トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

クーデター、こぼれ話・・・

2016年07月28日 | 国際
7月29日 未遂クーデターの余波がつづく中、クーデターにまつわる“深刻な”あるいは“笑える”エピソードがぞくぞく出てきています。そのいくつかを・・・


戦車の止めかた
グーグルによると、クーデターが始まった直後から「戦車の止めかた」を検索するトルコ人の数が急増したそうです。報道によると、シャンルウルファのケバブ屋の男は、戦車の排気パイプに衣類を詰め込んで、ほんとに戦車を止めてしまいました。トラックを戦車にぶつけた人もいます。

反乱軍が大統領のホテルを探した
エルドアン大統領を殺害するため、リゾート地マルマリスに送りこまれた兵士の一団が、街で地元の人に、大統領が泊まっているホテルはどこか尋ねたそうです。武器を担いだ兵隊たちが「すみませ~ん、大統領のホテルはどこですか?」

ギュレンのジン(精霊)
「ギュレンはどうやって人々を操っているのか」ときかれたアンカラのメリフ・ギョクチェク市長は、「ギュレンはジンを使って人々を奴隷にしているのだ」と答えて、質問者をけむに巻きました。

ギュレンの兵役時代
ジャーナリストのメフメト・バルラスが2000年に出版した本によると、フェトフラー・ギュレンは兵役中、タラト・アイデミルの下で、無線通信員として働いていたそうです。アイデミルは1960年代に2度、クーデターを企てた大佐で、2度目のクーデター後、処刑されました。この興味深い話は、今回のクーデターまで、あまり知られていませんでした。

神秘のドル札
元・親ギュレン、いま親政府のDaily Zaman紙によると、ギュレニストの軍人たちは、ドル札に手紙を書くという奇妙なコミュニケーション手段を使っていました。ギュレンはドル札を“秘密結社”のシンボルとし、お守りの一種として配っていたそうです。コンヤ県で、知らない人が子供たちに封筒に入ったドル札を配ったときには、人々は驚いてパニックになったとか。

トップに直訴しようとした下級将校もいた
司令官の補佐官クラスの中級将校たちが、クーデターの中心的役割を演じていました。軍内のギュレニストについて精通している退役検事アフメト・ゼキ・ウチョク氏によると、下級将校たちは、ギュレニストの中級将校について、トップに警告しようとしていました。実際、下級将校の1人は、参謀総長フルシ・アカル将軍に直接、問題を話そうとしましたが、将軍の補佐官に、ちょっと待てと言われ、1年たちました。補佐官がギュレニストだったのです。

ギュレンの著書にサヨナラ
クーデター以後、全国のごみ箱や川の中や、いたるところにギュレンの著書が捨てられています。ある地方のイマーム(イスラムの指導者)は、ギュレンの本の山を焼いていて、拘束されました。
あの夜、軍服を借りたギュレニストも
ある警察署長はクーデターのとき、戦車の中で捕まりましたが、なんと軍服を着ていました。当局は、多くのギュレニストが同じ戦術を使ったと考えています。当局はクーデターの夜の写真をすべて調べているとも言われます。軍人でないギュレニストたちは、ギュレニストの軍人から軍服を貸してもらったのですが、軍靴までは借りられなかったらしく、写真をよく見ると、軍服を着て、ふつうの靴をはいている人が見つかるそうです。

・・・まだ話はいろいろありますが、このへんで。


「フランス人神父殺害犯は、昨5月、トルコから送還された」と検事

 26日、イスラム国(IS)を名乗って、高齢のフランス人神父ののどを切った襲撃犯の1人は、昨年5月、トルコで拘束され、フランスに送還されていたと、当時、事件を担当した検事が言いました。

 Hurriyet
フランス・ノルマンディのサンテティエンヌ・デュブレで、神父が殺害された教会が閉鎖された後、市庁舎前に設けられた急造の祭壇に花を捧げる人々。


フランスのフランソワ・モリンス検事は、7月26日の記者会見で、アデル・ケルミシュはノルマンディの町で教会を襲うまえから、フランス当局の監視下にあったと言いました。ケルミシュともう1人の身元不明の男は、サンテティエンヌ・デュルブレの歴史ある石造りの教会を襲撃し、ジャック・アメル神父と3人の尼僧、礼拝者たちを人質にとった後、高齢の聖職者ののどを切りました。

彼は教会から2キロもない質素な家で、両親と暮らしていました。彼はテロに関与したとして、夜間外出を禁じられ、電子タグをつけられ、裁判を待つ保釈中の身でした。2015年、彼はシリアに行こうとして家を出ましたが、家族が当局に通報したため、ドイツで逮捕され、フランスに送還されました。6週間後、彼はまた家を出て、昨年5月、トルコで拘束されました。

フランスに送還され、再拘留されたケルミシュは、当局の監視の隙をついて、今度の事件を起こしました。彼の隣人は「私たちは彼がシリアに行きたがっているのを知っていた」と言い、彼は子供時代から問題児で、12歳のとき、“行動に問題”があって退学させられたそうです。

・・・せっかくトルコが捕まえてあげたのに。


   「ときどきダイアリー」ヘ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする