災害予防調査会(プラネット通信ブログ)自治州と環境と防災と新エネルギー

防災環境研究30年。危険な高層ビルや地下開発が進まないよう、防災環境基準作りと対策を州で行うよう訴えるブログを開設した。

水素燃料電池電車のアイデアをパーにされて、今頃バカがドイツを羨望の目で見る!こういうやつらが日本をパーにしてきた屑どもだ

2019-09-27 19:45:42 | 製造業ニューディール
冗談じゃないぞ!人まね馬鹿ども!水素燃料電池電車は2003年の私の経産省に提案した原発をストップする代わりに「水素社会に一気に転換するニューディール案」の一つだった。CO2を減らして原発は震度5で壊れるから「昭和37年生活白書」の石炭から石油電気エネルギーへの変化のように、「日本を世界で最初に水素社会にできるアイデアを提供する」と約束した、災害予防調査会の交通ニューディールのアイデアの一つだった。

それだけでなく、北朝鮮と東芝と一緒に製品化して核戦争を防ごうとしていたら、特許庁と経産省の東芝解体ファンド族とが謀略をした結果、特許庁が信用できなくて優先制度を使って特許申請しそこねたら、ちょうど6か月後申請期限日に「ドイツの水素燃料電池電車」ニュースが出たのである。こいつのようなバカは人まねしか理解できないのであろう。

2003年春、この時原発を東電が経産省と地震で壊れる前に止めた。ところが朝日ご推薦の原発爆発男!菅直人が自民党ベテラン大物議員と官僚局長以上とにおくってあったわたしの「震度5耐震原発の危険」プラネット通信1000部を無視して、小沢を一兵卒にして、すべておじゃんにした。

そのとき一番バカだったのが、共産党の幹部たちであった。せっかく事故もないのに止めた原発を、共産党は原発再稼働に利用する策謀に使われておじゃんにした。共産党は自分たちが原発を止めたわけでないのに、再稼働の一番の貢献者になった。

小泉が首相として、原発のパテントを買わされた謀略の、その結果停止していた原発が再稼働した。共産党は再稼働した原発爆発の一番の貢献者に小泉親子と菅枝野とともになったのである。共産党はいつの間にブルジョワジーになったのか?

自分たちは全く何も原発ストップに貢献せず、関係ないのに、「東電第一組合の和解」に使って、河村たかしが日本新党謀略で提唱した議員年金廃止前に幹部が一斉に引退した。

これでは自分の金で赤旗を周辺に広める部数購入して、無償で配達して、「赤旗配達が革命運動」と思ってきた誠実な末端活動家がいなくなるのは無理ない!

こういう堕落をしていたらすぐに、京都の周辺から議員が天皇制の宣伝マンになりそうである。治安維持法下、裁判を受けずに虐殺された、先輩方に顔向けできるか共産党幹部!

自動車の泳ぐ自動車と空飛ぶ自動車を2003年の東京都知事選と神奈川知事選で提案した内容について

2019-07-14 12:21:02 | 製造業ニューディール
7月27日、日付特許の為に明らかにしていくため、日付だけ前日のを更新したことを明らかにしておく。なぜならNHK特集の宣伝の前に気が付かなかった本日気が付いた昨年8月の記事が消えているからおかしいからである。

7月14日更新だが昨日、NHK特集で空飛ぶ自動車や泳ぐ自動車のことをやるという宣伝をしたので、私のずっと15年言ってきた内容について書いておいたが、NHK特集はベトナムからの労働者が自殺している話だったので修正。外国人労働者についての気の毒な状態については今後書くがとりあえず「NHK特集」タイトル削除し更新した。

以下の最初に書いた分記事そのままタイトル上記のように修正記事追加7月27日昨年8月の記事が消えているから厳密にわかるように。gooブログそのものがおかしいから記録消されている可能性があるからである。

津波が3,11で来る前に私だけが、電気自動車と水素燃料電池自動車いずれでも気密性を高めて水に浮いて電気でモーターを動かしてモーターボートになって陸にたどり着くことを考えてそう言ってきた。

さらに空飛ぶ自動車もである。いずれも災害と自然保護のために考えたことであって、列車がレールを離れて各車両ごとにバスになって道路を走ることも山田線の列車の津波でさらわれたことで私の正しさが証明された。

ところが最近NHKが放送するまで、山田線が津波でさらわれたことを内緒にしていた。
JRと三陸鉄道と山田線を分離してローカルを会社線にする陰謀も私の2003年の提案を妨害するためにやったことであったと思う。

さらに空飛ぶ自動車は、今言われているようなことならタケコプターのほうが実用性があるし空飛ぶ鳥人間のための服のほうがドローンを応用した空飛ぶ自動車よりエネルギーの無駄がなく効率的で実用性があるのではないか?とずっと経産省や各方面に伝えてきた。

2000年の建築基準法改悪に合わせて突然「道路公団民営化」といった時から95年に始まった謀略であった。インチキ耐震で金利唯で我々の年金と預金金利を奪って日本中を作り直す謀略を防いで「応答スペクトル耐震でない方法」で安全にする手段として「空飛ぶ自動車泳ぐ車」「道路を走る列車」を提案したのである。

今大慌てで書いておくのは、NHK特集で突然空飛ぶ自動車や泳ぐ船が実用化されると予告編を今したからである。私の特許シーズを奪ったことの損害賠償になるために一言だけ書いているのである。

95年から2000年までにインチキの橋と高架と地下鉄とトンネルと河岸改修をした高速道路と道路と鉄道の間の袴橋などを、98年と2000年に私がインチキ耐震であると証明したら、再度インチキの上乗せ「応答スペクトル耐震」工事をしようとしたので、さらに莫大な財投をはじめとする国民金融資産の金利を奪うことを防ぐためだった。

高速道路の改修ばかりしないで、自動車のほうが橋などは修理しなくても空を飛ぶ。道路の代わりに川の上を飛べば道路のインチキ改修を防げる。津波が来たら車が密閉した水が入らない構造で電気でモーターボートになる。超高層ビルが倒れたら空飛ぶ車が助けに行く。

マスクの提唱する無人電気自動車とかドローンをアマゾンやソフトバンクが中国のファーウエイと組んで5Gとかという話には反対である。無人自動車で荷物配送するために言っているようなことは考えていない。

そもそもドローンは軍事目的で作られた技術で会って、こんなものがそこらじゅうの空を飛んで私たちを狙ったらいちころである。だからドローンは規制するべきであってこれを空飛ぶ無人配送車にすることには大反対である。

年金行方不明解明を公職選挙法の文書違反でできなかった話

2013-06-13 23:46:29 | 製造業ニューディール
前々回の総選挙の時のこと、私は利上げをしてくれた自民党側に民主党が言っている「年金行方不明は菅と長妻の嘘だから選挙に不利にならないように証明してみせる」といった。民主党には「菅と長妻のいっている年金行方不明は嘘だから証明して菅を落とす」といった。
候補者を落とす目的で意見表明を文書ですると(文書には声は入らない)、選挙期間前でも、麻生首相が解散するといった時から事前運動とみなされるので表明できなかった。
今回はこの経験を生かして誰かを落としたり当選させるためでなく、石原都知事()現国会議員だから批判しても選挙違反ではない)がやったとの土木工事や国がやった工事でどう危険か・その財源として年金を誰が盗んでいるのかをこれからどんどん隠し、関東大震災の時の被害と比較して現在の状況を国民に警告する。

和歌山で8日地震が相次ぐー和歌山から四国へ行った時のアイデア

2013-06-09 01:46:30 | 製造業ニューディール

朝から連続して和歌山北部の地震のテロップが出て気になっている。前回の南海地震のときは尾鷲近くが一番揺れたはずである。だからインチキ耐震診断で殺人罪と過失致死で告発されてしかるべき阪神大震災調査団長・中教審学校耐震化特別委員長、2万人死んだ東日本大震災津波の避難所ビルを提案した、津波予知の今村と同等以上の悪魔学者岡田恒男が、最初の津波避難所ビルに中央防災会議で尾鷲を選んだと記憶している。

 今は不整脈がなくなったが、ブラックマンデー頃から父が亡くなる寸前まで一人でホテル泊まることが不安なほど、毎日不整脈が出ていた。92年南関東直下自地震最終答申以来、我が家の家族旅行は地震と水害被災地ばかりである。九州から北海道まで20年間、家族は私に付き合わされた。阪神大震災のときも具合が悪くて,被災直後ホテルを予約しても行くことが出来なかった。神戸に被災後おとづれたのは97年だった。名古屋から尾鷲周りで和歌山・大阪に出たときは夫を「世界遺産になった古道を見に行こう」と騙して被災地回りをした。尾鷲に行った時には、ちょうど私の前を歩いていたグループが避難訓練をしていたのか、一人が1948年の津波の経験を話しながら歩いていた。

 母と大阪の淀川の津波遡上の可能性がある住宅地を歩いた。大阪から和歌山に出て、母の和歌山の山奥の実家に行くのにつき会うことを条件に、和歌山から瀬戸内海の新産都市のコンビナートの状況を見てまわったこともある。和歌山から徳島にフェリーで出て高知まで母に付き合ってもらった。徳島と高知いずれも馬鹿みたいな「水辺のオアシス」河川改修が行われて港湾工事も進んでいた。これが全く津波を考慮しない「津波おいでおいで工事」だった。徳島は特に河口付近で水辺のオアシス工事を大々的にやるために徳島市長が建設省出身だったはずである。ロープウェーであがると徳島市内が一望できる。かってなら田んぼだったところが皆住宅地になってほとんど津波で水没するとおもった。高知市の場合は高知湾まで行ったが湾内がやっぱり津波おいでおいで工事だらけだった。特に湾をつなぐ橋が危険と思った。

和歌山市は鉄鋼の町だった。市内は寂れていて、県庁所在地なのにビデオフィルムが足りなくなって探そうとしても南海鉄道の和歌山駅周辺に電気屋が見つからなかった。シャッター街ばかりだった。JR和歌山駅まで行かなければならなかった。しかし徳島や高知に比べて和歌山市はちゃんと対策をすればいい街になると思った。高知も和歌山も都電の線路分道路に余裕がある。御三家の和歌山は今は過疎化していても道路が広い。海南市から母の実家(今はないが)に向かっていったときのことだ。以前は 鉄道があったがバスの代替もなくなって、朝夕の通勤通学時だけ町営のマイクロバスが走っていた。道路だけはどこもぴかぴかに新しいが、公共交通が壊滅だった。ここも直前に豪雨があって橋が流れてしまった後だった。神奈川のダム放流でキャンパーが亡くなった事件や先に書いた東海豪雨やこうした経験が、ダム放流と洪水との関係を考えさせられるきっかけとなったし、交通ニューディールのアイデアになった。

もし今和歌山市で直下地震があったら、東海南海地震になるのか四国の中央構造線の地震になるのか?特にコンビナート対策と河川改修や下水処理場と水辺のオアシス間違いについて是非見直すべきだが徳島の菅・仙谷の第十堰騒ぎの場所は行く時間もタクシー代もなかったが、河口堰ではなく相当上中流だという確認だけはした。津波対策の河口堰なら応援しようと思ったが川上ならタクシー代を使うのはもったいないとおもった。

今考えると、第十堰は1から9ままで別の堰て、私の堰の連続で津波を減衰する脱ダム津波対策と昔の人の考えが似ている可能性があると思う。が、今これを書きながら思いついたことなのでいつか調べて見ようと思う。当時の反対運動のニュースで津波対策について話題になっていなかったことは事実であった。なぜ今頃そう思うかといえば、東日本大震災で名取市の津波遡上と、仙台への津波遡上を防げた理由に私の脱ダム特許と同じような考えが使われていると、先日NHKの番組で気がついたからである。行ってみて、正宗が大津波を経験して工夫したことが理解できなくて、明治以降に近代河川工法で効果を失わせて特に新興住宅地を河口に作ったユリアゲ地区の壊滅地帯となった可能性があると思った。被災後だけで3回目、5月に行って初めて気がついたばかりである。 吉野川の第十堰の場合も、今の人たちはまったく堰の意味を理解しないで保存運動をしたり撤去計画したりした可能性があると思う。

私の脱ダム水力発電の特許要旨は2004年に書いて以後ずっと提出できないまま母が死んだばかりだ。まっとうな政権交代をして私が出て行くことを妨害し続けた菅を絶対に許さない。それにからの脱ダムが津波を考慮せず羽田さんに津波とダム崩壊対策でたのんで長野脱ダム騒動になったことは当時菅の一の子分枝野に当時伝えた。(次にその一部を採録する)にもかかわらず、民主党政権で前原が国土交通大臣として真っ先に得意になってやったのが「法の根拠が不明なダム建設工事一斉ストップ」だった。ダムが壊れるので巨大ダムを作ることは大反対である。しかし前原大臣が理論的に間違った脱ダムで一斉にダムを止める権限があるとは思えない。菅がやった「定期検査の後再稼動する原子力発電所から2011年3月23日から止めた」ことも全くつじつまの合わないことで超法規的に菅首相権限があるとは思えない。

危険だからというならGE型の震度5耐震原発をまず地震直後に各地で一斉に止めるべきだった。ところが菅がやったのは、自分が最高裁から違憲判決を受けないように混乱させるためだったと疑っても仕様がないやり方である。損害賠償が私たち東電の契約者の電気代から支払われる義務はない。原因者が払うべきだ。原子力安全委員会や原子力委員会と一緒に法に従って執行するのが行政権であって首相が何でも菅や小泉のようにやっていいなら法治国家ではない。委員会の言うとおりにやってなら各委員が責任を負って菅が損害賠償責任も刑事責任もないだろうが、超法規的にやった場合は、そうしないと多大な犠牲が出る根拠がいる。

農業用水を飲料水へ権利転換することは私の主張の一つだがそれで済むはなしではない。水利権はダム建設費を農家が何十年も負担して得ている権利であって、これを恒久的に譲渡してもらうなら利子を含め農家に対価を払うべきである。


元禄地震で松戸まで津波が来たことから考案した製造業ニューディール⑤脱ダム水力発電の概略

2013-06-03 15:14:55 | 製造業ニューディール

99年江戸川近くに引越して上流や下流にいろいろ歩いてみた、江戸川べりを千葉県側を上流に上って散歩したときのこと、松戸の矢切の渡し付近で小さな「元禄津波がここまで来た」という看板を見つけてものすごく驚いた。元禄地震が、富士山噴火やたった一日で日本中の太平洋岸がひっくり返った宝永東海南海地震と連動した関東大震災型の巨大地震であることを当時知っていたからである。91年頃亀有団地の建替えを調べるためにそこの図書館で亀有の過去の災害について調べた中に大変良い本を見つけた。 それが日本史小百科『災害』である。そこに元禄の関東大震災のことが出ていて、東海南海地震と富士山噴火や善光寺地震なども簡単に書いてあった。びっくりした。富士山は奈良時代以後噴火していない休火山のはずが江戸時代に噴火していたなんて!

しかし東京湾から松戸まで津波が押し寄せることには半信半疑だったので、江戸川や利根川の成り立ちを調べた。「つまり縄文海進以後の関東平野の川の変化と元禄地震を調べるために、千葉県の博物館に行ったり川の書籍をあさった。そのうち江戸川から荒川へ利根川へと、河口も上流へも散歩コースを広げた。上流は渡良瀬川から東京湾や銚子まで分けて水辺を電車や自転車やそしてあるいた。私は85年から87年ブラックマンデー頃にはななぜニューディールをしないのか疑問だったし、82年の段階で高齢者対策が公団団地で必要と考えた。これが高齢者のデイサービスセンターを付属した、太陽電池とバイオマスへのエネルギー転換をした公団団地建て替え案と公団建設に付属した60年代の学校建替え案である。

 都議選の後解散寸前だった旧民主党に電話して、政調に「金融ビックバンと介護保険はインチキだ。内緒で行われている阪神大震災対策をやめて、関東大震災対策のために即時政権交代」を97年の金融危機のときに働きかけた。その時「おじいさんがやった公団住宅の先進性を生かすニューディール」案を鳩山由紀夫&邦夫事務所にまず送ったところ、鳩山由紀夫事務所が野党をまとめてくれて今の民主党が出来たのだった。その前に「介護保険と金融ビックバンはインチキ」と最初は社民党に電話したらガチャンと電話をきったので、民主党に電話したのだった。先に書いたが社会党のもともとの本家といえる大内力東大教授グループや宮崎義一を生かさず、ウルトラ保守のマネタリズム政策を得意になって、棚ぼた村山内閣で行った社民党はよっぽどの馬鹿だ!民主党が解散必死だったので突然の匿名電話に耳を傾けてくれて当時は社会党らしいところが民主党にあった。今の純化した民主党はまさにウルトラ保守のマネタリズム政党であるから黒田や岩田一政支持である。

私のニューディール案はそもそも公団住宅の建て替えと南関東直下地震答申がきっかけだったので、ニューディール案の1、2、3はその時知った石油へのエネルギー転換と昭和37年国民生活白書を引用して「石油から太陽電池などの新エネルギーへの転換を一斉に行える方法を提供する」からといって、「阪神大震災の後内緒で改修したら逆に危険なシュラウドの亀裂と配管の水蒸気爆発を起こした震度5耐震の原発を止める」ことを2003年の経済産業局長と資源エネルギー庁の原発担当に働きかけて止めてもらったのである。

 もちろんマイクロ水力発電と交通ニューディールもそのころには考えていたので、2011年には津波が着たら船になる自動車も、地震や土砂崩れのときに電車が自動車になって道路を逃げていく提案は、原子力発電所を止める代わりのエネルギー政策として経済産業省の次期事務次官が経済産業省の主要政策としてやっていれ充分間に合ったはずである。だからエネルギー転換は経済産業省自動車課に最初に働きかけた。川を遡上する津波を脱ダム水力発電で減衰して津波の威力を減らす。おぼれる人は電車や車が浮けば助かる。これが私の元禄津波対策であり三陸津波対策であった。

その時につまり2003年2月小沢が(大宮副都心利権の埼玉県知事逮捕の後)対等合併を断っておいて、2003年通常国会中に当時の岡田幹事長事務所に不信任案採決を働きかけてた。菅は岡田幹事長が不信任案が出す決断をテレビで発表した直後に、(先に書いた野中氏ら自民党の造反グループと連携しないだけの為に)小沢を引き連れてテレビ局回りをして「小沢一郎は菅の一平卒だ」と自分から言って回ったのだった。小沢が菅の一平卒にならなければ、絶対に!東日本大震災で2万人ものたくさんの人が死ぬことはなかったと断言できる。私の電車と特に自動車の浮くアイデアは簡単に実現できたし、小沢に2000年に「岩手は8メートルの津波防波堤ではだめだ」と伝えてあったのを無視して、菅の嘘の口実ー「日本で初めての選挙による政権交代ごっこ」で2万人を犠牲にしたようなものである。だから小沢は自分の中選挙区時代の被災地に入ることが出来なかったのだろう!それを考えると羽田元首相のほうがオリンピック汚職疑惑が出てもどれだけ誠実だったかと思う。 

脱線したが、そういうわけで集集地震のダム崩壊対策と元禄津波対策とを一緒に考えたのが私の脱ダム水力発電である。2000年には東海豪雨が起きて、最初は名古屋のほうの事と思っていた。東海豪雨でポンプが止まって水があふれた川のそばに、母方のおばさんの一人が住んでいて体験談を聞いた。その後でほとんどニュースにならなかったが、東海豪雨で矢作川の上流の巨大ダムの水門を開けたので、父の生家で私が赤ちゃんの時住んでいた家が水没したことを知った。見に行った時には屋根まで水の跡がついていた。

私の脱ダム水力発電は父と母の知恵も入っているので3人の発明である。最初は発電まで考えていなかった。ダムが壊れて水が押し寄せてくることに対する対策であって、津波が押し寄せてくる対策で発電など電気の専門家でないのでそんな大それたことは最初は考えていなかった。発電とリンクして考えたのは、マイクロ水力発電機が2メートルぐらいの段差で発電できることを知ったからである。