タイトルが『バベル』。本をひろげて適当にめくっているうちに、おや、と思って引き込まれた。それで、こういう文章を書こうとおもうところまで気持がたかまった。
作者は田島邦彦らの雑誌「開放区」に出詠していた。そういえば久しぶりにこの人の歌を読む。本書は二〇二四年二月刊。
わが胸の故郷を接収して建てり再開発の高層ビルは
落ちてなお色ある花に壮年を過ぎたる心添わせむとすも
閉園のチャイムに押されて歩きだすゆうぐれの血をもてあましつつ ※ 誤記訂正しました。2.2
こういった適度に抑制され、念入りに調整された歌の言葉を読むうちに、一冊の作品集全体から醸し出される孤独感のようなものが、胸にしみてくる。仕事の歌も、今の日本社会で普通に生きて生活している人の抱くであろう、屈託感や停滞感、いくばくかの危機感のようなものが、説得力を持ってこちらの胸に響いてくる。
無言にてひしめき合えるエレベーターとりどりの社員証を提げつつ
氷河期もリーマンも耐えて現在あるとグラスに移して飲むレッドブル
※ 「現在」に「いま」と振り仮名。
「仕事がないなら起業したらいいじゃない」明日のパンさえ無き若者に
退職のおんなデスクにさりげなく貼りし付箋の軽さにて去る
この人の歌は、上句を五七五の境目や単語の切れ目のところで、ぽつりぽつりと、沈黙を呼び込むように切りながら読むと、感じが出るものがあるのではないかと、いま書き写しながら思った。
退職の おんな
デスクに さりげなく
貼りし付箋の 軽さにて 去る
二句目の句跨り感と、結句の薄い句割れ感をやや強調して表記してみると、こんな感じだ。 ※ 文章訂正しました。.2.2
傍証として、二首あとにこんな歌をみつけた。これは作者がはじめから句読点と一字空きを用いて読み方を規定しているものだ。
もう着ない服、読み返さない手紙 過去と暮らしているも同然
五、七、五、七、七で分けて表記すると、「もう着ない/服、読み返さ/ない手紙/過去と暮らして/いるも同然」となる。ただし、この作者の句跨(くまたが)りは、さりげないものがほとんどで、事々しい感じを受けない。それは作者の歌風の特徴とも重なっている。
人生で流す涙の総量が一定ならば そろそろ尽きむ
廃ホテル脇より老猫が出でて来ぬ全部見てきたという顔をして
生活時間との適度に批評的な距離感を持つことが、自分のもっとも大切な領域をまもることに通じている。異性をめぐるやりとりのなかで心をかきみだされても、作者のかけがえのない個人性の当体は守り抜かれていると感じる。
この歌人にとって定型詩は心の皮膚のようなものだろうか。
東直子さんが栞の文章を書いているが、私はそれを読まないでこの文章を書いた。言っていることが同じでないことを願いつつ、ブログに出すことにする。
作者は田島邦彦らの雑誌「開放区」に出詠していた。そういえば久しぶりにこの人の歌を読む。本書は二〇二四年二月刊。
わが胸の故郷を接収して建てり再開発の高層ビルは
落ちてなお色ある花に壮年を過ぎたる心添わせむとすも
閉園のチャイムに押されて歩きだすゆうぐれの血をもてあましつつ ※ 誤記訂正しました。2.2
こういった適度に抑制され、念入りに調整された歌の言葉を読むうちに、一冊の作品集全体から醸し出される孤独感のようなものが、胸にしみてくる。仕事の歌も、今の日本社会で普通に生きて生活している人の抱くであろう、屈託感や停滞感、いくばくかの危機感のようなものが、説得力を持ってこちらの胸に響いてくる。
無言にてひしめき合えるエレベーターとりどりの社員証を提げつつ
氷河期もリーマンも耐えて現在あるとグラスに移して飲むレッドブル
※ 「現在」に「いま」と振り仮名。
「仕事がないなら起業したらいいじゃない」明日のパンさえ無き若者に
退職のおんなデスクにさりげなく貼りし付箋の軽さにて去る
この人の歌は、上句を五七五の境目や単語の切れ目のところで、ぽつりぽつりと、沈黙を呼び込むように切りながら読むと、感じが出るものがあるのではないかと、いま書き写しながら思った。
退職の おんな
デスクに さりげなく
貼りし付箋の 軽さにて 去る
二句目の句跨り感と、結句の薄い句割れ感をやや強調して表記してみると、こんな感じだ。 ※ 文章訂正しました。.2.2
傍証として、二首あとにこんな歌をみつけた。これは作者がはじめから句読点と一字空きを用いて読み方を規定しているものだ。
もう着ない服、読み返さない手紙 過去と暮らしているも同然
五、七、五、七、七で分けて表記すると、「もう着ない/服、読み返さ/ない手紙/過去と暮らして/いるも同然」となる。ただし、この作者の句跨(くまたが)りは、さりげないものがほとんどで、事々しい感じを受けない。それは作者の歌風の特徴とも重なっている。
人生で流す涙の総量が一定ならば そろそろ尽きむ
廃ホテル脇より老猫が出でて来ぬ全部見てきたという顔をして
生活時間との適度に批評的な距離感を持つことが、自分のもっとも大切な領域をまもることに通じている。異性をめぐるやりとりのなかで心をかきみだされても、作者のかけがえのない個人性の当体は守り抜かれていると感じる。
この歌人にとって定型詩は心の皮膚のようなものだろうか。
東直子さんが栞の文章を書いているが、私はそれを読まないでこの文章を書いた。言っていることが同じでないことを願いつつ、ブログに出すことにする。