39 三吉野の青ねが峰のしらくもはまがへもあへぬさくらなりけり
八九 み吉野の青根が嶺のしらくもはまがひもあへぬ桜なりけり 文化四年
□「あへぬ」、「あへず」物の折合ぬ事なり。合ず、合ざる事也。立合はれぬことなり。そこまでゆかずにしまふなり。まがひさうなことを「あへず」なり。
「神のいがきに這ふ蔦も秋にはあへずうつろひにけり」。秋に立合はれぬなり。「幣もとりあへず」、取りさうな所を取らぬ也。「流れもあへぬ紅葉」、流れんとしてちよいと引かゝつたる也。
「俗のかたなも取敢へず参りたり」は、一転して妙なり。
「青根峰」、青き峯なり。「松杉苔」何にも青きなり。青き所に白くかつきりと見ゆるは白雲じやが、と紛ふ事でもなき桜也。是「青根が峯」にさく故也。花と雲とを分明にわかつ也。
「青根」、山の頂上なり。又嶺といふ也。
○「あへぬ」、「あへず」は、物の折り合わない事である。「合わず」「合わざる」事である。立ち合われぬことである。そこまで行かずに終わってしまうのだ。見分けが付かなくなりそうなことを「あへず」といったのである。
「神の齋垣に這ふ蔦(葛の誤記)も秋にはあへずうつろひにけり」(と言うように齋垣に這ふ蔦も)秋には立合うことができないのである。「幣もとりあへず」取りそうな所を取らないのである。「流れもあへぬ紅葉」が流れようとして、ちょいと引っかかっているのだ。
「俗の刀(世間に流通したわかりきった構え)も取り敢えずすることにいたしましょう」(という体の作為)は、一転して妙手(ともなるもの)だ。
「青根峰」は、青い峯だ。松杉苔どれも青いのだ。青い所に白くくっきりと見えるのは白雲じゃが、(など)と見まちがいようもない桜である。これは青根が峯にさくためだ。花と雲とを分明にわかつのである。
「青根」は、山の頂上だ。(これは)又「嶺」とも言う。 △ここは、以前の誤訳を直した。
※掲出歌の「まがひ」「まがへ」の異同は、本文の通り。「古今集」より著名な三首の語句を引用。貫之「ちはやぶる神のいがきにはふくず(葛)も秋にはあへずうつろひにけり」、菅原朝臣「このたびはぬさもとりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに」、はるみちのつらき「山河にかぜのかけたるしがらみはながれもあへぬもみぢなりけり」。
□「ち」に「み」を添ふれば「みち」也。通路、雲路、播磨路などの「ち」なり。此「ね」と同様なり。あまり短き故言ひがたく聞きがたし。それ故に「みち」、「みね」と云也。又「谷」にはいつでも「みたに」とはいはぬ也。「谷」は「み」を添へずとも分る故也。雅俗の事ではなき也。
「ね」に限りて「青根が嶺」「筑波根の嶺」と云也。「ね」に限りて重ね(ママ)るわけは、山はさきのとがりを以て一山とするなり。稲荷山は三になる故に三つの山、三の峯也。其山の一つは嶺を以て分つなり。たとへば一頭二頭といふ也。総体をひくるめて頭とさへいへば、その人一人の事なり。今も「比良のね」といへば比良の山といふ事のかはりなり。一頭といへは一人といふ事と同例なり。そこで「青ね」といへば青山といふ事なり。筑波根といへば筑波山といふ事なり。一頭の人のあたまは大きし(ママ)小さし(ママ)也。「谷」の「みたに」、「ち」の「みち」といふやうな事はなき道理なり。
「筑波根に布をさらす」と「万葉」にあるは、つくば山にあるなり。それを真淵、本居などはやはり嶺と見たる故訛れり。
○「ち」に「み」を添えれば「みち」だ。通路、雲路、播磨路などの「ぢ」である。この「ね」と同様のものだ。あまり短いので言いにくく聞きにくい。それで「みち」「みね」と言うのだ。また谷に入っても「みたに」とは言わない。谷(という言葉)は、「み」を添えなくても分かるからだ。雅俗の事(による「み」の添加)ではないのである。
「ね」に限って青根が嶺、筑波根の嶺と言うのだ。「ね」に限って重ねるわけは、山は先の尖りを以て一山とするのだ。稲荷山は(尖りが)三つになるので、三つの山、三の峯である。その山の一つ(ひとつ)は、嶺で分つのである。たとえば一頭、二頭と言う。全体をひっくるめて頭とさえいえば、その人一人の事だ。今も「比良のね」と言えば「比良の山」と言う事の代わりである。一頭と言えば一人と言う事と同例である。そこで「青ね」と言えば「青山」と言う事だ。「筑波根」と言えば「筑波山」と言う事だ。「一頭の人のあたまは大きし(ママ)小さし(ママ)」、ということだ。谷の「みたに」、ちの「みち」と言うような事は、ない道理である。
「筑波根に布をさらす」と「万葉集」にあるのは、筑波山にあるのだ。それを加茂真淵や本居宣長などは、やはり嶺と見たために誤ったのである。
※語釈に目が行ってしまって、歌の方は何だかどうでも良くなってしまう。それぐらい景樹の語釈はおもしろい。なお、この「まがふ」という、類似のものの発見による古代的な修辞は、景樹が好んで用いたものである。 △「根」以前の誤記を正した。
40 林中桜
つね見ればくぬ木まじりのはゝそ原はるはさくらの林なりけり
九〇 常見ればくぬぎ交りの柞(ははそ)原春はさくらのはやしなりけり 文化三年
□「古今集」の花の始にさくらと先出だせり。歌を見れば花とよめり。花といへば諸木の花なれども八分は桜の事なり。一体は桜といふ題と花といふ題はちがふ筈なり。「古今」までは分れたり。其後は花といへばさくらなり。今「古今」の例にまかせて、まづ「林中桜」を出せり。「くぬ木」、「くに木」ともいふ也。「柞」も柴によきなり。「くぬぎ原」、「柞原」、その斗ど、いとある故に「原」と云。常はなにも見所なき「くぬぎ・柞」の青葉ぢやが、と也。桜が十分一あつても目だちて、すべて桜のやうに見ゆるなり。
△これも以前の誤記を正した。
○「古今集」の花の始に「さくら」と先ず出している。歌を見ると、「花」と詠んでいる。「花」と言えば諸木の花(のこと)であるけれども、その八分は桜の事である。一体は「桜」という題と「花」という題は、ちがう筈だ。「古今」までは分れていた。その後は「花」と言えば「さくら」のことだ。今「古今」の例にまかせて、まず「林中ノ桜」(という題)を出してみた。「くぬ木」は、「くに木」とも言う。「柞」も柴によい。くぬぎ原、柞原(は)、その斗度(広さ)がとてもあるために「原」と言う。常は何も見所のない、くぬぎ、柞の青葉じゃが、というのである。桜が十分の一あっても目立って、すべて桜のように見えるのである。
※景樹に「写実」という考え方はなかったが、実景か実景でないかという意識はもちろんあった。それも相当に強く持っていた。その上で題詠には題詠の似つかわしさを求め、ひとつの素材にはひとつの素材に相応の本意ということを考えて歌を作ることを景樹はよしとした。この歌には写実的な味があり、そこが魅力である。景樹一世の秀吟の一つと思う。
41 田家桜
しづのをがかへす垣根の小山田にまけるがごとくちるさくらかな
九一 しづの男がかへす垣ねの小山田にまけるがごとく散桜かな 文化十二年
□さくらちる頃、即田をすく頃なり。田を鋤(※異体字。扁が耕の字と同じ)くは、蒔くためなり。そこへ蒔くごとく散るなり。
○さくら散る頃すなわち田をすく頃である。田を鋤(※異体字。扁が耕の字と同じ)くのは、(種を)蒔くためである。そこへ蒔くかのように(花びらが)散るのだ。
42 山花未開
打はへてかすみわたれるきのふけふさかぬもをしき山ざくらかな
九二 うちはへて霞みわたれるきのふけふさかぬもをしき山桜かな 文化二年
□以下花の題也。故に改めて花を出すなり。夫故「未開」を出だす也。待ちわぶるにつきて、此「未開」の題のある也。「菊花未開」「郭公未偏」など、皆心に待つ情に随ひてある題なり。「うちはへて」、どこもかも横にものをすつと渡す也。この「うつ」は強くするなり。「うちはへて」十分長閑なる気色なり。花よいかに何しにさかちぬのや(※さかぬのちや、の誤植か)、と也。此のどかな日になりたるに、まだ咲かぬも惜いことかな。花は散るをこそ惜しきことに思ひしに、さかぬも惜しき事がある、と也。是新き趣向なり。
○以下は、花の題だ。それで改めて花を持ち出した。それで「未開」(未だ開かず)を出すのだ。待ちわびる(ということ)にかこつけて、この「未開」という題があるのである。「菊花未開」(菊花未だ開かず)、「郭公未偏」(郭公未だ遍からず)など(の題は)みんな心待ちにする情(こころ)に随ってある題だ。「うちはへて」と言うのは、どこもかしこも横にものをすっと渡す(ことを言う)。この「うつ」は、(語勢を)強くするのである。
「うちはへて(この歌にみえるものは)」十分長閑な風情である。花よなにゆえ、どうして咲かぬのじゃ、というのである。のどかな日になっているのに、まだ咲かないのも惜しいことだなあ、花はその散ることを惜しいものと思っていたのに、咲かないという惜しさもある、というのだ。これは、新しい趣向である。
○43 尋山花
たつねはやみ山さくらは年々のわれをまちてもさかんとすらん
九三 たづねばやみ山ざくらはとしどしのわれを待(まち)ても咲(さか)むとすらむ 文政六年
□いつも林丘寺の山の一本の花は格別ぢやが、といふやうな心あてのある花なり。「み山ね」を「みね」といへば、一こゑか二こゑになる故に、ちと大きくなるなり。「み山」も何となく大きくなりて聞ゆるなり。是〈ならはし〉によりて、かやうになる也。道理と〈ならはせ(ママ)〉とはちがふなり。これ故「深山」「太山」と書く事が後世始まれり。「万葉」にはなきことなり。「真山」「美山」など書くは、今では反て通ぜぬなり。「万葉」になき故それはならぬといふわけはなき事也。万葉が「枳」ではなきなり。今此「み山ざくら」も奥深き山のやうにつかふなり。端近くある山のは、世の春を知るなれども、「深山さくら」は知らぬ、と也。此方の行くを待つてゐるも知れぬといふになるなり。我を見てさかねばならんと思ふぢやあらう、というてもよきなり。
○(この歌に詠んであるものは)いつも林丘寺の山の一本の花は格別じゃが、というような心あてのある花だ。「み山ね」、「をみね(小峰)」と言えば一声(一音)が、二声(二音)になるために、ちょっと大きくなるのだ。「み山」も何となく大きくなって聞こえるのである。これは習慣によってこうなるのだ。道理と習慣づけとは違うのである。これ故「深山」「太山」と書く事が、後世始まった。「万葉」にはないことだ。「真山」「美山」などと書くのは、今ではかえって通じない。(でも、)「万葉」にないから、それはいけないという理由はない事である。(だからといって)「万葉」が枳(からたち、役に立たない木)であるというわけではない。今この「み山さくら」も奥深い山のように使っているのである。端近くにある山の(花の木)は、世の春を知っているようだけれども、深山ざくらは知らないというのである。こちらの行くのを待っているかもしれないということになるのである。自分の姿を見て、咲かねばならんと思うのじゃろうよ、と言っても良いのである。
※ このあと44-48のカテゴリーが和歌になっていたので、八月に直した。他にこのページの細部を直した。
八九 み吉野の青根が嶺のしらくもはまがひもあへぬ桜なりけり 文化四年
□「あへぬ」、「あへず」物の折合ぬ事なり。合ず、合ざる事也。立合はれぬことなり。そこまでゆかずにしまふなり。まがひさうなことを「あへず」なり。
「神のいがきに這ふ蔦も秋にはあへずうつろひにけり」。秋に立合はれぬなり。「幣もとりあへず」、取りさうな所を取らぬ也。「流れもあへぬ紅葉」、流れんとしてちよいと引かゝつたる也。
「俗のかたなも取敢へず参りたり」は、一転して妙なり。
「青根峰」、青き峯なり。「松杉苔」何にも青きなり。青き所に白くかつきりと見ゆるは白雲じやが、と紛ふ事でもなき桜也。是「青根が峯」にさく故也。花と雲とを分明にわかつ也。
「青根」、山の頂上なり。又嶺といふ也。
○「あへぬ」、「あへず」は、物の折り合わない事である。「合わず」「合わざる」事である。立ち合われぬことである。そこまで行かずに終わってしまうのだ。見分けが付かなくなりそうなことを「あへず」といったのである。
「神の齋垣に這ふ蔦(葛の誤記)も秋にはあへずうつろひにけり」(と言うように齋垣に這ふ蔦も)秋には立合うことができないのである。「幣もとりあへず」取りそうな所を取らないのである。「流れもあへぬ紅葉」が流れようとして、ちょいと引っかかっているのだ。
「俗の刀(世間に流通したわかりきった構え)も取り敢えずすることにいたしましょう」(という体の作為)は、一転して妙手(ともなるもの)だ。
「青根峰」は、青い峯だ。松杉苔どれも青いのだ。青い所に白くくっきりと見えるのは白雲じゃが、(など)と見まちがいようもない桜である。これは青根が峯にさくためだ。花と雲とを分明にわかつのである。
「青根」は、山の頂上だ。(これは)又「嶺」とも言う。 △ここは、以前の誤訳を直した。
※掲出歌の「まがひ」「まがへ」の異同は、本文の通り。「古今集」より著名な三首の語句を引用。貫之「ちはやぶる神のいがきにはふくず(葛)も秋にはあへずうつろひにけり」、菅原朝臣「このたびはぬさもとりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに」、はるみちのつらき「山河にかぜのかけたるしがらみはながれもあへぬもみぢなりけり」。
□「ち」に「み」を添ふれば「みち」也。通路、雲路、播磨路などの「ち」なり。此「ね」と同様なり。あまり短き故言ひがたく聞きがたし。それ故に「みち」、「みね」と云也。又「谷」にはいつでも「みたに」とはいはぬ也。「谷」は「み」を添へずとも分る故也。雅俗の事ではなき也。
「ね」に限りて「青根が嶺」「筑波根の嶺」と云也。「ね」に限りて重ね(ママ)るわけは、山はさきのとがりを以て一山とするなり。稲荷山は三になる故に三つの山、三の峯也。其山の一つは嶺を以て分つなり。たとへば一頭二頭といふ也。総体をひくるめて頭とさへいへば、その人一人の事なり。今も「比良のね」といへば比良の山といふ事のかはりなり。一頭といへは一人といふ事と同例なり。そこで「青ね」といへば青山といふ事なり。筑波根といへば筑波山といふ事なり。一頭の人のあたまは大きし(ママ)小さし(ママ)也。「谷」の「みたに」、「ち」の「みち」といふやうな事はなき道理なり。
「筑波根に布をさらす」と「万葉」にあるは、つくば山にあるなり。それを真淵、本居などはやはり嶺と見たる故訛れり。
○「ち」に「み」を添えれば「みち」だ。通路、雲路、播磨路などの「ぢ」である。この「ね」と同様のものだ。あまり短いので言いにくく聞きにくい。それで「みち」「みね」と言うのだ。また谷に入っても「みたに」とは言わない。谷(という言葉)は、「み」を添えなくても分かるからだ。雅俗の事(による「み」の添加)ではないのである。
「ね」に限って青根が嶺、筑波根の嶺と言うのだ。「ね」に限って重ねるわけは、山は先の尖りを以て一山とするのだ。稲荷山は(尖りが)三つになるので、三つの山、三の峯である。その山の一つ(ひとつ)は、嶺で分つのである。たとえば一頭、二頭と言う。全体をひっくるめて頭とさえいえば、その人一人の事だ。今も「比良のね」と言えば「比良の山」と言う事の代わりである。一頭と言えば一人と言う事と同例である。そこで「青ね」と言えば「青山」と言う事だ。「筑波根」と言えば「筑波山」と言う事だ。「一頭の人のあたまは大きし(ママ)小さし(ママ)」、ということだ。谷の「みたに」、ちの「みち」と言うような事は、ない道理である。
「筑波根に布をさらす」と「万葉集」にあるのは、筑波山にあるのだ。それを加茂真淵や本居宣長などは、やはり嶺と見たために誤ったのである。
※語釈に目が行ってしまって、歌の方は何だかどうでも良くなってしまう。それぐらい景樹の語釈はおもしろい。なお、この「まがふ」という、類似のものの発見による古代的な修辞は、景樹が好んで用いたものである。 △「根」以前の誤記を正した。
40 林中桜
つね見ればくぬ木まじりのはゝそ原はるはさくらの林なりけり
九〇 常見ればくぬぎ交りの柞(ははそ)原春はさくらのはやしなりけり 文化三年
□「古今集」の花の始にさくらと先出だせり。歌を見れば花とよめり。花といへば諸木の花なれども八分は桜の事なり。一体は桜といふ題と花といふ題はちがふ筈なり。「古今」までは分れたり。其後は花といへばさくらなり。今「古今」の例にまかせて、まづ「林中桜」を出せり。「くぬ木」、「くに木」ともいふ也。「柞」も柴によきなり。「くぬぎ原」、「柞原」、その斗ど、いとある故に「原」と云。常はなにも見所なき「くぬぎ・柞」の青葉ぢやが、と也。桜が十分一あつても目だちて、すべて桜のやうに見ゆるなり。
△これも以前の誤記を正した。
○「古今集」の花の始に「さくら」と先ず出している。歌を見ると、「花」と詠んでいる。「花」と言えば諸木の花(のこと)であるけれども、その八分は桜の事である。一体は「桜」という題と「花」という題は、ちがう筈だ。「古今」までは分れていた。その後は「花」と言えば「さくら」のことだ。今「古今」の例にまかせて、まず「林中ノ桜」(という題)を出してみた。「くぬ木」は、「くに木」とも言う。「柞」も柴によい。くぬぎ原、柞原(は)、その斗度(広さ)がとてもあるために「原」と言う。常は何も見所のない、くぬぎ、柞の青葉じゃが、というのである。桜が十分の一あっても目立って、すべて桜のように見えるのである。
※景樹に「写実」という考え方はなかったが、実景か実景でないかという意識はもちろんあった。それも相当に強く持っていた。その上で題詠には題詠の似つかわしさを求め、ひとつの素材にはひとつの素材に相応の本意ということを考えて歌を作ることを景樹はよしとした。この歌には写実的な味があり、そこが魅力である。景樹一世の秀吟の一つと思う。
41 田家桜
しづのをがかへす垣根の小山田にまけるがごとくちるさくらかな
九一 しづの男がかへす垣ねの小山田にまけるがごとく散桜かな 文化十二年
□さくらちる頃、即田をすく頃なり。田を鋤(※異体字。扁が耕の字と同じ)くは、蒔くためなり。そこへ蒔くごとく散るなり。
○さくら散る頃すなわち田をすく頃である。田を鋤(※異体字。扁が耕の字と同じ)くのは、(種を)蒔くためである。そこへ蒔くかのように(花びらが)散るのだ。
42 山花未開
打はへてかすみわたれるきのふけふさかぬもをしき山ざくらかな
九二 うちはへて霞みわたれるきのふけふさかぬもをしき山桜かな 文化二年
□以下花の題也。故に改めて花を出すなり。夫故「未開」を出だす也。待ちわぶるにつきて、此「未開」の題のある也。「菊花未開」「郭公未偏」など、皆心に待つ情に随ひてある題なり。「うちはへて」、どこもかも横にものをすつと渡す也。この「うつ」は強くするなり。「うちはへて」十分長閑なる気色なり。花よいかに何しにさかちぬのや(※さかぬのちや、の誤植か)、と也。此のどかな日になりたるに、まだ咲かぬも惜いことかな。花は散るをこそ惜しきことに思ひしに、さかぬも惜しき事がある、と也。是新き趣向なり。
○以下は、花の題だ。それで改めて花を持ち出した。それで「未開」(未だ開かず)を出すのだ。待ちわびる(ということ)にかこつけて、この「未開」という題があるのである。「菊花未開」(菊花未だ開かず)、「郭公未偏」(郭公未だ遍からず)など(の題は)みんな心待ちにする情(こころ)に随ってある題だ。「うちはへて」と言うのは、どこもかしこも横にものをすっと渡す(ことを言う)。この「うつ」は、(語勢を)強くするのである。
「うちはへて(この歌にみえるものは)」十分長閑な風情である。花よなにゆえ、どうして咲かぬのじゃ、というのである。のどかな日になっているのに、まだ咲かないのも惜しいことだなあ、花はその散ることを惜しいものと思っていたのに、咲かないという惜しさもある、というのだ。これは、新しい趣向である。
○43 尋山花
たつねはやみ山さくらは年々のわれをまちてもさかんとすらん
九三 たづねばやみ山ざくらはとしどしのわれを待(まち)ても咲(さか)むとすらむ 文政六年
□いつも林丘寺の山の一本の花は格別ぢやが、といふやうな心あてのある花なり。「み山ね」を「みね」といへば、一こゑか二こゑになる故に、ちと大きくなるなり。「み山」も何となく大きくなりて聞ゆるなり。是〈ならはし〉によりて、かやうになる也。道理と〈ならはせ(ママ)〉とはちがふなり。これ故「深山」「太山」と書く事が後世始まれり。「万葉」にはなきことなり。「真山」「美山」など書くは、今では反て通ぜぬなり。「万葉」になき故それはならぬといふわけはなき事也。万葉が「枳」ではなきなり。今此「み山ざくら」も奥深き山のやうにつかふなり。端近くある山のは、世の春を知るなれども、「深山さくら」は知らぬ、と也。此方の行くを待つてゐるも知れぬといふになるなり。我を見てさかねばならんと思ふぢやあらう、というてもよきなり。
○(この歌に詠んであるものは)いつも林丘寺の山の一本の花は格別じゃが、というような心あてのある花だ。「み山ね」、「をみね(小峰)」と言えば一声(一音)が、二声(二音)になるために、ちょっと大きくなるのだ。「み山」も何となく大きくなって聞こえるのである。これは習慣によってこうなるのだ。道理と習慣づけとは違うのである。これ故「深山」「太山」と書く事が、後世始まった。「万葉」にはないことだ。「真山」「美山」などと書くのは、今ではかえって通じない。(でも、)「万葉」にないから、それはいけないという理由はない事である。(だからといって)「万葉」が枳(からたち、役に立たない木)であるというわけではない。今この「み山さくら」も奥深い山のように使っているのである。端近くにある山の(花の木)は、世の春を知っているようだけれども、深山ざくらは知らないというのである。こちらの行くのを待っているかもしれないということになるのである。自分の姿を見て、咲かねばならんと思うのじゃろうよ、と言っても良いのである。
※ このあと44-48のカテゴリーが和歌になっていたので、八月に直した。他にこのページの細部を直した。