久々に餃子を作って焼いた。たかが餃子、されど餃子。この日の餃子にもドラマがあった。
皮に餡を詰める際、かなり破けた。市販の皮が薄くなっているようだ。物価高騰のおり、メーカーも小麦粉をけちっているのだろう(個数は変わらないので)。
皮が足りなくなって余った餡は団子にして円盤の中央に入れて焼いた。中央の色が違うのはそのためである(焦がしたのではないという言い訳がましい(結局焦げてるんじゃん))。なお、このように円く並べた餃子を「円盤餃子」と呼ぶことを初めて知った。ブログは書いてみるものである。
餃子の羽根のためにいつもは水溶き小麦粉を使っているのだが、今回は水溶き片栗粉にしてみた。小麦粉よりもうまくいった気がするのは文字通り気のせいだろうか。
油は唐揚げを揚げた際の廃油を使った。廃油で十分に料理ができることを知ってから、揚げ物をすることが多くなった。「唐揚げの廃油」と言ったが、その中には「天ぷらの廃油」も混ざっている。お金と同様廃油にも色がないから区別はできない。なお、唐揚げ(小麦粉をまぶす)と天ぷら(水に溶いた小麦粉にくぐらす)の違いを初めて知った。ブログは書いてみるものである。なおのなお、天ぷらは玉子を使うことが多いらしいがウチでは使わない(味の好みではなく、もっぱら経済的理由である)。
仕上げにゴマ油をちょびっと垂らした。この日最大の贅沢である。これで何年かに渡って消費し続けてきたゴマ油を使い切った。今後、ゴマ油の香りをかげる日が来るのだろうか。
焼き上がりをお皿に移すときお皿をフライパンにかぶせてひっくり返すのだが、フライパンの大きさにぴったり合うお皿がない。「帯に短したすきに長し」の長短を円の大きさに置き換えたものがウチの状況である。今日はちょっと大きすぎて、お皿がすっぽりフライパンの中に収まらない。これより小さいヤツだと、餃子の端がお皿からはみ出してしまう。
タレについては全く文句はない。もともと酢胡椒でいただいていたが、現在、血圧を下げる等々の効用をメーカーが謳っている「いいこと酢」は、メーカー推奨の使用法に(ラーメンのほか)餃子が入っているからこれを使わない手はない。
肝心の味については、スーパーの惣菜よりも旨いが専門店にはかなわない、である。手作りピザについて、五文字のお店よりは旨いが専門のイタリアンにはかなわないのと同様である。
それでも、25個完食した。最近、滅法小食になった私であるが、餃子はいくらでもお腹に入る。私にとって「餃子は別腹」である。
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