プッチーニのオペラ「ボエーム」については、ずっとカラヤンが指揮しロドルフォをパヴァロッティが歌いミミをフレーニが歌うレコードが名盤とされていた。その後、ビデオが出回るようになってから、なかなかこの組合せによる映像が現れなかったが、ようやく、サンフランシスコ・オペラの公演を収めたレーザーディスクでその組合せが実現したので、大喜びでゲット。ところがでござる。
パヴァロッティの別名は「キング・オブ・ハイC」(ハイC=たかーいド。そう言えば「ハイシー」というジュースがあったが今でもあるのだろうか)。そして、「ボエーム」のアリア「冷たい手」の最大の聴かせどころが高いドだから、このアリアはパヴァロッティのためにあると言っても過言ではなかった。ところが、件のレーザーディスクの演奏では、なんと、天下のパヴァロッティが「冷たい手」を半音下げて歌ってる。そりゃあ、高い音だから、半音下げて歌う歌手は少なくない。しかし、パヴァロッティはハイCの人である。そのパヴァロッティが半音下げて、どうだって感じで伸ばした音が「シ」だったら「キング・オブ・ハイC」の名が泣く、というものである。
因みに、このアリアを半音下げて歌う場合、全体を下げなければならない(一番高い所だけ下げたらそこだけ短調になってしまう)。だが、このアリアは、その前からずっとつながってるから、アリアの所だけ下げたら不自然である。バレないようにそっと下げるためにこういう仕掛けを用いる。次の楽譜はアリアの直前の部分であり、オリジナルと、半音下げる場合とを比較したものである。
赤でくくった部分の始まる箇所が仕掛けどころである。このように、アリアの前から半音下げておくわけである。
因みに、件のレーザーディスクでは、このアリアに続くフレーニの「私の名はミミ」は、ちゃんと下げずに歌っていた。しかし、それはそれで大変である。二つのアリアは続けて歌われるし、しかも、前奏はヴァイオリンが2拍音を伸ばすだけだから、半音低い「冷たい手」の後に歌う「私の名はミミ」も半音下がりそうなところである。だが、パヴァロッティが盛大な拍手をもらうからそこでいったん中断する。その後、ヴァイオリンの2拍を良く聴いて入れば「元に戻る」というわけである。
ところで、二つのアリアの後は二重唱になり、その最後は、楽譜ではミミがハイCでロドルフォが真ん中のミでハモるのだが、往々にしてロドルフォが声自慢だとミミと同じメロディーを歌いたがる。すると、ロドルフォもハイCを歌わなければならなくなる。果たしてこの日のパヴァロッティはどうするのか?フレーニにお願いしてここも下げてもらうのか、それともミを歌ってハモるのか?答は下巻で……って「川の成り立ち」シリーズではない。ここで答を言う。下げずにミミと同じ音を出したのである。すなわち、ハイCを出したのである。見事であった。なーんだ、出るじゃん、じゃ、なんで「冷たい手」では下げたんだろ、と思ったが、まあ、リスクは一回だけにした、というところかもしれない。
この公演には、ニコライ・ギャウロフも出ている。言わずと知れたフレーニの(2番目の)夫である。フレーニのバーター……などと言ってはいけない。ギャウロフだって大歌手である。逆に、妻のフレーニが出るので自分も出てやった、ということだろう。サンフランシスコの歌劇場は、メトロポリタン歌劇場に比べると一枚落ちる印象だったが、いやいやなんの、これだけのキャストを集めるんだから立派である。
このレーザーディスクには出演歌手のインタビューもついていて、ギャウロフが「歳をとってから青春を歌うのもいいもの」と言っていた。知人のアマチュアのカウンター・テナー氏が「美しい水車屋の娘」(若い粉屋見習が失恋する歌曲集)を歌うのも同じ心境だろうか?ま、歌だけなら相手はいらないからね、好きにやればよろしいでしょう。
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