黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

川の成り立ちVol.8花畑運河の栄枯盛衰

2024-12-04 16:14:07 | 地理

足立区の東北部、埼玉県との県境近くに、綾瀬川と中川を結んで拓かれているのが花畑運河である(因みに、そのすぐ北の県境を流れているのがおなじみ(?)の垳川(綾瀬川の元本流)である)。この、なんてことのなさそうな水流にボートが浮いているのを私が見たのは、7年前が最初で最後であった。

だが、この運河は、いっときかなり重要な水運の役割を果たしていたという。まずは、その歴史をひもとき、その後、当時の水運ルートを歩いた様子をレポートしようと思う(アメンボじゃないんだから水面は歩けない。横の道を、ということである(言わなくても分かる))。

話は、荒川放水路が開削される前に遡る。当時、北関東の穀倉地帯から都心へは農作物が運ばれ、逆に都心から北関東へは農作物を作るの必要な「下肥」が運ばれていた(見事な循環)。その運搬手段は水運であり、ルートは、中川から北十間川を経由して荒川(現在の隅田川)を下るものであった。

ところが、洪水対策として荒川放水路を開削したら、洪水は収まったが困ったことがおきた。荒川放水路が中川を分断してしまったせいで、上記の運搬ルートが、中川から中川水門をくぐって荒川に出て、対岸の木下川水門をくぐって旧中川、北十間川を経て隅田川(元の荒川)に出るルートとなったのだが、木下川水門で船の大渋滞が起きたのである。

もし、綾瀬川を下ってきたなら綾瀬水門をくぐって荒川に出て、少し下流の隅田水門を経てすんなりと隅田川に行けるのであった。そこで、中川と綾瀬川をつなぐために花畑運河が掘られたのである。完成は昭和6年であった。

これにより水運は飛躍的に向上し、花畑運河を頻繁に船が通ったという。垳川もそうだが、まっこと川は見かけによらないというか、おみそれしました、というところである。

その後、GHQの指令で「下肥」が化学肥料に変わり、運ぶモノが減って花畑運河の水運は衰退し、現在の「見かけ」になったわけである。

それでは、現在の様子を見てみよう。中川から隅田川に行く船になったつもりで、そのルートを追う。スタートは中川の六ツ木水門。ここから花畑運河に入る。

なお、現在、花畑運河を工事している関係で、この水門は閉まっているが、「幽体離脱」で通り抜けた先の運河の様子がこう。

人工的に開削した運河らしくまっすぐである。少し行くと、葛西用水路との交叉ポイントに桜木橋が架かっている。

この下を葛西用水路がくぐっている。その先が、工事中のエリアである。

完全に干上がっている。工事が完成すればもとの水路が復活するのだろうか。親水公園に変身した途端に自然の水流が消滅する例はよくみるところである。

再び、水が戻ったその先に花畑水門が現れる。

反対側の綾瀬川から見た風景がコレである。

ここから出てきた船が下流(写真の右側)に向かうのである(この水門も現在休止中だが、幽体だからどこでも通り抜けられる)。この位置では、綾瀬川と荒川は東西の直線距離で5㎞以上離れているが、下流に行くにつれて両者が接近するのである。では、そこら辺りにワープしよう。

ワープした。立っているのは5㎞くらい南の荒川の土手である。

東方から綾瀬川が迫ってきている。

花畑水門の辺りを流れていた水はもう到着しただろうか。そして、両川は、いよいよ土手ひとつをはさんで併走するに至る。

土手上で振り返って北方を見た景色である。左が荒川で右が綾瀬川である。そして、いよいよ綾瀬水門が現れた。現在工事中で、矯正中の歯列のような風情である。

この水門を綾瀬川からくぐるポイントがここである。

現在工事中のため航行ができない旨の電光掲示がある。ということは、工事がなければ航行ができるということである。すなわち、この水門は現役である。ここをくぐると、

河原を突っ切った水路があって、その先が荒川である。荒川に出て少し下流(写真の左側)に下ると対岸(東岸)に隅田水門が見えてきた。

隅田川に行くためにここをくぐるのである。私は、近くの堀切橋を渡って対岸に行く。荒川から隅田水門に入る水流があって、

その上に隅田水門があって、

そこをくぐった船が隅田川に出るまで約500メートル進む水流は旧綾瀬川である。

綾瀬川は、もともと今の垳川の河道を流れて中川に注いでいたものが直進工事により南にルートを変えて現在の隅田川に合流していたのであるが、荒川放水路の開削により分断され、荒川放水路にぶつかった綾瀬川は中川に合流するまで荒川に沿う形に流れが改められ、分断された先は取り残されたのであるが、その取り残された流れこそがこの旧綾瀬川なのである。旧中川と似た境遇である。

旧綾瀬川の岸壁に沿う道には猫がいた。

シュッとしてるから多分雌猫である。そして、いよいよ隅田川との合流である。

奥を左右に流れるのが隅田川である(左が下流)。この写真は、合流直前の旧綾瀬川に架かる綾瀬橋から撮ったものである。旧綾瀬川に架かるから綾瀬橋というわけである。

隅田川の岸壁にまで進んで下流を見ると、荒川の土手を歩いていたときは斜め右奥に見えたスカイツリーが真ん前に見える。

だが、ビール会社のきんとん雲は見えない。ここは浅草よりずっと上流であるということである。こうして幽体離脱した船は隅田川にたどり着いた(そもそも幽体離脱前の船からして仮想である)。昔は、こういうルートで農作物を運んだんだなぁ、と感慨に耽る。逆のルートであれば運んだのは「下肥」であった。

これで、この日の目的を達したので北千住まで歩いて、そこで電車に乗った。途中、高架線路にでっかく京成関屋駅と書いてあると思ったら、

そのガードをくぐったすぐ先に東武伊勢崎線の牛田駅が現れた。

そうか、こんなに近接してるから京成関屋駅はあれほど大きく自己アピールをしていたのだな、とガテンがいった。この日の歩行時間は約2時間。私的にはたいしたことがない時間だが、痛風明けであることを考えると少し長かったかもしれない。

因みに、私は「幽体離脱」のイメージを「宇宙皇子」(うつのみこ)という歴史伝奇ファンタジー小説で得た。「スターウォーズ」のエピソードⅧ「最期のジェダイ」で、ルークが遠く離れた孤島から自分の幽体を送って戦わせたのも幽体離脱の例だと思っている。

 

 

 

 

 

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母ネタVol.1認知症とサ高住

2024-12-04 08:50:17 | 家族

いづれの御時にか……って、2,3日前の話だから今上天皇の御代に決まってる。あさイチで介護施設の特集をしていた、その話である。認知症患者の受け容れを◎○△で表した場合、民間業者の中では、グループホームが◎、介護付き有料ホームが○、サービス付き高齢者住宅(サ高住)が△であった。サ高住は、比較的元気な人が入っているイメージと言っていた。母をサ高住に入れた経験上、もっとも至極な結論だと思う。

母がサ高住に入ったきっかけは、ある日、母のかかりつけのクリニックの先生から私も一緒に来るように言われたことだった。すわ、なにごと?と思ったら「毎回、あなたのお母さんが診察室から出て行く様子が忍びない。独居は気の毒だから施設を考えたらどうか」というアドバイスであった。要は、母が出しまくる「可愛そうオーラ」に純真な若い男性の先生がだまされたのであった。事実、母は、後でこっそり「あの先生は心配性なんだよ」などと他人事。いったい誰が心配してもらってるんだ?バチ当たりもいいところである。まっこと、私の性格の悪さはこの母から受け継いだものである。それでも、先行きのこともあるから施設を検討してみると、サ高住ってヤツは賃貸借のカタチをとっていて、食堂が併設されてるけど部屋にIHのコンロもあってプライバシーが守られる。諸費用は、厚生年金の遺族年金とだいたいトントン。いいかな?と思って近場にある施設を見学して母にどう?と聞くと珍しく「入る」と即決。こうして母のサ高住生活が始まった。

その後、認知症が発症。しばらく私が毎日通って薬を飲ませていたが、いよいよ大変になってきた。まったく、「サービス付き」と言って、その分込みの賃料を払ってるのに全然サービスを受けてなくて、私の負担ばかりが増えている。これじゃサ高住にいる意味がない、との不満が昂じたところで施設長に相談。その結果、ケアマネさんを施設に常駐する人に変えて、そのケアマネさんに介護保険の範囲で介護計画を立てていただき、その実行はその施設の職員さんやヘルパーさんにやっていただくことになった。毎日の薬のチェックもヘルパーさんにやっていただくことになった。一挙に楽になった。もっと早く相談しなかった私が悪かったんだと思った。

ところが、その後暗雲が垂れ込めてきた。母の認知症がますます進んだある日、施設長が、区に介護認定の引き上げの申請をしているが、もし認められなかったら、ここでは必要なサービスができない。介護付き有料老人ホームなら可能だからそっちへの移転を検討してほしい、と言い出した。私は、二つの点で不服だった。
①最初に入居するとき、認知症になっても大丈夫、最後まで面倒を見る、ここを退去するのは亡くなったとき、と言っていたのと話が違う。
②介護に必要な介護認定が出ないかもしれない、というのが変である。介護のための認定である。その認定が介護におっつかないということは認定が間違っている、ということではないか(これは制度に対する不満である。まあ、たしかに、認定のときだけ張り切るボケ老人の話はあるあるではある)。

その後、しばらくして、施設長が「会社の方針が変わったので居てもらっていい」と言い出した。その頃、その会社のCMが頻繁にテレビに流れるようになって、私の中では符合した。こうして、その施設は母にとり終の棲家になった。途中、暗雲が垂れ込めた時期があったが、総じて、施設の方々には大変お世話になり、心底感謝している。

あさイチで、認知症患者の受け容れについて、サ高住は△で介護付き有料老人ホームが○としたことに至極同意なのはこういう経験があったからである。グループホームは認知症患者の受け容れには◎だし、常に集団でっていうのもどうかな?と思っていたら個室があるということを今回のあさイチで知った。だが、先般、グループホームで職員による虐待があったというニュースが影を落とした。

以上は民間業者に限った話だが、公共施設である特別養護老人ホーム(特養)について、あさイチが、「入居待ちと言われているが、それは安い相部屋の話で、少し高い部屋なら空いてることがある」と言っていた。これは、すごい情報である。特養なら例の◎○△のレートは◎である。これから施設を探す人にとっては、特養も十分視界に入るというわけだ。因みに、私は、両親ともこの世の住人ではなくなっていて、逆に、子供等がいれば、黒式部をどこの施設に放り込もうかと心配される立場であるが、そうした親族もいない。自分から進んで施設に入ろうとは今は夢にも思ってないし、ボケたときは自分では自覚しないだろうから施設に入ることは想像がつかない。近くに線路もないから、徘徊してるうちに線路に紛れ込んで電車にひかれて社会(及びどこかにいるかも知れない相続人)に多大な迷惑をかけるおそれもなさそうである(あっ、奥地の家は踏切が近かった(汗))

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