さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

武満徹と司修 訂正

2022年04月29日 | 
 高校の頃、一九七六年から七年のことだが、NHKのFM放送で別役実のラジオ・ドラマ『地下鉄のアリス』をやっていたのをカセット・テープに録音して、何度も何度も繰り返し聞いた。音楽の担当が武満徹で、アリスの役は りりぃ だった。(※ 浅川マキと誤記しました。これは 小沼純一著『武満徹 音・言葉・イメージ』(1999年青土社刊)によって訂正。この時期が、日本の戦後文化の最後の光芒を放っていた時期だと私は思う。) 私が武満徹の代表作を聞いたのは、それよりずいぶん後の事で、私にとって武満徹との出会いは、そのドラマの音楽においてであった。高校生の私は、別役実の名前も武満徹の名前も初耳だった。けれども、深く魅了された。

 日本図書センター刊の「人生のエッセイ」というシリーズがあって、その第Ⅰ期の監修者を鶴見俊輔がつとめている。第9巻のタイトルが「武満徹 私たちの耳は聞こえているのか」。表紙には、冬なのだろう、厚いオーバーを着込んで、左耳に手袋の手を当てがいながら、目を薄くつぶって街頭に立っている著者の姿の写真があしらわれている。そこにこんな言葉をみつけた。フランス人たちとバリ島のガムランを聞きに行った時の体験から誘発された思念を書きつけたもので、『音楽の余白から』(1980年刊)所収の文章である。

「フランス人とインドネシア人との間で、私は二重の異邦人の立場にあった。そして、たぶん、その特殊な状況が、私に、日本(※ 著者による傍点)を内発的な力として意識させたように思う。私は戸惑いながらも、日本(傍点)という仮説を可能にするのは、思想の純粋培養ではなく、フィールド・ワークにも似た構造的な思考ではないかと思った。
                                 「自と他」

常に異質なものと出会いながら、自らの内に自覚される自分の所属する文化の背景を持っていなければできないような表現の端緒を見出しつづけること、つまり伝統的なものを異質な他者との対面を通して、異質な文化との出会いの中でするどく意識すること、そのように自らの創造行為を「フィールド・ワーク」にたとえた武満徹のセンス、思考の仕方というものに、私は心を動かされるのだ。

 司修に『版画』という短編小説集があって、その中に、海辺で自然に音が鳴る部屋を作っている武満徹の所に、楽譜の写真を撮らせてもらいに訪れる司修らしい人物と武満徹とのやり取りが書かれた幻想的な小説がある。それは、どこからが夢でどこからが実際の出来事なのか判然としない夢のなかのような場面がずっと続くテキストなのだが、そこにいるのは武満徹以外の何者でもなくて、また司修の描く絵画の世界を文章化したようなところがあり、私はこの文章が司修の書いたもののなかで最良のものの一つなのではないかと思う。それを書かしめたのは、まちがいなく武満徹という作曲家の現実の在り様がそのようであったからなので、幻想的と先に書いたが、この小説の中の場面は実にリアルで真に迫っている。

 追記。いま思いついたのだが、誰かこれを映画にとらないかなあ。武満徹を現実の映像なども使いながら映画にしたら、ぜったい面白いだろう。これと司が画集を作った大江の小説をかぶせて、時代をずらして劇中劇にしたらもっとおもしろいかもしれない。まったく核戦争の危機が現実の世界なのだから、大江を何となく軽んじていた自分のことを、私はイヤなもの(核という現実)を見ないようにしていた自分だったと改めて気づかされたのだ。

今朝は

2022年04月17日 | その他
 このブログは、自分の専門でもないことについては、なるたけ書かない、ということでやって来たのだけれども、ウクライナの戦争が起きてから、どうもそうもいかなくなって、書いているうちに予測でものを言うようなところが出て来たから、それは良くないなと思った。それで、最近のコメントを全部一度消した。けれども、この件に関して、私の書いたものでも参考にしようという方はおられるので、SNSの情報に飛びつく前に、とりあえず「世界」の今月号の特集などをごらんになったらどうでしょうか、と申し上げておきます。

 私の身の回りの若い人を見ていると、スマホのニュースしかみていない人が多い。新聞もたいしたことはないが、それでもまだしも細かい情報が載っていることがあって、あまり馬鹿にしない方がいいのではないかと思う。そもそも新聞社系のニュースの断片がSNSにのっていることが多いわけだから、知らず知らずのうちに〇〇新聞的な発想に感化されたり、〇〇的な発想に染められたりする、ということが起きるわけなのである。

 報道される死と、まったく報道されない死があって、命の重さがちがうのは不公平・不平等である。もっと言うと不当である、という文章をどこかで読んだ。たしかにそうで、今度のウクライナの記事の下に、イエメンの紛争で飢餓に陥っている人々についての記事が小さく載っているのを見るにつけ、われわれの浮薄な関心、または無関心の酷薄さというものについて考えさせられるのである。

 以前このブログでとりあげた西巻真さんの歌集が、神奈川県歌人会の第一歌集賞になったということである。最近うれしかったことの一つである。短歌の話ができる平和な世界がありがたい。

 
 




ロンドンの「夜の精」から車谷長吉に及ぶ 諸書雑記

2022年04月09日 | 
 つづけてジャック・ロンドンの短編集をかりてきた。『ジャック・ロンドン幻想短篇傑作集』(2008年彩流社)で、最初の「夜の精」という作品を今日読んだが、語り手の年配の男に対する描写が、なかなか手厳しい。

「我々は彼の白髪まじりの口髭、頭の禿げた部分、目の下の膨らんだたるみ、だらしなく垂れた頰、かさばった喉肉を見た。そして全体に漂う倦怠感と生気のなさと肥満。こういったものはすべて、かつては強壮な身体の持ち主だったものの、すっかり衰えてだいなしになってしまった男の特徴だった。あまりに安楽な恵まれた生活をしてきたのである。」

 ロンドンの生きた時代の四十七歳であるから、日本なら人生五十年と言った時代の年齢と言ってよいだろう。今日の日本なら、五十代後半から六十歳台というところだろうか。ロンドン自身は過度な飲酒もたたって1916年に四十歳で亡くなっている。『ジョン・バーリコーン』という現代教養文庫に入っていた豪快な酒飲み失敗談も読んだことがある。バーりコーン、というのはトウモロコシの酒の神様で、ようするにバーボンをがぶ飲みしたのだな。江戸っ子のように水で薄めて飲まされる環境なら死なないですんだのかもしれない。何となくロック・シンガーのような雰囲気を持っている作家である。

 この小説にはソローの名前が出て来て、主人公が辺境で出会ったという、インディアンの間で孤高の女酋長をつとめている美しい白人女は、ソローの著書の一節を小さく折り畳んだ紙片を大切に持っていて、語り手にそれを示し、「この人と結婚したいの」と言うのである。その女性に、あなたを見込んだので、私とどう?と言われるのだが、語り手の男はその申し出を断ってしまった。ああ、あの時に断らなかったなら。今のくすんだ人生は無かったものを!
 というような小説を書いた男は、四十歳で短い人生を駆け抜けた後姿が、いまも燦然と輝いている。

 その昔、河島英五の「三十になったら、わたし死にまっすうー」という歌が南こうせつのかたる深夜のラジオ番組で流れてきた時代があった。私は夭折願望というようなものが一部の文学青年や芸術青年や過激な政治青年たちの間で流行した時代を直接には知らない。たとえば三島由紀夫の死は、何よりもそういうメンタリティーに対して強烈に訴えるものがあったと思う。
 いまの私には、三十になってもまるで大人になりきれなかった自分の無残なほどの青臭さを思い出すとともに、自分より年上の世代の人たちとの大きなズレを感じてしまう。私は「新人類」などと呼ばれた世代の一人であるが、何か未熟なままで酔生夢死ではないが、うかうかと年月をすごして来てしまったような気がしてならない。さらに言うと、大学卒業の年齢にあたる同じ二十二、三歳なら、いまの若者たちの方が、よほど老成しているように感ずることが多い。強いて長所を言うなら、八十年代に青年期を過ごした者はどこかのほほんとした人の良さのようなものがあると、私なりに感ずるところがある。しかし、三十代なんてヒヨッコみたいなもので、その歳できれいにカッコよく死にたいなんて、とても言えた義理ではなかったし、またそんな勇気、蛮勇、それを後から押して来るような時代の力も無かった。

 私らの世代は、とあえて言うが、自己伝説化、自己劇化が似合わない世代である。お気楽に、ラクチンに生きてきてしまっているために(前後の世代とくらべて相対的に、という意味においてである。むろん、言い知れぬ苦労を積んだ人が大勢いるということも知っているのだが)、その上で、やっぱり大きく言うと、苦労話が似合わないのである。戦争体験世代が、生きて帰って来てから、どうしてもこれは書いておかなくては、と思って書いたような切迫した動機というものに乏しいのだ。これは時代というものだから、仕方がない。だから、回想することがいけないと言うのではなく、回想を語るには、ロンドンの小説の主人公のような後悔が、さらには酒の席でなければ語れないかもしれないような恥じらいが少しは必要なのではないかと時に思うことがあって、そこで自分の今の年齢を思い合せると、何だか暗いなあ、くらい。それに比べて、ロンドンの書き物には、すっきりとしたユーモアと威勢の良さがあって、端的に言うなら、みごとに吹っ切れているのだ。

 世の中には、こういう方面のユーモアや気概のニュアンスのわからない人がけっこうたくさんいて、私は常々そういう人たちを見たり、またはそういう人の書いたものを読んだりするにつけ、犬の糞みたいなやつ!と思うのだけれども、そういうのに限っていつまでも私怨を忘れず、いじましく立ちまわって、陰でこそこそやっていたりする。中には新聞のコラムに書いてしまったりするすごい人もいて、おいおい、公器で私憤を晴らそうとするなんて、小学生以下だぞ、と思ったりしたことがあるが、どうも私の世代以降が、そういうことに緩(ユル)いうえに、下の世代に悪い影響を及ぼして来たのではないかと思うのである。基本的に、そういうメンタリティーは、よほど暇(ヒマ)でないと培われないものなのだから、簡単にいうと、ろくに仕事もしないで文句ばっかり言っているような奴には気をつけろ、または、そんなやつ相手にするな、ということを、年長者たちはそれを人生訓として有望な後輩には常々語っていたと思うので、おしまいに思い起こして書いておく。

 何でこんなことを書きはじめたのかなあ、と考えてみると、そう言えば昨日もう一冊読んだのが、高橋順子の『夫・車谷長吉』だった。私は車谷の小説は一時期、文芸誌初出で追いかけていた時期がある。作者自体は、アクの強い、風変わりな、困った人だったと思うけれども、どうしても憎めないのである。インテリの上昇志向と下降志向を同時に体のなかに抱え込んだまま自爆したようなところがあって、なかなか壮烈な生き方を徹底した。鏡として三島由紀夫を置いてみるとわかるような気がするのだが、車谷長吉は、劣等感を三島のように格好良く打ち返すことができなかった。できないが故に、独自に醸成した被害者意識と恥辱感を梃子にして育て上げた倫理観を空中楼閣のように打ち建てて、その砦から間欠泉的に躍り出て、底に秘めた激情を居合抜きの気合いで「日本的世間」に向けて発出してみせていた。そういう意味ではとことん日本人的でもあった。短気短慮の暴発型である。これは比喩的に言うのだが、全共闘的な精神のいい所も悪い所も戯画に近い所まで煮詰めたら車谷長吉になるような気がする。そういう意味では、どこかで戦後の一時期の時代精神を体現していた。そうして身をもって贖(あがな)っていたところがある。だから、生傷に塩を塗り込むような書き物でなければ書けない、というところに、彼の考えるブンガクの理想があった。そういう意味では、平野謙の言葉をかりると「血を流して」書いていたのである。



諸書雑記

2022年04月03日 | 
 この二日ほどは諸書をバラ読みすることに終始していたのだが、そのきっかけとなる元気をくれたのが、雑誌「ブルータス」の特集で村上春樹があげていたジャック・ロンドンの自伝的小説『マーティン・イーデン』(辻井栄滋訳2018年白水社刊)だった。中でも目も回るような忙しさで働く洗濯屋の労働場面の描写がすばらしい。こちらは、おっ、来た、来たと思いながら読んだ。貧苦にあえぎながら暮らしている近親者の姿の描写もすぐれている。そのあとに先日言及したジョージ・オーウェルを手に取ったのだったが、イギリスの文学を読むと階層・階級の区別がはっきりしているイギリス社会の狭苦しさが強く意識される。こちらも貧苦にあえぐ時代遅れの小商人の生態を容赦なく描いている。しかし、作者が一番書きたかったのは、十六歳までの少年期の思い出、特に魚釣りについての蘊蓄を傾けるあたりだろうと思う。

 何とか時代全体への見取図を与えてくれるような書物はないかと、書店にでかけて中尾茂夫『世界マネーの内幕』(2022年3月ちくま新書)を手に取った。終章に「松本清張は何を考えていたか」とあるあたり、通常の経済解説書とはまるで違う感触を得た。この国にもこういう真の愛郷精神を持った人がいるのは心強い。

 あわせて「中国とどう向き合うか」という特集の「世界」を買ってみた。喫緊のウクライナ情勢についての大串敦の一文が、2月24日の開戦直前の文章ながらよく事態の経過を整理してまとめていた。あまり成算が得られないのにロシアがどうして大規模な戦争にまでふみこんでいくのか、軍事と経済とが遊離しているというロシアの不思議な実態を指摘している。周知のようにウクライナをナトーに加盟させないことが第一の目的であるだろうことは明らかであるが、そこから先はロシアの歴史的な被害者意識が遠因となっている。さらにプーチンのロシアとウクライナを一体とみなす政治思想が根本にあることはすでに多くの人たちの指摘している通りである。