ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

祖国について

2010-12-27 22:01:52 | Weblog
今日は久しぶりに残業をした。
制作会社に依頼した仕事があがってきたので、そのチェックをする。
指示を出したのは自分ではない。
私がもっている情報は、どこに組み込まれ、何に使うデータか、ということだけ。
つまり一番最初のお客さんの目になる。

いやあ、自分が指示したものでないと、
こんなにバッサリと気持ちよくダメ出しができるんだ!
チェックをはじめて30分ほどして、メイン担当さんに声をかけ、話し合い、
打開策をいくつか考えて方向性を明確にした後、
制作会社への指示という、一番気の重い仕事は任せて帰ってきた。

意見は言えるけど、イヤな役回りはしなくていいという私の位置は、
謝りたくなっちゃうくらいに居心地がいい。
紙やらソフトやら、ホームページやら、いろんなものの編集を
悪食のようにやってきたから対等に話し合えるということはあるけど、
一緒に仕事しているメイン担当さんの人間性が、やはり一番いい。

さて、昨日は、枝川にある東京朝鮮第二初級学校に行ってきた。
校舎が古くなり取り壊されるので、いまお別れ会が開かれている。
昨日は朗読や、写真展、音楽の生演奏などが行われた。

朝鮮学校に入ったのは、これが初めて。
入ってすぐ感じたのは、明るくて自由だ、ということ。
日本の小学校よりももっと自由に校舎を使っていると思う。
決して汚くはないし、無秩序な雰囲気もない。
でも、なんというか、小学校と児童たちが、一体になっているような、そんな空気を感じた。
自分の一部だから、大切に使う。そんな雰囲気だった。

そして、1世、2世、3世では、祖国を見つめる目が違うのだと感じさせられた。
3世は、私と同年代の人たち。
自分だけでなく、両親も日本で生まれた彼らにとって、
祖国や自分は何者なのか、という問いは、古くて、そして新しいものだ。

留学などで外国に一定期間暮らし、日本に戻ってきた日本人なら、
おそらく誰でも感じたことがあるだろう。
外国にいるときは、日本という祖国が、とてもあたたかく自分を迎え入れてくれると信じている。

でも、実際に日本に帰ってきてみると、
自分がいないあいだに日本の生活も時間が進んでいるわけで、自分がいない世界がすでにできている。
もうすっかり何が流行っているのかもわからない。
テレビに出ているタレントも入れ替わっている。

それでも家族がいれば、そこに自分の居場所を見つけるかもしれない。
でも、私は日本に帰国した時、すでに家族がいなかったので、
家に戻っても、しばらくのあいだ、家に帰ってきたという実感がわかなかった。
祖国は、土地にしばられているけれど、土地だけではない。
そこにいて受け入れてくれる人の顔が浮かぶところ、それが故郷であり、
その人たちと暮らしていくところが祖国だ。
そう思った。


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