《公開記事だが若者らのみ対象記事である》
本日もまた色々と苦しめられる時間が、ずいぶんと長かった。
つまり、、逆に言えば、、撤収準備に使える時間は嫌と言う程にあったはず。
午後十時頃から、、「一種強烈的な」電磁波が始まった。
いよいよ撤収が始まるのか、、と私ですら思った。
ところが、、ここから一時間半。
午後十一時半になるが、、特に出入りはない。
それでいて、私の受けている苦しみは一種強烈的なものなのだ。
また始まったのであろうか??
「(苦しみのあまり歩き回る私を見て、)ほら!菅原の馬鹿がまたウロ
ウロしている。菅原が危険だから、俺ら撤収はできないんじゃね?」
また撤収を延期するのだろう?
もしくは、、連絡人の処へと行くのだろう?
そう言う幼稚園児みたいなことを、、これから先も延々と続けて行くのだろう?
君達がどうしても撤収をしたくない、と言うのは私もよく解っているつもり。
だから、どれだけ君達に要望を出しただろうか? 「これだけは止めて貰いたい。そうすれば騒動が起こることを私も絶対にしないから。」
この妖怪夫婦が私のことを二人で担当し始めてから半年も経たない翌年一月位から、どれだけ夫婦を私は説得したであろうか?
「このままで行くととんでもないことになるから、お互い穏便にや
る気はないのかい? 母への殺しなどだけは絶対に止めて貰いたい
んだ。。」
一日十時間以上もかけて説得する日など幾らでもあった。
丁寧に・・ 謙虚に・・ 時に面白おかしく・・ 私も必死だった。
しかし、、夫婦も 新司令も 君達若者も ひたすらに私を無視した。
ひたすらに老母と私を極限まで殴りつけ続けた。
「喋り妨害? これは何??」
朝から晩まで舌も口内も唇も麻痺させられ、、おまけに人格も全くの別物にされ、、 話すのに甚だ困難を伴う様になった。
母と日常のつまらない茶飲み話しをする時でさえ、まるでスポーツでもしているかの様に疲れる日々ではあった。
── 君達は穏便の道、私との話し合いを「徹底的に」拒絶をした。
こういうことを毎日毎日、、 数年間も続けて来て、、
「俺たちさぁ、、やっぱここにいたいんだよね? いいだろう??」