業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:給料(収入)と物価が上がらない理由・原因(その4-日本人の値下げ要望の強さ)

2022年08月16日 21時13分22秒 | 経済
供給過多のために値下げをせざるを得ない状況になっているが、供給過多でなくても調達側からの値下げ要望は大変根強い。製造側(又は調達側)としては、当然常にコストダウンを迫られているのだが、そのシワ寄せが常に仕入先に向かっている。
食料品や一般消費財を取り扱っているスーパーなどの販売店では、常に仕入先からの調達品を買い叩いている。大手のスーパーなどでは、プライベートブランドを立上げ、より安価な価格での製造&納入を求めている。また、”特売”の名目で、定期的に値下げを要望している。その結果、製造元(納入元)では殆ど利益を得られず、沢山の時給1000円程度のパートによって辛うじて支えられている。プライベートブランドや特売をして儲かっているのであればまだ良いが、これらも決して儲かっていない。スーパーなどは、時給1000円のパートで支えられているだけである。
生産財の調達でも同じで、値下げ要求が大変強い。時には品質の悪い(悪かった)海外製品との比較をちらつかせ、値下げに応じなければ他社に調達先を変える事を云い、値下げを半ば強要してくる。この調達担当者はモノの価値を理解しておらず、また理解しようともしない。一方、売る側の担当営業も営業努力をしないので、この値下げ要求を簡単に受けてしまう。供給過多である事も大きな原因ではあるが、この様な値下げ要求が強い事も大きな原因である。

別の例として、コンビニへ卸しているお弁当や調理パンを製造している所も薄利多売で成り立っている。ここは大変あくどい商売をしていて(と云っても法的には全く問題ないが)、食料の原材料はコンビニ側にて大量注文する事でコストを抑え、加工賃のみをお弁当メーカに支払っている。そしてそのコスト管理は大変厳しく、こちらもほぼ時給1000円程度のパートによって成り立っている。この様な発注形態は一般的な製造業でも行われており、発注側からの行き過ぎたコスト削減要求によって、低賃金労働者を大量に雇う事で成り立っている。

また別の例として、安く売る事を美徳として考えている人も少なからず居る。最近、TVのゴールデンタイムで放送している番組で、”オモウマい店”と云う番組がある。格安価格で大盛りのご飯を食べさせてくれるお店の紹介番組なのだが、この様な店の店主の多くは、安く売る事で幸せを感じている人が多い。また店舗(または自宅兼店舗)の減価償却が終っていて、その分を原価に含める必要がないから、安く提供できると云う人もいる。一部には売れば売る程赤字だと云う人もいるのだが、何故かこれらの人達は皆幸せそうである。他人から良く思われたい人が、他人に優しくしている自分に酔っている状況ではないだろうか?
しかし、この様な商売はしてはいけない事をこの人達は知るべきである。その店の周りでは、お店の賃料またはローンを抱えている。または扶養家族を養う必要がある人も沢山いる。その様な人達は、必要十分な利益を確保する必要があり、必至に仕事をしている。この様な人達に取っては、この”オモウマい店”は営業妨害をしている事と同じである。周囲の人達や社会に対する配慮・貢献は、安売りする事ではなく、生活の糧として働いている人達の収入を邪魔しない事ではないだろうか。単純な自己満足による安売りは、慎むべきである。

自分が属するコンサル業界も同じである。60歳を過ぎた辺りになると、殆どの人の子供は独立し、住宅ローンなどは無くなっていていて、働く必要はあまりないコンサルタントも多い。しかし引退して暇をもてあそぶよりは、仕事を続けたいと願っている人も多く、時間単価が多少低くなっても許容するコンサルが多い。だが、これも”オモウマい店”同様にやってはいけない事である。もし60歳以上の人が安価な単価で仕事をしてしまうと、若いコンサルの仕事を奪う事になってしまう。もし単価が同じで、経験が豊な年寄経験者と、未熟な若者を比較すると、どちらが雇われる事になるだろうか?当然、経験豊かな経験者が採用される事になる。であるため、年齢関係なく、その人の能力に見合った時間単価で雇うべきである。70歳で蓄えた沢山ある人であっても、能力が高ければその能力に見合った単価を頂くべきである。そして必要以上の収入を得た人は、若い人に御馳走しようではないか。

また100円ショップの存在も問題で、我々日本人は100円ショップの恩恵を受けすぎている。”恩恵”と云うよりは、毒されてしまったと云うべきであろう。。100円ショップは安くてそこそこの品質もモノを大量に売っている。100円だから、子供の小遣いでも買える値段である。その為、壊れても気にせず、モノの有難さを忘れ去ってしまっている。そして多くの商品が100円(または200~500円程度)で購入できるため、本来あるべきモノの価値が完全に崩れてしまい、”安くしないと売れない”社会が定着してしまった。その為、日本では物価が先進国一安いが、給料(収入)も先進国で最低レベルに定着してしまっている。安くしないと売れないので、安くするために給料を安くしている。正に、自分の首を自分で絞めている状態である。なのに安い給料で働いている人達は文句も云わず働き、出費を抑えるために、日々安いモノを探している。何故だろう...。
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日本人の特性としての、”チャレンジ精神が無い”原因を少し深堀してみたい。日本人がチャレンジしない大きな要因として以下の3点を挙げたい。

2022年08月14日 05時10分59秒 | 経済
日本人の特性としての、”チャレンジ精神が無い”原因を少し深堀してみたい。日本人がチャレンジしない大きな要因として以下の3点を挙げたい。
・変化を好まず、安全を求む
・自分で考えて判断せず、他人の評価を頼りにする
・自分で道を切り開けない

日本人がチャレンジしない特性の原因の一つとして、”変化を好まず、安全を求む”傾向にある。要するに、同じ事を繰り返す事で安心し、変わる事に不安を感じるのである。また変える事で批判を受ける事を避けようとする。今の岸田政権の評価がまさにこれで、何もしない事で批判を受けず、評価されている。お役所仕事がこれの典型であろう。その前の政権下では、色々な取り組みをした事で評価を受けていた半面、批判も多かった。

そして”自分で考えて判断せず、他人の評価を頼りにする”傾向にもある。その典型的な例が”学歴”であり、国立大学や有名私立大学を卒業した=優秀だと感じ、そこに属さない人は敬意を表したり、劣等感を感じている様に思える。また医学部や法学部出身者=優秀とも感じている傾向がある。それから大企業や有名企業に就職しているだけで、優秀だと思われる傾向にある。これについては最近は多少薄まっていはいるが、まだまだ大企業に属する事によるステータスは高い。本来であれば、社会で何をしているのかが重要なのだが、日本の社会では特定の組織に属する/属さないが、結構重要な要素である。

これらが意味する事は、自分の目で見て判断・評価する事をせず、その人が属する組織は学歴で判断する人が多いと云う事である。有名大学出身者でも、仕事が出来ない人、理解力の無い人や論理的思考の出来ない人はゴロゴロいる。また俗に云う”偏差値バカ”と云える様な社会で役に立たない人も沢山いる。一方で偏差値の低い大学や高卒でも優秀な人は沢山いる。それらを自分の目で判断・評価する事ができる人が、日本には非常に少ない。別の表現をすると、他力本願であり、この”他力本願”も日本人の特性である。

それから”自分で道を切り開けない”傾向にもある。もし自分が低い給料に甘んじてのであれば、さっさと職を変えたり、または必要な能力を付けたり、または必要であれば学位を取得するなどを行えば良いのだが、その努力をあまりしない人が多い。ユーキャンでの通信講座や一般的な専門学校で得られる知識や職能で得られる収入の増加は微々たるモノで、もっとより良い収入を得るための工夫が足りない。そしてそもそも大学を選ぶ時点で将来の収入を考えないで大学や学部を選んではいないだろうか。日本の社会で再教育を受ける環境があまり整っていない事などの問題があるにせよ、仕事に生かせる自己向上に、日本人はあまり時間とお金を掛けていない。半面、安いモノを求める方に、殆どのエネルギーを費やしてはいないだろうか。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:給料(収入)と物価が上がらない理由・原因(その2-供給過多の原因)

2022年08月11日 21時07分55秒 | 経済
日本では、何故か供給過多になる傾向がある。ニッチな領域でビジネスを始めるのではなく、既存で既に供給過多になっている業界に、絶え間なく新規での参入者が続く。最近では鳥の唐揚げが流行りだし、一気に唐揚げ店が増えた。ちょっと前だとタピオカがそうであろう。何故だろうか?これについて、ちょっと深堀していきたい。

”供給過多”になる原因は沢山あるが、次の日本人の特性が大きく影響していると思われる。
・日本固有の”学ぶより真似ろ”と、”暖簾分けの文化”の文化
・チャレンジ精神の不足

知っての通り、学ぶより真似ろや暖簾分けの文化は日本に深く根付いている。欧米諸国と比べて”真似る”文化は日本以外の東アジアに広く根付いているが、”暖簾分け”は日本独特の文化であろう。この”暖簾分け”の文化は決して悪い事ではないが、現在の日本での給料(収入)が上がらない事や物価が上がらない事に関して、残念ながら悪い方向に出ている。それは全ての事象に関して、”過ぎたるは猶及ばざるが如し”であるからだろう。この”真似る”と”暖簾分け”的なビジネスが日本では余りにも多い。

コンビニ、薬局の出店制限 "”暖簾分け”の文化と云っているが、現代の社会において実際に暖簾分けが行われている訳ではない。云いたい事は、ほぼ飽和状態の既存のビジネスに、さらなる新規参入が行われ続けていると云う事である。新規参入が行われる事で新陳代謝がなされるので、一見良い事でもあるが、新規参入者は価格を押さえてビジネスを始める為、価格競争に拍車を掛ける事になっている。
具体的な例として、馴染みの深い、暖簾分け的な飽和状態のビジネスを挙げてみよう。
・コンビニ:5.8万店弱
・ドラッグストア:2万店
・美容院:25万店以上
因みに、自分が住んでいる最寄り駅から自宅までの道のりに、ちょっとした寄り道も含めると、15店舗以上のコンビニがあり、薬局は10店舗弱存在する。美容院はもっとあり、しっかりとした調査をしないと分からない程存在し、多分コンビニ店舗数の2倍以上有りそうである。

価格競争とはあまり縁がないが、参考までに次の2業界も多すぎるのではないだろうか。
・不動産業:12万業者以上
・歯科病院:6.85万店

コンビニ店では、ドーナッツやコーヒーを販売し始め、ドーナッツやコーヒー専門店にとって脅威となっている。また最近は薬も置き始め、ドラッグストアに殴り込みを掛けている。一方ドラッグストアはちょっとした食品を置いている店舗もあり、こちらはコンビニやスーパーに殴り込みを掛けている。また最近のコンビニのスイーツ系の商品の進化が著しく、スイーツ業界にも殴り込みを掛けている。これらの異業種商品の販売を行う事で、品質だけでなく価格も競争も行なわれ、切磋琢磨されるので消費者にとっては大変有難い事ではあるが、作る側に取っては大変である。悪く云えば、単なる消耗戦を行っているダケである。コンビニが中心になって競争を続けている業界では、日本のGDPの向上や、収入の向上にどの程度貢献してるのだろうか?答えは全く無いと云っても過言では無いだろう。新な消費を生んでいると云う人もいるが、単に他業界の商売を奪っているだけである。要するにココに問題があり、消費者にとっては天国であるが、製造現場(またはサービスを提供する側)で働いている人にとっては地獄である。

美容院はどうだろう。美容学校の入学者数は一時期よりは減っているが、美容院の店舗は未だに増え続けており、令和1年度には25万店舗を超えたとの事である。理髪店が減り続けているが、その減少より美容院の増加が上回っている。ここ30年で、美容院が約7万店舗増加した一方、理髪店は約2万店程減少しているので、美容院と理髪店の合計では大幅な増加となっている。約6万店舗のコンビニが多いと感じる中、美容院の店舗数はその4倍以上である。人口が減っているにも関わらず、美容院の店舗が増えているのは、明らかに供給過剰であろう。にも関わらず店舗数が増えているのは、日本人の”真似る”と”暖簾分けの文化”と、”チャレンジ精神の欠如”に関連している。美容院と云うビジネス大変身近である事から、若者が憧れる職業になっている。また自己表現をし易い職業だと捉えているのだろうか?この”身近”な職業である事から、そこに目指す事へのハードルが低いと感じているのでは無いだろうか(実際は違うと思いが...)?。身近であるから、未知の世界へチャレンジする必要もないと思われている。だから、供給過多であるにも関わらず、減少傾向であるとは云えまだまだ沢山の若者が美容学校に入学し、そして毎年新しい美容院が開業している。この様に供給過多が続く限り、価格競争は免れない。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:給料(収入)と物価が上がらない理由・原因(その1)

2022年08月09日 16時18分24秒 | 経済
前書き:「壊れたニッポンを治す為の21の処方箋」では、ここ20~30年程の間に顕著に表出してきた問題点を中心に記載し、処方箋として「教育」、「経済」、そして「農業」の3個の分野における改善策を記載したが、今回は”ここ20~30年程の間に顕著に表出してきた問題点”に縛らず、そして前回に記載した内容の深堀または別の問題点を明記し、その解決策を明記していきたい。そして今回のテーマは主に経済的な分野での問題点や解決策を中心に考えていきたい。


最近、日本での収入が30年程変わっていない事が語られる様になってきた。そしてウクライナでの戦争と円安などが重なって、巷では物価が高くなってきたと騒がれている。しかし、経済学者の説明を聞くと、まだ物価高とは云えず、あくまで石油の価格が上がった事による一部商品の値上げが起こっているだけで、物価が上がったとは未だ云えないとの事である。6月そして7月になり、多くの商品の価格が上がった様にも感じられるが、経済学者はまだ物価の高騰は限定的で、エネルギーなどの一部の価格の上昇による値上げであって、物価高とは云えないとの事である。また仮に物価が上がったと云ったとしても、欧米のそれと比較するとかなり抑ええられたレベルである。
日本には物価が上がらない根が深い原因があり、それを紐解いて深堀しないと、根本の問題解決にはならない。消費者にとって、物価は安い程良いが、生産者に取っては決して良い事ではない。物価が上がらないために、自ずと収入も増えない。結局日本人は自分の首を自分で絞めている状態である。物価が上がらないから、GDPも上がらないと言っても言い過ぎではないだろう。


物価が上がらない(または収入が上がらない)理由は幾つかあるが、先ずは次の二つの表面的な理由を考え、その後深堀していきたい。
・供給過多(日本の市場に置ける需給ギャップ):
・日本人の値下げ要望の強さ:
上記以外にも沢山の理由がある。例えば、”安い賃金での製造できる能力を持つ近隣諸国の存在”や、政治の無策や、無能な企業経営者の存在など、他にも沢山の原因・理由があるが、その他の原因・理由は他力的、または外部要因であるため、ここでは議論をしない。一方この上記2点については、その原因・理由を我々自分自身で考え、解決できる問題であるため、これらについて考え、深堀していきたい。

供給過多:バブル崩壊以降、日本の経済はほぼ常に需要より大きき供給を続けてきている。供給が需要より恒常的に多ければ、価格が上がる事は有り得ず、供給の抑制または需要の喚起を起こさないと、価格が上昇する事は起こり難い。当然の結果である。この需要と供給の差を表現する指標として、”受給ギャップ”と云う言葉を使って表現している。

需給ギャップとは、日本国内の経済における需要と供給量の差である。今の日本の経済は、供給過多の状態で、現時点での需給ギャップは15~25兆円とも云われている。2021年の日本のGDPが537兆円だったので、GDPのマイナス3~4.5%辺りであり、決して少ない金額ではない。受給ギャップがマイナスと云う事は、供給過多と云う事なのだが、供給が需要を上回る場合、当然価格競争になってしまう。経済学者は需給ギャップを埋めるための需要刺激策を取る必要があると繰返し云っている。
余談だが、2020年の4~6月期では、この需給ギャップがマイナス10.2%であった(内閣府の推計)。そしてバブル崩壊の1993年以降、需給ギャップがプラスだったのは、リーマンショック前や安部政権後半などの合計8年程の期間のみである。そのアベノミクス効果でプラスに転じていたが、消費税を10%に上げた途端にマイナスに転じ、そしてその後のコロナの影響でマイナスが続いている。

日本人の値下げ要望の強さ:
巷では、食料品を買いに行くのに、チラシやネット広告を見て1円でも安い店に行って買い物をする人は沢山居る。新聞を購読している家庭では、毎朝新聞に折り込んでいるチラシを吟味するのが日課になっている人も多くいる。若い人の中ではスマホでネット上の広告を見る人も少なからず居るだろう。そして2~3軒の見せを回ってその日の買い物を済ます人も多くいる。
食べ物屋やレストランでは、500円(ワンコイン)でランチを提供し、300円の弁当も有る。安い事は消費者に取っては有難い事ではあるが、誰かがそのシワ寄せを受けている。個人的な感覚では、昼食費用は高卒時点では400円。大学では500円、社会人1年目で600円。今は1000円前後が本来の相場であり、この価格はほぼアルバイトの1時間分と同じである。しかし1000円だとしても、他の先進国と比べて低い値段になっており、他国では1500~2000円が相場の様である。500円のランチが存在すると云う事は、少なくとも40年前の物価と同じと云う事になる。
それから100円ショップの存在。誰もが”この品質でこの値段”と感じ、重宝しているであろう。しかしその裏では生産者の収入が犠牲になっている。そしてその結果、今では日本の物価は先進国では最低レベルになり、もはや中進国以下のレベルである。

一般企業が購入する生産財などの物品では、中国を中心とする製品との価格競争に晒され、国内の企業からは同等の価格での納品を強要され続けている。その中国などの企業が自らの努力で品質を向上し、安価な製品を作ってきたのであればまだ納得できるが、日本人が技術を供与し、または現地で製造する事で競争力を付け、そして自ら自国の製造業を壊している。何か間違っていないだろうか。

事業を行う上で、コストの削減は大変大事な課題であり、企業に取って最重要課題の一つである。これについて、日本は世界の最先端を行っている。お弁当を例に取ると、昔は手工業的な作り方でお弁当を作っていたが、今は生産工場でライン生産でお弁当を作っている。具体的な例としてコンビニ用のお弁当等を作っている工場では、サンドイッチを作る場合、食パンをラインに並べる人、レタスをパンに載せる人、ハムを載せる人、等々が別々の作業者が隣り合わせで作業をしている。一旦製造ラインが動き始めると、一瞬たりともよそ見も出来ない位にハードな作業で、昔チャップリンが出ていた映画の「モダン・タイムス」の様なライン製造である。今の自動車などの製造ラインは昔と違って人が機械の様に働く事は少なくなったと云える。しかしコンビニのお弁当の製造工場は「モダン・タイムス」を彷彿させる様な作り方を現代でもしている。この様な作り方をすれば、安く作れるのは当然であろう。

このお弁当やサンドイッチの製造の様に、製造を効率化してコストを削減する事については日本人は世界の中で抜きんでている。それは誇るべき事であろうが、コスト削減のために賃金を抑制している事に大きな問題がある。お弁当の製造工場ではほぼ100%が非正規労働者であり、一般的な工業製品の製造現場でも非正規労働者が増えている。これら製造業では製品の設計や製造方法に工夫をしてコストを削減するのではなく、人件費を抑えてのコスト削減にここ20~30年程は邁進している。そしてこれに引きずられる様に、正社員の賃金も殆ど上がらない状況がバブル崩壊以降続いている。この考え方を改めない限り、日本の給料は上がる事は起こり得ない。

では一体何故、日本人ではこの様な状況になっているのだろうか?その原因を深堀していきたい。原因には2段階あり、先ずは表面的な原因を整理し、その解決策を考えていきたい。その後にその根本原因を深堀していきたい。(次回に続く)



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