さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

山崎聡子・光森裕樹・堂園昌彦・山階基の歌についての旧稿

2016年12月29日 | 現代短歌 文学 文化
高島裕さんがやっている雑誌の「黒日傘」7号には、堂園昌彦さんの最新作がのっている。この一連はかなりブッキッシュなのだけれども、堂園さんとしては自然体なのだろう。読者はせまくなるけれども、私はそれでいいと思う。それで、以前私が堂園さんや、今度新しい歌集『山椒魚が飛んだ日』を出した光森祐樹さんらの歌について書いた文章があるのを思い出した。2014年7月の文章で、某短歌評論賞に応募したのだが、送ったのが遅くて、どうも締め切りを過ぎて届いたらしい。あとからの字句の訂正はないまま、ここに載せる。光森さんの部分は、切り取って再利用したので、見たことがある人はいるかもしれない。

あらかじめ他者である「私」の歌について   さいかち真

いま詠まれている歌の中から「私」のありようを見いだしてゆく、そのほかにどのような「私」についての表現もありはしないのだと思い定めて、この稿を起こすことにする。
 「短歌研究」の6月号をめくる。山崎聡子の一連に新風を感じた。

ぶらさげるほかない腕をぶらさげて湯気立つような商店街ゆく    山崎聡子
花柄の服の模様が燃え出してわたしを焦がす夏盛りあり

 独自の文体を獲得している。暑い夏のある日、私という存在(肉体)が、流動する現在(いま)のただなかで息づくようすを、ことばによってつかんでみせる。「ぶらさげるほかない腕をぶらさげて」という句は、この季節の空気と、そこに流れる軽い鬱情にも似た気分をうまくすくいとっている。二首目をみると、作者には確かなデッサン力も備わっていることがわかる。この一連を見ているうちに、最近登場した若手歌人の多くが、一種の存在論的な歌の作者であることに気づいた。

頼りない形をしてたこともあるあなたの匂いの濃い両腕よ      山崎聡子
遮断機の向こうに立って生きてない人の顔して笑ってみせて 

「あなた」と呼ばれる恋人らしい人は、そこにいるのか、いないのか。私は、とうに別れた相手の姿を想像のなかでもとめているのにすぎないのか。いま私は確かな「あなたの匂いの濃い」胸に抱きしめられているはずなのに、続く一首は、その安心感をすぐにうち消してしまう。それでなければ「生きてない人の顔して」ということばは、出て来そうもない。私の「あなた」への感情は両義的で、二重化しているように描かれている。私と「あなた」との関係は、さびしげに、突き放されたような描き方をされている。それは、自分自身に対しても同様である。

玄関チャイムくすんだ音を響かせてわたしの声を隠してしまう    山崎聡子

 ここには、「わたしの声」が、不確かな現在のたゆたいの中にしか存在しないということを、痛いほど敏感に感受する作者の姿がある。歌は、読者がわかるかわからないかのすれすれのところで、かろうじて理解の届く範囲に踏みとどまっている。この一連は相聞的な気配を持ちつつ後半には祖母についての歌が差しはさまれ、謎めいた次の歌で結ばれる。

 木目の模様があなたの顔に見える梁 忘れてしまう二人して見る   山崎聡子

 一連の最後の歌は、マックス・エルンストのコラージュ作品の言語版のようなところがある。一首一首の歌の作り方、それから一連の構成の仕方もコラージュ的と言えるだろう。
 次に少し前の本になるが、堂園昌彦のような現在の若手のやや抽象的な歌が認知されるきっかけのひとつとなった歌集だから、光森裕樹の『鈴を産むひばり』(二〇一〇年八月刊)をあらためて読んでみたい。言うまでもなく、この歌集が出されたのは東日本大震災よりも前である。東日本大震災は、内側に向きかけていた歌人たちの目を否応なく外へ、社会的な現実の方へと引き戻した。けれども、一定の必然性のある表現の流れというものは、そう簡単に折れたり曲がったりするものではないのである。

ほほゑみを示す顔文字とどきゐつ鼻のあたりで改行されて      光森裕樹
遅れるといふ人を待つ駅前に手話でなされる喧嘩みてゐつ

 地歌と言っていいような歌を引いた。歌のきっかけはちょっとした偶然であり、それをそのまま定着している。この事実をことばに置き換える仕方のなかに歌の命がある。「ほほえみ」の顔文字は、変換の途中でノイズにさらされてしまっている。その一方で「手話でなされる喧嘩」には、ノイズの入り込む余地がなさそうだ。同時に手話でなされる喧嘩は、ひどく閉じられたコミュニケーションであるという気がする。見ている者を拒絶している。顔文字に起きた変更は、われわれの現実、常に思うままにならない現実を、一片の瑣事の提出をもって表現している。作者の興味がどこにあるかは、この二首にはっきりと示されている。メッセージが相手に届く瞬間、それから言葉が理解へと届く瞬間への注視ということである。

ふゆあかねさす紫水晶ひとことをいへぬがためにわれら饒舌     光森裕樹
月夜、アラビア文字のサイトにたどりつくごとく出遭ひてまた遭はざり
見えるかとゆく船をさす老人のふし多き杖なほ定まらず 
                 ※一首め、「紫水晶」に「アメジスト」と振り仮名   

 これらの歌に言われていることは、伝達と関係の確立の困難、ということである。でも、それだけではない。次のような救いのある歌もある。

まむかへばいづみにふれるここちして告げるすべてが嘘にならない  光森裕樹
オリオンを繋げてみせる指先のくるしきまでに親友なりき
青年の日はながくしてただつよくつよく噛むためだけのくちびる

 同性なのか、異性なのかははっきりしないが、まるで相聞歌のような友情の歌である。そして一連のおしまいに置かれた「青年の日」の歌は、充分に過去の短歌作品を意識した一首であろう。こうして下読みをしておいてから、あらためて作者の謎めいた作品に向かってみると、ほぐれて来るものがあるようである。巻頭歌。

鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ    光森裕樹
 
 籠の中の鈴のような声で鳴くひばりが逃げた、という出来事の絵に、言葉が意味を持つということ、その意味は逃げ去ってしまうものである、という思考が暗示されている。「鈴を産むひばり」は、言葉の意味そのものの比喩(メタフォア)ともなっている。続く歌を引く。これも言語論と言ってもいいような性格の歌である。
  
疑問符をはづせば答へになるやうな想ひを 吹き込むしやぼんの玉に  光森裕樹
どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと
 
 歌集巻頭から二首目のしゃぼん玉の歌は、「疑問符」と視覚化された「しやぼん玉」が抒情的なムードを持っているから歌の意味を考えないでも読めるが、この歌は、言葉をもってする問いの同語反復性を言っている。問いと答えは、くるくると回るシャボン玉の中に閉じ込められて、くるくる回りながら反転し合う。そのあとに引いた歌は、自分の発話行為や認識が新鮮ではない、パロールが微妙に疲れていることを自覚するところから手探りするように歌の言葉を構成している。いまここに述べたことは、この作者の作品を理解するポイントとなるのではないかと私は思う。詩的言語の成立にまつわる微かなアンニュイ(倦怠感)のようなものが、冒頭の二首の歌によって表現されているのである。

売るほどに霞みゆきたり縁日を少し離れて立つ螢売り        光森裕樹
売れ残る螢をつめれば幻灯機 翡翠の色にキネマを映す

 二首並べてみると、マジックのような鮮やかさで螢のイメージが用いられている。こういう輪郭のはっきりした歌ばかりではないところに、この歌集の特徴があるのだが、初見の時から今になっても解き明かせない歌は前半に多い。仔細にみるなら、右の歌にも微妙な「疲れ」のようなものは感じ取れる。「売るほどに霞」んでゆくのだから。それも「少し離れて」。「売る」ことにそれほど熱心でもないのだから。それでも、それなりに売れてしまうのかもしれないが。ここには、世に流布するコマーシャル的な言説に生まれた時からさらされ続けた世代の、独特の身のかわし方、距離の置き方のようなものが、あるのだ。だから、何かを「売る」ことには敏感だ。売れないものが、「売れ残」ったものが、それを集めると、信じられないような美のかたちに変化する、というのは、何かを売らんがために懸命の、この世の秩序への究極の美的な抗議と言ってよいであろう。もっと言えば、売れ残った「文学」の生き残りのような短歌のなかに、そのような逆説的な力があると、作者は宣言しているのかもしれない。これは、現代における、酔うことを許されない浪漫的な精神の、精一杯の声なのだ。

母と呼ぶひとふたりゐてそれぞれが説くやさしさの違ひくるしき   光森裕樹  
中吊りのない車内です。潮風です。二輌後ろに母が見えます

 しかし、右のような「母」が出てくる歌は事実的な背景をほとんど消してしまってあるので、その歌がそこにある理由がわからない。作者の自己史の中にある暗闇が暗示されているだけである。つまり私的な事情のようなものは、断片的にちりばめられている。けれども、それが一連の物語を形成することはない。作者の「私」の事情のようなものは、主要な関心事ではなくなっている。この作者にとってもコラージュ的な「記憶」や「事実」の操作は、一連を構成するうえでの主要な方法である。この作者の作品から、「私」をめぐる設問について答を出すことは、まだできないのではないかと思う。

 では次に、昨年話題になった若手の抽象的作風の雄とも言うべき、堂園昌彦の歌集『やがて秋茄子へと到る』(二〇一三年九月刊)を読んでみたい。この歌集については、さまざまな人がいろいろなことを述べていたが、それらをいったん白紙に戻して私なりに読んでいってみたいと思う。冒頭の歌。

美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している      堂園昌彦
ゆっくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれている春の歌

 一首目、輝く針を持っているのは、冬薔薇か、または、からたちなど棘のある木の枝と読むのが、普通だろう。問題は、この「棘」を差し出しているのが、人なのか、それともただの擬人法なのか、にわかに判別できない点である。いきなり「美しさ」が話題となる。この私の美しさのことを言え、と迫ってくるのは異性かもしれない。現実にそう言われたのではなくて、そう言われたように「私」が感じただけなのかもしれない。それで、続く二首目が、この歌を詠む手がかりを提供してくれるかと思って読む。「ゆっくりと両手で裂いていく紙」に「春の歌」が書かれていたのか。そうすると、先に「針」を「差し出し」たのは、その紙に書いてあった「春の歌」の作者ということなのか。だとしたら、歌の歌ということになって、そんなにおもしろくもない。でも、「ゆっくりと、両手で裂いて/ゆく紙の、そこに書かれて/いる春の歌」という、上下句に一度ずつ、二回出てくる句またがりが緊迫していて、それがこの抽象的な歌を一種の文体的な新奇な味があるように感じさせるようだ。ここでは、「言えって」「ゆっくり」の促音も隠し味になっている。短歌においては、促音は依然として若者言葉のひとつの特徴をなすものなのだ。

 その傍証として、「早稲田短歌」42号を取り出してみる。
  
濡れるのは瓶の中身が染み出してくるんだよつて君は笑つた     山階 基
社会へ出るのでなく入るワイシャツを飛び出したがつてゐるやうな肩
ビル風が散らしてしまふからこれで総てなんだろ屈んで拾ふ
夕闇の自転車置き場まつすぐに停めた自転車に辿り着く
キャンパスで抜かれた人を抜きかへすときに少しのためらひがある

歌柄は地味だが、発生期の酸素のような感性の泡立ちが感じられる。冷えた炭酸飲料の瓶を前にして、切れのあるようなないような、微妙な冗談を言っている一首目の「君」。「染み出してくるんだよつて」という若者言葉の促音が印象的である。二首目にも「飛び出したがつてゐる」と、促音が用いられている。人生の節目で就職して社会に「出る」のではなく、「入る」のだと言いながら、本音のところでは抵抗を感じているという二首目。若者らしい少しなげやりな乱暴な口調で「ビル風が散らしてしまふから」「これで総てなんだろ」と言ってみたりする。「しまふから」の「から」は順接として危ういが、その危うさを「しまふから」という旧仮名の表記が、詩的な修辞の了解できる圏内に引きとめている。風で散らかってしまった資料を舌打ちしながら拾い集めているスナップ。続く作品は、直立式の自転車置き場の自転車を、傾いていないでまっすぐだな、とあらためて新鮮に受け止める「ホトトギス」写生派のような視点が、新鮮だ。この歌では、初句の「夕闇」が案外に利いている。さらに充分に繊細で、やや小心な他者への「ためらひ」を示している五首目まで、実に自然に言いたいことを言って暮らしている感じが楽しい。

 堂園昌彦の歌に戻る。山階基の歌では、促音の「つ」を旧仮名派らしく大きく表記していた。堂園は新仮名である。この違いは、案外に大きいものとしてある。

美しさのことを言えつて冬の日の輝く針を差し出してゐる    (引用者の改作)
ゆつくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれてゐる春の歌
※注記 「言え」は旧仮名遣いでは「言へ」だが発話なのでそのままにした。

 こうして旧仮名表記にした途端に歌が古く見えてくる、さらには様式性が強化されて、既視感まで感じられて来るのはなぜだろう。これは、私だけの感じだろうか。一首目では、どうしても正岡子規の有名な薔薇の歌が下敷きとして見えてきてしまうのである。そうすると、二首目は、そのような近代の写生の美学を否定する、と言っているわけか。「ゆっくりと両手で裂いていく」わけだから。それに歌集のタイトルの「秋茄子」は、どうしても齋藤茂吉の「赤茄子の腐れてゐたる所より幾程もなき歩みなりけり」を思い出させる。赤茄子はトマトだが、このタイトルは、泰西のマラルメや本邦の西脇順三郎ふうの諧謔で、「赤茄子」を「秋茄子」にもじっている。そうして、あとに出てくる「秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは」という歌から「秋茄子」は生の無意味さの隠喩らしいということが読みとれる。こうしてやや「死」の側に傾斜しつつ生の意味を問うというのは、一時期の現代詩の独壇場であったから、この歌集は、滅びた戦後詩のバトンの一つが短歌に渡ったということを示しているのかもしれない。旧仮名が似合うのに新仮名で書いて、その差異性を利用しているということか。続く三首目を見よう。 

木枯らしに歌は溜まって火事多き道の上へと椿を落とす       堂園昌彦

 風でいっせいに散る紅葉を殿上人の衣の色に見立てた古歌を踏まえているようにもみえる。でも、溜まっているのが紅葉でなく「歌」なので、依然としてこの歌は「歌の歌」ということになる。「火事多き道」は何のことなのか、手がかりがまったくない。一首は謎めいていて、上手な歌なのか下手な歌なのか、それすら判然としない。一頁一首組みの歌集だが、四首目と五首目を並べて引く。
  
泣く理由聞けばはるかな草原に花咲くと言うひたすらに言う     堂園昌彦
太陽が冬のプールに注ぐとき座って待っていたこんな薔薇 
 
 「泣く」のも「ひたすらに言う」のも、誰か作者の親しい人、恋人かもしれない。続く五首目の「薔薇」は、冒頭の歌と関係があるのか、ないのか。すべてが曖昧である。この「薔薇」が美しい女性のことだとしたら、あまりにも単純だ。冬のプールに映る太陽?わからない。そうではなくて、「私」の胸に生じている「あたたかい気分」、安堵感のようなものを、「こんな薔薇」と言っているのかもしれない。あるいは、冒頭の歌と関連させるなら、「美」そのもののことだろうか。ここでは朦朧とかすんだ現象と情緒の影のような言葉がぽつり、ぽつりと提示されるだけである。感情は、言葉によって宙づりにされ、「私」の見るもの、感じたことは、解体されて微分される。読み手としては、やや欲求不満になる。このもやもやした感じに耐えながら、どれだけ読み進んでいけるのか。

 「文学」とか「芸術」とか、そういったものを信じられる時代はとうに過ぎてしまったような気が私はしているのだが、そういう空気のなかに突然こういうテキストがあらわれたことは、わずかでもそういうものを信じようとする心が今の短歌作者のなかに生き残っていることを示すものだと思う。また、ここにあらわれている読者への純真な信頼に感動を覚えもするのだが、いかにもマイナー志向で一冊のなかに名歌となるような歌がない。むしろそれを拒否しているという気配がある。一点に集約したり、収束することを拒否する言葉でつづられているために、そういうことが起こる。直接的に修辞の強度を目指すことに背を向けて、むしろ反対の負の方角から、括弧にくくった脱色済みの疎句を壁に貼り付けてパッチワークすることによって、自分で自分の視界を遮っているという印象だ。どの言葉もあらかじめ括弧でくくられているために、厳しい他者性を引き込まない。語りの方法として、他者性を作品が過剰に先取りしているために、かえって「私」は守られている。と同時にこの歌集から相聞歌ふうの歌を除いたら、読む興味は半減する。それほどに「君」への呼び掛けに一冊が支えられている。問題はその「君」があまりにも抽象的で、「君」や「あなた」の実体が不明なことだ。誰もここまで徹底してやったことがないから人を驚かす。

 そういう意味ではこの文章の途中で引いた山階基の歌の方が、よっぽど普通の作品に見える。しかし、いまのこの世の中を生きている人間の喜怒哀楽を正直に歌うのが、短歌の良さではなかったのか。この歌集を論ずることに価値を見出すなら、ふだんあまり論じられない荻原裕幸など、こういう作品の先蹤をなす作者の作品についても何か言うべきだろう。と、つい不満が吹き出して言わずもがなのことを書いてしまった。しかし、別の日に取り出してめくっていると急におもしろく見えて来たりするのもこの作者の作品の特徴なのだ。ここまで書いてみて気が付いたのだが、どうも冒頭を精読すべきではなかった。真ん中の「感情譚」あたりの作品がおもしろい。

 そろそろまとめに入ろうと思う。山崎聡子にはじまって、何人かの若い世代の作品を私なりに読み解いてみようとした。そこで見えて来たのは、鋭敏な自意識の持ち主である彼らは、「私」の表現を先立てることよりも、自らにとっても異物でもあるような「私」の表現をめがけて言葉を繰り出しているということだった。さらには、とりわけその「私」が用いている言葉、つまり「私」の現実的な存立の根拠となっているはずの言葉に対して、その他者性について鋭敏なのである。短歌が韻文であって散文ではない理由、日記でも私的領域の記録でもないということの証を、彼らはそれぞれの独自な仕方でもとめているように私には思える。彼らの旅はまだ始まったばかりであり、また、若手の作品として観測的に取り上げられはするがごく少数派だという印象がある。私の読解でも多少の側面支援になるかと思って書いてみた次第である。
                               2014.7.6

中澤系についての旧稿

2016年12月29日 | 現代短歌 文学 文化
中澤系についての旧稿があったのを思い出して取り出す。考えてみれば、限られた人の目にしか触れることがなかった文章なのだ。 「未来」二〇〇九年八月号に掲載したものと、出版記念会の挨拶文原稿。

 中澤系論   
               
 渋谷望著『魂の労働――ネオリベラリズムの権力論』という本がある(二〇〇三年青土社刊)。そこには、ネオリベラリズムの思想についての分析として、次のようなことが述べられていた。
 「現在、『自己責任』――『リスクを受け入れよ』――のスローガンとともに若者に向けられるメッセージは、明らかに矛盾したダブルバインドのメッセージである。それは一方で『自分の将来や老後を自分で備えよ』(=国や企業に頼るな」)である。しかし同時に発せられるのは『あらゆる長期計画(=長期的安定性)を放棄せよ』というメッセージである。長期的な見通しが不可能となるなかで、自分で長期的な見通しを立てよ。ネオリベラル言説がこの不可能なメッセージで若者に期待するのは、不断に自己を励まし、不確実な未来を臨機応変に積極的に切り開く人間であろう。しかしバウマンも指摘するように、『流砂のなかではいかなる永続的なものも築くことはできない』。若者たちはこの分裂したメッセージに対処するために、宿命論を招き入れざるをえない。(略)自己責任言説がハイ・テンションな自己啓発に結びつくことはきわめてまれである。(略)ゲームへの参加の条件のハードルがきわめて高い場合、最初から勝負しない選択肢が最も安全である。勝負が可能なのは、文化資本、情報資本など、ゲーム参入のチケットが最初から与えられている者に限定される。」               (「ポストモダンの宿命論」)

 やや論理が錯綜するかもしれないが、こういうことである。ネオリベラル言説は、若者に「不断に自己を励まし、不確実な未来を臨機応変に積極的に切り開く人間」、つまり近代社会の草創期のアメリカの『フランクリン自伝』にあるような生き方を求める。それは文学の分野では、明治時代の子規や左千夫の熱狂的な文学への専心への連想を誘うものでもあるだろう。しかし、努力と精進を求めるメッセージは、すべてを個人の責任において処理することを求め、国家社会が個人の将来や未来を保障することをやめて、長期的な見通しを立てることが困難となりつつある政治経済的な条件の下においては、それ自体が、ネオリベラリズムの社会権力の要求と相似的なものであり、時には犯罪的で滑稽なものに転化してしまうものなのだ。アメリカ発の世界不況のまっただ中にある現在、右の渋谷の言葉は、みごとに現実に切り込んでいたと言うべきだろう。
 右の文脈に沿って敷延するなら、ゲームに加われない若者にとっては、そこで抵抗することと、挫折することとが肩を接しており、単に怠惰であることと、戦略的にその日暮らしであることとが、混沌とした欲求と意志の葛藤を引き起こしながら、未分化のままに個人の中で渦を巻くような事態が出来しているということを意味する。それが繊細な自意識の持ち主である詩歌人の表現にもたらされた時、どのように増幅され、また逸脱して行こうとするものであるのか。私はその例として、中澤系の歌集『uta.0001.txt』をあげたい。今この文章を書いているうちに、頭のなかに浮かんできた何首かの歌がある。右に述べたような文脈に置いてみると、彼の哲学的な作品の持つ悲劇的な意味は、怖いぐらいに明らかである。

  up to date だなんて魚雷戦ゲームかなにかと勘違いしている   中澤 系
  街中に流布したルールそれはルールのためのルールであった
  フェイクだよ三角くじの内側を見ずに行くべき方角を言え

 以下に歌の内容を敷延しながら、歌がつかんでいるものを解説してみようと思う。一首め。コンピューターのウイルス防止ソフトのように、日々更新されること、それが生きるということの意味だ、というような誰かの言葉(生き方についてのアドバイス)に接して、作者は反発している。生きることを魚雷戦ゲームとまちがえているんじゃないの、あなた。聞いたふうな人生訓を並べているけど、というのだ。

 二首め。ルールのためのルール、みたいなものが、このまるごと資本に管理された都市の空間には行き渡っている。ためしに渋谷や原宿の駅や、東急沿線の駅に降りたってみるがいい。ルールは無意味なのに、ルールとして周知徹底させられる。その愚劣と空虚。でも、ルールを作り、ルールを行き渡らせた時点で、それはそいつらの勝ちなのだ。ぼくは無力であり、ぼくに勝ち目はない。

 三首め。ぼくは、右に行くように見せかけながら左に行くつもりだ。さもなければ、左に行くように見せかけながら右に行く。なべてのものがフェイク(だまし)であることを、受け入れながらやって行くしかないのだ、この今という時、ここでは。相手も自分も、見えない微細な権力も。だまされ、だまして、三角くじの内側は見ないままで。
 もう少し引いてみる。

  生体解剖されるだれもが手の中に小さなメスをもつ雑踏で       中澤 系
  靴底がわずかに滑るたぶんこのままの世界にしかいられない
  作為することの困難さなのだと言った、ぼくには聞こえなかった

 いま冷房でぎんぎんに冷やした部屋のなかで、これらの歌を小さな声で繰り返しつぶやいていると、難病で再起不能のこの歌人の不幸と、短い若さの期間の意味が、痛切に感じられて来てならないのである。彼の歌の意味は、全部わかる必要はないし、また、私がここでやってみせているように、いちいち注釈をつける必要もない。でも、私は彼の無念を代弁したい気持ちに駆られている。それが、私の中に生まれてきた、現代短歌について書くということへの促しである。

 一首め。生体解剖(ヴィヴィセクション)される、という語り出しの、ひやっとするような残酷で、痛々しい響き。歌は、たとえば新宿の街や、混んだ山の手線の車内でぶつかりあう人の体や衣服のこすれ合う感触を想起させながら、「誰もが持つメス」という比喩によって、無関係な都会の群衆が、相互に向けあっている小さな敵意と殺意の集積のようなものを暗示している。二首めは、世界と私というものの変更不可能ということを言っている。宿命的なものに直面した時の感傷である。三首め。哲学のテーマのひとつには意志論の領域があった。作者はある時に、「作為することの困難さ」を語る人の言葉(思想)に接した。でも、そんなことを言われても、ぼくにはどうだっていいと思うのである。それぐらい今のぼくは、困難のまっただなかにある。あるいは、困難を引き受けない(引き受けられない)場にいる。「作為する」、言い換えるなら、生きて行為することとは、反対のことへと自動的に従わせられている自分がいる、ということだ。

 これと同様なメッセージは、斉藤斎藤の歌集にも容易に見いだすことができる。中澤系(一九九七年~二〇〇二年の作品)の場合には、必死な面持ちで語られていた認識が、斉藤斎藤(『渡辺のわたし』二〇〇四年刊)にとっては、わかりきった自明の事柄として、ほとんど投げ出されるように語られるものとなる。

  死ぬときはみんなひとりとみんな言う私は電車で渋谷に行きます     斉藤斎藤
  内側の線まで沸騰したお湯を注いで明日をお待ちください

 私は人を食ったようなところがある斉藤斎藤の作品に、この時代に生きている若者のくぐもるような怒りと抗議の意志を読み取る。わずか数年の違いであるけれども、ここには世上に漂うニヒリズムの濃度の感受における違いがある。だから、中澤系や松木秀の歌集に多く見られる、あからさまなまでにニヒリスティックで攻撃的な作品は、今読むとかえって当たり前な気がしてしまうのだろう。そういう意味では、中澤と斎藤と松木の三者を並べて、斎藤の方に方法的な強度が読み取れると言った穂村弘の批評(『短歌の友人』)は理解できる。しかしながら、読み手の心を撃つ衝撃力と、ことばの表皮を引きはがすようにして使ってみせる詩歌人としての資質において、中澤には群を抜いて優れたものがあると私は思うのである。 
  絶唱と思う叫びが突然の咳で中断された、あの感じ           中澤 系
  吃水の深さを嘆くまはだかのノア思いつつ渋谷を行けば
  ひょっとして世界はすでに閉ざされたあとかと思うほどの曇天

 中澤系の作品にまつわりついている悲劇的なイメージは、右の一首めにおいて極まる。現実の作者は、小心で不器用で、しかも同時に、とても大まかなところがあった。難病で口もきけずに臥せったままとなった彼の現実の有り様それ自体が、「絶唱と思う叫びが突然の咳で中断された、あの感じ」そのもののように思われた。

二首めを斎藤斎藤の渋谷の歌と比較してみる。中澤の方は、自分の体質的なものや気質的なものに根差したところで言葉を繰り出している。「まはだかのノア」の「まはだか」という語に注意すべきだろう。斉藤の歌の方が乾いているのに対して、中澤の歌の方はどこか湿潤なところがある。三首めは岡井隆の歌をすぐに連想させるが、神話的な空間への想像上の遡及が中澤の歌にはあり、早稲田大学で哲学を専攻したという履歴も重ねてみると、二首めと三首めの歌には、作者の実存的な重たさのようなものが、気質の表現として感じられるのである。また同時にここには、三十一歳という現代日本の年齢区分においては青年期の終わりの時間を生きている若者の憂愁が感じられもするのである。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
  キャンディーのいくつか平行世界ではたぶんつまみ上げられなかったほうの
  噛みしめているよこの血まみれの手でつかんだはずのメロンパンなら

 短い習作の期間を終えて、作者はいきなり未来賞受賞作の右の作品のようなところに飛び出した。それまでの閉じた哲学的なつぶやきのような歌が、ここでは一新されていた。歌集の栞文の中で、穂村弘をして「ああ、これは完璧かもしれない。」と言わしめた一首め。この歌は、若手の歌人たちの間で一気に有名になり、中澤系の代表作と言ってもいいものになった。しかし、この歌ぐらい解説がむずかしい歌はない。われわれの通常の約束事の世界では、理解できた人は下がるのだが、それを作者は無理に引っ繰り返してみせる。その時に一瞬だけれども奇異な、判断停止の間が生ずる。「3番線快速電車が通過します」という無機質な注意の言葉のうしろに伏在している「下がりなさい」という命令形のメッセージが、よじれたかたちで露呈させられる。ここで「理解」という語は、キイになることばである。われわれの世界では、赤信号の意味が理解できない人は死んでも仕方がない。3番線の快速電車も同様である。「下がりなさい」という命令形は常に正しく、逆らいようがない。そこのところを百も承知で、作者はあえて「理解できないひと」という無意味な仮定をしてみせる。はぐらかしと言ってもいい。この無意味なはぐらかしの中に、作者の抱く根深い憂鬱と空虚の感覚が、口を開けている。

「理解できない」と言ってしまったら、生きていることが無意味になる。通常の生活世界では、意味を機能させることが生活をするということであり、社会的な関係性の中で生きるということである。一首はそれを拒否しつつ、受け入れている。「理解できない」「ひとは」と続けることによって、作者は意味が死滅した世界に陥るすれすれのところで、意味のある秩序の側に生還する。この偽(ダミー)のメッセージのような四句めの屈折にかけられているトラップ(仕掛け)こそは、生きることが、生きられないことと相似であるようなところまで追い込まれている者の、ぎりぎりのところで案出した自前の、お手製の「空虚」なのである。だから、この歌は、ある意味で、とてつもなく無意味である。そこのところに反応した穂村弘の感性は、冴えていたと言ってよい。

 これと比べたら、二首めや三首めは、わかりやすい歌と言っていいだろう。意味が意味するということを、作者はあたかも罪であるかのように感じてしまう。もしくは、意味が意味するということに耐えられないで、右の二首めのように、意味が意味するということを「平行世界」を一方に置きながら、ようやく受け入れることができる。たぶんこれは少年期の家族関係の記憶の傷が遠因となっている。曖昧にされているが、何かの理由で家を去ったらしい父親のことが習作期の歌に出てくる。

 成長してから彼は、九〇年代のポストモダンの哲学と出会うことによって、非決定と決定の間にある谷間を、瞬時に渡ってしまうものについての、自覚的な意識を持った。だから三首めのように、意味が意味する時には血が流れる。いかにして「意味」に対するかという問いが、作者の短歌の基本的なモチーフである。
 中澤系歌集『uta.0001.txt』二〇〇四年月三月刊。時代はますます若者たちにとって過酷である。中澤君のこの本のメッセージは、これからも若い人たちに届き続けるだろう。 (「未来」二〇〇九年八月号)

〇資料 本日は花の候、中澤系歌集『uta0001.txt』 のためにわざわざお集まりくださり、有り難うございました。今日は主役の中澤 系さんは、病気で出席できませんが、内容はテープで作者の耳に届ける予定です。現在、歌集の残部はなく、何とかして重版したいと思っていました。幸い再びご家族の協力を得て、それができそうな状況です。この本を欲しがっている方が、私の周辺にはたくさんいます。今日もお持ちでない方は、その際にぜひ手に入れていただきたいと思います。

 さて、この本の成立には、多くの方が関わっています。跋文を執筆された岡井隆先生、それから栞文を執筆された佐伯裕子さん。お二人には今日の会の発起人になっていただきました。本当に有り難うございました。それから、本日は都合で参加できませんが、同じく栞文を執筆し、中澤さんの歌集について、今もあちこちに書いたり言及したりしてくれている穂村弘さん、加藤治郎さんのお二人にも、私はここで中澤さんにかわってお礼を申し上げたいと思います。先月開かれた斉藤斎藤さんの『渡辺のわたし』の出版記念会のレジュメに、穂村さんが、中澤系さんの作品を引かれていたことは、会場におられた方の記憶に新しいところだろうと思います。昨年の「短歌研究」の十月号の若手歌人の反響と、十二月の「短歌年鑑」の文章を見て、私自身、もう少しこの歌集のために何かしなくてはいけないと考え、この会を企画しました。

 この歌集は、出版直後に、歌集の第Ⅱ部の末尾の作品、つまり作者が「未来」に投稿した最後の一連が、川本真琴さんというポップス・シンガーのアルバム「DNA」の歌詞をそのまま使って再構成したものであることが、明らかになりました。幸いに作者と著作権管理会社ソニー・ミュージック・エンタテインメントの許諾を得て、事なきを得ましたが、何しろ作者は意思表示が困難な難病で寝たきりなため、こうした手違いも起きてしまいました。けれども、このことによって中澤さんの作品集の独自性が損なわれることはないと思います。これは、病が進行する中で、半年以上「未来」への原稿送付が途絶えた後、やむにやまれず送ったメッセージだったのではないかと私は推測しています。DNAというタイトルが暗にそれを物語っています。結果として、歌集の硬質な文体が、ここで崩れてしまっている印象があるのですが、最後の投稿ということで、編者としては、これは省くわけには行きませんでした。歌集をお持ちの方は、一二〇ページの「1/2」という章題の下の余白に、「この一連は、歌手川本真琴のアルバム『DNA』の歌詞を再構成したものである。」という一行を付け加えていただくようお願いいたします(付記。第二版では、この趣旨の言葉が挿入された)。

 私見では、中澤さんの作品は、八十年代から九十年代にかけてのポストモダン的ニヒリズムに浸透された青年の痛々しい内面をさらけ出しながら、認識の詩を目指したところに特徴があります。その後の本人の病気のこともあり、それを知ればなおのこと、ひりひりとするような読後感が残ります。彼の作品には、まるで自身の病気を先取りし、予感しているようなところが感じられます。そのことに運命的なものを感じて、作品の力ということと、表現ということの恐ろしさを思い、私は一種の厳粛な気持にとらわれます。今日はそのことの意味を多角的に検証してみたいと思っています。

 幸いに、若手の新鋭歌人の黒瀬珂瀾さんに司会をお願いしたところ、快く引き受けてくれました。「未来」からは、若手の中沢直人さん、笹公人さん、それから私の世代に近いところで嶺野恵さん、秋山律子さんにもパネラーをお願いしたところ、どなたも快く引き受けてくれました。皆様の文学の場における友情に感謝します。会場の皆様には、積極的なご発言をお願いいたします。                     (二〇〇五年四月一日 中澤系のutaを忘れないために)
               小冊子「中沢系論ほか・さいかち真文集 2」二〇一〇年八月刊より。 



瀬戸夏子・このごろ亢奮されられる言語の事象について                     さいかち真

2016年12月26日 | 現代短歌 文学 文化
角川「短歌」の時評に瀬戸夏子が起用されている。これはすごい。それで、私が淺川肇さんのやっている雑誌「無人島」に最近載せた文章をここに転載することにしたい。 

 このごろ亢奮されられる言語の事象について 
                   さいかち真
この頃は若い歌人の過激な歌集が評判である。瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end.』。それから井上法子『永遠でないほうの火』。どちらも、こいつら本気だ、と思わせる捨て身の迫力を持っている。これを出しているのは、書肆侃侃房の田島安江社長。田島さんは最近、劉暁波詩集『牢屋の鼠』(田島安江・馬麗 訳・編)を刊行して「朝日新聞」の夕刊に紹介されていた。劉暁波は、私は不明にしてほとんどその著作を知らなかったが、ノーベル平和賞を受賞した中国の獄中詩人である。田島さん自身が詩人であり、その活動は出版も含めて志の感じられるものである。

 井上法子の『永遠でないほうの火』は、タイトルとなった一首がすでに名歌の風情を漂わせていて、私はこれを今年の収穫の一冊としたい。こちらは歌壇的にも支持されるはずである。しかし、真の過激なチャレンジャーは、私は瀬戸夏子であると思う。一時期の椎名林檎を思わせる(※この一句削除いたします。2018.3.10)、詩的言語と心情のアイロニーを機関銃のように炸裂させる一匹狼。短歌の言語場にあらわれた真正の詩的冒険者。

近年の服部真理子や吉田隼人が賞を受賞した時点で、現代短歌の表現線の先端が、大きく動いていることは実感できたのだが、瀬戸夏子と井上法子の登場をもって、新々前衛短歌運動とでも言うべき、鮮烈な修辞的冒険を試みる若手の一群が、ほぼ出そろった観がある。あとは、これをどう熟成させ、思想詩としての短歌の歴史に接続し、人生の箴言詩として高めてゆくか、個々の作家の力量が問われている。
作品を見てみたいが、瀬戸夏子の作品は、以前読んだ時と、また取り出して読んだ時と、そのつどいいと思う作品が異なる。それだけ、名歌性や、秀歌性を犠牲にした作品が多いのである。つまり、そんなことはカケラも心配しないで歌を作ろうとしている。

章題の「私は無罪で死刑になりたい」とか、「東京という死の第二ボタン」とか、「純粋な勝負は存在しない」とか、何てまっすぐ獰猛なんだろうと思ってしまう。「私は無罪で死刑になりたい」というのは、罪科なくて配所の月を見む、という中世の日本人の美学を現代風にアレンジしたものかもしれず、「東京という死の第二ボタン」があるなら、第一ボタンは何だろうか、などといろいろ考える。こういうタイトルは、死の周りをぐるぐる回っている。第一ボタンはたぶん、国会か首相官邸にある。つまり、この世の秩序。王様の持ち物の世界だ。第二ボタンは、そこから相似的にずれている。そこで「現実」を「描写」するのではなく、言葉によって「現実」を修辞的に平行移動するのだ。死の方角に少し引っ張られながら。その時に普通は、都市の血汁が流れ、ビルの内臓の液体がしみ出すのだが、瀬戸夏子の言葉はどこまでも乾いている。都市も、高度な自意識も、SF小説の空間のようなバーチャルな観念世界にいったん変換し直されているのだ。そうして瀬戸夏子は、真の意味での「抒情の脱色」(私の造語)を成し遂げた。奴隷の韻律と言われて蔑まれた戦後の短歌の負債を一度に返してしまった。

 そっくりなディズニーランド操縦しマフラー編んだ声を椅子にし          瀬戸夏子

これは現実の「ディズニーランド」に抒情してしまう歌では、ないのだ。「そっくりなディズニーランド」として一度変換し直されているのだ。現実に係数を掛けているのだ。そうして、私は次のような歌の絶望の深さに驚くのである。

 未来の声がとどく範囲からではだめきれいな心を与えすぎてた           瀬戸夏子

通常の場合に人は、「未来の声がとどく範囲から」希望を語るのである。それでは「だめ」というのは、そんなものは甘いからである。宗教性の浮薄な部分をかっこでくくって批評してしまっている。少しあぶないぐらいに純粋なのである。そこから先には、刃物のようにきらめく本物の願望しか残されていないことになる。それだって「きれいなこころ」すぎたという自己批評の言葉に引き戻されている。これは「現実」の懐疑であるだろう。だから瀬戸の歌に「現実」がないのではない。絶望をウルトラ化して宗教的感情までも批評の俎上に上げる方法が、あまりにも奇抜で高度な自意識の操作に立脚しているために、「現実」を僭称する人々にわからないだけなのだ。

会話体

2016年12月15日 | 
 東京堂出版の『京都語辞典』という本があって、私は最近これを乗り継ぎ電車の手持無沙汰な十分間に見る事にしているのだが、中に引かれている市井の人々の会話の用例がものすごく楽しい。一冊のなかに声があふれ返っているのである。たとえば、

ニシリツケル〈動下一〉 なすりつける。「アンタハンが悪いくせに、ほかの人に責任をニシリツケたら、アキマヘンエ。」→ニジクル

 全体にこんな調子で、このセリフはいまの東京都の諸問題を思い出させるが、本に引用されている夫や子供相手に投げかける言葉のどれもが、なかなか手厳しい。もうひとつ。

ダカマエル(抱かまえる)〈動下一〉抱きかかえる。「あの人にダカマエられたら、離さハラヘンエ。」ダクとツカマエルとの綜合か。ダッカマエル・ダカエルとも。

 ダッカマエルなんて、響きが外国語みたいだ。ロシア語ではなんというのだろう。

さて、今日買ったのは、ちくま文庫の黄色の復刊の帯がついている上林暁『禁酒宣言』である。短編集の冒頭の「女の懸命」を一気に読了した。これがまた、会話体の文章模写の極致のような文章でつづられている。こういう会話の文章が得意な作家のものは、たとえば里見弴がそうだろうが、読んでいるとこちらの精神がなめらかになるような気がする。

先の土・日に買ったのは、次の本など。
・里見弴『月明の径』(昭和五六年文藝春秋)
・川口松太郎『うた姫静』(昭和三十一年)
・辰巳芳子『手からこころへ』(2004年海竜社)
・辰巳芳子『いのちの食卓』(2004年マガジンハウス)

辰巳芳子については、私は「毎日新聞」の日曜版で「いのちのスープ」についての記事を読んで感動して以来の支持者である。その記事のコピーは、自分の職場で若者たちに読ませて自分の考えを書かせるための定番教材として用いている。

※しばらく消していたが、何かの参考になるかと思って、タイトルを変えて復活させることにした。

阪森郁代歌集『歳月の気化』

2016年12月11日 | 現代短歌 文学 文化
 帯に「社会の大きな出来事も、身辺の小さな出来事も、まるで気化していくように忘れられていく時代。それだけに、歌に託しておきたいという思いは以前にもまして強くなった。」とある。

 たしかにそうだ。事件も人も、あっという間に忘れ去られる。一人一人の人生の時間も、そういう大きなうねりに押し流されているのにちがいない。タイトルから少し挑発的な印象を抱いたのだが、作品そのものは穏やかなものが多い。

けふの日をそよぐことなきアガパンサスすうつと力を抜いてもいいのに
隠るるも隠さるるにもよきところ山紫陽花のうす暗がりは

ことごとしく何かを言い立てるのでもない。日常の機微を言い表すために、言葉の意味の影の部分を働かせるのだ。

影もたぬままに白々いつまでも露地につめたく何を為す花
どの向きに並び立つとも姥目樫たやすく風の流れに乗らぬ

こういう歌がいいと思えるのは、私自身の心境と交差するものが、ここにあったからだ。そのことが単純にうれしい。

角田純歌集『海境』

2016年12月06日 | 現代短歌
一太郎ファイルの復刻である。砂小屋書房の連載コラムで佐藤弓生さんが角田純さんの歌を取りあげていた。それで、私も「未来」に載せた書評の文章を引っ張り出してみることにした。雑誌の文章では、行数の関係から削ってしまった部分も今回は加えた。

われはまた地を這ふ翼  

 歌集巻頭の一連に「挫折」というタイトルをつけて冒頭にこの一語を置き、そこから第一歌集の作品を始めようとする。そこには十分に世代的な含みがあるだろう。そしてこれは、巻末の岡井隆の解説によれば五十代だという作者の、その後の情念の歴史と生の軌跡を暗示するものでもあるだろう。

  あざけりと怯えた鳥のさへづりと ひき毟られて鏡の前へ 17
めざむれば渇くのみどよ薄れゆくゆめの葉群に昭和の鉄路   18

 一首めの「鏡」は、自意識の喩と言っていいと思う。「あざけり」は、外からも自分自身の内側からもやって来る。ひき毟られる存在としての自らに、作者はここで白々とした光を当ててみせる。これは伊藤一彦の『瞑鳥記』の一首「ひかるまひるの」への遠い返歌と言ってよいかもしれない。二首めの鉄路の「夢」は、六十年代末から七十年代はじめにかけての時期に学生だった人たちにとっては、自明であったもの、変革への熱い願いを指す。

  「夜ガ明ケタラ」と歌ひし浅川マキ、夜は明けざれば鉄路しろがね    22
  火炎瓶触れあふ音のいとほしも夜は明けざれば我らさまよふ    23

 集のはじめにこういう私語りにつながる歌が多く出て来る。これは、歌集を読む際の手がかりを示すものとして引いておいた。鉄路の歌の後には、道の辺に棄てられている屍をうたった歌があるが、それも世代的な共通の経験を示しているのにちがいない。二首めの歌の結句は、歴史的現在であって、「さまよひし」ということを、こう言ったのである。夢の中では、昨日が今のこととなる。

  かぜに晒すよごれた朝のわたくしのさびしき一樹たちて黙せり   79 
がいねんの乱れの果ての倦怠かな天つみそらの雲のゆきかひ
  ゆめひとつ置き去りにして飯を食むいつまで喘ぐいつまた戦ぐ

 右のような歌を、むろん個人史の中での歌として読んでもいいのだが、世代的に負った主題の微かな残響を感じ取りながら読んだ方が、歌の読みとしては深みが増すだろうと思う。

 角田さんの歌には、岡井隆の影響が濃厚である。岡井隆の『神の仕事場』の不安に満ちた心象風景と角田さんの歌に出てくる象徴的な風景とは、響き合うものがある。おそらくは戦後詩も相当に読みこなしている作者であり、かなりの文学的な履歴の持ち主であることは、まちがいない。そういう人が岡井隆の歌に出会って、突然化学変化を起こすように自分のこれまでの芸術的、言語的な経験の蓄積を短歌型式によって統合し、自己の感性を再編成しようとしたのが、この歌集である。角田さんは、岡井隆の文体を十分に咀嚼した上で、自分の歌を歌っている。それもきわめて独自なかたちで自分の歌を歌い得ていると思う。

角田さんは、愛媛県は松山の人である。作品集の後半には、何と同郷の歌友の渡辺光一郎と取り交わした往復歌が五首ずつのっている。その詞書きから、現在の角田さんが船舶の修理などの仕事に従事しているらしいことがわかる。また、この一章が呼び込んでいる生き生きとした現実の手触りが悪くない。詞書きのある連作はどれも高水準であり、たとえば舟越桂展に取材して、舟越作品のタイトルが詞書としてつけられている歌には、最高の詩的な感興があふれている。

      届かなかった言葉の数(1991)
  言の葉にふかき祈りを刻みをりアンソニー・カロの鋼の庭に 135

このほかに、死者たち〈ジャコメッティ頌〉という一連から。

  空あをく眸くらきゆゑ〈太古の〉寂しき園にさそはれしかな
  いにしへの蜜たくはへし木の実かな林檎は酸ゆき磁場を持ちゐて