豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

法事の日に

2008年06月08日 | Weblog
どういう形でいつ別れが来るかわからないと承知していると、最後にかける言葉は、またそれぞれ違うものになるでしょう。子どもを叱る言葉もまた変わってくるでしょう、というお経の後の法話が、本当にそうだと思わされる事件が起きました。父方の祖父が亡くなったのが、ちょうどこの時期、高校二年の初夏のこと。今年で33年ということで、今日法事が行われました。その三十三回忌の法要後、お斎(おとき) を頂いている間に大変な出来事が起きていたのでした。

最近のニュースは、殺伐という言葉では表しきれないような怖い事件を伝えます。敢えて取り上げることすら恐ろしいような、封印できるものならしてしまいたいほどです。目をそらして気を紛らわせでもしないと身に降りかかってくるような恐怖感すら感じてしまいます。
今日の事件もそうでした。
被害を受けることがありませんように、加害者となることがありませんように。いずれにしても己の力を超える力にすがるしかないのでしょうか。とても不安です。いきなり人生を絶たれた方の無念の思いはどれほどかと、想像することすらつらい事件です。身近な人に目配り心配りすることで何かが解決できるのでしょうか。わからないことだらけで混乱するばかりです。出かける人別れる人にかける言葉に悔いが残らないようにすることが、せめてもの慰めになるのでしょうか。