ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

江本敦子の引退

2010年05月21日 19時35分45秒 | 女子プロレス
 珍しく仕事が夜入り本日のアマンドラ興行は欠席?するが、江本敦子が引退するので少しばかり彼女のことを振り返ってみたい。江本は2003年2月にアルシオンでデビュー。アルシオンの新人選手としては8人目のデビューを数えたが、当時はとにかく団体内がゴタゴタしていた。選手の離脱やら、経営不振でけして明るい材料は無かったのだ。が、江本は学生時代からボランティア活動で海外を放浪していたという異色のキャリアを持っていた。
 アルシオン的には1年以上も新人がデビューしていない時期で、ある意味で待望の新人だったわけだ。デビュー戦の相手はバイオニックJ。外国人とデビュー戦なんて…それは江本が英語が堪能だというだけの理由だった。それでも敗れはしたが非凡な才能を発揮。同期で後からデビューした北尾とは、ライバルとしてやり合っていた。
 アルシオンが崩壊するとAtoZで、闘牛・空に変身。これは地味な雰囲気を一掃しようと私が名前を付けた。北海道で酪農の経験もあったから、牛=闘牛と付けた。空は北海道の大自然を示したのだ。マスクウーマンに変身後はこれが思いのほか受けた。若手ながらベテランのような試合運びで大きく台頭したのである。その後は団体→ユニット→フリーと突き進んだわけだ。引退の理由はやっぱり女子プロレス不況の煽りを喰らったとしか言えないだろう。レボルシオン・アマンドラはメキシコにいそうなイカガワシイ感じで、ヒールと言うよりルーダ。江本は司令塔のような役割だった。引退は残念というよりも、次への良きステップと見た方がいい。また世界を放浪するかは知らないが、プロレスをやりたくなったらやればいいと思う。まずはご苦労様!

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