日本国 村山首相(一部省略)
1995年 1月20日
神戸の地震対策についての提案(物資を被災地に送るより被災者を安全な避難場所に移す発想の転換を大至急してください)
現在被災後四日目(20日)ですがテレビや新聞の報道では17日は避難所で水も食料もなく、18日はおにぎりを分けて食べ、19日はようやくお弁当が配給されたところです。水道、ガス、水は今後も使えず避難所の近くでもまだ火災が発生し、ガス漏れの危険があり、しかもまだ余震が続き建物の崩壊が続いているわけです。避難所の中が使えず、屋外で生活しているわけです。しかもこの人たちは家族や財産を失った不幸な人々です。そこは避難場所として適当でしょうか。安全かつ生活できる食料があってこそ避難場所といえるのです。そこは離れ小島ではなく、歩いて2時間か3時間したら駅に着き、豊かな都市生活が営まれている阪神の大消費地です。避難場所を大至急ガス、水道、電気のついているところへ移すべきです。近所の小学校、中学校、高校、公民館、どこでも調理室があり、たくさんの食器があり、大きな鍋釜があります。一番不便で、危険なところから至急とりかかって、避難場所にいる人たちに受け入れ場所(の地図)と、電車などのフリーパス券を発行して、歩いて外にでてもらうのです。高齢者、病人は担架で運ぶか公共の車で外の受け入れ先へ運びます。そうすれば被災地の混雑はなくなり、救出作業、復旧作業、消火作業の車がつくし、飲料水に向けていた水は消火用に利用できます。被災者は暖かい食べ物と、余震や火事の不安から逃れれます。近所の銭湯でお風呂にも入れ、近所の人たちは命令しなくともきっと炊き出しに集まってくれるはずです。全国からの救援物資もインフラがないところでは生かせません。こちらに運ぶのです。自発的な市民を信じることです。また不便で危険な場所に新しくトイレやこんろを作っても正常な都市生活が送れるはずもなく、ごみ、汚物処理、すべてが無駄で非能率です。被災者のうち、中小企業等で仕事を失い健康な人は希望をとって、復旧作業に失業対策事業に準じた緊急の臨時雇用の公務員として採用することです。そうすれば救助復旧作業がはかどります。被災者の皆さんは無能力者ではありません。みんな判断力を持った市民です。万が一の事故に備え公務員身分の臨時雇用することで労災の補償が可能ですし、早朝金もカードも持たず逃げ出した人々に収入ができます。 々に収入ができます。
以上のことを、昨日は首相官邸、与党各党本部、兵庫県の地震対策本部、各テレビ局に電話しました。兵庫県では百万都市で被災者を外に出すのは不可能だと言われましたが、ほとんどの人は歩けるので不可能ではありません。できることから実行してください。さきがけと社会党、報道機関のうちいくつかはきいてくれましたが本日になっても、対策として具体化されませんので、もう一度はFAXを送るものです。零下になる屋外で、これ以上おにぎり1こ、弁当1食、パンで暮らすことは体力が続きません。避難場所で病気が蔓延し死者が続出する事が予想され、その責任を政府、県、神戸市の政治家、公務員が問われています。大至急実行してください。
1.24 日本国村山首相へ
特に考えていただきたいのは、被災規模が大きく、今までの地震災害の応急対策と同じマニュアルではかえって混乱が増すだけだということです。関東大震災や戦災の頃はどこもガス、水道、水洗便所だったわけではありません。余震が続く中、旧来型の復旧を急ぐことは安全ではありません。一度焼けたコンクリートなどは強度が弱くなっていて、今建っているものも、治せば使えるかどうかはわからないのです。ガス管の安全性も、建物が崩壊し続けているところでは保障できるわけがありません。ゴミも中都市一市分のゴミを毎日回収して焼却廃棄する施設が必要です。特にトイレは簡易トイレをいくつ増やしても、汚物処理できるわけではありません。神戸市はもともと避難場所を確保してませんでした。今やっていることは災害が起こってから避難場所を作っているようなものです。 さらに以前と同じ「復旧」は必要でしょうか。新しい21世紀の環境、防災、リサイクル型の町づくりを始めるべきです。まずは二次の避難先へ、病気、高齢、年少者と家を失った人を移すべきです。
NHK視聴者センター御中
95.1.31
連日NHK他各報道機関の地震についてのニュースや特別番組が続いております。ニュースやワイドショーは被災地の住民がどんなに困難を極めていても、けなげに耐えて希望を失わず前向きに生きているかを紹介し、行政も一生懸命に努力し、状況が改善されつつあるという内容であり、様々な報道特別番組は被災者の苦情にたいして神戸市長や兵庫県知事や大臣が(事前に作ってある官僚の資料で)答える、大学教授の○○が外国や以前の被災事例を解説して、外国に比べ日本の遅れている点を指摘するという旧来型の報道パターンで一致しています。1月29日朝の日曜討論では知事や大臣の答弁の度に、「チェ、何にもわかっていない」という被災者の方々のつぶやきが画面から伝わってきました。途中で席を立った人もいるではありませんか。
今回の地震でテレビを見ている国民が一番歯がゆいのは、「日本の政府や兵庫県、神戸市、自衛隊より手早く臨機応変に対応してくれる外国からの救援隊を断ったり、わざわざ来ていただきながら活動できなくしたのに、「人命救助」という震災後なによりも最優先されるべきだっった行方不明者の大捜索が、なぜ今頃一番後回しで行われているのか。」、「なぜ京阪神の大消費地の真ん中で、二週間も住む家がなく、氷点下の寒さに震えて弁当とごみの山と詰まったトイレと冷たい床と医薬品、検査機器ののない診療所と、風呂もない避難生活をつづけているのか」、「一年中で一番寒い時期がまだまだ続くのに、仮設住宅が建設されるまでずーと避難所生活をやめることが出来ないのか。」、「なぜ住宅地はつぶれたままで、流通の大動脈ということで道路はだけは真っ先に復旧したのか。」といったことです。
テレビに登場する学者には、こうした疑問に答えていただきたいし、暖かい安心な生活に今すぐ戻れるようにするにはどうすればいいかという具体的な提案を、中立公正な専門家の立場からしていただきたいのに、今回の地震は想定を超える震度だったので、神戸を教訓としてこれから建築基準法を変えるべきだとか、被害の規模や状況条件が全然違うアメリカの地震や奥尻、雲仙普賢岳の噴火の事例紹介ばかりしています。(精神科のカウンセラーが寒さと生活の不安にやくにたちますか?アメリカのような、州がそれぞれ法律と裁判と軍隊を持つ国では有事の大統領直轄機関が必要でしょうが、日本のような中央集権国家ではむしろ、全て霞ヶ関に相談しなければ自治体が動かない体制こそ変えるべきとおもいませんか。)
政治家と官僚と学者は建築基準改正前の建物の補強もしくは除去を街づくりの基本とせず、建設会社とともに埋め立て地や工場跡地を高層ビルの街にするばかりで、役に立たない防災マニュアルを作り、食料も水も医薬品もない避難所生活を強いた張本人でもあります。いままた明治以来の産学官合同の組織で復興計画をはじめてようとしていますが、災害の原因者が復興の主体でいいのでしょうか。いままでのように行政、学者、建設業者が街づくりを決めていいのでしょうか。街を作る主体はその街の住民であり市民です。さらに復興に国税が支出される範囲で国民全体がその監視者であってしかるべきです。現在国会では地震対策が討論されていますが、神戸市議会は開かれているのでしょうか。こういうときこそ市議会議員は市内を廻って市民の要求を聞き、被災者の救援と神戸市の復興計画を市民の代表である神戸市議会が決めるのが筋でしょう。住民の中から新しいリーダーがでて選挙で住民の意思を代表する人が街づくりの主体になり、住民参加の街づくりを今こそすべき時ではありませんか。民主主義の政治は行政主導ではなく、市民の代表としての議会が決めるものでしょう。市民の代弁機関としての報道機関、特に視聴者の受信料で維持しているNHKは第四の権力として今なにをなすべきでしょうか。行政と学識経験者にばかり見解を求める旧来の報道形式はやめ、市民からの提案をどしどし紹介してください。市民はただの受動的な被災者ではありません。皆さん役人より合理的な精神を持つ、自分で考え行動できる人々です。
大切なのは何カ月後に何万戸住宅が確保できるかでなく今すぐ被災者に暖かく安全な住居を、電気ガス水道医療設備のある場所に提供することです。私は何の肩書きもない一市民ですが 別紙は私が村山首相のホットラインに20日朝と24日にFAXしたものです。被災直後は水や食料がないことがまず報道されましたが、先週はトイレの確保、ごみ収集とインフルエンザの蔓延、医薬品の不足が順に問題になりました。現在の報道では住居の確保が被災者の一番の願いであり、失業問題と操業再開、街の復興がようやくクローズアップされてきましたが、私は19日の時点でこうした事態を予想しそのほとんどを指摘しています。(20日のFAX参照)復興のあり方については24日のFAXでふれています。もしこのとき住民を大規模に誘導して安全な2次避難所に避難させ、そこでボランティアを受け入れていたら、避難生活が全然違ったとおもいます。後半につけましたので是非読んでください。(フォーカスに私と同じ意見がでいてました。参考ください)
現在も30万人の被災者が家を持たないと言われています。まず周辺自治体に依頼して2次避難先を大規模に指定し人をインフラのあるところに出すべきだという基本は変わらないと思います。今は一年中で一番寒い大寒の真っ最中です。もし仮に仮設住宅や公営住宅に三日後に入れるとしても、三日間寒さに震えて弁当ばかり食べるのではなく一日でも、二日でも暖かい安心な場所でふつうの食事をとり、ゆったりお風呂に入り、家族部屋で寝ることが出来るようにするべきです。5月でしたらテント生活も数日でしたら楽しいものですが3月始めや11月末でも、寝袋を二重にしてセーターとズボン2枚でも寒くて眠れません。(テントより板の間のバンガローの方が寒いんです)ましてや被災者は親や子を失い、自らも負傷し、家も財産も職さえも失った人々です。どうして2週間も非人道的な境遇においておくのでしょうか。死者が益々増え、これは人災です。公民館市民センターには和室があります。学校を使うときも体育館でなく、児童の減少でどこの小中学校も空き教室があるはずです。そこを仕切ってカーペットを敷き家族ごとにプライバシーを確保できるようにするべきです。希望者には国が経費の一部を補助して各企業の健康保険組合、国民年金厚生年金の保養所、国家公務員、地方公務員保養施設、国民宿舎、民宿、シーズンオフの旅館業団体で受け入れ先を募り、交代でウィークデイだけでも食事は質素でも安価で宿泊を受け入れることなども検討したらいかがでしょうか。往復の交通費も補助を出すといいでしょう。避難所を維持するコストと比較検討の価値があります。カウンセラーより温泉の方が気が休まると思います。スキー場以外は春休み前までは結構空き室があるのではないでしょうか。
もう一つ提案したいのは失業対策ですが20日付けFAXのように、失業対策と救援復興を市民が自分の手で行うために、失対事業に準じた雇用の提案のほかにつけ加えたいのは、雇用保険制度と生活保護制度の活用です。雇用保険制度で炭坑離職者等に準じて、阪神大震災罹災者手帳を発行して、特定求職者給付金の対象にするといいと思います。中小零細企業雇用者で会社がなくなってしまった場合は、離職票も作ってもらえない可能性があります。職安職員による、出張相談を至急行ったらいかがでしょうか。三宮の飲食店街や長田区の零細企業では雇用保険未加入の労働者が多くいると想像されますが、現に加入していなくても実体として労働者であったなら賃金台帳等が焼けて証明もできない場合も2年間遡及しての雇用保険適用を柔軟に認める一部は労災補償の適用になるケースもあるかもしれません。、家内労働者、零細自営業で財産もなく、焼け出されて事業再開のめどがつかない人には生活保護で救済すべきです。生活保護なら生活費だけでなく家賃や医療費もつきます。福祉事務所の窓口に自分で申請することになっていますがやはり出張相談をして、本当に困っている人はどんどん措置してあげていただきたいと思います。
特別立法や赤字国債の発行、復興庁を新たにつくらなくても、現行の法律を生かして、公務員が申請を待つのでなく、被災者の方に出かけていって相談に乗り、適用可能な法制度を柔軟に適用して救済する姿勢があれば、処理できることがたくさんあると思います。ただ応用が利かないだけです。
災害救助法や生活保護法は地方自治体の負担があるので、今回のように直下型で被害が一地域に集中している場合は国が負担すべきです。そうすれば移転した住民に対し、移転先自治体が避難所茶生活保護措置、社会福祉施設入居を認めやすくなるでしょう。新しく法律を作るといっても、法案を作り衆議院参議院を通過し、施行令施行規則を定め、地方自治体に法を周知させる時間の余裕はどこにありますか。いま一刻も早い具体的な援助、同情や自己満足でない実効性があって継続性があって現行法制度にそって責任ある対応が行政に要求できる方法を紹介することが報道機関の義務ではないでしょうか。
以上ずいぶん長く書きました。20日付FAX、24日付FAX,この文章の全体でわたくしのていあんです。復興計画については別の提案がありますがここでは書きません。番組に反映されることをお願いします。
この不幸は日本が市民社会になる契機を与えてくれるかもしれません。いま報道機関は西欧市民社会のジャーナリズムの役割を求められています。がんばってください。
黒田日銀総裁になってから毎度のことだが、デフォルトの危機にアメリカドルが高くなって各国通貨に対して円安となった。解決したら円高になって逆である。毎回おかしな動きをするときは3連休前であることと、その後に逆になる
本題である、「伊豆大島の水害の生き埋めになっている人たちをどうしたら助けられるか?」であるが、テレビを見ていて驚いたのは、生き埋めになっている場所に自衛隊員や消防の人たちがまばらにいる風景だった。
阪神大震災のとき、重機は震度5耐震の証拠隠しに建物を壊すことに使われて、生き埋めの人を助ける意識は無かったといってもいい。阪神大震災で建物の圧死者が多かったのは、人命救助が最優先されなかったからだと思う。
昨日午前あるところにお願いして大島の人たちを救助に生かせるように、災害時の緊急雇用対策制度を生かすように働きかけたが、逆に大島のケースで消防自衛隊警察だけが固定してしまったように思う。
そこで別の角度から依頼し、ブログを昨日書くことにしていた。が情報を間違えてはいけないので、本日朝からニュースやワイドショーで再度状況を確認してから、阪神大震災のときの提案で、東日本大震災で生かされたことについて、各省庁の担当に現行制度でも実行可能か確認をして今ブログを書いている。
「何でもボランティアでなく、仕事として賃金を払って、事故の場合の補償体制を作れ」
伊豆大島の水害土砂崩れで、「生き埋めで行方不明で救助を待っている人が40人以上」と知ったのは夜だった。翌日は、朝から状況をテレビで見て、自衛隊と消防と警察以外の人が生き埋めの人を助けにいっていないように思えて驚いた。
東日本大震災では、自衛隊が人命救助の主体だったが、阪神大震災では自衛隊は村山内閣が災害派遣することをためらって午後から本格的に救助を始めた。消防の手は足りなかった。したがって生き埋め者の救助は身内や近所の人たちや通りがかりの人たちが自主的にやったケースが一番多かった。
私が2000年に羽田さんたちに手紙を送って「東海南海地震や三陸津波や富士山噴火の可能性を指摘」した時、「羽田総理大臣だったら地震直後に自衛隊を動かして死者は半分だったかもしれない」と手紙に書いた後、中央防災会議を含め、ともかく自衛隊に変わったように思う。私はそれがいいとは思わないが!
その典型が東日本大震災での救助である。羽田側近の防衛庁長官が初動からなんでも自衛隊にやらせたが、着替えの配給まで自衛隊がやることではなかった。一方で他の民主党の大臣や副大臣や政務官は、役人を信用しないで、複雑なこともボランティアで何でもやることにしてしまった。
東日本大震災の時しばらくして、原発の爆発の危機が納まった頃、「阪神大震災のときの失敗を生かすように」と、「プラネット通信」FAXとして、いつものように国会議員や省庁や在京マスコミに送った。(その後は、電話番号が書き換えられるなどの妨害が行われたので、FAXをやめてブログした
政権を担当していた「新」民主党は、もともとは私の提案で野党がまとまって出来たので、働きかけると早速いくつかは実行された。まず学校や公共施設が全壊して水浸しなので、避難所の変わりに保養所や旅館を安く利用できるようにすることが実行された。日帰りで温泉のお風呂にいけることも、04年中越地震で同じように村山内閣むけFAXを送った長岡小千谷などでバスを使って実行されていたが、東日本大震災でも被災地の人に解放された。
しかし一番やってほしかったことは、ボランティア任せを、被災者が自分で賃金を得て復旧対策をすることだった。、民主党政府や厚生労働省に、「失対事業などの法律を生かせばやれるだろう」と働きかけた。
もちろん当時の厚生労働大臣小宮山事務所にも、福島原発の労働者の放射能汚染対策と同時にこの件も働きかけた。平野復興大臣や被災地の民主党議員にも働きかけて、おそばせながらボランティアではなく、被災地の自治体が緊急雇用対策として瓦礫処理や復旧作業を被災地の人たちが労働者として行うことになった。
なぜ労働者として復旧作業を行うことが望ましいか?当然収入が得られることが一番である。そのほかの隠れた一番の利点は、万が一事故があった場合の補償である。ボランティア保険では全面的に補償されないが、労災なら補償押されることがたくさんある。
私は30年前、社会保険労務になったばかりの頃、こういって社会保険・雇用保険加入を勧めたものだ。最も労災保険は労災事故があれば、未加入でも職権で適用されるが。
「仕事の場合は労災は「たった一日仕事をする契約で出勤途中に交通事故になっても支払われる。②国民年金の傷害年金は1級と2級だけでひとりで生活できない場合に支払われる。厚生年金は何とか生活は出来ても働くことに支障がある3級まででる。ところが労災は、仕事中は仕事を命令する雇い主に無過失責任があるので、故意で労災になって金をもらおうという悪徳者でなければ14級の障害まで補償される。休業補償もぜんぜん違う。」
東京新聞の10月18日付トップの見出しは「27時間の救出作業実らず 76歳助成力尽きる」であった。最初から顔が出ていても、助け上げるまでに27時間かかった、テレビで救出するところが各局で流れたが、足に絡まった瓦礫を取り除いて土中から引き上げた時には死亡していたことについて、火山土壌が特殊であることや絡まった木や瓦礫を取り除く困難さを原因としていた。
しかし島で農業をしていたり土木工事をして慣れている人たちならこれほどの時間がかかったであろうか?二次災害の危険があるから、消防と警察と自衛隊だけで行方不明者の捜索をしているのだろうが、万が一の補償がしっかりしていれば、島の人たちと救援チームを組むことができるともう。そうすればスムーズに動ける。
私は10年前頃、婦人消防団の訓練で80年代にそろえた備品のままで木を切ったり鉄筋を切ったりする訓練を経験して、消防の使っている器具が旧式で使いにくいから、今の新製品ならはるかに切れやすくて軽くて使いやすいから、備蓄倉庫や消防士の備品を新しいものに替えよ!」と中央防災会議などに文句を言ったことがある。テレビの映像の範囲では、消防士が使っている電動のこぎりでは、なるほど効率が悪くて、木が切れないはずである。
なぜ救助が遅れているかについて、「重機が使えない、土砂が特殊である」というなら、、島の特殊な地質を耕したり土木工事をしている人たちが、土砂の取り除きをするほうが効率がいいはずである。土を掘り起こすコツは島の人たちのほうがどれだけわかっているか!
声をかければ、土砂崩れの現場で、志願して土砂を取り除く仕事をして、生き埋めになっている身内や知り合いを助けようという大島の人たちが 、たくさんいると思う。なぜならどこでも島では最近まで遠い東京都から派遣される消防など船が着くのを待っておれないから、なんでも島の自治で決めて、解決していたに違いないからである。
この前の1985年伊豆大島の噴火の時も、全島避難を外部から命令されたのではなく、島民が噴火の様子から、自分たちで話し合って決めたと、NHKが報道したはずである。そのあとの 2000年の三宅島の噴火の時は、中央防災会議が何でも取り仕切る事が始まった直後だったので、石原知事のリーダーシップで全島避難が行われた。
しかし島の人たちが他の地域より自治意識や自分たちで問題解決する危害が残っていると私は思う。助け合い精神も島のほうがはるかに強いと思う。だから消防と自衛隊だけで救援するのを見ているだけでは歯がゆいのではないか?
幾ら雨量が多いからといってなぜこれほどの被害が起きたのか?は、テレビでの学者の解説が正しいとは思わない。04年ごろから私が指摘し続けているように、道路の下から土砂崩れしている典型例だと思う。道路の崩れを防ぐために、道路に側溝を整備しての下に配管を通して排水することが原因と思う。そのことは今度書く。
むしろ住民が最初言っていた「台風の風や噴火は心配でも水害はなかった」というのが島の人たちの本音ではないか?なぜ突然これほどの水害土砂崩れが発生したか?テレビでの学者の解説では「硬い溶岩の上から何層にも噴火で出来た軽い溶岩の層が重なっていて水をしみこむ。今回はそれ以上の雨が(1時間122ミリ?どうやって量った?)降ったので表層の部分にしみこんだ雨が硬い溶岩との間で潤滑油のように滑ったという。
それは事実だろうが、水はけがいいはずの土地でなぜ元町では前日から側溝が噴出していたか!全国同じ下水管工事が原因である。これも2003年ごろから一貫して指摘してきたことである。
自衛隊や消防の人たちも、万が一の補償があって一緒に手伝ってくれるなら、島の人たちが一緒にチームを組んだほうが、救助がはかどると思うのではないか?
次のブログは18年前に書いた村山内閣とNHKへのFAXと手紙である。