母が入居していた施設にも、娑婆と同様に群れができていてボスばーさん、もとい、お局様が仕切っておられた。群れは、食堂で発生するらしい。その群れの中で、母は端の方にいて居心地が悪そうだった。事実、私にこっそり「人間関係がいろいろある」と言っていた。そんなこともあろうかと思ってIHコンロが付いてて自炊できる施設を選んだのだ。食堂になど行かなきゃいいのに。と思ったが、やはりお局様には一日一回は拝謁してご機嫌を伺わなければならないらしい。人間は社会的動物だとはよく言ったものである。また、施設も、食堂に来るかどうかで入居者の安否確認を行っているとのことだった。
もともと母は料理が大っ嫌いであった。母が独居してる頃、サンマが安かったのでたまには親孝行しようと母の分も買って持って行ったら、母はサンマを見てぎょっとして「こんなもの、いったいどうするんだ」と聞くから「塩焼きにして食べる」と言うと、できない、もって帰れ、と突き返されたことがある(「こんなもの」と言われたサンマも気の毒である)。実家にいた頃、母の魚料理の記憶がカレイの煮付けだけなのは私の記憶力の問題ではなく、それしか作らなかったからのようだ。だから、IHコンロは、多分、母は一度も使わなかったと思う。お湯させ沸かしたことはないと思う。部屋にいて喉が渇いたときは、コンビニで買ったジュースを飲んでいた。自分で買えなくなってからは、私に買ってこさせたものを飲んでいた。部屋に運び込んだ冷蔵庫に入っているものは飲料だけだった。料理をすれば、少しは認知症の予防又は進行の抑制になったと思うのだが。
認知症の予防又は進行の抑制と言えば、施設は、さまざまなレクリエーションを用意してくれていて、一回500円くらいで参加できたから、私は、せめてそういう機会に母の脳を働かせようと思ってさかんに行くことを勧めた結果、母は、多いときで、習字、歌謡教室、体操そして脳トレに行っていた。習字の腕前はたいしたものだった。その才能は、私は1ミリも受け継いでない。ところが、そのうち、なんだかんだ言い訳を作ってさぼろうとしだした。私は、叱咤激励して、とにかく行かせようと奮闘した。子供を無理やり塾に行かせる親の気分であった。因みに、歌謡教室の先生は、時間になると自ら入居者の部屋を回って参加を呼びかけていた。いかにも声楽家って感じの明るい元気な女性の先生であった。いちど、部屋に居合わせた私と鉢合わせしたことがあって、「あなたもご一緒に!」と言ってくれたが遠慮した。
私は、母に、毎日テレビで映画をみるとことも勧めた。平日の午後は、NHKのBSとテレ東で映画を放送してるが、字幕より吹き替えの方がいいと思ってテレ東を勧めた。そして、感想文を書くようにも勧めた。もちろんボケ対策である。だが、母が私の勧めに乗ったことはなかった。ほーんとに趣味のない人だった。あれだけ何もしないのだからボケるべくしてボケたという感じだった。
母がボケてひとつだけいいことがあった。ボケて何も分からなくなるにつれて、例のボスばーさんの存在をすっかり忘れたようなのである。部屋で待っているとすぐ分かるような大声でべらべらしゃべりながら食堂から戻ってくるようになった。あんなに隅っこで小さくなってた人が嘘のようであった。