レーザーディスクのダビングは粛々と進んでいて、モーツァルトもいよいよ「魔笛」である。告白すると、私は「魔笛」が少々苦手である。と言うのも、劇中至るところで「Tugend!」(徳)が叫ばれる。パパゲーノなどはしょっちゅう「Tugendがない」と言って怒られる。「Tugend」のなさでは、私はパパゲーノに引けを取らない。「徳」が不得意である(駄洒落(のつもり)である)。登場人物にも感情移入ができない。王子のタミーノは、冒頭、大蛇に追いかけられて失神するほど情けないくせに、庶民のパパゲーノを前にした途端、いきなり上から目線で偉ぶる。私は「上から目線」が大嫌いである。だが、パミーナはそんなタミーノにぞっこん。この二人はエンディングでくっつくのだが「ととさまバカならかかさまパー」を地で行く夫婦になるだろう。その他、後から後からろくでもない人物ばかりが出てくる様は、まるでかつての朝ドラ「チムドンドン」のようである。
その「魔笛」の序曲を聴いて、はれ?と思った。トロンボーンの音が聞こえるのである。トロンボーンは「神の楽器」といわれ、古くから教会で重用された。だから、ハイドンの天地創造や、モーツァルトのレクイエム(「妙なるラッパ」はトロンボーンで奏でられる)で使われていることは重々承知の助である。他方、教会の外では(世俗の世界では)、例えば、交響曲で最初にトロンボーンが使われたのはようやくベートーヴェンの時代になってからである。オペラは、交響曲に負けないくらい(あるいは輪をかけて)世俗的である。だから、魔笛の序曲でトロンボーンの音を聴いて、あれま!と思ったのである。考えてみれば、ザラストロの周りは宗教色一色で宗教儀式っぽいことも行われる。その際、三つの荘厳な和音が奏でられ、その部分は宗教音楽のようである。序曲の冒頭にもそれがある(赤枠がトロンボーン)。
それがトロンボーン採用のきっかけだったのかもしれない。だが、すましたフリをしていったん採用されればこちらのもの、とばかり、序曲のクライマックスでは大暴れ。
他を圧倒して鳴り響くその音(上の楽譜の赤枠の箇所とか。私は、ここでトロンボーンに気付いた)は、もはや美しい和音で神の世界を表すなんて感じではなく、マウントをとりに来ているとしか聞こえない。すなわち、世俗丸出しである。これが、ベートーヴェンの第五交響曲のトロンボーンにつながったと言ったら推測がすぎるだろうか。
そのトロンボーンこそが、私が最後に手にしたい楽器である。神様、これが最後のお願いです。どうか、私にトロンボーンをお与えください(……って、欲しいならとっとと買えば済む話である)。
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