黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

川の成り立ちVol.4葛西用水(前編)

2024-11-17 09:44:42 | 地理

足立区内の葛西用水路は、親水水路となっており、桜の時期はなかなか見事な景観なのだが、

幅が1メートルくらいしかなく、ひとっ飛びで渡れる。もはや小川(Bach)とすら言えない小小川(Bächlein)である。その成り立ちなど気にしたことがなかった。だが、あのドブ川としか思えなかった垳川にさえ「元は綾瀬川の本流」という輝かしい過去があったと知ると、葛西用水路にだって私の知らない素顔があるんだろうから調べてみようと思った。で、調べた。驚いた。なんと、日本三大農業用水に数えられているそうだ。そして、その成り立ちは数奇である。Vol1,2,3に登場した「中川」「古利根川」「元荒川」「古隅田川」「垳川」も登場する。源は埼玉県と栃木県の県境辺りであり、そこから延々東京都葛飾区まで引いた水が葛西用水なのである。

というわけで、「川の成り立ち」シリーズのVol.4は葛西用水路である。「葛西用水路の不思議な旅」の始まりであ……
「待たれい」
「何事ぞ」
「おぬし、今回はよもや図のみでごまかしたりはいたすまいな」
「ごまかすとは人聞きが悪い。だが、図のみと言えばその通りでござる」
「これは異な事を聞いた。これまでは川の歴史であり、現場は過去に在るから実地検分が無理なのは承知である。だが、今回は葛西用水路の「今」を語るのでござろう。しからば現場は在る。実地検分は可能である。それをせずに語るとは怠慢の極み。語るに落ちるとはこのことである」
「だが、何分遠方ゆえ」
「遠方だと?おぬし、無為無職の輩で時間は腐るほどあるのであろう。遠方などという言い訳は拙者が許し申さぬ」
「そのように申すおぬしは誰ぞ?」
「おぬしである」
こやつの言い分にも一理ある。しかし、葛西用水路の全行程を踏破するということは埼玉全県を縦断するに等しく無理である。だから、重要ポイントをピックアップして現地取材をし、その間は電車で移動することで勘弁つかまつろう。

というわけで、今度こそ、「葛西用水路の不思議な旅」の始まりである。東武線で羽生駅(栃木県との県境にある埼玉県の駅)に行き、そこから利根川を目指して歩いた。土手を上るとそこに広がっていたのはまさしく利根川である。Vol.2でその変遷を追究した坂東太郎である。

山々も近くに見える。

おっと、今回は利根川の話ではなかった。ましてや山の話でもなかった(山シリーズもいずれ始める所存である)。早々に土手を下りるとそこは葛西親水公園で、元の取水口がある(写真中央。その上は利根川土手に上がる階段)。

当初は、ここから利根川の水を取り入れていたのだが、現在は締め切られている。葛西用水路は、上流の利根大堰から取水した埼玉用水路から分水するカタチでスタートするのである(「埼玉用・水路」と切って発音すると埼玉のための水路になってしまう(実際そうなのかもしれないが)。「埼玉・用水路」が正しい切り方である(と、私は信じている))。下の写真の手前が埼玉用水路で、奥が分水した葛西用水路である。

下に下りて横から見ると、

埼玉用水路から分水した水が元の取水口から来た水と合流して南下しているのがわかる。私も、しばらく葛西用水路と共に南下することとする。端緒からコンクリートでがっちり護岸されておりいかにも「用水路」の趣である。幅は、上流であるにもかかわらず、広いところで7,8メートルはあったろうか。

半時間ほど歩くと、葛西用水路とは直角の角度で左(東)に向かう流れが現れた。

中川である。葛西用水路とぶち当たった所が中川の起点なのである。

どんな大河も始めはちょろちょろである。中川もしかりである。

葛西用水路は当然この後もなお南下するが、

私はいったん葛西用水路から離れて駅に向かい、電車で次の重要ポイントに先回りしようと思う。鶴瓶師匠は「家族に乾杯」のロケ間の移動をNHKの車でするのだろうが、私の場合は自分の脚のみが頼りである。ここから羽生駅まで戻るのに30分。電車で久喜駅に戻ってそこからまた歩くこと30分。次の重要ポイントについた時は日の入りの15分前であった。

その重要ポイントに架かる橋から北側を観ると、

お馴染みのコンクリート護岸。先ほどいったん別れを告げた葛西用水路との再開である。あのときの水はもう到達してるだろうか。

それに対し、南側はいきなりうってかわって緑の多い岸辺。そこに、「葛西用水 終点」の立て札が!

だが、流れはまだ続いている。この謎は、橋を渡った左岸で明らかになる。そこには「古利根川」の標識が!

そう、ここは葛西用水路の終点にして古利根川の起点なのである。実は、ここまでの葛西用水路も大昔の古利根川の流れを改修したものだという。すなわち、葛西用水路は、ここまで古利根川の「名代」(みょうだい)として流れてきたが、この地点で殿(古利根川)に名跡を返上つかまつったわけである。中身が同じで名前だけ変わった感もあるが、コンクリートから緑の岸辺への転換が、用水路から自然の川へ変身を演出している風でもある。古利根川と言えば、かつて利根川の本流だったが利根川の東遷によって本流ではなくなった由緒正しき流れであった。葛西用水路はその名跡を務めるのであるから、まったくもって「おみそれしました」である。

ところで、葛西用水路は、ここで「終点」と表示されたのであるが、どっこい生き残っていた。ここより下流は表向きは「古利根川」なのだが、同時に葛西用水路の流れでもある(古利根川と「河道を共用」しているのである)。綾瀬と北千住の間の線路がJRの線路であると同時に東京メトロの線路でもあるごとしである。ハヤタ隊員がウルトラマンに変身してもなおハヤタ隊員であるごとしである。大政奉還後もどっこい生き残った徳川家のごとしである。

この葛西用水路が変身した古利根川は、この後、どういう運命をたどるのであろうか。たしか、中川(先ほどその起点を見た)に合流して吸収されてしまうはず。その際、合体している葛西用水路の運命はいかに?そのあたりのことは、中の巻で明らかにしようと思う。

おまけの話その1。テレビを観てたら埼玉県の加須のうどんの話をしていた。加須と言えば、「川の成り立ち」シリーズの大ネタであった利根川東遷に関係の深い地であり、加須駅は、羽生駅に行く途中で停車した駅である。

へー、「かぞ」と読むのか、知らなかった。

その2。古利根川の起点(葛西用水路の終点)近くに青毛堀川が流れていた。水流の中にサギがいた。

電柱の上にもサギがいた。

因みに、青毛堀川はもう少し下流で古利根川に合流するのである。

その3。実は、中川の起点の葛西用水路を挟んだ反対側に水の流れが続いていた。

これは中川ではないのか?東への流れと水はつながってないのか?もしつながってるのなら起点は起点でなかったことになる?だが、川の「起点」はお役所の管理の起点であって(管理起点)、実はもっと先があるって話はよくある話である。駅に向かう途中、しばらくこのお里知れずの流れに沿って歩いた(追記。その後、お里が知れた。やはりこの流れは中川とつながっていた。宮田落(おとし)と言って、葛西用水路とぶつかった所ではその下をくぐって(伏越)出てきたところで中川に名前を変えたのである。だから、「起点」は、流れ全体の起点ではないが、中川の起点には間違いないのである)。すると、小魚の大群がいた。

写真を撮ってたら、この辺りにお住まいと思しきマダムがやってきて「魚がいるの?あら、すごい。こんな汚い川にねー。気の毒ね。もっと綺麗な川にいれば良かったのに」と言うから、思わず「でも、好きでいるんだからいいんじゃないですか」と言おうと思ったが、やめておいた。大人げなくない少し大人のワタクシであった。


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