さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『Stylish century 2019 トリビュート中澤系』

2019年05月25日 | 
簡単に言うと、この冊子は中澤系の読者が、彼の短歌に出会った時の衝撃を語り合う短文を集めたものである。彼は1970年生まれなんだなあ、と改めて裏表紙の短い年譜をみて思った。90年に二十歳。92年に二十二、三歳。彼は団体職員になっていたから、就職氷河期の惨苦は味合わずに済んだ。でも、彼の作品には、八十年代に多感な青春の時期を過ごした人たち、象徴的な名前を出すなら、冊子にも名前が出ている宮台真司の本を読んで何事かを考えざるを得なかったような人たちの心臓を鷲掴みにする何かがあった。

 本書の巻末には中澤系の蔵書目録がある。哲学書にヴィトゲンシュタインがあるほか、あまり所有していないのは、たぶん他は図書館でかりたのだろう。本冊子の歌集歌書の目録は90年代の短歌の世界を知る資料となるだろう。荻原裕幸の名前がないが、彼は荻原は読んでいる。だって既刊分を私がまとめて彼に貸したのだから。私の歌集の出版記念会のときに私のうしろに立って笑っている写真があった。それは彼のことを考えている時に、背後の本棚からばたりとこぼれ落ちてきたのである。

 私自身は、何かいつもいたましいというか、申し訳ないような気がしてしまって、中澤系について大きな顔をして語りたくないのである。たしかに私は彼の歌集を編んだけれども、それはたまたま御母堂に頼まれたからにすぎない。だから、本多さんや妹さんのしていることには積極的に関与して来なかった。それで良かったと今も心からそう思っている。私にとって中澤系は畏れなければならない死者の一人である。彼の歌は、言葉で時代と刺し違えたようなところがあるから、いまでも人の胸を打つのだ。そうしてあの時代に青春時代を生きていた人たちの気持を代弁しているところがあると思う。さらにまた、巨大化したシステムのなかに生きる後続世代にとっても、その初期の全面化の様相のなかで精神的な抵抗を試みながら「言葉」の意味を考えていた存在の一人として、彼の作品は刺激的であり続けるはずだ。

 いや死だよぼくたちの手に渡されたものはたしかに癒しではなく  中澤系

 こんなにも人が好きだよ 暗がりに針のようなる光は射して

 この相反する指向性を持つ歌を引いて語っているところに、現在の中澤系の読者の成熟した姿がある。それは、彼の歌を経てここまで何とか生き延びてきたひとたちの言葉である。
「中澤はみずからシステム、つまり「系」の名を負う決断をした。システムに「成ろう」というアンガジュマンとしてなのか。」(斎藤秀雄)というのは、彼のペンネームについての解釈として、当たっているだろう。

古井由吉『この道』

2019年05月20日 | 
 書店の新刊コーナーに行ったら古井由吉の『この道』があったから、買って来た。この人の書くものは、文章の運びに身をまかせて読んでいく時の楽しみがある。自分もだんだん死が現実のこととして視野に入って来た歳になって読むと、よけいに古井由吉の書くことが近々と感じられるのである。そういう視線でこの世の事や、自分より若いひとたちのやっていることを見つめる視線というのが、つまりは老い人の目なのだということにも、この頃慣れた。それは、若い母親が乳母車(近頃はベビーカーとしか言わないが)を押している姿を見たり、電車のなかでだだをこねる我が子に困り果てている若い父親の姿を見たりした時に、とりわけ強く感じられる、なつかしいのに、ひどく隔たってしまっているという感じなのだ。
 過去の助動詞の「けり」の語源は「来あり」だという。これはベルグソンの現在の時間の説明と合致しているようだ。『この道』から引く。

 「わたしという存在は一身の過去の記憶の、よくも思い出せないものもふくめて、漠とした積み重ねの上に立つと取るのがまず穏当である。」

 「息を引き取った後で、死んだ自分を去り際に振り返る。そんな想像が人の内に埋め込まれているようだ。そこで死んでいるのが自分なら、振り返る自分は誰なのか、と粗忽の話に類しかねないところだが、霊魂の不滅を信じかねていてもそのような想像が時に去来して、いず死ぬことへの、なにがしかの和(なご)みになるのだから、何事かなのだろう。やがてひとりになり、知らぬ道をたどりながら…」

 独特の文章のリズムは、要所で5語音節と7語音節が効いていることによって生まれている。加えて高低アクセントの配分が音読に堪える張った調子を生む。
「わたしという6/存在は5/一身の過去の7(促音のため3+3)/記憶の、4+無音の拍1/よくも思い出せない10/ものもふくめて、7+無音の拍1/漠とした5/積み重ねの6/上に立つと6(3+3)/取るのがまず6(4+2)/穏当である7/。」

  注  一身 過去 よくも もの 漠と 上 まず 息を そんな 人 埋め  を太字にしてみてください。

「息を引き取った後で、死んだ自分を去り際に振り返る。そんな想像が人の内に埋め込まれているようだ。」
 
 「息を」でいったん跳ねたあと、「死んだ自分を7/去り際に5/振り返る5」と見事に7・5語音節の調子で息を抜き、続けてまた「そんな想像が」と再び盛り上がる。このうねるような文体の魅力は詩を読む感覚に近い。と言って野坂昭如のような文体とも、また違うのだ。同じく語りの文体ではあるけれど、自動筆記的に不意打ちの一語を、深い認識の生成を伴いながら呼び込んで来るところが、古井の文体の魅力である。

 ここまで書いたところで胃腸が深夜の掃除の動きをはじめたから、そろそろ眠れそうな気がする。

国有林野管理経営法「改正」について

2019年05月18日 | 地域活性化のために
今日の新聞をみると、国有林野管理経営法改正のニュースがのっている。これは水道法の改悪や種子法の撤廃などと等しい。どの法改正も外資がはいりやすくする、という点では一貫している。

※ 皆伐した山林の植林が進んでいない現状について、「毎日新聞」の9月15日 日曜日朝版に報道がある。

豪雨災害の時代にこういう法律改悪をする感覚は、まったく理解できない。早々に植林を義務付けるように改正すべきである。

これには国の援助も必要だろう。募金を募るやり方もある。

連休中諸書抜粋

2019年05月05日 | 日記
先日ブックオフに寄ったらルドルフ・ゼルキンの弾くベートーヴェンのピアノのCD11枚組というのが出ていたから、これからずっと楽しみで聞けるなと思って買って来た。ルドルフ・ゼルキンのレコードは、若い頃にメンタルがやられている時に何度も何度も聞いた。とりわけ後期のものがいいので、作品101などは鼻歌でうたえるぐらいだ。いま聞くとやや録音が粗く感じられるが、レコードだとまったく問題はなかった。

さて、久しぶりに「身めぐりの本」。身辺に何となく置いてある本を移動しようと思って、書名を選んで入力するつもりが、結果的にこういう書き物になっている。

・『詩と神話 星野徹詩論集』1965年9月1日、思潮社刊。680円。
これは「詩の読み方入門」とでもサブ・タイトルを変更して再刊したらいいのではないかと思う。文学の教科書として使えそうなので、現役の詩人が注釈をつけ加えたらいい。それは電子書籍でかまわない。引用した原詩も入れれば、いろいろな学科で使えるだろう。

・沢口芙美編『岡野弘彦百首』2018年3月、本阿弥書店刊。
 「人」短歌会関係のひとたちが結集している入魂の一書。

・相馬御風『訓訳良寛詩集』昭和四年十一月、春陽堂刊。
 訓みがやわらかくて調べがあり、滞りが無い。これ以上何の不服もない気がする。どこかで再刊しないかしら。

・舟越桂『個人はみな絶滅危惧種という存在』2011年9月、集英社刊。この価格では当時は最高だったかもしれないが、写真が作品になまな感じを与えてしまっている気がする。用紙も別にして、複数の写真家に撮らせたものを作り直すべきだ。タイトルも気に入らない。
※ などと書いておいて同じ日に平塚市美術館に行ったら、たまたま彫刻家と絵画をテーマにした展覧会をやっていて、舟越桂の作品もたくさん出展されていた。この展覧会は、とてもおもしろかった。

・吉田健一『本が語ってくれること』1975年1月、新潮社刊。
 29ページにドナルド・キーンの『日本の文学』に触れた文章があって、吉田健一はその本の訳者なのだが、この本では重点が連歌に置かれている点について、「日本の文学の本質を連歌、或は連歌の形を取つた傑作に見ることが炯眼、或は啓示であると考へるに値するものであることも納得される」と書いている。それが「国籍の問題を越えて文学といふものの本質を摑んだものである」と続けている。ドナルド・キーンと言うと日記、と思っている人が多いだろうと思うが、吉田健一は連歌だと言っている。日本の究極的な「コミュニケーション」の文化なのだから、連歌の研究は今後とも大いに推奨されてよい。

・福永光司『老子』昭和43年10月、朝日新聞社刊。
 図書館の廃棄本をもらってきたものだ。こっちの方が大きくて読みやすいのに何で廃棄するのかしらね。「ものごとを予見するさかしらの知識というものは、道の実なきあだ華のようなもので、人間を愚劣にする始まりである。」なんてことが書いてある。これは、わかりやすい訓訳だ。

・サマセット・モーム『英国諜報員アシェンデン』平成29年7月、新潮文庫。
 残しておいた最後の章を今日読了した。昔読んだけれども、すべて中身は忘れていたので楽しかった。隠忍自重の主人公の姿は、作者自身と近いところにあるが、この世の掟に従わせられている自由人という逆説、根源的な皮肉がここにはある。この本の冒頭で作者はチェーホフの作品について毒づいているのだが、書き上げられた作品自体はチェーホフ的な要素がある。プロットでいくらがんばっても、絶望的な現実のなかでは、空気のように立ち昇って来てしまう無為や退屈さの気配が、抑え込まれたメランコリーとなって登場人物の眼の中に光を発することになるのである。つまり、脇役というのは、作者の無意識であって、実は一人称語りの観察対象である脇役こそが主役であるという逆転が起きている。作者はそのことをもプロットのなかでうまく処理できたつもりになっているかもしれないが、案外にそうでもない、というような思索を可能にしているのが、この新訳の功績だろうか。

・辰野隆、林髞、徳川夢声『随筆寄席2』昭和35年7月、春歩堂刊。
 なかなか言いにくいようなことが、かえって座談だから出ている。

・加藤楸邨『新稿 俳句表現の道』昭和二十六年十月、創藝社刊。
 「先づ自然を観るに、何より大切なことは型をすてて観るといふことです。」
とある。そして次のような例句を示している。

竹縁を団栗はしる嵐かな   子規

ながれゆく大根の葉のはやさかな  虚子

残雪やごうごうと吹く松の風   鬼城

引く浪の音はかへらず秋の暮   水巴

八ヶ嶽凍てて巖を落としけり   普羅

頂上や殊に野菊の吹かれをり   石鼎

火になりて松毬見ゆる焚火かな  禅寺洞

鶏頭伐れば卒然として冬近し  元

きさらぎの藪にひゞける早瀬かな  草城

風たちて萍の花なかりけり   風生

吹き降りの淵ながれ出る木の實かな   蛇笏

船底の閼伽(あか)に三日月光りけり  乙字

草原や夜々に濃くなる天の川   冬葉

・林家辰三郎『南北朝』1991年1月、92年6月第四刷、朝日文庫。
 ルーペで拡大して読む。
「すなわち『太平記』によると、正成は出陣の際、天皇にふたたび叡山に行幸ねがい尊氏を京都に誘い込んで挟撃しようという献策をしたのに対して、坊門清忠ら公家衆の反対によって容れられず、正成は重ねて兵庫下向の勅命をうけて、「此ウヘハ異議ヲ申スニ及バズサテハ打死セヨトノ勅定ゴザンナレ」とて出陣したというのである。『梅松論』の場合でも尊氏を召しかえし君臣和解ができないとすれば、やはりこのような気持であったろうが、この『太平記』の記事によっても、正成は出陣以前に討死の決心を固めていたことになるのであって、明治以前にはこの点をもって千載にたたうべき忠義の心としていたのであった。ところが明治以後は出陣以前に討死を決心するのは真の忠義ではないという批難がおこったのである。そこで『太平記』の説を否定し、当日の戦況によりのがれうる見込みがなく、やむを得ず自害したという説が一般の通説となってきたのであった。しかしこの正成戦死の事情は、やはり『梅松論』によるのが最も正しいのではなかろうか。彼自身、前途の重大な見通しにおいて、朝廷との間に懸隔を生じていたのであるから、天皇を裏切らぬかぎり、死よりほかに道がなかったであろう。」
 これは現実的武略家としての正成という視点から資料『梅松論』の視点を是とする考えである。

・光明皇后御書『杜家立正雑書要略』昭和十一年五月、武田墨彩堂刊。
 

小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

2019年05月04日 | 現代短歌
・2019年4月、書肆侃侃房刊。

 いつだったか「短歌研究」に、この実在の平和園という中華料理店についての記事がのった。そこは名古屋の歌人のたまり場なのだそうだ。著者はその店の店主。短歌の真面目くさったところが苦手な人には、この歌集は、かなりいいのではないかと思う。

世の中は金だよ金、と言うたびに立ってる焼け野原にひとりで

警察24時で暴走族が持つバットがイチローモデルと気付く

深夜のドンキはフィリピン人の奥さんを連れたおじさん達のお祭り

退会のボタンが見当たらない通販サイトのような僕の人生

わたしが信長だったら国会議事堂をとっくに焼き払っていますよ

マジっすかそうなんですか初耳の三つの言葉だけで暮らしたい

年収を記入する欄だけ書いてないけど周りの人はどうだろう

わかさぎ釣りしている人が連なって空の小さな穴に吸われた

 こうやって書き写しながら、何度か笑い転げた。

桃原邑子『沖縄』平成30年1月、六花書林刊 新装版

2019年05月04日 | 
 平成11年に88歳で死去した著者の歌集である。この新装版は、ご子息の桃原良次氏と、短歌結社「地中海」の久我田鶴子氏の協力によって刊行されたものである。

捕虜になるよりも死ねとぞ教へたるわれは生きゐて児らは死にたり

ひそみたりし墓の壕より出でて飲むああ井の水よたたかひやみぬ

ひとも兵も平たくなりて死にゆきぬ立体なすものは撃ちぬかれたり

十死零生の特攻兵君が殺めしはわが子良太ぞ互みに哀し

流線の機種美しき三式戦のわが子の良太を切り裂きにけり

読谷に米軍上陸の昭和二十年四月一日に死にし良太の五十年忌今日

ヘリ墜ちて死にし米兵の悲しみは言はずマスコミもまた住民も

良太殺めし特攻兵の悔恨を思へば子の名刻めず平和の礎

 沖縄戦の死者で判明して居る人の名前は、みな「平和の礎」に刻まれているのではなかった。
こんなにも孤絶した戦争の経験というものがあったのだ。いのちはみんな等しいもの。「ヘリ墜ちて死にし米兵の悲しみ」を歌うに至った作者の精神の境位を尊く感ずる。

川野里子『歓待』

2019年05月04日 | 現代短歌
 この連休の前半は、尾崎一雄全集の第二巻を注意深く読んだ。その合間に、川野里子さんの新歌集をめくっていた。全集の第二巻には、昭和二十年前後の作品が収録されている。親族の死と自らの病と戦争の現実に直面しながら生きる姿をえがいた小説世界である。川野さんの歌集にも、苦難に面して生きる人の思いがのべられている。引いてみよう。

  「オフロガ・ワキ・マシタ」しんと木星も土星も聞きてゐるなり

  一匹のマウス握りてゐるこころマウスに縋るごとくにをりぬ

  自己主張してきしあはれスイッチ押せば驚きてコード巻き戻り来る

 身めぐりのものを相手にしながら、感情のふかいところから言葉をさぐって、自己を凝視している。機械に囲まれながら、われわれが抱えている根源的な孤独を一首目は暗示し、手作業のうちに押し込められている焦燥感を二首目はあらわにし、三首目は、われわれの〈欲望〉のありようを、満たされない欲求不満の地点から引き返すものとして巧みに家電のコードに仮託しつつ形象化している。一方に情念の当体を意識しながら近しい「モノ」と対話する批評的な精神のはたらきが感じられる。

 「あとがき」は、短いが亡母のことにふれたいい文章である。この作品集の底を流れる基調の感情が何か、ということがわかる。

  酸素マスクの中に歌はれ知床の岬は深き霧の中なり

  生きようとする人ベッドにゐる昼を蛇口に水はゆれながら立つ

   ※   ※

  一両列車とほりすぎたりゆつくりと何かを探すカーソルのやうに

  絶対安静 吊り橋となりしわたくしをだれかひつそり渡りゆきたり

 最後の方の章をみると、母の看護をしているうちに作者自身が心身の過労で倒れてしまったらしい歌がある。人生というものの過酷さに堪えて人間が生きるということのたいへんさ、危うさを描いている。尾崎一雄は文学を支えにして耐えたと書いている。川野も短歌を支えとして生き堪えているだろう。

 危機的な局面のなかで、生の場所と時間の一回性に突き当たるような言葉があらわれてくる。「蛇口に水はゆれながら立つ」、「何かを探すカーソルのやうに」というのは、単に修辞がどうとかいうことではない、そのように言ったときにはじめて照らし出される真剣でのっぴきならない生の真実の相貌を詩として示している。