「おもちゃの交響曲」は、私が小学校低学年の頃はハイドンの作とされていて、日本語の歌詞付きで音楽の教科書に載っていた。記憶と理性で再現すると、次のとおりである。
理性で記憶を修正したのは「おじさん」の部分である。すなわち、小学校低学年用なら16分音符は使わなかったろう、と思ったのである。記憶通りに記せば次のとおりである(その記憶は、その後この曲を実際に聴いたことにより上書きされたものだと思われる)。
このように、「じ」を二つの音符に乗せるため、ハイドンに対する悪気がなくても「おじさん」は「おじいさん」にならざるを得ない。ハイドンは、人を年寄り扱いしやがって、と怒るかもしれない。
根源的な問題として、日本語の歌詞を付けた人は、「ハイドン」=「おじさん」のつもりだったと思われるが、「ハイドンのおじさん」と言っちゃうと、日本語的には、ハイドンの父又は母の兄弟姉妹を指すのが自然である。
今日的な問題としては、どこかの偉い人が女性の大臣を「おばさん」と言ったのが問題視されたが、「おばさん」がダメなら「おじさん」もダメなはずである。
なお、ハイドンのお父上は大工さんだった。二世議員を問題視する立憲民主党の現代表は「よし!」と思うだろう。そのほか、シュッツもヴェルディも実家は宿屋だから代表は本望だろう。それに対し、代表が眉をひそめそうな例の代表はJ.S.バッハである。一族郎党音楽家だらけである。あと、モーツァルトのお父上のレオポルドや、ベートーヴェンの父と祖父も音楽家であった。
ところで、件の「おもちゃの交響曲」の作曲者については、その後、ハイドンではないという話になり、「レオポルド・モーツァルト(上記のモーツァルトのお父さん)が作曲したものをハイドンの弟のミヒャエル・ハイドンが編曲したもの」という説が最終結論だとずっと思っていた。ところが、現在では、エドムント・アンゲラーって人の作ということで落ち着いているらしい。いずれにせよ、レオポルド・モーツァルト作曲説は既に1951年に現れていたのに、1960年代の教科書にまだ「ハイドン作」と載せていて、いたいけな子供に♪ドー、ハイドン……と歌わせていた事実はいかがなものか?と今思うワタクシである。
因みに、ハイドン作として出版されたときのタイトルは「Kinder-Symphonie」(子供の交響曲)である。「おもちゃの交響曲」は英語圏で広まった「Toy Symphony」から来たものである。
前述の「おじさん」又は「おじいさん」の箇所のことだが、かりに私が裁判所に証人として出廷し、「おじさん」又は「おじいさん」のどっちだったかと聞かれて「おじさん」だったと証言した場合、偽証罪について主観説(記憶に反したことを言えば偽証罪になるという説)に立てば偽証罪が成立するが、客観説(客観的真実に反したことを言えば偽証罪になるという説)に立ち、かつ、実際に「おじさん」だった場合、偽証罪は成立しないこととなる。