高島裕さんがやっている雑誌の「黒日傘」7号には、堂園昌彦さんの最新作がのっている。この一連はかなりブッキッシュなのだけれども、堂園さんとしては自然体なのだろう。読者はせまくなるけれども、私はそれでいいと思う。それで、以前私が堂園さんや、今度新しい歌集『山椒魚が飛んだ日』を出した光森祐樹さんらの歌について書いた文章があるのを思い出した。2014年7月の文章で、某短歌評論賞に応募したのだが、送ったのが遅くて、どうも締め切りを過ぎて届いたらしい。あとからの字句の訂正はないまま、ここに載せる。光森さんの部分は、切り取って再利用したので、見たことがある人はいるかもしれない。
あらかじめ他者である「私」の歌について さいかち真
いま詠まれている歌の中から「私」のありようを見いだしてゆく、そのほかにどのような「私」についての表現もありはしないのだと思い定めて、この稿を起こすことにする。
「短歌研究」の6月号をめくる。山崎聡子の一連に新風を感じた。
ぶらさげるほかない腕をぶらさげて湯気立つような商店街ゆく 山崎聡子
花柄の服の模様が燃え出してわたしを焦がす夏盛りあり
独自の文体を獲得している。暑い夏のある日、私という存在(肉体)が、流動する現在(いま)のただなかで息づくようすを、ことばによってつかんでみせる。「ぶらさげるほかない腕をぶらさげて」という句は、この季節の空気と、そこに流れる軽い鬱情にも似た気分をうまくすくいとっている。二首目をみると、作者には確かなデッサン力も備わっていることがわかる。この一連を見ているうちに、最近登場した若手歌人の多くが、一種の存在論的な歌の作者であることに気づいた。
頼りない形をしてたこともあるあなたの匂いの濃い両腕よ 山崎聡子
遮断機の向こうに立って生きてない人の顔して笑ってみせて
「あなた」と呼ばれる恋人らしい人は、そこにいるのか、いないのか。私は、とうに別れた相手の姿を想像のなかでもとめているのにすぎないのか。いま私は確かな「あなたの匂いの濃い」胸に抱きしめられているはずなのに、続く一首は、その安心感をすぐにうち消してしまう。それでなければ「生きてない人の顔して」ということばは、出て来そうもない。私の「あなた」への感情は両義的で、二重化しているように描かれている。私と「あなた」との関係は、さびしげに、突き放されたような描き方をされている。それは、自分自身に対しても同様である。
玄関チャイムくすんだ音を響かせてわたしの声を隠してしまう 山崎聡子
ここには、「わたしの声」が、不確かな現在のたゆたいの中にしか存在しないということを、痛いほど敏感に感受する作者の姿がある。歌は、読者がわかるかわからないかのすれすれのところで、かろうじて理解の届く範囲に踏みとどまっている。この一連は相聞的な気配を持ちつつ後半には祖母についての歌が差しはさまれ、謎めいた次の歌で結ばれる。
木目の模様があなたの顔に見える梁 忘れてしまう二人して見る 山崎聡子
一連の最後の歌は、マックス・エルンストのコラージュ作品の言語版のようなところがある。一首一首の歌の作り方、それから一連の構成の仕方もコラージュ的と言えるだろう。
次に少し前の本になるが、堂園昌彦のような現在の若手のやや抽象的な歌が認知されるきっかけのひとつとなった歌集だから、光森裕樹の『鈴を産むひばり』(二〇一〇年八月刊)をあらためて読んでみたい。言うまでもなく、この歌集が出されたのは東日本大震災よりも前である。東日本大震災は、内側に向きかけていた歌人たちの目を否応なく外へ、社会的な現実の方へと引き戻した。けれども、一定の必然性のある表現の流れというものは、そう簡単に折れたり曲がったりするものではないのである。
ほほゑみを示す顔文字とどきゐつ鼻のあたりで改行されて 光森裕樹
遅れるといふ人を待つ駅前に手話でなされる喧嘩みてゐつ
地歌と言っていいような歌を引いた。歌のきっかけはちょっとした偶然であり、それをそのまま定着している。この事実をことばに置き換える仕方のなかに歌の命がある。「ほほえみ」の顔文字は、変換の途中でノイズにさらされてしまっている。その一方で「手話でなされる喧嘩」には、ノイズの入り込む余地がなさそうだ。同時に手話でなされる喧嘩は、ひどく閉じられたコミュニケーションであるという気がする。見ている者を拒絶している。顔文字に起きた変更は、われわれの現実、常に思うままにならない現実を、一片の瑣事の提出をもって表現している。作者の興味がどこにあるかは、この二首にはっきりと示されている。メッセージが相手に届く瞬間、それから言葉が理解へと届く瞬間への注視ということである。
ふゆあかねさす紫水晶ひとことをいへぬがためにわれら饒舌 光森裕樹
月夜、アラビア文字のサイトにたどりつくごとく出遭ひてまた遭はざり
見えるかとゆく船をさす老人のふし多き杖なほ定まらず
※一首め、「紫水晶」に「アメジスト」と振り仮名
これらの歌に言われていることは、伝達と関係の確立の困難、ということである。でも、それだけではない。次のような救いのある歌もある。
まむかへばいづみにふれるここちして告げるすべてが嘘にならない 光森裕樹
オリオンを繋げてみせる指先のくるしきまでに親友なりき
青年の日はながくしてただつよくつよく噛むためだけのくちびる
同性なのか、異性なのかははっきりしないが、まるで相聞歌のような友情の歌である。そして一連のおしまいに置かれた「青年の日」の歌は、充分に過去の短歌作品を意識した一首であろう。こうして下読みをしておいてから、あらためて作者の謎めいた作品に向かってみると、ほぐれて来るものがあるようである。巻頭歌。
鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ 光森裕樹
籠の中の鈴のような声で鳴くひばりが逃げた、という出来事の絵に、言葉が意味を持つということ、その意味は逃げ去ってしまうものである、という思考が暗示されている。「鈴を産むひばり」は、言葉の意味そのものの比喩(メタフォア)ともなっている。続く歌を引く。これも言語論と言ってもいいような性格の歌である。
疑問符をはづせば答へになるやうな想ひを 吹き込むしやぼんの玉に 光森裕樹
どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと
歌集巻頭から二首目のしゃぼん玉の歌は、「疑問符」と視覚化された「しやぼん玉」が抒情的なムードを持っているから歌の意味を考えないでも読めるが、この歌は、言葉をもってする問いの同語反復性を言っている。問いと答えは、くるくると回るシャボン玉の中に閉じ込められて、くるくる回りながら反転し合う。そのあとに引いた歌は、自分の発話行為や認識が新鮮ではない、パロールが微妙に疲れていることを自覚するところから手探りするように歌の言葉を構成している。いまここに述べたことは、この作者の作品を理解するポイントとなるのではないかと私は思う。詩的言語の成立にまつわる微かなアンニュイ(倦怠感)のようなものが、冒頭の二首の歌によって表現されているのである。
売るほどに霞みゆきたり縁日を少し離れて立つ螢売り 光森裕樹
売れ残る螢をつめれば幻灯機 翡翠の色にキネマを映す
二首並べてみると、マジックのような鮮やかさで螢のイメージが用いられている。こういう輪郭のはっきりした歌ばかりではないところに、この歌集の特徴があるのだが、初見の時から今になっても解き明かせない歌は前半に多い。仔細にみるなら、右の歌にも微妙な「疲れ」のようなものは感じ取れる。「売るほどに霞」んでゆくのだから。それも「少し離れて」。「売る」ことにそれほど熱心でもないのだから。それでも、それなりに売れてしまうのかもしれないが。ここには、世に流布するコマーシャル的な言説に生まれた時からさらされ続けた世代の、独特の身のかわし方、距離の置き方のようなものが、あるのだ。だから、何かを「売る」ことには敏感だ。売れないものが、「売れ残」ったものが、それを集めると、信じられないような美のかたちに変化する、というのは、何かを売らんがために懸命の、この世の秩序への究極の美的な抗議と言ってよいであろう。もっと言えば、売れ残った「文学」の生き残りのような短歌のなかに、そのような逆説的な力があると、作者は宣言しているのかもしれない。これは、現代における、酔うことを許されない浪漫的な精神の、精一杯の声なのだ。
母と呼ぶひとふたりゐてそれぞれが説くやさしさの違ひくるしき 光森裕樹
中吊りのない車内です。潮風です。二輌後ろに母が見えます
しかし、右のような「母」が出てくる歌は事実的な背景をほとんど消してしまってあるので、その歌がそこにある理由がわからない。作者の自己史の中にある暗闇が暗示されているだけである。つまり私的な事情のようなものは、断片的にちりばめられている。けれども、それが一連の物語を形成することはない。作者の「私」の事情のようなものは、主要な関心事ではなくなっている。この作者にとってもコラージュ的な「記憶」や「事実」の操作は、一連を構成するうえでの主要な方法である。この作者の作品から、「私」をめぐる設問について答を出すことは、まだできないのではないかと思う。
では次に、昨年話題になった若手の抽象的作風の雄とも言うべき、堂園昌彦の歌集『やがて秋茄子へと到る』(二〇一三年九月刊)を読んでみたい。この歌集については、さまざまな人がいろいろなことを述べていたが、それらをいったん白紙に戻して私なりに読んでいってみたいと思う。冒頭の歌。
美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している 堂園昌彦
ゆっくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれている春の歌
一首目、輝く針を持っているのは、冬薔薇か、または、からたちなど棘のある木の枝と読むのが、普通だろう。問題は、この「棘」を差し出しているのが、人なのか、それともただの擬人法なのか、にわかに判別できない点である。いきなり「美しさ」が話題となる。この私の美しさのことを言え、と迫ってくるのは異性かもしれない。現実にそう言われたのではなくて、そう言われたように「私」が感じただけなのかもしれない。それで、続く二首目が、この歌を詠む手がかりを提供してくれるかと思って読む。「ゆっくりと両手で裂いていく紙」に「春の歌」が書かれていたのか。そうすると、先に「針」を「差し出し」たのは、その紙に書いてあった「春の歌」の作者ということなのか。だとしたら、歌の歌ということになって、そんなにおもしろくもない。でも、「ゆっくりと、両手で裂いて/ゆく紙の、そこに書かれて/いる春の歌」という、上下句に一度ずつ、二回出てくる句またがりが緊迫していて、それがこの抽象的な歌を一種の文体的な新奇な味があるように感じさせるようだ。ここでは、「言えって」「ゆっくり」の促音も隠し味になっている。短歌においては、促音は依然として若者言葉のひとつの特徴をなすものなのだ。
その傍証として、「早稲田短歌」42号を取り出してみる。
濡れるのは瓶の中身が染み出してくるんだよつて君は笑つた 山階 基
社会へ出るのでなく入るワイシャツを飛び出したがつてゐるやうな肩
ビル風が散らしてしまふからこれで総てなんだろ屈んで拾ふ
夕闇の自転車置き場まつすぐに停めた自転車に辿り着く
キャンパスで抜かれた人を抜きかへすときに少しのためらひがある
歌柄は地味だが、発生期の酸素のような感性の泡立ちが感じられる。冷えた炭酸飲料の瓶を前にして、切れのあるようなないような、微妙な冗談を言っている一首目の「君」。「染み出してくるんだよつて」という若者言葉の促音が印象的である。二首目にも「飛び出したがつてゐる」と、促音が用いられている。人生の節目で就職して社会に「出る」のではなく、「入る」のだと言いながら、本音のところでは抵抗を感じているという二首目。若者らしい少しなげやりな乱暴な口調で「ビル風が散らしてしまふから」「これで総てなんだろ」と言ってみたりする。「しまふから」の「から」は順接として危ういが、その危うさを「しまふから」という旧仮名の表記が、詩的な修辞の了解できる圏内に引きとめている。風で散らかってしまった資料を舌打ちしながら拾い集めているスナップ。続く作品は、直立式の自転車置き場の自転車を、傾いていないでまっすぐだな、とあらためて新鮮に受け止める「ホトトギス」写生派のような視点が、新鮮だ。この歌では、初句の「夕闇」が案外に利いている。さらに充分に繊細で、やや小心な他者への「ためらひ」を示している五首目まで、実に自然に言いたいことを言って暮らしている感じが楽しい。
堂園昌彦の歌に戻る。山階基の歌では、促音の「つ」を旧仮名派らしく大きく表記していた。堂園は新仮名である。この違いは、案外に大きいものとしてある。
美しさのことを言えつて冬の日の輝く針を差し出してゐる (引用者の改作)
ゆつくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれてゐる春の歌
※注記 「言え」は旧仮名遣いでは「言へ」だが発話なのでそのままにした。
こうして旧仮名表記にした途端に歌が古く見えてくる、さらには様式性が強化されて、既視感まで感じられて来るのはなぜだろう。これは、私だけの感じだろうか。一首目では、どうしても正岡子規の有名な薔薇の歌が下敷きとして見えてきてしまうのである。そうすると、二首目は、そのような近代の写生の美学を否定する、と言っているわけか。「ゆっくりと両手で裂いていく」わけだから。それに歌集のタイトルの「秋茄子」は、どうしても齋藤茂吉の「赤茄子の腐れてゐたる所より幾程もなき歩みなりけり」を思い出させる。赤茄子はトマトだが、このタイトルは、泰西のマラルメや本邦の西脇順三郎ふうの諧謔で、「赤茄子」を「秋茄子」にもじっている。そうして、あとに出てくる「秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは」という歌から「秋茄子」は生の無意味さの隠喩らしいということが読みとれる。こうしてやや「死」の側に傾斜しつつ生の意味を問うというのは、一時期の現代詩の独壇場であったから、この歌集は、滅びた戦後詩のバトンの一つが短歌に渡ったということを示しているのかもしれない。旧仮名が似合うのに新仮名で書いて、その差異性を利用しているということか。続く三首目を見よう。
木枯らしに歌は溜まって火事多き道の上へと椿を落とす 堂園昌彦
風でいっせいに散る紅葉を殿上人の衣の色に見立てた古歌を踏まえているようにもみえる。でも、溜まっているのが紅葉でなく「歌」なので、依然としてこの歌は「歌の歌」ということになる。「火事多き道」は何のことなのか、手がかりがまったくない。一首は謎めいていて、上手な歌なのか下手な歌なのか、それすら判然としない。一頁一首組みの歌集だが、四首目と五首目を並べて引く。
泣く理由聞けばはるかな草原に花咲くと言うひたすらに言う 堂園昌彦
太陽が冬のプールに注ぐとき座って待っていたこんな薔薇
「泣く」のも「ひたすらに言う」のも、誰か作者の親しい人、恋人かもしれない。続く五首目の「薔薇」は、冒頭の歌と関係があるのか、ないのか。すべてが曖昧である。この「薔薇」が美しい女性のことだとしたら、あまりにも単純だ。冬のプールに映る太陽?わからない。そうではなくて、「私」の胸に生じている「あたたかい気分」、安堵感のようなものを、「こんな薔薇」と言っているのかもしれない。あるいは、冒頭の歌と関連させるなら、「美」そのもののことだろうか。ここでは朦朧とかすんだ現象と情緒の影のような言葉がぽつり、ぽつりと提示されるだけである。感情は、言葉によって宙づりにされ、「私」の見るもの、感じたことは、解体されて微分される。読み手としては、やや欲求不満になる。このもやもやした感じに耐えながら、どれだけ読み進んでいけるのか。
「文学」とか「芸術」とか、そういったものを信じられる時代はとうに過ぎてしまったような気が私はしているのだが、そういう空気のなかに突然こういうテキストがあらわれたことは、わずかでもそういうものを信じようとする心が今の短歌作者のなかに生き残っていることを示すものだと思う。また、ここにあらわれている読者への純真な信頼に感動を覚えもするのだが、いかにもマイナー志向で一冊のなかに名歌となるような歌がない。むしろそれを拒否しているという気配がある。一点に集約したり、収束することを拒否する言葉でつづられているために、そういうことが起こる。直接的に修辞の強度を目指すことに背を向けて、むしろ反対の負の方角から、括弧にくくった脱色済みの疎句を壁に貼り付けてパッチワークすることによって、自分で自分の視界を遮っているという印象だ。どの言葉もあらかじめ括弧でくくられているために、厳しい他者性を引き込まない。語りの方法として、他者性を作品が過剰に先取りしているために、かえって「私」は守られている。と同時にこの歌集から相聞歌ふうの歌を除いたら、読む興味は半減する。それほどに「君」への呼び掛けに一冊が支えられている。問題はその「君」があまりにも抽象的で、「君」や「あなた」の実体が不明なことだ。誰もここまで徹底してやったことがないから人を驚かす。
そういう意味ではこの文章の途中で引いた山階基の歌の方が、よっぽど普通の作品に見える。しかし、いまのこの世の中を生きている人間の喜怒哀楽を正直に歌うのが、短歌の良さではなかったのか。この歌集を論ずることに価値を見出すなら、ふだんあまり論じられない荻原裕幸など、こういう作品の先蹤をなす作者の作品についても何か言うべきだろう。と、つい不満が吹き出して言わずもがなのことを書いてしまった。しかし、別の日に取り出してめくっていると急におもしろく見えて来たりするのもこの作者の作品の特徴なのだ。ここまで書いてみて気が付いたのだが、どうも冒頭を精読すべきではなかった。真ん中の「感情譚」あたりの作品がおもしろい。
そろそろまとめに入ろうと思う。山崎聡子にはじまって、何人かの若い世代の作品を私なりに読み解いてみようとした。そこで見えて来たのは、鋭敏な自意識の持ち主である彼らは、「私」の表現を先立てることよりも、自らにとっても異物でもあるような「私」の表現をめがけて言葉を繰り出しているということだった。さらには、とりわけその「私」が用いている言葉、つまり「私」の現実的な存立の根拠となっているはずの言葉に対して、その他者性について鋭敏なのである。短歌が韻文であって散文ではない理由、日記でも私的領域の記録でもないということの証を、彼らはそれぞれの独自な仕方でもとめているように私には思える。彼らの旅はまだ始まったばかりであり、また、若手の作品として観測的に取り上げられはするがごく少数派だという印象がある。私の読解でも多少の側面支援になるかと思って書いてみた次第である。
2014.7.6
あらかじめ他者である「私」の歌について さいかち真
いま詠まれている歌の中から「私」のありようを見いだしてゆく、そのほかにどのような「私」についての表現もありはしないのだと思い定めて、この稿を起こすことにする。
「短歌研究」の6月号をめくる。山崎聡子の一連に新風を感じた。
ぶらさげるほかない腕をぶらさげて湯気立つような商店街ゆく 山崎聡子
花柄の服の模様が燃え出してわたしを焦がす夏盛りあり
独自の文体を獲得している。暑い夏のある日、私という存在(肉体)が、流動する現在(いま)のただなかで息づくようすを、ことばによってつかんでみせる。「ぶらさげるほかない腕をぶらさげて」という句は、この季節の空気と、そこに流れる軽い鬱情にも似た気分をうまくすくいとっている。二首目をみると、作者には確かなデッサン力も備わっていることがわかる。この一連を見ているうちに、最近登場した若手歌人の多くが、一種の存在論的な歌の作者であることに気づいた。
頼りない形をしてたこともあるあなたの匂いの濃い両腕よ 山崎聡子
遮断機の向こうに立って生きてない人の顔して笑ってみせて
「あなた」と呼ばれる恋人らしい人は、そこにいるのか、いないのか。私は、とうに別れた相手の姿を想像のなかでもとめているのにすぎないのか。いま私は確かな「あなたの匂いの濃い」胸に抱きしめられているはずなのに、続く一首は、その安心感をすぐにうち消してしまう。それでなければ「生きてない人の顔して」ということばは、出て来そうもない。私の「あなた」への感情は両義的で、二重化しているように描かれている。私と「あなた」との関係は、さびしげに、突き放されたような描き方をされている。それは、自分自身に対しても同様である。
玄関チャイムくすんだ音を響かせてわたしの声を隠してしまう 山崎聡子
ここには、「わたしの声」が、不確かな現在のたゆたいの中にしか存在しないということを、痛いほど敏感に感受する作者の姿がある。歌は、読者がわかるかわからないかのすれすれのところで、かろうじて理解の届く範囲に踏みとどまっている。この一連は相聞的な気配を持ちつつ後半には祖母についての歌が差しはさまれ、謎めいた次の歌で結ばれる。
木目の模様があなたの顔に見える梁 忘れてしまう二人して見る 山崎聡子
一連の最後の歌は、マックス・エルンストのコラージュ作品の言語版のようなところがある。一首一首の歌の作り方、それから一連の構成の仕方もコラージュ的と言えるだろう。
次に少し前の本になるが、堂園昌彦のような現在の若手のやや抽象的な歌が認知されるきっかけのひとつとなった歌集だから、光森裕樹の『鈴を産むひばり』(二〇一〇年八月刊)をあらためて読んでみたい。言うまでもなく、この歌集が出されたのは東日本大震災よりも前である。東日本大震災は、内側に向きかけていた歌人たちの目を否応なく外へ、社会的な現実の方へと引き戻した。けれども、一定の必然性のある表現の流れというものは、そう簡単に折れたり曲がったりするものではないのである。
ほほゑみを示す顔文字とどきゐつ鼻のあたりで改行されて 光森裕樹
遅れるといふ人を待つ駅前に手話でなされる喧嘩みてゐつ
地歌と言っていいような歌を引いた。歌のきっかけはちょっとした偶然であり、それをそのまま定着している。この事実をことばに置き換える仕方のなかに歌の命がある。「ほほえみ」の顔文字は、変換の途中でノイズにさらされてしまっている。その一方で「手話でなされる喧嘩」には、ノイズの入り込む余地がなさそうだ。同時に手話でなされる喧嘩は、ひどく閉じられたコミュニケーションであるという気がする。見ている者を拒絶している。顔文字に起きた変更は、われわれの現実、常に思うままにならない現実を、一片の瑣事の提出をもって表現している。作者の興味がどこにあるかは、この二首にはっきりと示されている。メッセージが相手に届く瞬間、それから言葉が理解へと届く瞬間への注視ということである。
ふゆあかねさす紫水晶ひとことをいへぬがためにわれら饒舌 光森裕樹
月夜、アラビア文字のサイトにたどりつくごとく出遭ひてまた遭はざり
見えるかとゆく船をさす老人のふし多き杖なほ定まらず
※一首め、「紫水晶」に「アメジスト」と振り仮名
これらの歌に言われていることは、伝達と関係の確立の困難、ということである。でも、それだけではない。次のような救いのある歌もある。
まむかへばいづみにふれるここちして告げるすべてが嘘にならない 光森裕樹
オリオンを繋げてみせる指先のくるしきまでに親友なりき
青年の日はながくしてただつよくつよく噛むためだけのくちびる
同性なのか、異性なのかははっきりしないが、まるで相聞歌のような友情の歌である。そして一連のおしまいに置かれた「青年の日」の歌は、充分に過去の短歌作品を意識した一首であろう。こうして下読みをしておいてから、あらためて作者の謎めいた作品に向かってみると、ほぐれて来るものがあるようである。巻頭歌。
鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ 光森裕樹
籠の中の鈴のような声で鳴くひばりが逃げた、という出来事の絵に、言葉が意味を持つということ、その意味は逃げ去ってしまうものである、という思考が暗示されている。「鈴を産むひばり」は、言葉の意味そのものの比喩(メタフォア)ともなっている。続く歌を引く。これも言語論と言ってもいいような性格の歌である。
疑問符をはづせば答へになるやうな想ひを 吹き込むしやぼんの玉に 光森裕樹
どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと
歌集巻頭から二首目のしゃぼん玉の歌は、「疑問符」と視覚化された「しやぼん玉」が抒情的なムードを持っているから歌の意味を考えないでも読めるが、この歌は、言葉をもってする問いの同語反復性を言っている。問いと答えは、くるくると回るシャボン玉の中に閉じ込められて、くるくる回りながら反転し合う。そのあとに引いた歌は、自分の発話行為や認識が新鮮ではない、パロールが微妙に疲れていることを自覚するところから手探りするように歌の言葉を構成している。いまここに述べたことは、この作者の作品を理解するポイントとなるのではないかと私は思う。詩的言語の成立にまつわる微かなアンニュイ(倦怠感)のようなものが、冒頭の二首の歌によって表現されているのである。
売るほどに霞みゆきたり縁日を少し離れて立つ螢売り 光森裕樹
売れ残る螢をつめれば幻灯機 翡翠の色にキネマを映す
二首並べてみると、マジックのような鮮やかさで螢のイメージが用いられている。こういう輪郭のはっきりした歌ばかりではないところに、この歌集の特徴があるのだが、初見の時から今になっても解き明かせない歌は前半に多い。仔細にみるなら、右の歌にも微妙な「疲れ」のようなものは感じ取れる。「売るほどに霞」んでゆくのだから。それも「少し離れて」。「売る」ことにそれほど熱心でもないのだから。それでも、それなりに売れてしまうのかもしれないが。ここには、世に流布するコマーシャル的な言説に生まれた時からさらされ続けた世代の、独特の身のかわし方、距離の置き方のようなものが、あるのだ。だから、何かを「売る」ことには敏感だ。売れないものが、「売れ残」ったものが、それを集めると、信じられないような美のかたちに変化する、というのは、何かを売らんがために懸命の、この世の秩序への究極の美的な抗議と言ってよいであろう。もっと言えば、売れ残った「文学」の生き残りのような短歌のなかに、そのような逆説的な力があると、作者は宣言しているのかもしれない。これは、現代における、酔うことを許されない浪漫的な精神の、精一杯の声なのだ。
母と呼ぶひとふたりゐてそれぞれが説くやさしさの違ひくるしき 光森裕樹
中吊りのない車内です。潮風です。二輌後ろに母が見えます
しかし、右のような「母」が出てくる歌は事実的な背景をほとんど消してしまってあるので、その歌がそこにある理由がわからない。作者の自己史の中にある暗闇が暗示されているだけである。つまり私的な事情のようなものは、断片的にちりばめられている。けれども、それが一連の物語を形成することはない。作者の「私」の事情のようなものは、主要な関心事ではなくなっている。この作者にとってもコラージュ的な「記憶」や「事実」の操作は、一連を構成するうえでの主要な方法である。この作者の作品から、「私」をめぐる設問について答を出すことは、まだできないのではないかと思う。
では次に、昨年話題になった若手の抽象的作風の雄とも言うべき、堂園昌彦の歌集『やがて秋茄子へと到る』(二〇一三年九月刊)を読んでみたい。この歌集については、さまざまな人がいろいろなことを述べていたが、それらをいったん白紙に戻して私なりに読んでいってみたいと思う。冒頭の歌。
美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している 堂園昌彦
ゆっくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれている春の歌
一首目、輝く針を持っているのは、冬薔薇か、または、からたちなど棘のある木の枝と読むのが、普通だろう。問題は、この「棘」を差し出しているのが、人なのか、それともただの擬人法なのか、にわかに判別できない点である。いきなり「美しさ」が話題となる。この私の美しさのことを言え、と迫ってくるのは異性かもしれない。現実にそう言われたのではなくて、そう言われたように「私」が感じただけなのかもしれない。それで、続く二首目が、この歌を詠む手がかりを提供してくれるかと思って読む。「ゆっくりと両手で裂いていく紙」に「春の歌」が書かれていたのか。そうすると、先に「針」を「差し出し」たのは、その紙に書いてあった「春の歌」の作者ということなのか。だとしたら、歌の歌ということになって、そんなにおもしろくもない。でも、「ゆっくりと、両手で裂いて/ゆく紙の、そこに書かれて/いる春の歌」という、上下句に一度ずつ、二回出てくる句またがりが緊迫していて、それがこの抽象的な歌を一種の文体的な新奇な味があるように感じさせるようだ。ここでは、「言えって」「ゆっくり」の促音も隠し味になっている。短歌においては、促音は依然として若者言葉のひとつの特徴をなすものなのだ。
その傍証として、「早稲田短歌」42号を取り出してみる。
濡れるのは瓶の中身が染み出してくるんだよつて君は笑つた 山階 基
社会へ出るのでなく入るワイシャツを飛び出したがつてゐるやうな肩
ビル風が散らしてしまふからこれで総てなんだろ屈んで拾ふ
夕闇の自転車置き場まつすぐに停めた自転車に辿り着く
キャンパスで抜かれた人を抜きかへすときに少しのためらひがある
歌柄は地味だが、発生期の酸素のような感性の泡立ちが感じられる。冷えた炭酸飲料の瓶を前にして、切れのあるようなないような、微妙な冗談を言っている一首目の「君」。「染み出してくるんだよつて」という若者言葉の促音が印象的である。二首目にも「飛び出したがつてゐる」と、促音が用いられている。人生の節目で就職して社会に「出る」のではなく、「入る」のだと言いながら、本音のところでは抵抗を感じているという二首目。若者らしい少しなげやりな乱暴な口調で「ビル風が散らしてしまふから」「これで総てなんだろ」と言ってみたりする。「しまふから」の「から」は順接として危ういが、その危うさを「しまふから」という旧仮名の表記が、詩的な修辞の了解できる圏内に引きとめている。風で散らかってしまった資料を舌打ちしながら拾い集めているスナップ。続く作品は、直立式の自転車置き場の自転車を、傾いていないでまっすぐだな、とあらためて新鮮に受け止める「ホトトギス」写生派のような視点が、新鮮だ。この歌では、初句の「夕闇」が案外に利いている。さらに充分に繊細で、やや小心な他者への「ためらひ」を示している五首目まで、実に自然に言いたいことを言って暮らしている感じが楽しい。
堂園昌彦の歌に戻る。山階基の歌では、促音の「つ」を旧仮名派らしく大きく表記していた。堂園は新仮名である。この違いは、案外に大きいものとしてある。
美しさのことを言えつて冬の日の輝く針を差し出してゐる (引用者の改作)
ゆつくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれてゐる春の歌
※注記 「言え」は旧仮名遣いでは「言へ」だが発話なのでそのままにした。
こうして旧仮名表記にした途端に歌が古く見えてくる、さらには様式性が強化されて、既視感まで感じられて来るのはなぜだろう。これは、私だけの感じだろうか。一首目では、どうしても正岡子規の有名な薔薇の歌が下敷きとして見えてきてしまうのである。そうすると、二首目は、そのような近代の写生の美学を否定する、と言っているわけか。「ゆっくりと両手で裂いていく」わけだから。それに歌集のタイトルの「秋茄子」は、どうしても齋藤茂吉の「赤茄子の腐れてゐたる所より幾程もなき歩みなりけり」を思い出させる。赤茄子はトマトだが、このタイトルは、泰西のマラルメや本邦の西脇順三郎ふうの諧謔で、「赤茄子」を「秋茄子」にもじっている。そうして、あとに出てくる「秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは」という歌から「秋茄子」は生の無意味さの隠喩らしいということが読みとれる。こうしてやや「死」の側に傾斜しつつ生の意味を問うというのは、一時期の現代詩の独壇場であったから、この歌集は、滅びた戦後詩のバトンの一つが短歌に渡ったということを示しているのかもしれない。旧仮名が似合うのに新仮名で書いて、その差異性を利用しているということか。続く三首目を見よう。
木枯らしに歌は溜まって火事多き道の上へと椿を落とす 堂園昌彦
風でいっせいに散る紅葉を殿上人の衣の色に見立てた古歌を踏まえているようにもみえる。でも、溜まっているのが紅葉でなく「歌」なので、依然としてこの歌は「歌の歌」ということになる。「火事多き道」は何のことなのか、手がかりがまったくない。一首は謎めいていて、上手な歌なのか下手な歌なのか、それすら判然としない。一頁一首組みの歌集だが、四首目と五首目を並べて引く。
泣く理由聞けばはるかな草原に花咲くと言うひたすらに言う 堂園昌彦
太陽が冬のプールに注ぐとき座って待っていたこんな薔薇
「泣く」のも「ひたすらに言う」のも、誰か作者の親しい人、恋人かもしれない。続く五首目の「薔薇」は、冒頭の歌と関係があるのか、ないのか。すべてが曖昧である。この「薔薇」が美しい女性のことだとしたら、あまりにも単純だ。冬のプールに映る太陽?わからない。そうではなくて、「私」の胸に生じている「あたたかい気分」、安堵感のようなものを、「こんな薔薇」と言っているのかもしれない。あるいは、冒頭の歌と関連させるなら、「美」そのもののことだろうか。ここでは朦朧とかすんだ現象と情緒の影のような言葉がぽつり、ぽつりと提示されるだけである。感情は、言葉によって宙づりにされ、「私」の見るもの、感じたことは、解体されて微分される。読み手としては、やや欲求不満になる。このもやもやした感じに耐えながら、どれだけ読み進んでいけるのか。
「文学」とか「芸術」とか、そういったものを信じられる時代はとうに過ぎてしまったような気が私はしているのだが、そういう空気のなかに突然こういうテキストがあらわれたことは、わずかでもそういうものを信じようとする心が今の短歌作者のなかに生き残っていることを示すものだと思う。また、ここにあらわれている読者への純真な信頼に感動を覚えもするのだが、いかにもマイナー志向で一冊のなかに名歌となるような歌がない。むしろそれを拒否しているという気配がある。一点に集約したり、収束することを拒否する言葉でつづられているために、そういうことが起こる。直接的に修辞の強度を目指すことに背を向けて、むしろ反対の負の方角から、括弧にくくった脱色済みの疎句を壁に貼り付けてパッチワークすることによって、自分で自分の視界を遮っているという印象だ。どの言葉もあらかじめ括弧でくくられているために、厳しい他者性を引き込まない。語りの方法として、他者性を作品が過剰に先取りしているために、かえって「私」は守られている。と同時にこの歌集から相聞歌ふうの歌を除いたら、読む興味は半減する。それほどに「君」への呼び掛けに一冊が支えられている。問題はその「君」があまりにも抽象的で、「君」や「あなた」の実体が不明なことだ。誰もここまで徹底してやったことがないから人を驚かす。
そういう意味ではこの文章の途中で引いた山階基の歌の方が、よっぽど普通の作品に見える。しかし、いまのこの世の中を生きている人間の喜怒哀楽を正直に歌うのが、短歌の良さではなかったのか。この歌集を論ずることに価値を見出すなら、ふだんあまり論じられない荻原裕幸など、こういう作品の先蹤をなす作者の作品についても何か言うべきだろう。と、つい不満が吹き出して言わずもがなのことを書いてしまった。しかし、別の日に取り出してめくっていると急におもしろく見えて来たりするのもこの作者の作品の特徴なのだ。ここまで書いてみて気が付いたのだが、どうも冒頭を精読すべきではなかった。真ん中の「感情譚」あたりの作品がおもしろい。
そろそろまとめに入ろうと思う。山崎聡子にはじまって、何人かの若い世代の作品を私なりに読み解いてみようとした。そこで見えて来たのは、鋭敏な自意識の持ち主である彼らは、「私」の表現を先立てることよりも、自らにとっても異物でもあるような「私」の表現をめがけて言葉を繰り出しているということだった。さらには、とりわけその「私」が用いている言葉、つまり「私」の現実的な存立の根拠となっているはずの言葉に対して、その他者性について鋭敏なのである。短歌が韻文であって散文ではない理由、日記でも私的領域の記録でもないということの証を、彼らはそれぞれの独自な仕方でもとめているように私には思える。彼らの旅はまだ始まったばかりであり、また、若手の作品として観測的に取り上げられはするがごく少数派だという印象がある。私の読解でも多少の側面支援になるかと思って書いてみた次第である。
2014.7.6