台風が過ぎた河原は流れの音が高くて、早朝に歩くと鶉か小綬鶏かの家族やこんなに太った雉など、大きな鳥たちが目立ちます。
終戦記念日なので、新聞は戦争関係の記事が溢れています。平和の俳句も一面から目をひきます。とくに今年はウクライナとひまわりの句が多い気がします。私の戦争記憶は焼け跡で遊んだことから始まるので楽しいことばかり。周りの人たちも帰ってこないか、帰っても戦争の話しはしなかったように思います。でも、
ガダルカナル語らぬ酒乱敗戦忌
の句を見たとき、胸にズシンと来るものがありました。補給も援軍も無い戦地の記憶は、今ならptsd と病名が付いて治療の対象になっていることでしょう。
今、テレビにさえ頻繁に現れるウクライナの映像は、我々以上の世代には既視感となるのです。
早朝の散歩で安心しきった太った雉が
足元の草むらに座り込んでいるのを見て、この同じ空を飛ぶオスプレイに出番など来ないように、どうしたらいいのだろうと思い巡らすばかりです。