豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

ある展覧会

2009年01月10日 | Weblog
12日の成人式に出席するために、ついこの前寮に戻っていった竜子が帰ってきました。お正月から引き続いて留まっていれば良さそうなものですが、休み明けからテスト期間に入ったため、そうもいかなかったようです。・・・・。

ちょうど午後からの予定が空いたので、一日早く県立美術館で行われている「六角紫水」展に一緒に行くことにしました。
岡倉天心のもと、東京美術学校に集った一期生の一人。
漆工芸に生涯を捧げ、国宝を創った男と称される人物です。展覧会のフライヤーには「明治・大正・昭和を漆で塗り歩いた偉大なる”物好き”の展覧会。」と紹介されておりました。

確かに・・、塗り歩いたと言う言葉も過言ではありませんでした。
なにせ、列車まで漆で塗っちゃったのです。
そうです、いわゆる「お召し列車」ですね。
列車全体は無理ですから、その一部が分解されて展示されておりました。紫水さんは、漆を実用的な塗料と考えてもいたようです。美術工芸の枠を産業分野まで広めようとした、まことに開明的な人物でもあったようです。
慶応三年(1876年)、大政奉還のあった年に、彼は広島県の能美島で生まれました。師範学校に進み、卒業したということですから、元来優秀であったのでしょう。17歳で私塾を開き、その後日本画を学び、22歳の時に日本で最初の美術学校の開校に、先んずれば人を制す、を旨として馳せ参じたのでした。

当時の制服やそれを身に着けた学生たちの写真も展示されいました。20代の若き校長岡倉天心を始め、横山大観も並んでいます。後の菱田春草、下村観山らも同期に連なっておりました。その、制服がふるっています。
奈良時代にタイムスリップしたような装束なのです。王政復古の大号令、天皇の下に国を造っていこうとする意気込みのようなものがそうさせたのでしょうか。明治時代にあっても、洋風の生活が浸透しつつある時期には、かなり目立っていたのではないでしょうか。

後に、紫水は、昭和天皇の立太子礼の際に、天皇に献上されたという飾り棚を創ることになります。どれほどの栄誉だったのか、今想像してみる以上のものがあったに違いありません。己の道に邁進する確信を得たことでしょう。
もともと、東京美術学校は、日本の伝統的な美術・工芸を守り育てるべく設立された学校でした。紫水は、そこで初めて漆と出会います。専科に進む際に、他にだれも選ばなかったからという理由で、漆工芸の道に進むことに決めたのだそうですが、己の欲することより、求められた道を行くという選択のしかたも、国を造る気概を根底に持つ当時の若者の気持ちを察すれば納得できるのかもしれません。

会場は、その精緻な仕事にため息が出るような作品が所狭しと並べられておりました。自前の拡大鏡で覗き込む方もいらっしゃったり、みなさんなかなか熱心な鑑賞ぶりです。40客のお膳全てが柄違いという気の遠くなるような一揃いもありました。輝く茶褐色の底塗りの上に、蝶や草花が描かれた図案は、それぞれが少しずつ異なっています。お櫃に湯桶も添えられて、実用されることを想定されている一式ですが、果たしてこれが実際に使われることはあったのでしょうか。その場面はさぞかし見事なことでしょう・・。

また、日本で最初の美術館と言われる、今の東京都美術館を寄付した石炭王に、そのお礼として贈られたという記念品も興味深いものの一つでした。木製の大振りな絵本とでも形容しましょうか。その当時の各分野で高名な作家それぞれの小さな作品が40センチ四方の木のパネルに一枚ずつ綴られている形式です。コンパクトながら大変な価値があるものでしょう。依頼された芸術家たちも競作相手に負けじと、製作には苦心しただろうと想像されます。高村光雲、そしてこの六角紫水も加わっておりました。その他に加わった作家たちの詳しい名前を記したいのですが、展覧会の図録が売切れてしまっていたのでいたし方ありません。念のため聞いてみると、一時間前に完売したのだとか。むむむ・・・、惜しかったですね。

そしてもうひとつ、興味深かったのが、ある伝説!?でした
麒麟麦酒の麒麟のマークをデザインしたのは、この六角紫水さんだというのです。
確かに、それを裏付けるような意匠考案のためのノートもありました。
でも、その詳細が残されているだろう資料は、関東大震災で焼けてしまって現存しないのだそうです。ともかくも、伝統工芸の枠だけには収まりきらなかった才知溢れる人物であったのは確かなことのようです。
彼を始め、後に大家と呼ばれる芸術家をたくさん輩出した東京美術学校の当時のカリキュラムは、まず古来の名画の「模写」、実物の立体感を再現する「写生」、そしてそれを踏まえた創意工夫を試す「新案」。徹底的に基礎を叩き込み、その上に独創性を築き上げていったのでしょう。自分の持てる力の全てを注ぎ込むような学生時代の研鑽、そして仕事振りは、明治の人の気骨を感じさせるものでもありました。作品群の素晴らしさとともに、明治初期の時代の雰囲気が感じられたのも面白い展覧会だったと思います。