さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

雑読記

2024年12月22日 | 
 「文學界」の新年号のはじめの方から、吉本ばななと市川沙央の短篇をご機嫌な気持ちで読む。二人とも読者のメンタルを台無しにするような書き物は避けてくれているようで、ここしばらく、なかなか風邪が治らない状態の私としては助かった。吉本さんの小説を読むのは久しぶりだが、文章が熟成された印象を受ける。市川さんも快調で、この小説に出てくる主人公の女の子がとっても素敵で、うきうきしながら文字をたどる。

 円城塔の『コード・ブッダ』は、新聞で広告をみたあと近隣の本屋に行ってみたものの、店頭になかったので、そのうち出てくるだろうと気長に待って、一か月もたってようやく手に入れた。第二刷である。私は通販で新刊本を取り寄せるようなことはしない。白と黒のカバーのかかった固いかんじの本の造りが、中身に合っている。家に帰ってすぐに半分ほど読んでしまって、いったいどういうふうに終わるのだろうと、心配になった。それで別の本を読んでいた。

 斉藤環の『イルカと否定神学』は、タイトルだけでこちらの心を鷲掴みという感じの本で、私はラカンなんてわからかん、と、とっくに諦めていいたのだけれども、この本に述べられているラカンの言葉の意味はわかる。河合隼雄の箱庭療法についての本が私は好きだけれども、無理に作為をもって事に当たらないという方法には、共通する点があると思う。もっとも大きく沈黙を取り込んでいる河合の行き方と、対話を基本とする斎藤とでは治療にあたっての言語に関するメソッドが最初から異なっているわけなのだろうが。

 いま足もとからぼろぼろのコピー用紙が出てきて、それは高田宏臣『土中環境 忘れられた共生のまなざし』(建築資料研究所刊)という本の表紙のコピーである。五年ほど前に東京農大志望の学生を指導していた際に手にした本で、この本は、全国の田畑や河川改修の際の基本的な参考書とされるべきものだと私は信じている。
 昨日本屋に行ったら光文社の古典新訳文庫でダーウィンの『ミミズの研究』が出ていた。これは平凡社の本が手に入りにくくなっていたので、快挙と言ってよいだろう。全国の理科の先生はぜひこの本を生徒たちにすすめてほしいと思う。
 
 ここまで書いて思い出した。そろそろ霜が下りる時期なので、このあと玄関のサボテンを屋内に入れることにしよう。
 


 

 
 

 


 




諸書雑記

2024年09月10日 | 
 以前書いた前文を削除しました。以下は諸書雑記。

〇 水上勉『足もとと提灯 歩いてきた道』昭和59年、集英社文庫

「若い人びとは、いま、幼稚園の数ほどもある大学へはいりたがる。」207ページ。

「華燭は一日にして消ゆるなれど、心灯は消えざるなり。」214ページ。

ふたつ、まったく相矛盾する事象にふれた小文から引いた。

〇 宮崎市定『東風西雅抄』岩波現代文庫、2001年刊

・ 人間は古代へ行くほど荒っぽかった。剣道やフェンシングは死ぬまで敲きあい、突きあいしたのであろう。相撲やレスリングは相手の骨を折り、時には投げ殺しても構わなかった。時代が進むにつれて、真剣勝負から競技にかわり、色々な規則を設けて、生命身体の危険を避けながら、勝負を決めるようになった。   91ページ

・ 欧米近世の繁栄は奴隷制度の上に立てられたものである。所謂産業革命が起り機械が十分にその威力を発揮するに至る迄、機械に代って動力を提供したのは奴隷であった。
 この奴隷制度は近世初頭より三百年に亘って継続し、十九世紀に入って表面上変形して苦力制度となり更に約百年の後に消滅するのであるが、この苦力貿易に終止符を打たせたものは明治初年日本政府が大英断を以て世界の目の前で行って見せた正義の為の奮闘の賜ものに外ならなかった。    110ページ
 
 この宮崎市定の大江卓についての文章など、将来書かれるだろう歴史小説に生かしてもらいたいと私は思うものだ。

〇 井本農一『俳句風土記 名句の跡をたずねて』昭和三十八年、社会思想社刊
 
 芭蕉門下の句を中心とした紀行文集なのだけれども、モノクロの写真がどれも昭和二、三十年代のもので、道が舗装されていないところに着目する。
  
 千々の秋二上山の前うしろ

 二上や二日の月の尖る山

 最初が北枝、そのあとが無外。今月の角川「俳句」は鷹羽狩行の追悼特集で思わず買ってしまったのだが、こういう句を何となく読みくらべてみると、江戸と現代と互角なところが、そらおそろしい。あとは本書の井本農一の選の仕方も、なかなかよくて、凡庸の人が芭蕉の句だけを引いてとろとろ書いているのとは比較にならない。

〇 けふの空にも龍のすがたの雲がゆく変幻自在は老いを誘ふ  一ノ関忠人
『さねさし曇天』2024年、砂子屋書房刊

厚木海老名座間の市民の誇るべきものは何か。たしかに相模の自慢は、相模川とその上に広がる青空と大山だ。

〇 伊東孝『東京再発見 土木遺跡は語る』岩波新書、1993年刊

 東京の川にかかる橋の写真と図面。永代橋(117ページ)。にしても、この写真の通りに目にする読者はほとんどいないわけで、観光地などでカメラを手にうろうろしている私の同年代の人々を見ていると、こういう本を種にしてみたらよろしいのではないかと勧めてみたい。

〇 窪田般彌訳、ジュール・ルナール『にんじん』昭和四十五年二十一刷、新潮文庫刊

 たぶん自分が中学生の頃に買った本と同じ時期の本なので、ぼろぼろで紙が茶色く酸化している。カバーは門田ヒロ嗣で、あらためて見るとなかなかよい。文章も、ストーリーはどうでもよくて、描写の断片に目をとめてみると、滋味がある。   

 ――先生、と、にんじんはじつに大胆に、堂々という。室監とマルソオの二人は、変なことをしてるんです!   111ページ

 つまり、あの時は、中学生の頃は、何も読めていなかったということである! それにしても、この本は三、四十年前、学校の定番の推薦図書だったのだ。

身めぐりの本 つづき

2023年10月29日 | 
 先週は、金曜の夜に藤沢のオーパの地下食品売り場に入ったら、最近この店では有線で八十年代のヒット曲がかかっており、ここは店内の音響設備がなかなか良くて、この日は竹内まりやの「シングル・アゲイン」の四連打音にしびれた。なんかヤバイっていうやつ。帰って家のスピーカーにアイフォンをつなげて聞いてみたが、同じ感動は得られなかった。

 それで土、日は、図書館で借りた本が見当たらないので、身辺を探しているうちに積んであったものがまとめてくずれてしまったので、片付けと掃除をかねて整理しているうちに、空いた時間がどんどんなくなっていってしまったので、結局、外出する予定を一つ取り消した。どうにか探し物は見つかったので、それを今日の午後図書館に返しに行ったついでに、森類の『森家の人びと』(1998年三一書房刊)を見つけた。手に取ってめくってみると、熊谷守一の名前が目に飛び込んできたので、迷わず借りて帰った。『蒼蠅』という美術出版の求龍堂で出した熊谷についての本は見たことがあるが、森類の地の文があると、これはまた違った味わいがある。夕方にかけてそこだけ先に読んだが、二章しかないのがまことに残念。老翁の語りを眼前に見るかのような、文豪の息の名に恥じない行き届いた文章である。エピソードなどはだいたい『蒼蠅』で知っているようなことが書いてあるのだが、熊谷の瞳の表情についての描写が生き生きとしている。

「…廊下に膝を衝いてお辞宜をすると、写真の平面的な熊谷さんが、俄にむくむくつと立体的に浮き上つて、こつちを注視された。白髪の髪、口髭、顎髭に覆はれた老人の顔の中から、純真な、人懐かしさうな、二つの優しい目がほゝゑみかけてゐた。それは大人の目としては初めて見る美しさであつた。」96ページ

 ついでに思いだしたので書いておくと、『蒼蠅』のなかで、熊谷が樺太に行ったときにお前はアイヌだと言って、言葉は通じないが完全に仲間あつかいされて歓迎されたという話が印象的で、さもありなん、という気がする。
     ※     ※
 このところ寝床の横に置いてあって少しずつ読んでいるのが庄野潤三の『文学交友録』(新潮文庫 平成十一年刊)で、斜め読みするには惜しい本だから、急いで読まずにちびちびとめくっているのである。前半は学生時代の先生の思い出や、戦時中の島尾敏雄らとの文学的交友と、師事した詩人の伊東静雄の姿を三十年ほど経て回想した書き物となっており、出征前後の身辺のあわただしい光景の描写には、なかなか胸に迫るものがある。安岡章太郎の学生時代ものの作品とも共通する、青春の時間を戦争によって強制終了させられた世代の花火のような短い人生の大切な時間についての思い出が点描されている。昭和十八、九年というのは、あの島尾敏雄が志願して海軍に入るような時代だったのだということが、改めて思われた。島尾とはお互いに持っている佐藤春夫の本を見せて自慢し合った仲だという。筆者は幸いに出征前に書いた処女作に近い書きものを佐藤春夫に見てもらえた。後年、先生が亡くなったあとで奥さんからいただいたという半切に書かれてあった句をここに引く。

  紅梅や花の姉とも申さばや   佐藤春夫
  
  ※     ※
 整理している本の山の中から岩波文庫の西脇順三郎の詩集が出てきた。これも、二行だけ引いてみよう。

  あけびの実は汝の霊魂の如く
  夏中ぶらさがつてゐる    「旅人」

 久しぶりに拡げてみて、このぶっきらぼうな口調がこちらにぼいと届けられた気がしたので書いておく。

  ※     ※
 整理中に目に付いた本の名を書く。
・ビートたけし『やっぱ志ん生だな!』(フィルムアート社 2018年)
・茂山千之丞『狂言役者―ひねくれ半代記』(岩波新書 1987年12月刊)

 ちなみに、文科省の一単位あたり36週の規定を厳守しろという指示を杓子定規に受け取って、教育委員会が現場に過剰な授業時間確保を強制し、結果として夏休みが短くなり、行事整理という名目で、能や狂言や落語を中高生のうちに見せる芸術鑑賞会が、多くの県立高校で廃止の流れに向かってしまったのは、まことに残念なことだった。あとは合唱祭も淘汰されたところが多かった。何年もたってから文科省はこの規定の運用を弾力的に、と言ったというのを新聞で見たが後の祭りで、一度廃止になった行事はなかなか復活できるものではない。そのうちAIが大方のところをやってくれるようになるだろう英会話に時間を割くより、日本の伝統芸能についての勉強に時間を割いた方が、よほど未来の日本のためになると、私は思うのだけれど。

 アンテナ情報をふたつ。「情報」の科目の共通テスト導入の余波は、今年の一年生の上位校を目ざす生徒たちの部活動加入率の減少という結果となって表れている。また、「現代の国語」2単位、「言語文化」2単位という科目二分割は、「古典」の実力低下というかたちですでに現場では危機感をもって語られている。

 

身めぐりの本

2023年10月25日 | 
 このブログも更新が滞ってから久しい。ひとつは戦争のせいである。ふやけたことを書く気持が完全に失せた。ところが、最近もうひとつの戦争が始まってしまった。もう、どうにもならない。何でもいいから、なにか書けばいいのかもしれない。
  
・『高啓』(昭和三十七年 岩波書店刊)
 元朝末期から明朝初期にかけての詩人だが、私には、その感覚はほぼ現代人と等しい気がする。今後も歴史の危機のなかで蘇る詩人の一人だろう。この詩人の詩想は、語彙の選択も含めて、本朝の昭和「アララギ」に近いところがある。歌人では、土岐善麿が一書をものし
た。

・「西瓜」第八号 四月号より
 作者が誰なのかわからないが、批評をこころみることにする。

 捨てるように後ろの席にプリントを手渡すやつが優しいわけあるか
                         バックヤード
 下手な歌だけれども、この人には調べがある。

・朝の汀を犬とともに散歩する朝影の膜に覆われながら
                         黒塚多聞
 自分の一回性を他者に向けてひらいてゆく力が、この人にはあるかもしれない。

・旋律はそこにはなくてドドドドドッと弾丸は降る花に街に人に
                         山川仁帆
 ガザの戦争が始まってしまったいま、何とも喫緊の感じがする作品。

・寒くない雪につつまれ温かく私は山をいつまでものぼる 長田尚子
 この人の歌の母音のあたたかさは、得難い魅力だ。

・ほのぐらき八手の玉よ水びたしのこころにひらくみづいろの傘
                         小野りす
 いずれ大成する作者でしょう。などと、自分の口がこわいけれど。

・私たちの間に二世紀挟まってさわりあえないおあいこ、またね
                         瀬生ゆう子
 どれもよくわかる。戦後日本は、指導者と国民との間で生活実感が共有できていた。現在は知らない。
 ここまで書いたところで、以下は無聊中に目に入った歌。

・ありうべき光をさがす放課後のあなたはたぶん詩の書架にいる  塩見佯

 正統派でやっていける筆力。ただし、初句の強さが作り物に見える。下句も、そういう目で見るとやや力み過ぎか。と言うより、一、二句は自分のことでなくて、「あなた」のことなわけか。だとしたら直球すぎるというか、文語なら「さがす」が「む」を使ってやわらかくできるのだけれども、口語だと直接に下の句にかかってしまって「ありうべき光をさがすあなた」が詩の書架の前にいるって、なんか当り前なストーリーになってしまってつまらない。

 ここで読むのをやめる。どれも上手だけれども、だんだん生の必然性のようなものがとぼしい気がしてきた。以下の作者の皆さまへ。すみません、眠くなったので。と、言いつつ、キイを打ち続けることにする。というのは、別に嫌味ではないので一応ほめて書いているつもりなのですが…。

・柴田典昭『半日の暇』
 冬ごもり春さりくればにこやかにしまらく見ざる老女あらはる
  挨拶の代はりにわが家の飼ひ猫の所在を知らせ媼去りゆく

 何か、老いたる天使という感じを受けるのは、どうしてだろう。

  くの一を演ずる二十歳の身のこなし迷ひのなきをうるはしみたり

 何とも切ないエロスの感じられる歌。いいなあ、と思って読んだ。

・「西瓜」第七号 
これ、すばらしい。以上。

・寺山修司『毛皮のマリー 血は立ったまま眠っている』(角川文庫 平成二十二年改版再版発行)
・辻まこと『画文集 山の声』(昭和四十六年 東京新聞刊)
 いまや消滅した世界についての証言という気がする。
・渡辺保『歌舞伎のことば』(2004年 大修館書店刊)
 学生のみなさんは、語学留学の前にお読みになったらいかがでしょう。
・中井久夫『清陰星雨』(2002年 みすず書房刊)
 「えんえんと質問するやつは日本にも外国にもいる。」
 「私は病院を訪問して『患者の顔色が悪い』と、他の何がよくても眉に唾をつける。」
・ニーチェ『善悪の彼岸』(1978年第9刷)

 ここでまた寝てしまったようだ。
16日の原稿を25日の今日にひらいてみたら、上のような書き物だった。

津野海太郎『かれが最後に書いた本』

2023年05月20日 | 
昨日今日と津野海太郎の『かれが最後に書いた本』(2022年3月新潮社刊)を読んでいた。

思い出すと佐藤信演出の「ブランキ殺し上海の春」を学生の頃に黒テントで見た。大学を卒業してからは斎藤晴彦が本多劇場でやった「セロ弾きのゴーシュ」を見に行ったり、時々自動公演の舞台も何度か見に行ったりしたから、黒テント系のものは私の趣味に合っていた。空き缶で楽器を自作したり、古いオルガンを舞台に持ち込んだりする時々自動の音楽の使い方はいまでも恋しい。あまり熱心に公演を見に行ったりしなかったが、黒テント系のあの軽演劇ふうの諧謔味が何とも言えず好きだった。斎藤晴彦がベートーヴェンの田園交響曲の有名な主題に勝手な歌詞をくっつけて歌ってみせるゴーシュの演技とか、思い出すとうれしくてうれしくて、自分までいっしょにやってみたいような気がする。そういうお芝居の細部の場面についての記述は、津野海太郎さんの本にはあまり出て来ない。絵や音楽の具体的な内容もあまり話題にしない。そういう意味では自分の専門と得意分野に限った書き物と思う。その道のエキスパートに囲まれていると、自分の専門でないことにはおいそれと口を出さないようになるのかもしれない。また、そういう細部に立ち入ろうとすると、とても書ききれないということになるのかもしれない。それにしても、全篇ほぼ追悼文のような内容の本でありながら暗くならない。つい先ごろまでともに活動していた友人たちが、次々と消えて行く。それを見送りながら、著者は残された友人知人の本を読んで書く。読んでは書き、それからまた新たな死者を見送ることの繰り返し。読みながら、こちらもともに茫然とする。

おしまいの方に映画好きとして生きて来た著者のこれまでに見たベスト・テンを選んでみようとする章がある。それを読んでみて映画好きでもなんでもない私との映画に接する態度のあまりの違いに驚いた。

 ※     ※ 
話はかわって、私が自分の思い出に残る映画をあげるとしたら何があるだろうと思って、昼間から発泡酒を飲みながら手元の紙切れに書きだしてみた。そうすると、半分以上が十代に見たものであった。

「禁じられた遊び」(テレビで家族でみた)、「タクシー・ドライバー」(大学の授業をさぼって池袋の文芸座でみた)、「ダーティー・ハリー」(「ダーティー・ハリー2」を中学生の時に初めて映画館で見たが、続編より本編の方がこわい)、「田園に死す」(美術部の同級生にすすめられて高校二年の時に銀座の並木座でみたような)、「暗殺の森」(初期のベルトリッチ、テレビでやっているのを断続的に何度か見た)、「惑星ソラリス」(これはタルコフスキーの名作)、「ザ・メキシカン」(いつだったか飛行機の中ではじめてみた)、「コルチャック先生」(岩波ホールでだった)。
映画ではないが、家族で見たNHK大河ドラマ「天と地と」、NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」、母といっしょに見た民放の昼の連続ドラマ「喜びも悲しみも幾歳月」など。

こうしてみると、いわゆる名画があまり入っていない。昼のドラマのタイトルはまったく記憶にないが、熱心に見ていた。テレビで放映される映画はまめにチェックしていて見た。映画でもテレビで一度見たままタイトルがわからないものがあって、それが案外強く記憶に残っている。たとえば、調べればわかるのだろうが、ただちに思い出すものとして一つはポール・ニューマンが脱獄して長いカーチェイスをするやつ。あの男前の男優が女に顔をなぐられる場面が印象的。もう一つは、アフリカの農場主の主人公役のジャンポールベルモンドが女を追ううちに罪を犯して山中に逃避行を強いられることになって終る映画。こういう映画への嗜好には、私の性格の被虐的な側面が出ているのかもしれないと、いま思った。考えてみると先にあげた「ザ・メキシカン」の怒り狂うジュリア・ロバーツとボケ役のブラッド・ピットのばかばかしい演技が好きでビデオまで買ってしまった覚えがある。

そういえば岩波現代短歌辞典の「広場」の項目に私が引いた岡井隆の歌は、女性にきびしく追いすがられる場面を詠んだものだった。岡井さんにしてみれば、苦い引用歌だったろう。なんだか思いかえすと申し訳ないが、それが気になるというところに私の女性に対するある気分の持ちようが出ているようだ。別にもてたわけではないのにね。現実の私はそういう局面では、脱兎のごとくにありたいと思いつつ、うーむと下を俯いていることが多かった。そろそろ地雷を踏みそうなところに近づいているようなので、やめにしよう。

諸書雑記 星野源から宗左近まで

2023年01月29日 | 
諸書雑記

 今日は久しぶりにブックオフに寄ったので、購入した書名をならべてみよう。すべて二百円棚にあったものである。

 いま読了したのが星野源『甦る変態』(2014年5月刊初版)で、この人のアダルト・ビデオに対するリスペクトの言葉がすばらしい。もしまちがって出演して自殺を考えているような女性がおられたら、星野さんの曲を聴き、この本を読んで思いとどまってほしい。アダルトはまちがいなく星野さんの創作の栄養の一部だということである。

 このほかに著者は、かなり無理して自分の「ヘンタイ」を演出している気配がなきにしもあらずなのだけれども、このヘンタイというのは、繊細なアーティストの自意識を包むための一種のオブラートなのだろうと思われて、世の中は不正直な人間にあふれているから星野さんぐらいに正直だとつらかろうと思い当り、それやこれやの思いが湧いてきて、この文章を書き始めたのだった。以下はそのほかの廉価購入書。今日は芸能棚に集中した。

戸田奈津子『スクリーンの向こう側』(2006年、WOWOW発行、共同通信社発売)
水野学『グッドデザインカンパニーの仕事』(2008年12月第二刷、誠文堂新光社)
星野源『働く男』(2013年1月第3刷、マガジンハウス社)
マキタスポーツ『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』(2014年、扶桑社刊)
久世光彦『みんな夢の中』(一九九七年十一月第一刷、文藝春秋社刊)
壇蜜『どうしよう』(2016年、マガジンハウス刊)
青柳いづみ子『翼のはえた指 評伝安川加壽子』(2000年第6刷、白水社刊)

 一昨日読んだのは、深田祐介『歩調取れ、前へ』(二〇〇七年、小学館刊)で、これは戦前から戦後に及ぶ著者の少年時代に取材した自伝的・回想的な小説である。戦時中箱根に居た千人近いドイツ軍の兵隊たちの話や、キリスト教会の話、B29の海坊主のような怪異なデザインに対する恐怖など、新たに得られた知見が多かった。また、戦後のダンス・ブームの記述が川口美根子さんの歌の内容を裏書きしていて参考になった。翌日この本の話を神奈川西部地方の事情に詳しい人にしたら、その駐日ドイツ人との間に産まれた子供が「あいのこ」なんて言われて、戦後の進駐軍のアメリカ軍人のとの間に産まれたものと混同され、へんに差別されてしまうような時代があったということだ。

 深田祐介の本に触発されるような感じで手に取ったのが、昨晩読んでいた中村稔の『私の昭和史』(二〇〇四年十一月第四刷、青土社刊)である。父親がゾルゲ事件の判事だったという詩人の自伝で、父親はゾルゲを尊敬していたという。そのことはおくとして、古賀照一(宗左近)の『詩(うた)のささげもの』から引用された五月二十五日夜の四谷左門町一帯の空襲の体験を記した一節が哀切極まる。 ※ 以下の引用文の振り仮名は(括弧)に入れて示した。

 五月二十五日夜、四谷左門町一帯がアメリカ軍の空襲によって火の海になりました。母とともに逃げまどいました。脱出は不可能です。真福寺の墓地のなかに立ちすくみました。火がつかないのに、卒塔婆がいっせいに炎えあがるのです。最後です。十名ほどの少女たちの群れが泣き声をあげていました。「オ父(トウ)サン、コワイヨー」、「オ母(カア)さん、助ケテ」。わたしは立ちすくみました。癪です。この世にさよならする詩をせめて一行、生み出してやるぞ、一枚の灰になってしまったっていいのだぞ。考えました。でも、何も出てこない。ああ。やっと‥‥

  現(うつつ)よ、透明(あかる)い わたしの塋(はか)よ

 だが、これは、六ヶ月ほど前にノートに書きつけた一行にすぎないのでした。
そして一時間後、火の海から走り出たのは、わたし一人でした。」

 宗左近は二十余年後の昭和四十二(一九六七)年に『炎える母』という詩集を出した。私はそれを読んだことがないので、いずれ読んでみようと思う。それにしても、この泣いていたという少女たちのことが、無性に悲しい。

 東京空襲の犠牲者たちの多くが、銃後の女性たちや疎開していなかった幼少の子供たち、そして高齢者などの弱者だった。アメリカ軍のB29は、逃げられないように街全体を火の柱で取り囲み、そこに焼夷弾を計画的にばらまく絨毯爆撃を行って、市民を虐殺したのである。東京空襲を語り伝えることに尽力した早乙女勝元さんは、昨年5月10日に90歳で亡くなられた。私は中学生の時に岩波新書の『東京大空襲』を読んだことがある。





諸書雑記ほか

2023年01月15日 | 
『「利他」とは何か』(集英社新書2022年6月第一四刷)より

 「見る」の古語「見ゆ」は、肉眼で何かを目撃することだけでなく、不可視なものを感じるという意味があります。そして「観る」という言葉は、人生観、世界観という表現にも用いられるように、目に映らない価値が観えてくることを意味します。「直観」とは、単に瞬間的に何かを認識することだけでなく、その認識が持続的に深まっていくことも指す言葉なのです。     若松英輔「美と奉仕と利他」


 この文章は柳宗悦についての文章から引いた。典型的には小林秀雄と斎藤茂吉の実践態度・生き方に集約的に表現されているような、日本文化の持っている独自の「もの」に就いた、また「もの」に即した精神性というものにこの解説は触れている。ここに引用した「直観」についての言葉は、日本の芸術をとらえるうえでの勘所なのだ。

 戦後の進歩主義、それから反体制文化が、まとめて時の彼方に押しやられようとしている今この時代に、近代のなかの「非」近代を通して「超」近代を目指す、という筋道をつけることが、今後の見込みのある方向性の一つとして考えられる。また、近代を超克するために「前」近代を梃子とするという、従前の「反」近代の実践の多くも、その意味がわからなくされていっていると思う。だから、それらのやむにやまれぬ模索の持っていた意味を、批判的に継承し、また語り伝えることも、同時に必要になっているのではないか、と私は思う。何十年も同じようなことを堂々巡りで考えて来て、文学作品も「観る」ことができれば、と思ったりするこの頃の自分ではあるのだけれども。こう書いてしまうと、それはだいぶ「小林教」に染まっているように見えるのが片腹痛い、と言うか、何と説明していいのかわからない。

 ※ 以前ここに入管法をめぐる自民党に対する批判的な記事を書いたのだが、最後の法案調整を蹴った立憲民主党のやり方も肯定できないので、この記事はいったん消してあった。が、この記事の前半は、再読してみて目下の私の関心にかかわりがあるので、再度訂正してあげることにした。

諸書雑記

2022年11月27日 | 
 写真家の齋藤陽道の文章を筑摩の国語教科書の見本で読む。帰宅途中で出会った道に迷っているらしい視覚障害者の老人を聴覚障害者である筆者が道案内しようとして苦心する、という内容の文章である。記述は丁寧かつ繊細で、現代日本の書き言葉として完成された文体のひとつだろう。こういうものは「無私」でないと書けない。つまり、自分を相手に認めさせようとか、ほめられたいとか、そういう気持が強くては書けない性質のものだ。

 ブログのアクセス数とか、「いいね」の数とか、フォロワーの数とか、そういう自己宣伝や自意識と他人からのフィードバックの対応関係が、自動的に釣り合うように設計された情報環境のシステムをまるで空気のように自然なものとして受け止める状態に慣れきってしまった感性があり、一方で斎藤のような無私の精神を表現する文体がそういうシステムと特に衝突もしないかたちで成立しているらしいことの不思議さを思いつつ、自分を「〇〇として認めさせたい」ということに骨を折って来た私自身の過去に改めて反省が及ぶのは、なかなか無慚なことではある。

 以下も雑談だが、数か月前に梅原龍三郎の回想談を読んで、それからこの二、三日、成田重郎訳のヴォラアル著『ルノワル』を読んでいる。ヴォラアルは戦争でパリから避難しようとしている時に、後に積んでおいたマイヨールの彫像が運転手が急ブレーキを踏んだはずみに倒れてきて頭に当たって死んだという。この本は戦前に東京堂から出た本で、私の持っているものには里見勝蔵の蔵書票が付いている。表紙裏にトンボがとんでいる手書きの絵が貼られていて、さっと筆でなすってあるだけなのに、その青灰色を塗り残した背景の余白がいかにも水の反射しているように見える。本をめくると、絵のタイトルに鉛筆で印がついている。何度も利用した本らしく、背表紙は傾いている。そこでのルノアールの談話は、ユーモアに富んだ精彩のあるもので、読んでいると随所に画家の哄笑が響いている。蔵書票だけ外して小額にでも入れようかと思っていたのだが、読んでいるうちに画家のこの本への愛情が感じられてきて、それはやめることにした。

 さらに昨日めくったのは、堀口大學の『水かがみ』である。病気がちの青年時代を回想した「わが半生の記」がおもしろかった。それと日本に来たジャン・コクトーを案内した時の文章もいいと思って読んだ。大學の訳したコクトーの詩は、私にはよくわからないところがたくさんある。特に同性愛や娼婦にかかわるような詞章は、読みにくい。当時は常識としてわかっただろう仄めかしが、今は相当に伝わりにくくなっている。わざわざ隠してあるものを解説するのは野暮かもしれないが、わからないのだから仕方がない。川柳のように誰か解説の労をとってくれないだろうかと思うものだ。

 「私は思うのである。歴史の中に女の分け前を相当に分ち与えることによって、初めてわれらは、人類の過去の事蹟に対してもっと人間的な、もっと第一義的な親しさを感じ得るにいたるのではあるまいか。」 
 
 「ボルシェヴィズムは驚嘆すべきイズムである。見給え、彼は世界の穀倉ロシアに饑えを与えた。」
                           
「驪人漫語」より堀口大學

平岡直子川柳句集 『Ladies and』

2022年08月25日 | 
 頭がかたくなった時に読むのには、やはり詩歌がいちばんで、この本なども、できれば一人でなくて、誰かといっしょに「これは、どう思う?」とか、「私はこれね」などとやり取りしながら、「これ、どういう意味?」。こうなんじゃない、なんて、ソファーにすわって、目の前には碁盤か将棋盤があって、そんなに真剣でもなく、相手の次の手を待ちながら本をやりとりしている。というような感じで読みたい本ではある。チェスの方がいいか。

 回文をつなげていけば江戸時代   平岡直子

これを見たとたんに、うん、いいンでないの、とうれしくなってしまった。確かにそんな感じがする。こうしないと、江戸時代につながらないンだな。納得させられる言葉のフットワークである。

 夜を捨てるペットボトル集まれ光れ

これは、「夜に捨てられる」のでなくて、逆に「夜」をペットボトルたちが、主体的に捨てているのである。「夜」を捨てて、光りつつ集合しているかがやくペットボトルたち。そんなふうな彫刻的光景が思い浮かぶ。しかし、私の頭の中にはなぜか夜の海が思い浮かぶ。漂流しているペットボトルがおのずから集まってかがやいている。月光に照らされて。‥‥というのは、平凡なのだ。やはりおのずから奇跡の発光をなしとげているペットボトルでなくてはならない。

 償いのような長さのパスワード

 これは、わかりいい方だろう。そのパスワードを設定したのは自分だから、それを打たなくてはならない局面で過去の自分に舌打ちしたくなる。

 ライオンを常温保存する危険

何となく言い当てている感じがある。「ライオン」も「熊」も常温だと危険だけれども、危険を意識して接していれば共存できる。それで、危険な目に合っているひとほど、こういう句に接した瞬間に笑うだろう。

お節料理に地下牢がある

重箱を重ねてある高級な感じのするおせちかもしれないが、一番下を開けてみたら、その下に地下牢があった、という目くるめくワールド。

 ウエディングドレスのなかの含み損

これは、かなりきついブラックユーモアを感じさせられる句である。「含み損」はそれを着ているひとの肉体も含めて、ということになると、笑えないし、そもそも何が何の「含み損」なんだろう。結婚が、それとも結婚式が。それから「損」をしているのは、ドレスを着ている人、着せた人、着せられた人のうちの誰なのか。それにドレスのなかは、見えないものであるわけだから、その見えない何かを想像して、でもその見えない何かは「含み損」のようなものなのである、という、むずかしいなあ。よくわからないけど、笑ってしまう。

 性交の株価で言えば売るあたり

これも類句と言ってよいかもしれない。ちとお下品ではあるけれど、売り払ってしまって、せいせいしたい!のかな。こんなに値下がりしてるの、いらねぇよ。みたいな。

いい水は人が飛び込んだら消える

これは最初ちらっと見た時に、「いい人は水にとびこんだら消える」だとおもった。そのあと、すぐ読み直して誤解に気づいたけれども。水泳競技を見ているのかもしれない。それとも風呂場?もう少し高踏的な形而上の句として扱った方がよいのか。

星条旗専用空気清浄機

書き写してみて「せいじょうき」の駄洒落に気がついた。でも、アメリカ文化と国家の本質をつかまえた句のような気がしないでもない。日本に来て、秋の虫がうるさいと言って殺虫剤をまいていたドイツ人の話を何かの本で読んだのを思い出したが、アメリカ人にも多少そういうところがある。私が以前住んでいた近所には夏になっても蝉が鳴かない林があった。この「空気清浄」というのは、だからどうしても比喩として読めてしまう。そういう社会性は、作者はなるたけ排除している気配があるけれども、私はどうしても実社会に生きる感じに回収できる糸が一本ついている方が好きなんだな。

右胸のあなたが放火したあたり

一年とはロックスターが12人

この二句は同じページに並んでいる。一句目は川柳のスタンダードという気がするけれど、やはり親しみやすい好句で、二句目も一般読者に好評だろう。こういう句ばかり作っていてもおもしろくないから、前衛的な句づくりに向うわけだけれども、

こおろぎを支配しすべて裏返す

はじめこれはわからん、と思ったのだが、章題が「幼稚園」なので、もしかしたら、子供が「こおろぎ」の入った箱を引っくり返しているのかな、とも考えられる。でも、

Googleはとてもかしこい幼稚園

というのが同じ章の後に出て来るから、「こおろぎ」をどう読むか。相場?日本国民?グローバル世界?それとも自らのうちなる愚鈍さ?

諸書雑記 8月12日

2022年08月12日 | 
 やっと夏休みである。
 
〇先週から芳賀徹の『文明としての徳川日本』を愉しみながら読んでいる。著者も楽しみながらつづっている。自分の審美的体験のおさらいのような内容なのだが、あらためて江戸時代の代表的な芸術・古典の持つ滋味を思わせられる。つながりのあるところでは、新潮社の「波」の八月号をみると、落語や浮世絵を取りあげた連載があって、江戸時代との文化の連続性を意識した編集なのかもしれない。

〇この休みのために買っておいた「群像」9月号を取り出して、町田康の小説を久しぶりに読む。それから松浦寿輝の小説を読み始めて、よみおわるのが惜しくなって、読みさしてこのブログの文章を書き始めた。

 そのむかし、思潮社刊の白い松浦寿輝詩集の「封筒、水漏れ」なんていうことばの響きが好きだった。ふうとう、みずもれ、この四音、四音の心地よさ。私は渋沢孝輔の詩が高校時代から好きだったが、どうも即興的に音数律のうえで定型的な響きをつくりだす詩が好きなのである。私がどちらかというと短歌プロパーなのは、音から詩に入っているせいだろう。ちなみに松浦のこの最新小説には、シェークスピアの詩の訳がある。岡井隆に『夢と同じもの』というタイトルの歌集があるが、そのタイトルのもとになったシェークスピアの詩だ。一部を引く。

雲を頂く塔も、豪奢な宮殿も、
荘厳な寺院も、巨大な地球そのものも、さよう、
地上に受け継がれてきた何もかもが、いずれは消滅し去り、
今この場に薄れつつある実体のない見世物さながら、
後には何の痕跡も残しません。われわれは
夢と同じ材料でできていて、われわれのささやかな生は
眠りで包まれているのです。     松浦訳

この文章は14日に書き加えているのだが、お盆にぴったりな気もする。

〇横尾清志『日本語を鍛えるための論理思考トレーニング』(2007年 ベレ出版)という本を版元に問い合わせたら品切れということだった。帯文に「これまでの学校教育における国語教育のなかでは文学的なものがその主流となっており、「議論」や「論証」といった実際の社会生活において求められる論理性といった視点から国語を訓練するような場が設けられてこなかった。」とある。

ここで著者が言っていることは別にまちがっていない。けれども、極限まで小学校での「国語」の時間数を削ってしまって、その上で「論理」といっても砂上に楼閣を築こうとするようなものである。いまは高校で「論理国語」なんていう科目が新設される時代だが、そもそも「論理」が可能になるには、その前提として、さまざまな文脈を持つ日本語の文章をたくさん読むという経験の蓄積が大切である。ここに気になる報道がある。

最新のニュースによると、小学校では「ごんぎつね」さえも文章の中身を読み取れないという子供がふえているそうだ。文章の細かい内容の「読み取り」は、一定の文章を読む訓練を積み重ねているから可能になるのであって、昨今のように映像を先に見てしまうと、絵本に見向きもしなくなる子供がいるのである。そういう子供は漫画も読めないということで、これまで世間の大人が常識としてとらえてきた子供の言語、文章(文脈)理解力の発達というものについてのイメージが根本的に揺らいでいる。

文章を一文一文読み取ることを重視する教科研の国語指導方式を何十年も文科省は敵視して来て、「文章の丁寧な読み取りに偏してはならない」と学習指導要領に書き込むぐらいだったが、ここに来て、ユーチューブ全盛時代のなかで事態は予想もつかないところにまで進展してしまっているということができる。「英語」や「情報」に圧されて「国語」の時間を最小限にまで削ってしまった結果がこれである。「ごんぎつね」のラストの兵十の言葉の意味、「ごん、おまえだったのか」という言葉にこめられた兵十の感情が理解できないというのは、悲劇としか言いようがない。

これは参考までに書いておくが、先日子育てをしている私の同僚と話していたら、子供にユーチューブを見せてしまったら、夢中になって、もっとみせろ、もっと見せろ、と要求する。それでグズらないのはいいいけれども、今は絵本なんか見向きもしない、どうも失敗した、と言っていた。

保育や幼児教育の現場では、安易に映像に流れることなく、絵や簡単なひらがなの喚起するイメージを大切にして、読み聞かせによる集中力、傾聴力の育成につめとてほしいものである。

〇「方代研究」71号をめくる。阿木津英の文章に引かれた一首、

  力には力をもちてというような正しいことは通じないのよ  『迦葉』

ウクライナでの戦争を思いつつこの歌に言及する筆者の平衡感覚を私はいいと思う。