一太郎ファイルの復刻である。砂小屋書房の連載コラムで佐藤弓生さんが角田純さんの歌を取りあげていた。それで、私も「未来」に載せた書評の文章を引っ張り出してみることにした。雑誌の文章では、行数の関係から削ってしまった部分も今回は加えた。
われはまた地を這ふ翼
歌集巻頭の一連に「挫折」というタイトルをつけて冒頭にこの一語を置き、そこから第一歌集の作品を始めようとする。そこには十分に世代的な含みがあるだろう。そしてこれは、巻末の岡井隆の解説によれば五十代だという作者の、その後の情念の歴史と生の軌跡を暗示するものでもあるだろう。
あざけりと怯えた鳥のさへづりと ひき毟られて鏡の前へ 17
めざむれば渇くのみどよ薄れゆくゆめの葉群に昭和の鉄路 18
一首めの「鏡」は、自意識の喩と言っていいと思う。「あざけり」は、外からも自分自身の内側からもやって来る。ひき毟られる存在としての自らに、作者はここで白々とした光を当ててみせる。これは伊藤一彦の『瞑鳥記』の一首「ひかるまひるの」への遠い返歌と言ってよいかもしれない。二首めの鉄路の「夢」は、六十年代末から七十年代はじめにかけての時期に学生だった人たちにとっては、自明であったもの、変革への熱い願いを指す。
「夜ガ明ケタラ」と歌ひし浅川マキ、夜は明けざれば鉄路しろがね 22
火炎瓶触れあふ音のいとほしも夜は明けざれば我らさまよふ 23
集のはじめにこういう私語りにつながる歌が多く出て来る。これは、歌集を読む際の手がかりを示すものとして引いておいた。鉄路の歌の後には、道の辺に棄てられている屍をうたった歌があるが、それも世代的な共通の経験を示しているのにちがいない。二首めの歌の結句は、歴史的現在であって、「さまよひし」ということを、こう言ったのである。夢の中では、昨日が今のこととなる。
かぜに晒すよごれた朝のわたくしのさびしき一樹たちて黙せり 79
がいねんの乱れの果ての倦怠かな天つみそらの雲のゆきかひ
ゆめひとつ置き去りにして飯を食むいつまで喘ぐいつまた戦ぐ
右のような歌を、むろん個人史の中での歌として読んでもいいのだが、世代的に負った主題の微かな残響を感じ取りながら読んだ方が、歌の読みとしては深みが増すだろうと思う。
角田さんの歌には、岡井隆の影響が濃厚である。岡井隆の『神の仕事場』の不安に満ちた心象風景と角田さんの歌に出てくる象徴的な風景とは、響き合うものがある。おそらくは戦後詩も相当に読みこなしている作者であり、かなりの文学的な履歴の持ち主であることは、まちがいない。そういう人が岡井隆の歌に出会って、突然化学変化を起こすように自分のこれまでの芸術的、言語的な経験の蓄積を短歌型式によって統合し、自己の感性を再編成しようとしたのが、この歌集である。角田さんは、岡井隆の文体を十分に咀嚼した上で、自分の歌を歌っている。それもきわめて独自なかたちで自分の歌を歌い得ていると思う。
角田さんは、愛媛県は松山の人である。作品集の後半には、何と同郷の歌友の渡辺光一郎と取り交わした往復歌が五首ずつのっている。その詞書きから、現在の角田さんが船舶の修理などの仕事に従事しているらしいことがわかる。また、この一章が呼び込んでいる生き生きとした現実の手触りが悪くない。詞書きのある連作はどれも高水準であり、たとえば舟越桂展に取材して、舟越作品のタイトルが詞書としてつけられている歌には、最高の詩的な感興があふれている。
届かなかった言葉の数(1991)
言の葉にふかき祈りを刻みをりアンソニー・カロの鋼の庭に 135
このほかに、死者たち〈ジャコメッティ頌〉という一連から。
空あをく眸くらきゆゑ〈太古の〉寂しき園にさそはれしかな
いにしへの蜜たくはへし木の実かな林檎は酸ゆき磁場を持ちゐて
われはまた地を這ふ翼
歌集巻頭の一連に「挫折」というタイトルをつけて冒頭にこの一語を置き、そこから第一歌集の作品を始めようとする。そこには十分に世代的な含みがあるだろう。そしてこれは、巻末の岡井隆の解説によれば五十代だという作者の、その後の情念の歴史と生の軌跡を暗示するものでもあるだろう。
あざけりと怯えた鳥のさへづりと ひき毟られて鏡の前へ 17
めざむれば渇くのみどよ薄れゆくゆめの葉群に昭和の鉄路 18
一首めの「鏡」は、自意識の喩と言っていいと思う。「あざけり」は、外からも自分自身の内側からもやって来る。ひき毟られる存在としての自らに、作者はここで白々とした光を当ててみせる。これは伊藤一彦の『瞑鳥記』の一首「ひかるまひるの」への遠い返歌と言ってよいかもしれない。二首めの鉄路の「夢」は、六十年代末から七十年代はじめにかけての時期に学生だった人たちにとっては、自明であったもの、変革への熱い願いを指す。
「夜ガ明ケタラ」と歌ひし浅川マキ、夜は明けざれば鉄路しろがね 22
火炎瓶触れあふ音のいとほしも夜は明けざれば我らさまよふ 23
集のはじめにこういう私語りにつながる歌が多く出て来る。これは、歌集を読む際の手がかりを示すものとして引いておいた。鉄路の歌の後には、道の辺に棄てられている屍をうたった歌があるが、それも世代的な共通の経験を示しているのにちがいない。二首めの歌の結句は、歴史的現在であって、「さまよひし」ということを、こう言ったのである。夢の中では、昨日が今のこととなる。
かぜに晒すよごれた朝のわたくしのさびしき一樹たちて黙せり 79
がいねんの乱れの果ての倦怠かな天つみそらの雲のゆきかひ
ゆめひとつ置き去りにして飯を食むいつまで喘ぐいつまた戦ぐ
右のような歌を、むろん個人史の中での歌として読んでもいいのだが、世代的に負った主題の微かな残響を感じ取りながら読んだ方が、歌の読みとしては深みが増すだろうと思う。
角田さんの歌には、岡井隆の影響が濃厚である。岡井隆の『神の仕事場』の不安に満ちた心象風景と角田さんの歌に出てくる象徴的な風景とは、響き合うものがある。おそらくは戦後詩も相当に読みこなしている作者であり、かなりの文学的な履歴の持ち主であることは、まちがいない。そういう人が岡井隆の歌に出会って、突然化学変化を起こすように自分のこれまでの芸術的、言語的な経験の蓄積を短歌型式によって統合し、自己の感性を再編成しようとしたのが、この歌集である。角田さんは、岡井隆の文体を十分に咀嚼した上で、自分の歌を歌っている。それもきわめて独自なかたちで自分の歌を歌い得ていると思う。
角田さんは、愛媛県は松山の人である。作品集の後半には、何と同郷の歌友の渡辺光一郎と取り交わした往復歌が五首ずつのっている。その詞書きから、現在の角田さんが船舶の修理などの仕事に従事しているらしいことがわかる。また、この一章が呼び込んでいる生き生きとした現実の手触りが悪くない。詞書きのある連作はどれも高水準であり、たとえば舟越桂展に取材して、舟越作品のタイトルが詞書としてつけられている歌には、最高の詩的な感興があふれている。
届かなかった言葉の数(1991)
言の葉にふかき祈りを刻みをりアンソニー・カロの鋼の庭に 135
このほかに、死者たち〈ジャコメッティ頌〉という一連から。
空あをく眸くらきゆゑ〈太古の〉寂しき園にさそはれしかな
いにしへの蜜たくはへし木の実かな林檎は酸ゆき磁場を持ちゐて