さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

不意の微風

2020年10月31日 | 
※2015年に「無人島」に掲載した文章を以下に掲載する。一部はブログ等に利用して載せたかもしれない。

 最近はジャンルによって古書の値下がりが甚だしいので、私のような本好きにとっては、ありがたいような悲しいような事態が起きている。加えて国会図書館蔵書のデジタル化が進んだため、かつての稀覯本が安価に市場に出回るようになった。『桂園遺稿』上・下など、私が買った時は一万五千円したものが、最近「日本の古本屋」サイトを見たら約半分の価格に下がっていた。詩集、歌集は特に有名なもの以外は、たいていのものは千円も出せば買えるのである。なお国会図書館の「近代文学デジタルライブラリー」は必見。影印本まで見ることができる。あとは国際日本文化研究センターの検索データも「国歌大観」が見られない時は便利である。

 閑話休題。淺川氏より近藤芳美について何か書けないかということなのだけれども、これは私の書くものよりも大島史洋の近著『近藤芳美論』などを見た方が時間の節約になる。ここでは近藤の五歳年上の先輩に当たる小暮政次の歌について書いてみたい。晩年より十年ほど前の近藤芳美に私は歌会の後の席で親しく接したことがある。その時に近藤は小暮政次の歌を読めと私に言った。これについては、砂小屋のホームページの「今日のクオリア」の五月十四日のところに書いた。

小暮政次の歌は、ある年齢をこえた者には、きわめて価値の高い生の指針となるようなものではないだろうか。私の手元には『小暮政次全歌集』と十冊ほどの歌集があるのだが、特に晩年に近い頃のものは、「全歌集」が便利である。どこを開いてもいいのである。たちどころに小暮の生きていた老年の思念の時間と、見聞きしていた周囲の事物の姿に触れることができるのである。これを見ると、歌がうまいとかへたとか、いい歌とかよくない歌とか、そういう所を完全に踏み越えたところを独歩する歌人の自在な境地に新鮮な驚きを覚えるのである。『閑賦集』(未刊歌集)の「来るべきもの」より。

 束の間に息は定まるかなしさを告げがたきかなこれの世のこと

 側になほ在るごとし思ふさへ自から疑へど致し方なし

 ひつたりと寄り添ひてくる影なるかひとりはなれてゆく影なるか

 眠らむとして安からぬ心なり暁となり樹々遠くゆらぐ

 哀しみを試みとして受け入れむと思ひ至りし時暁は近し

 眠りがたし思ひていよいよ眠り難しひとりのこころひとり思ひて                『閑賦集』  

これは作者が平成七年に妻を見送ってのちの歌である。私は同じような境遇の方と接する機会があるので、こういう歌も歌会にしばしば出てくる。父母や子、兄弟をうたった歌とともに、普遍的な人間の心情を表現しているのではないかと思うのである。全体に心内語をつづった作品が多いのだけれども、「暁となり樹々遠くゆらぐ」というような、簡略でおおまかな自然の描写が、かえってわれわれの日常の感覚を思い起こさせるところがある。そうして、小暮の話法は、繰り返し自己の思考の跡をたどってゆくものである。言い直し、思い返ししながら、思考の流れを定着してゆく。「ひつたりと寄り添ひてくる影なるか」。もう一度。「ひとりはなれてゆく影なるか」。寄り添う影は、はなれてゆく影である。「眠りがたし」。思ひていよいよ「眠り難し」。「ひとり」のこころを「ひとり」思ひて。上句と下句に二度、繰り返しがある。こうすると、歌はいくらでも、後からあとから湧くように作ることができるのだろう。それが格調を持って、だらだらしないのは、文語と定型の功徳というものである。

 解題の文章にも触れられているが、平成二年の土屋文明の没後の歌は、明らかに歌風がそれ以前と異なる。『暫紅集』『暫紅新集』『閑賦集』と続くなかで、『暫紅新集』は少しうるさい感じのする歌がある。それが『閑賦集』ではいたく鎮まっているのだが、『暫紅集』『暫紅新集』には、その分生気があるとも言える。もとより拾い読みの感触で、熟読したわけではないが、だいたい当たりをつけるとそんな感じだ。

  噴飯、絶倒、大笑の例を集めたり人々我を笑止と見たま  
  へ
  「酔望」の二字拾ひ得たり愉し愉し恰も青葉は光り狂へる                  『暫紅新集』

 この頃の若い人には謙遜の辞が通じないので、若い人の前で「笑止と見たまへ」などとは言わない方がいい時代になった。



思いつくままに

2020年10月31日 | 
※2013年8月の「無人島」に掲載した文章である。ブログにはだしたことがないと思うので、掲載する。
 思いつくままに                  
○ 渡辺良さんのご尽力によって、横須賀の歌人金井秋彦さんの遺歌集が出された。あらためて、金井さんの希求した詩の純度の高さに畏敬の念をいだく。滴るような時間をもたらしてくれる作品に、いちいちの作品に頷くような思いで、読むというより、さわるように読んだ。そこには、「見る」ことに徹底的にこだわりながら、平凡な客観写生の歌とは別物の「現実」への接近の仕方があるのだ。「現実」と言うよりも、私の造語で「現相」の把握をめがけているのである。
 歌を作ると言うことは、当たり前のものを見て、日々感じ直し、観じ直しすることである。それには、注意深く在らねばならない。大きく言うと、歌を通して、生きることをするのである。だから、どんなに現実の生活が耐え難いものであったとしても、歌にかかわる日常生活というものは、単に耐え難いというだけのものにはならない。金井さんの歌を見ていると、そういうことがわかるし、またそれが作品のもたらす救いでもある。
○ 沼波瓊音の『柳樽評釈』(一九八三年弥生書房復刊)という本を見ていたら、跋文が森銑三で、茂吉とこの著者との論争に言及していた。沼波が茂吉に向かって「あなたは川柳の面白さを解しないでせうといつた」というのは、おもしろい。手元の全集と篠弘の論争史の本で見るかぎり、二人の言い合いの原因となった短歌作者の作品は、たいしたものではない。茂吉にしてみれば反論で投げかけられた一言は、いかにも心外な言葉だったろうが、一面でそれは、くそ真面目な茂吉の痛いところを確かに突いていたのた。茂吉は例によってくどくどといろいろ書いているが、この言い争い(論争と呼ぶには内容がお粗末)は、後年の茂吉の作風の幅を拡げるのにかえって寄与したかもしれない。
 昭和十年代に入って、白秋や水穂などのライバルが「幽玄」と言えば、節や赤彦の歌を引きながら、こっち(アララギの陣営)の方がよっぽど「幽玄」の歌を作っている、と書くような茂吉であるからして、俺だって「フモールの歌」は、いいものが作れるんだ、というような、そういう気持ち(競争心)が底にあってできた茂吉の「フモールの歌」は、この後けっこう多いのかもしれないと思うのである。そういう俗な情動を底に沈めながら、あくまでも一首の創造に際しては純一である、というところに茂吉の才能がある。本当の実作者というのは、対立する相手をも食って栄養にしてしまうものなのだ。
○ ここまで書いたあとでサン=テグジュペリの『人間の土地』を通勤の車内で読み始める。疲れたらすぐに読みさすので、ちびりちびりと読み進む。至福の読書というのは、こういうもののことをいう。まず、堀口大學の訳がすばらしい。一部を分かち書きにして、詩のようにして見せようか。
  そこには 竜巻が
  いくつとなく集まって、
  突っ立って いた。
  一見 それらは寺院の
  黒い円柱のように不動
  のものに見えた。
  それら竜巻の円柱は、
  先端に ふくらみを 見せて、
  暗く 低い 暴風雨の空を
  ささえていた、
  そのくせ、空の 隙間からは、
  光の裾が 落ちてきて、
  耿々たる満月が、
  それら円柱の あいだから、
  冷たい海の 
  敷石の 上に
  照りわたっていた。

  そしてメルモスは、
  これら無人の 廃墟のあいだを横切って、
  光の瀬戸から 瀬戸へと
  はすかいに、海が
  猛り狂いつつ昇天しているに相違のない
  巨大な竜巻の円柱を
  回避しながら、
  自分の路を
  飛びつづけた。
 
 …全編がこんな調子の散文である。私は、後にも先にもこれほどに荘厳で幻想的な自然の情景に出会ったことはない。巨大な竜巻の円柱を「回避しながら」「自分の路を飛びつづけ」るところに励まされる。
 近年のぴかぴかしたCG画像の氾濫を前にして思うことは、昔のオーソドックスな油絵の具の画面の手触りのなつかしさである。生々と筆の跡が残るキャンバスは、生きる力そのものを見る者に付与する媒体だったのだとも思う。手触りというものは、一口に「ヴィジュアル」などと呼ばれる要素に還元できるものではない。言葉も、そういうところがあるのだ。
 先日私の生活の拠点のひとつである某所で松野俊夫遺作展というのをやっていた。主に北国の野山を描いた新制作会所属の画家で、大正十四年生まれ。享年八十六歳。先に物故した私の父と歳が近い。欲しいものがあればお譲りしますというので、半信半疑ながら入札の真似事をして受付に住所を書いて渡して来た。絵のすばらしさにはとても及ばない微々たる金額を書いて来たのである。そうしたら、春を待つ湿原の神々しいような絵が届いた。岬や山の絵はサイズも大きいし、人気もあるだろうから、ということで遠慮して、もっとも地味な絵を選んであったのだった。手前の枯れ原の間にうす水色の氷の張ったような水たまりが二筋見える。沖にたゆたう海は心持ちふくれあがっており、水平にえがかれていない。海というのは、たしかにああ見える、というようにかいてある。見えたとおりにかいてあるのだが、目の「見え癖」のようなものが定着されていて、リアリズムではあるけれども、風景から受け止めたものを包みこむように自分の力と化して、それが画面に定着されている。
 結局、誰かに頼ってものを考えたり書いたりしているだけでは、何も生まれて来ない。最近の書き手は、他人を意識しすぎるのだ。現在は、文化的な仕事の全体に、そういう空気が蔓延してしまった。サン=テグジュペリの本とそれを訳した堀口大學には、そういうものがない。詩歌にかかわることをやっている人は、自分が一番好きなことを大事にしていればそれでいいのだ。
○ 最近、藤村信著『ゴッホ・星への旅』(岩波新書 上・下)という書物に感銘を受けた。ゴッホが絵筆をとることは、仕事であり、表現であり、生きることそのものであった。だから、苦難のうちにあって、画家は絵筆を持っている時は、喜びに満ちていた。画家と歌人は、どうも似た人種ではないかと私は思っている。どちらも肉体に根ざした表現を志すところがある。方法のうしろに、もっとも個人的な生理がへばりついている。こういうことは、年をとってから私にもわかってきたことなのである。



















助動詞「けり」のこと

2020年10月31日 | 古典文法
※2014年に同人誌「無人島」に書いた文章がフォルダーにあったのを見つけて、ひさしぶりに読んでみたら自分でもけっこうおもしろかったので、以下に再掲する。
 この四月から勤務先が変わることになり、また高校の古典文法を教える必要が出て来た。三年間務めた学校の二単位(週二時間)の国語の授業では、古典文法を扱うことはできなかった。それで、錆びついた古典文法についての知識を一新する必要を感じて、にわか勉強を始めた。

管見にすぎないが、私が推奨したいのは小田勝著『古代日本語文法』(おうふう・二〇〇七年)である。この本は、現在の世界の言語学の共通の術語であるテンス(時制)、アスペクト(局面)、ヴォイス(態)といった概念を用いて、これまでの古代日本語に関する諸説を公平かつ客観的に参照しながら書かれたコンパクトな文語文法総覧である。

内容は、第1章・古代語文法の基礎知識、第2章・動詞、第3章・述語の構造、第4章・時間表現、第5章・文の述べかた、第6章・形容詞と連用修飾、第7章・名詞句、第8章・とりたて、第9章・複文構造、第10章・敬語法、参考文献、出典一覧、索引となっている。この章立てを見ただけで、勘のいい人なら、日本語の主語をめぐる議論や、「は」をめぐる諸説が、うまくまとめられているらしいことが予想できるだろう。本書は、従来の「文、自立語、付属語、敬語表現…」と並んでゆく高校古典文法の教科書の章立ての定型的なパターンを踏襲していない。品詞偏重ではなく、構文論を中心とした解説の姿勢が一貫しているのである。

特に助動詞に限っていうなら、受身の「る」「らる」は、第2章のヴォイス(態)の項で説明され、時間に関係する「つ」「ぬ」「り」「たり」「き」「けり」は、第4章の時間表現で説明され、その他の助動詞は、第5章の「文の述べかた」の章で説明される。文についての有機的な理解に乏しい知識の列挙にすぎない古典文法の教科書とは、根本的に発想を異にして編まれている。さらに「とりたて」の章では、先に副助詞の「ばかり」「のみ」「まで」「だに」「すら」「さへ」を扱い、係助詞の説明は、そのあとになされることになっている。

係り結びの有無が、古代語と現代語を分かつポイントであるというのは、『係り結びの研究』における大野晋の言葉で、だから係り結びについて理解することは初学の者にとって大切なのだが、従来の古典文法の授業では、それゆえに輪をかけて他の文の性質についての理解を後回しにして、性急に「ぞ」「なむ」「こそ」「や」「か」の係り結びについての説明を展開することが多かった。そこでは、「も」や、「は」についての説明は、ほとんど後景に退いてしまっていた。本書では、「ぞ・なむ・こそ」に先立って「は・も」が説明されるのである。私は、本書を参照することによって、ルーティンワーク化した古典の授業や説明のありかたに反省を促された気がしている。

「むかし、男 あり けり。」の「あり」は、独立動詞だが、「時は 五月に なむ あり ける。」の「あり」は、補助動詞である。この補助動詞の働きをする「あり」が、動詞に付いて「咲き・あり→咲けり」から「り」ができたというような説明すら、古典文法の教科書には書かれていないのが現状である。補助動詞の「あり」の例を本動詞の「あり」としてうっかり説明してこなかったかどうか、過去を顧みると慄然とする。
「来(き)・あり」から「けり」ができ、「て・あり」から「たり」ができた。「あり」が「む」に上接して「あら・む」から「らむ」ができた。こういう「ラ変型」に活用すると漠然と説明していた助動詞について、まとめて「あり」とのかかわりの中で説明するということを今後は心がけたいと思った。文法を学ぶ(教える)とは、文法的に考えることを学ぶことである。そういういきいきとした言語への関心を呼び起こさないような知識は、たしかに文法ぎらいと知識の剥落をもたらしてしまう。

 もう一冊は、山口明穂著『日本語を考える 移りかわる言葉の機構』(二〇〇〇年・東京大学出版会)である。同書では助動詞「けり」が、「明けん年ぞ五十になり給ひける」(「源氏物語」乙女)というような、一見すると「未来」のことをあらわす内容の文に用いられている用例が検討されている(「未来」という説明はむろん誤り)。
たとえば「田子の浦ゆ打ち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」(「万葉」三一八・山部赤人)という歌について、ここで「ける」を「伝承回想」で「雪は降ったのだそうだ」ととるのは変だから、従来こういう場合は「詠嘆」とされてきた。しかし、それはあまりにも場当たり的な説明ではないかと言うのである。「「けり」で捉えられた内容は、現在、目の前に存在する、「けり」にはそういう意味があることを考えるべきである。」と山口は「詠嘆」説を批判する。
学説史からみると、山田孝雄が『日本文法講義』で「けり」について「現に見る事に基づきて回想する」と述べたのが最初である。例歌として山田孝雄は「八重葎茂れる宿の淋しきに人こそ見えね秋は来にけり」をあげた。「過去の栄光と現在の衰退、その後者の現在の状況だけを和歌に詠み、そこから過去の何かを想像させる。」山口はこれを受けて、田子の浦の歌では、「山田氏の考えに従えば、「雪は降りける」が現実となる。そのとき、問題は何を回想したかである。」とのべ、「当時、冨士山は高い山であり、常に頂上には白く雪が積もっていると思われていた。」(略)「『風土記』にある話を赤人が回想していたかどうかどうかはわからないが、白く雪の積もった富士を見て、話に聞いていた通りに、この山には常に雪が降るという過去の記憶が呼び戻されたと考えることができるであろう。つまり、この歌での「けり」で回想されたことは、冨士についての話であると解釈すれば、「現に見た事に基づき回想する」という「けり」の機能が理解できることになる。」と山田説を敷衍してゆく。

つまり、私なりに訳すと、本当に富士の高嶺には聞いていた通りに雪が降り積もっているのだ、というような意味だということになる。

先述の小田勝の本では、この助動詞「けり」のはたらきについて、テンス的意味として「①過去に起こって現在まで持続している(または結果の及んでいる)事態、②発話者がその事態の真実性に関与していない過去の事態」というようにまとめ、認識的意味として「③気づかなかった事態に気づいたという認識の獲得(気づき)を表す」と通説をうまく交通整理している。この①の説と山口明穂が敷衍してみせた山田孝雄の説では、過去と現在の矢印が逆向きになってしまっているように私には思われる。③は「詠嘆」の「けり」の上手な言い換えのようなところがある。

山口明穂は、「現に見ている事を基本に回想する」という山田孝雄説を修正拡大して、「けり」の本義を「過去の事態を思い起こし、それを現在につなげる」ものだと説く。この「けり」は、「過去を思い起こす心情が現在につながるというのであって、その内容は、話し手の心の動きである。」だから、小田の①説のような「けり」のとらえ方には賛成できないし、二つの説は「似て非なるものである」と山口は言う。「けり」は助動詞であって語としての自立性がないから、「過去の事態」といった具体的な内容はふさわしくない、というのである。さらに山口は「けり」のテンス的なとらえ方そのものを批判して、「日本語の助動詞は、話し手が、前に述べた内容に対して、どう意識したかという、話し手の心情を表す語であるから、「けり」が付けば、全体が過去の意味になるなどの捉え方はするべきではな」いとのべている。

「けり」の意味を「詠嘆」と呼ぶ国文学の悪しき慣行については、藤井貞和も近刊の岩波新書の『日本語と時間 <時の文法>をたどる』のなかで厳しく批判している。竹岡正夫や北原保雄の説を援用しながら、「けり」を「時間の経過を示す」、「伝来の助動辞(ママ)」というように説明しようとする。現代語訳として「~テキテアル、~タトイウ、~タコトダ、~タノデアル」を当てる。だから、私なりに自戒しつつまとめると、「けり」の訳として「~したことよ」というような意識した詠嘆調は、あまりやりすぎない方がいいということになる。

ついでに、藤井の本はなかなか刺激的でおもしろいのだが、この本のなかにある助動詞の関係を三角錐の図形で説明する章のアイデアのもとになっているのは、小松光三の『国語助動詞意味論』の中にある三角形の図である。ヒントを得たことを記すべきではなかったか。



山中律雄『川島喜代詩の添削』

2020年10月17日 | 現代短歌
 私は会ったことがないのだが、川島喜代詩の名前は、その歌の印象からかもしれないが、ゆえ知らず慕わしいのである。本の名前をみた時に、筆者がこの本を出した理由は、川島喜代詩の持っている人間としての温かさのようなもの、また生真面さのようなものに由来するのだろうと、ただちに了解された。それは、本をめくればすぐにわかることでもあったが、筆者の山中氏の持っている資質の芯の部分と、川島喜代詩の短歌作品の核にある純一で初々しいものへの希求は、共鳴し合いながら深いところで響き合っているのだろうと、私なりに納得のいくものでもあった。

 「 時を待つ感じに暗き水ありて動くともなし木下のみづは  (原作)
  
   時を待つ感じに暗き水ありて動くともなし木群の下に   (添削)

(評)「水」のリフレインは、必ずしも成功していません。

(略)計らいは不感動の源である。「時を待つ感じ」「動くともなし」を活かすのに「水」を重ねる必要はなく、まのあたりの「木群」によって、情景のはっきりした一首になった。 」
               126ページより

掲出歌は、茂吉・佐太郎直系の歌と言っていいのだが、さすがに出詠する方も添削する方も、ある水準を抜けたところで、詩とは何かということを問題にしているのがわかって楽しい。これは「リフレインと重複」という章にある。

「 かたくなな思ひを解けるありさまに木蓮のはな開き始めつ  (原作)

  かたくなの思ひをほどくありさまに木蓮のはな開き始めつ  (添削)

(評)歌のほうも、一、二句あたりをほどきましょう。

(略)「解ける」も「ほどく」も意味は一緒だが、比較的大きな花である木蓮が開く様子を思えば、やはり「ほどく」の方が適切だろう。些細なことによって、花とこころの交歓、自然と人間の交歓が生まれた。言葉を扱う者はこうしたところに敏感でありたい。 」
                         168ページより

この評言の何とも言えないユーモア。
佐太郎系といってもいろいろな資質の人が居て、先生のレベルを継承維持するだけでもそれはそれでたいへんなことなのだけれども、本書に縷々記されているような、技法の勘所の部分、それから基本の構えのところをないがしろにしていると、現代短歌は必ずや足をすくわれてしまうだろう。それにしても、改めて川島喜代詩は振り返るに値する歌人であると思った。