山ってヤツは、特に赤城山や榛名山と言った複数の頂きから成る山は、見る角度によってまったく別の顔を見せる。マイナ保険証の顔認証ならエラーが出るに決まってる。そのことを実感したのは、高速バスに乗って尾瀬に行ったとき。関越道を走るバスに乗っている間、私は、10歳の子供となって(バスに乗ってなくても10歳児と同じ精神構造だという噂もある)、車窓に張り付き、同じ山が右に見えたり左に見えたり、なだらかに見えたり尖って見えたりする様子に夢中になっていた。その状況を再現しようと試みるのが今回の記事である。
【荒川を渡る辺りから見る日光男体山】荒川を渡る辺りで、進行方向右側の車窓から遠くの山が見えた(次の写真)。
この辺りの関越道はかなり西向きだから、右車窓が向いているのは栃木方面である。だから、この山は日光男体山であると思われる(下図の赤矢印は視線である(以下同じ)。もちっと晴れていて斜面のギザギザが写っていれば男体山で確定なのだが)。
【右車窓から榛名山と赤城山が両方見える】そのうち、二つの山塊がともに右車窓から見えた(次の写真)。
関越の右側だから赤城山と日光連山?私の当初の大雑把な認識では、関越道は赤城山と榛名山の間を縫うから右車窓から榛名山が見えるというアタマはなかった。だが、左側の山塊(次の写真)は、カタチからして榛名山だし、
右側(次の写真)はカタチからして赤城山っぽい。山塊の多くに雲がかかっているが、広い裾野は赤城山そのものである。
そう、相変わらず関越道がかなり西向きだから、榛名山も赤城山も、右の車窓から見えるのである。
【鈴ヶ岳が見えてきた】そのうち、関越道が北を向き始めたらしく、右車窓から榛名山が見えなくなった。そして、赤城山の左端にあった鍋割山が中央部分に移ってきて、左端にぴょこたんとした頂きが見えてきた(次の写真)。
「ぴょこたん」は関東平野の南側から見ると他山の影になって見えない鈴ヶ岳である。だいぶ、赤城山の西側に入って来た証左である。
【鍋割山が一番右川に】さらに進むと、鍋割山が手前に、かつ一番右に見えるようになった(次の写真)。
南から見たときは、左から鍋割山、荒山、地蔵岳だったのが、逆に右からの順番となった。いっそう、赤城山の西側に入って来た証左である。
【榛名山の水沢山】ここまで右車窓にかぶりついていたが、ふと、左の車窓(西側)から外を見ると、とんがり帽のような頂きがすぐそこにある(次の写真)。
このあと、すぐ利根川を渡ったから、これは位置からして榛名山である(既に榛名山は左の車窓側に移っている)。榛名山の東端は水沢山(浅間山(せんげんやま)とも言う)だからソレだろう。その真東にいるわけである。南から見ると、左右に長い台形状で中央にぴょこんとしたでっぱりがあったが(五つ前の写真)、真東から見るととんがり帽である。見かけの違い、ここに極まれり、である。
【子持山と小野子山】その利根川を渡る辺りである。目の前に二つの山が見える(次の写真)。
方角からすると、榛名山と赤城山の間に位置する子持山と小野子山であろう。
【鈴ヶ岳が真横に】この後、赤城公園SAで一休み。すると、目の前(東側)に峻厳な頂きが見える(次の写真)。
先ほどから徐々に見えてきた鈴ヶ岳が前面に躍り出た。地蔵岳などは右端である。いよいよ赤城山の北側に回りこもうってわけである。
この後、沼田インターで関越道を降りたから、関越道から見た山の話は以上でおしまいである。思えば、富士山のように、どこから見ても円錐形という方が珍しい。そこのところに富士山の有り難さがあるのだろうか。だが、その富士山だって、細かいことを言えば宝永噴火口がかなりカタチをいびつにしている。今後、富士山が噴火するとしたら、やはり山腹からと言うからますますいびつになっていくのだろう。私が人間界にいる間に噴火があるだろうか。ないとは言えない。華厳の滝だって、私が小学生のとき見たカタチと今とでは「おでこ」のあたりが違う。
川シリーズに登場した利根川や荒川はだいたい関東平野の東部を流れていた。だが、今回(山シリーズ第1回)は、関東平野の奥西部を流れる上流として登場した。水源は、利根川は群馬県と新潟県の県境で、荒川は埼玉県と他県との県境にあるという。どちらも「県境」というのが面白い。
山は見るのも歩くのも好きである。歩くのはだいたい1000メートル級の低山だから、遠慮して「登る」とは言わないのである。かように、ワタクシは控え目な人間である。
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