日本から小包が届いた。
中身は自分で詰めたのだから、何が入っているかは、全部わかっている。
つまり、自分で買った本だけだ。
でも、小包が届くというのは、非常に嬉しい。
しかも、小包を中国の誰かに開けられることもなく、
いまのところ無事に届いている。すばらしい。
この感激は、メールをもらうのとは全然違う。
海を渡り、多くの手を経る間に少し痛んだ段ボールが、なんともありがたく感じる。
これが実体あるものの重みなんだと思う。
実際、8キロ近くあったわけなので、
受付で受け取ってくれた中国人スタッフが、
「おっも~いのが来たよ~!」と内線で知らせてくれた。
それも、また楽しい。
思い出す。
留学していた頃、友人のところに届く日本の実家からの小包が、
たまらなく羨ましかった。
醤油、カレーやシチューのルー、インスタントコーヒー、
どれもこれも、すべてが宝物に見えた。
そして、添えられている日本からの手紙。
いまは通信が便利になったから、
インターネットを使えば、毎日でも日本にいる人の顔を見ることができる。
くだらない長話をすることもできる。
でも、あの時、本当に本当に羨ましいと思った気持ちが、
いま帳消しになることはない。
やはり、思い出すたびに、とてもさびしい気持ちになる。
中身は自分で詰めたのだから、何が入っているかは、全部わかっている。
つまり、自分で買った本だけだ。
でも、小包が届くというのは、非常に嬉しい。
しかも、小包を中国の誰かに開けられることもなく、
いまのところ無事に届いている。すばらしい。
この感激は、メールをもらうのとは全然違う。
海を渡り、多くの手を経る間に少し痛んだ段ボールが、なんともありがたく感じる。
これが実体あるものの重みなんだと思う。
実際、8キロ近くあったわけなので、
受付で受け取ってくれた中国人スタッフが、
「おっも~いのが来たよ~!」と内線で知らせてくれた。
それも、また楽しい。
思い出す。
留学していた頃、友人のところに届く日本の実家からの小包が、
たまらなく羨ましかった。
醤油、カレーやシチューのルー、インスタントコーヒー、
どれもこれも、すべてが宝物に見えた。
そして、添えられている日本からの手紙。
いまは通信が便利になったから、
インターネットを使えば、毎日でも日本にいる人の顔を見ることができる。
くだらない長話をすることもできる。
でも、あの時、本当に本当に羨ましいと思った気持ちが、
いま帳消しになることはない。
やはり、思い出すたびに、とてもさびしい気持ちになる。