黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

グルベローヴァに手汗でした拍手

2024-12-11 18:01:24 | オペラ

テレビCMで、手汗をかく人はお医者に行こう、と言っていた。だったら、私は、グルベローヴァを初めて聴いたとき、お医者に行かなければいけなかったはずである。そのときの話をしよう。

話は遡る。グルベローヴァは、空前絶後と言われたコロラトゥーラ歌手(高-い音にたーくさん装飾を付けてキラキラ歌うソプラノ)である。私は、最初にFMで聴いて知った。びっくりぽんどころじゃなくたまげた(平仮名ばかりの文)。次に、「ナクソス島のアリアドネ」のレコードを聴いた。こんな歌を人間が歌えるのかと思った。是非、生で聴いて確かめてみたい。だが、グルベローヴァは既にウィーン国立歌劇場と共に初来日を済ませていて、まさに「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタを歌って、会場にいた老若男女にあんぐりと開いた口を閉じるのを忘れさせたという。だが、私は、その時分、就活の真っ最中で聴きにいけなかった。その後、なかなか来てくれない。

そのうち、悪い噂が聞こえてきた。グルベローヴァが「夜の女王」を歌ったビデオの解説に「花の命は短い(コロラトゥーラ歌手は衰えるのが早い)。グルベローヴァも例外ではない。だが、安心されよ。このビデオでは全盛期の声が聴ける」と書いてあった。まるで、グルベローヴァが衰えたと言いたげである。

そうこうするうち、ようやく再来日が決まった。初来日から7年経っていた。単身での来日で、ソロ・コンサートを開くのであった。もちろんチケットを買った私は、しかし、半分心配しながら東京文化会館に向かった。「衰え」が現実だったらどうしよう、という心配である。

そして、いよいよコンサートが始まった。普通、オペラ歌手のコンサートは、一曲目にオペラの序曲をオーケストラだけで演奏して(露払い)、会場が暖まった頃に歌手が登場する。だが、グルベローヴァは、いきなり一曲目から登場した。曲は、ロッシーニのオペラ「セビリャの理髪師」の中のロジーナのアリア「今の歌声は」である。チャラーン、チャラーンとオケがイントロを弾いて、そしていよいよ歌。期待と不安が入り乱れる中、グルベローヴァは、そろ~っと歌いだした。

コロラトゥーラとは思えないような奥の深い艶っぽい声である。こちらは固唾を呑んで聴いている。すると、いきなりガツーンと来た。

まるで、そろ~と走り出したジェットコースターがいきなり坂を下りだした感じである。その後はもう大変。なにこれ、なにこれ、と思っているうちにこんな感じで、

イントロ部分が終わった。もともとの楽譜にはこんな装飾はない。これは記憶に基づく再現楽譜である。まさに上になり下になりのジェットコースターである。しかも、グルベローヴァ様は、高いレをピアニッシモでお出しになる(それどころか、この後、もっと高いファさえもピアニッシモでお出しになった)。きっと、私はここまで呼吸をしてなかったに違いない。ようやく一息ついたときには手汗でぐっしょりであった。そして、全曲が終わって拍手をしようとしたら、汗が糊になって合わさった手が離れない。だから私の拍手はパチパチではなくベットンべットンであった。しかもこれはまだ第1曲である。この夜、何度も何度もベットンベットンの拍手をした私であった。

「花の命は短い」なんていったい誰が言った?衰えてないどころの話ではない。超絶技巧はレコードで聴くそのまま。それに加えて圧倒的な声量があった。こんなコロラトゥーラがどこにいる?

「花の命は短い」は一般論としては正しいが、グルベローヴァにはあてはまらない、ということである。しかも、この後、グルベローヴァは60を過ぎるまで美声と超絶技巧を維持した。この点においても、空前絶後であった。

私は、可能な限り、グルベローヴァが日本に来たときは全日程を聴きにいった。終演後、グルベローヴァは舞台袖に集まったファンと握手をしてくることを覚えた私らファンは、必ず、舞台袖に集結して、親鳥にエサをねだるヒナのように手を差し出したものである。その際、手汗をかいていては失礼だから、ちゃんとハンカチで拭いてから手を差し出したはずである。

さらに、私は、これまでの人生で一度だけサイン会で並んだことがあり、もちろんそれはグルベローヴァのサイン会であった。今はなき六本木のWAVE(レコード店)だった。サインをしてもらったら握手を交わすのだが、そのときも手汗は拭き取っていたはずである。

 

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半身浴/釜ゆで

2024-12-11 11:54:37 | 料理

12月も、はや3分の1が過ぎて街路樹の銀杏はこないだまで緑が混じっていたものがまっ黄っ黄。ウチの冷蔵庫の野菜室も色づき始めた(もともと見切り品だから足が早い)。天ぷらにして使い切ろう、だったら油を使うんだから鶏を唐揚げにしよう。天ぷらと唐揚げは、「類」は違えども同じ揚げ物であるから「種」は同じ。油の入った鍋を使って連続して作れる。ということで実行。

その油のことだが、例によって前回の残り油を廃油缶に戻したヤツを使うのだが、キャラメル色が相当濃くなってきて、食した日の夜中、胃の不快感で目がさめることもある。そろそろ限界のようだ。捨てよう……などという発想は私にはない。使い切ろう、である。すなわち、これまで減った分だけ新しい油を足して量を維持してきたが、足すのをやめた。すると、だんだん食材全部が油に浸からなくなってきた。どこかで見た光景だと思ったら私のお風呂の様子である。お湯をけちって15㎝しかはらないから体の半分が湯上に出ているのである(半身浴。これはこれで健康に良いとも聞く)。だから、ときどき体を回転させて体全部がお湯に浸かるようにする。同様に、油の中の具材もときどき回転させて全部が揚がるようにする。これで十分である。そして、ついに油を使い切った!次回からは「澄んだ」油で揚げられると思うと感無量である。

「ごはんだよー」に出演した某料理家も、NHKの人から油をあまり使わないように、と言われたそうで、頭の出た具材に一生懸命油をかけていた。

ただし、少ない油で揚げ物をすると、火が出るおそれがあるそうだ。だから、ずっと、横にはりついていなければならない。

なお、私が揚げ物に使っている鍋は、コレ。

金属製だし大きさが一人用にちょうどいい。だが、もともと何用の鍋かは不明である。以前は、レトルトカレーを湯煎するために使っていた。

因みに、石川五右衛門は、一族郎党もろとも秀吉によって釜ゆでの刑に処せられたが、そのときは熱湯ではなく油を使ったそうである。人間素揚げである。中には五右衛門の年端もいかない子供も含まれていたそうである。子供と言えば、信長が浅井を討ったとき、秀吉に命じて、浅井の長男の万福丸を串刺しにした。釜ゆでといい、串刺しといい、残虐刑を絶対に禁止する現在の日本国憲法から見れば許されざる行為である。そう言えば、故西田敏行が秀吉を演じた「女太閤記」で、万福丸を「串刺しにしたあ」とあっさり言う前田吟演じる蜂須賀小六に対して西田秀吉が「なんてことを」と言って嘆くシーンがあった。私は、主人公を「心優しき善人」にしておきたい脚本のあざとさを感じたものであった。

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