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【小倉百人一首】44:中納言朝忠

2014年07月01日 01時39分21秒 | 小倉百人一首
中納言朝忠

逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

藤原定方の息子。三十六歌仙にも入っている。
この歌は天徳内裏歌合で詠んだ歌の一首。ちなみに朝忠はこの歌合で6戦5勝の成績をおさめている。

朝忠の娘は藤原穆子というが、この人は後に源雅信という宇多源氏出身の大貴族に嫁ぐ。そして雅信との間に倫子という娘をもうけるが、この倫子に執心したのが藤原道長。当時、道長の官位はそれほど高くなく雅信は相手にしなかったが、穆子の猛烈なプッシュによって道長を婿に迎えさせた。そのため道長は生涯、穆子には頭があがらなかった。
ちなみに道長との間に生まれた4人の娘は皆、後宮に入るか、天皇の生母となっている。

【小倉百人一首】43:権中納言敦忠

2014年07月01日 01時14分47秒 | 小倉百人一首
権中納言敦忠

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

藤原時平の三男。
ただし、藤原忠平の項でも書いたとおり、藤原北家の主流は叔父の忠平の家系にうつっており、敦忠の長兄・保忠は大納言、次兄の顕忠は左大臣、敦忠は権中納言が極官であり兄弟から摂政・関白がでることはなかった。
また、時平の早世が菅原道真の祟りと噂されたのと同様に、保忠も47歳で死去した際には祟りといわれた。
敦忠も38歳の若さで死ぬのだが、敦忠の場合はふった女の呪いといわれた。