手元の本を引っくり返していたら渋沢孝輔の詩集が出て来た。江田さんが詩歌にもとめるものは、渋沢と似たところがある。ひとつ詩を引いてみようか。
スパイラル 渋沢孝輔
わたしの背後の埃の中に
もう帰ることはできないねじくれた途
ねじくれたまましだいにかすみ
もうどうでもよい過去となる思い出となる
わたしの踏み迷ったこころの中に
どこをどう通っても脱けることのできないねじくれた途
ねじくれたまましだいにあらわれ
もうどうにかしなければ
生きられない痼疾となる幻覚となる
それでも容赦なくわたしを越えて闇の方へ
わたしを越えて未来の方へ
ひたすらねじくれていっている奇っ怪な途
これは、まるで江田浩司のために作られたかのような詩である。このスパイラルの螺旋をなす途は、エクリチュールを通してしかあらわれない途であり、それゆえに常住坐臥と言っていいくらいに作者はハイデガーや、それを受けたブランショの言う<死>を意識した詩のことばを求めてやまないのである。要はそれに尽きるのだけれども、江田の歌が難解だというのは、それをそう思って読む詩の読み方を読者が知らないだけである。実感の根は残してあるけれども、実感を梃子にして志向し、試行する先にあるものについて、書き手がすべてを知っているわけではないし、また書き手が責任を負うものでもない。そこのところを通常歌人は身体的に社会的にすべて引き受けようとする。たとえば本多一弘の『あらがね』という歌集は、そういう歌集である。本多の場合は実感の外にあるものを歌にしようとはしていない。これは、どちらがいいというわけではなく、短歌型式にもとめるものが異なっているのである。
ゆるさるることもあるらむ父の死に知るやさしさを思ひつくさば
くるしみのきはみは霧にとざしたり 詩篇をこがす野火を放てり
藍ふかく木霊するなり醒めぎはの溪間にひびく詩を惜しみて
※「詩」に「うた」と振り仮名
詩にちかくありしひと日ののこり日に霧にかがよふ故郷は逝く
※「のこり日」に「(のこり)び」、「故郷」に「ふるさと」と振り仮名。
夏ぞらの雲の溪間に熟れふかき光りをまとふ銀翼の見ゆ
※「熟れ」に「う(れ)」と振り仮名。
同じ一連から引いた。父への挽歌として読める一連だが、掲出歌の二首目の「くるしみ」は、詩に苦しんでいるようにも読めるのである。一連がそういう作り方になっている。<父>の死という事実よりも詩に対する求道的な希求の方が前面に出ている。
火の中にむち打つ音を聞きながらあゆみゆけるは孤影なりけり
タイトルともなった歌だと思うが、この「孤影」を作者自身と読むと何かとても自愛の勝った歌となってしまうだろう。この後の連に次の歌がある。
ゆく方なく歌に彷徨ふ人としてありへし日々に終の寂かさ
※「ゆく方」に「(ゆく)へ」、「彷徨ふ」に「さまよ(ふ)」、「終」に「つひ」、「寂かさ」に「しづ(かさ)」と振り仮名。
かの人のいなくなりたる暁にささやきやまねやはらかき闇
この歌の「かの人」は、父親のことでもいいが、たぶん山中智恵子のことなので、そうすると「孤影」も、山中もしくは先達の誰かと解釈した方がよい。
全体に沈痛で、おごそかな歌が並んでおり、短歌の様式美を追求した溢美の歌集であるが、江田には枕詞をもとにして作った実験的な歌集もあり、短歌の言葉(エクリチュール)の様式性を極めてみたいという欲求があるのだろう。『まくらことばうた』は、意味の「反覆」の外に出ようとしつつ、同時に徹底的に既成の言葉の意味の「反覆」に依拠しようとする、矛盾したことを同時に手探りしたアクロバットの実践でもあった。それが今回は大きく様式美の方に傾斜している。江田の以前の『ピュシスピュシス』のような歌集と対照してみた時に、どうしてこんなに様式美にこだわったのだろうかと思ったりもする。だんだん還暦も近くなって来たせいだろうか、自己の来し方を振り返り、「ねじくれた途」(渋沢)を思い返してみるようなところが強くあり、年齢を意識する歌が多くある。ずっと無理解にさらされて来て、自分は正調の歌もこういうふうに作れるんだよと、言ってみたい作者の気持ちはわからないでもない。むしろ短歌型式には、幾通りかの様式があって、それを作者は何種類も作りわけているのだと言った方がいのかもしれない。
さ迷へる命のひかり 白昼の月に類へて歌はかなしも
※「類へて」に「たぐ(へて)」と振り仮名。
七曜のはじめに老いの掌のごとき光りはさしぬ寒き春なり
※「掌」に「て」と振り仮名。
ここでは、われわれの道行きはまだおわっていないのだと強調しておくべきだろうか。先日久しぶりに『饒舌な死体』を取り出してみて、まったく難解だとは感じなかった。むしろ懐かしいほどに親しみを覚えたのである。
スパイラル 渋沢孝輔
わたしの背後の埃の中に
もう帰ることはできないねじくれた途
ねじくれたまましだいにかすみ
もうどうでもよい過去となる思い出となる
わたしの踏み迷ったこころの中に
どこをどう通っても脱けることのできないねじくれた途
ねじくれたまましだいにあらわれ
もうどうにかしなければ
生きられない痼疾となる幻覚となる
それでも容赦なくわたしを越えて闇の方へ
わたしを越えて未来の方へ
ひたすらねじくれていっている奇っ怪な途
これは、まるで江田浩司のために作られたかのような詩である。このスパイラルの螺旋をなす途は、エクリチュールを通してしかあらわれない途であり、それゆえに常住坐臥と言っていいくらいに作者はハイデガーや、それを受けたブランショの言う<死>を意識した詩のことばを求めてやまないのである。要はそれに尽きるのだけれども、江田の歌が難解だというのは、それをそう思って読む詩の読み方を読者が知らないだけである。実感の根は残してあるけれども、実感を梃子にして志向し、試行する先にあるものについて、書き手がすべてを知っているわけではないし、また書き手が責任を負うものでもない。そこのところを通常歌人は身体的に社会的にすべて引き受けようとする。たとえば本多一弘の『あらがね』という歌集は、そういう歌集である。本多の場合は実感の外にあるものを歌にしようとはしていない。これは、どちらがいいというわけではなく、短歌型式にもとめるものが異なっているのである。
ゆるさるることもあるらむ父の死に知るやさしさを思ひつくさば
くるしみのきはみは霧にとざしたり 詩篇をこがす野火を放てり
藍ふかく木霊するなり醒めぎはの溪間にひびく詩を惜しみて
※「詩」に「うた」と振り仮名
詩にちかくありしひと日ののこり日に霧にかがよふ故郷は逝く
※「のこり日」に「(のこり)び」、「故郷」に「ふるさと」と振り仮名。
夏ぞらの雲の溪間に熟れふかき光りをまとふ銀翼の見ゆ
※「熟れ」に「う(れ)」と振り仮名。
同じ一連から引いた。父への挽歌として読める一連だが、掲出歌の二首目の「くるしみ」は、詩に苦しんでいるようにも読めるのである。一連がそういう作り方になっている。<父>の死という事実よりも詩に対する求道的な希求の方が前面に出ている。
火の中にむち打つ音を聞きながらあゆみゆけるは孤影なりけり
タイトルともなった歌だと思うが、この「孤影」を作者自身と読むと何かとても自愛の勝った歌となってしまうだろう。この後の連に次の歌がある。
ゆく方なく歌に彷徨ふ人としてありへし日々に終の寂かさ
※「ゆく方」に「(ゆく)へ」、「彷徨ふ」に「さまよ(ふ)」、「終」に「つひ」、「寂かさ」に「しづ(かさ)」と振り仮名。
かの人のいなくなりたる暁にささやきやまねやはらかき闇
この歌の「かの人」は、父親のことでもいいが、たぶん山中智恵子のことなので、そうすると「孤影」も、山中もしくは先達の誰かと解釈した方がよい。
全体に沈痛で、おごそかな歌が並んでおり、短歌の様式美を追求した溢美の歌集であるが、江田には枕詞をもとにして作った実験的な歌集もあり、短歌の言葉(エクリチュール)の様式性を極めてみたいという欲求があるのだろう。『まくらことばうた』は、意味の「反覆」の外に出ようとしつつ、同時に徹底的に既成の言葉の意味の「反覆」に依拠しようとする、矛盾したことを同時に手探りしたアクロバットの実践でもあった。それが今回は大きく様式美の方に傾斜している。江田の以前の『ピュシスピュシス』のような歌集と対照してみた時に、どうしてこんなに様式美にこだわったのだろうかと思ったりもする。だんだん還暦も近くなって来たせいだろうか、自己の来し方を振り返り、「ねじくれた途」(渋沢)を思い返してみるようなところが強くあり、年齢を意識する歌が多くある。ずっと無理解にさらされて来て、自分は正調の歌もこういうふうに作れるんだよと、言ってみたい作者の気持ちはわからないでもない。むしろ短歌型式には、幾通りかの様式があって、それを作者は何種類も作りわけているのだと言った方がいのかもしれない。
さ迷へる命のひかり 白昼の月に類へて歌はかなしも
※「類へて」に「たぐ(へて)」と振り仮名。
七曜のはじめに老いの掌のごとき光りはさしぬ寒き春なり
※「掌」に「て」と振り仮名。
ここでは、われわれの道行きはまだおわっていないのだと強調しておくべきだろうか。先日久しぶりに『饒舌な死体』を取り出してみて、まったく難解だとは感じなかった。むしろ懐かしいほどに親しみを覚えたのである。