桑の実、小さな筍とが終わり、土手道に枇杷が黄色く実っています。今年ほどたくさんのおいしい枇杷を食べたのは初めてです。友達の畑で枇杷が大豊作、散歩で会う度にたくさんいただいたのです。パック詰めされたスーパーのは高価で、たまに半額の値札に惹かれて買うくらい。こんなにおいしいのを思い切り食べられるなんて!
枇杷は焼け跡世代のわたしには忘れられない記憶につながります。
都電通りの崖の上にコンクリートの建物が爆撃で完全に破壊され、瓦礫の中に草や木が生い茂っていました。電電公社だったそうですが、沈丁花、梔子、躑躅などや草花もいつも咲いていて、小さい頃の大切な遊び場でした。
崖に迫り出すように伸びた枇杷の木があって、黄色の実がたくさんついていました。いつも一人だったのは就学前だからかもしれません。幼稚園には行かなかったので。
痩せっぽちで木登りが得意だったので、登っては実のついた枝を下に投げ落とし、壊れたコンクリートに腰掛けて食べました。幾つもいくつも。
桑の実は日赤看護学校の焼け跡。こちらは大きなポッケのついたエプロンを紫色に染めて叱られた記憶です。有栖川公園にも私の椎の木があって、細長い椎の実は木の枝に座って。こちらはザリガニ取りのお兄ちゃんたちと一緒でした。
自分が親になってみると、よくあんなに危ない遊びを、と思うのですが、甘いものなど滅多にない時代、貴重なおやつだったのです。そしてその頃身につけた採集癖は喜寿になった今でも、季節を感じる楽しみとなっています。
草むらのヒルガオ
合歓の花も咲き始めました
合歓の花も咲き始めました
枇杷の実や焼け跡記憶うきうきと