力にプッシュしているのが聞こえてきた。彼女らが実際にロック座に行ったか否かは知らない。
そのロック座の向かいに今はJRAのWINDS(昔で言うところの場外馬券売り場)があり、そのあたりは以前「ひょうたん池」であったことは前に書いた。
なお、大河の舞台である吉原は浅草エリアの中にあって六区からもそう遠くないと思われる(かつての浅草は、浅草寺と、猿若町にあった芝居小屋と、吉原の遊郭が客の集まるスポットであった)。現在の航空写真で見る吉原は他地区から連続する街並みの一画にあって周りと区別ができないが、江戸の当時はヨシの生い茂る湿地帯の中にぽつんとあったそうな。ヨシが生い茂っていたから「よしわら」なのであろう。因みに、ヨシは、元々はアシと呼ばれていたが、アシは「悪し」に通じて宜しくないということで「ヨシ」になったそうである。「亀無」を「亀有」に変えたことに通じる話である。