永田紅さんの新歌集を手にする。ぱらぱらとめくっているうちに、ん?と思う歌にぶつかった。
これからを本番として 君は説く一点突破全面展開
この歌の下句は、戦後学生〇〇史に残る社〇同(無関係な検索よけにあえて伏字にします)の有名なスローガンだ。どうして若い永田さんがこの言葉を使えるのかが、まず不思議。この言葉を教えた「君」は何歳なのだろうか。
一九七七年に大学に入学した私の頃でも、この言葉はすでに死語だった。ただ、何となく聞き知っていた。これは当時刊行されていた「流動」や、「現代の眼」というような雑誌から知識を得ていたのかもしれない。私のような文学青年の間では、古井由吉などの「内向の世代」の作家が問題になっていて、彼らの手によって「文体」という雑誌が創刊されていた。
……というような事に思いが及んで、つい追想にふけってしまったのだが、このスローガンは、社〇同(無関係な検索よけにあえて伏字にします)の長年にわたる陰惨な党派抗争とは無縁の、晴れやかで、浪漫的な昂ぶりを覚えさせる言葉だ。それは「いっ」「てん」「とっ」「ぱ」「ぜん」「めん」「てん」「かい」という、語頭の促音に続く怒濤のような撥音の連続と、間にはさまる「ぱ」という破裂音の絶妙な響きに、音に敏感な歌人が反応して用いられただけなのかもしれないが、作者の持っている理念を希求する資質のようなものが、無意識のうちに呼び寄せた言葉なのかもしれないと、いま思った。
自らの専門を武器となすことに微かな後ろめたさはきざす
若き日の糊しろ部分を生きている私よ走ってから考えよ
タイミング違えて生きる 息つぎのようにときおり君を見かけて
どんな人と聞かれて春になりゆくを 春は顕微鏡が明るい
居心地のよき背中なり凭れても撫でても我にひらかれていて
いま、たまたま手探りで「作者の無意識のうちに理念を希求する資質」と書いたけれども、要するにまっすぐに育った健全な感性を持ちながら成長したひとの、たとえて言えばフランクリンとかホイットマンとか、百年以上前のアメリカ人が持っていた開拓精神みたいなものと同質の感激と興奮を、いまでも日本の社会の理科系の研究者・教育者のなかにエートスとして維持している人がいるのだということが、何となくわかって、そういう人の相聞歌をリアルタイムで読めるということが、何だかとてもうれしかった。今日はここまで。
これからを本番として 君は説く一点突破全面展開
この歌の下句は、戦後学生〇〇史に残る社〇同(無関係な検索よけにあえて伏字にします)の有名なスローガンだ。どうして若い永田さんがこの言葉を使えるのかが、まず不思議。この言葉を教えた「君」は何歳なのだろうか。
一九七七年に大学に入学した私の頃でも、この言葉はすでに死語だった。ただ、何となく聞き知っていた。これは当時刊行されていた「流動」や、「現代の眼」というような雑誌から知識を得ていたのかもしれない。私のような文学青年の間では、古井由吉などの「内向の世代」の作家が問題になっていて、彼らの手によって「文体」という雑誌が創刊されていた。
……というような事に思いが及んで、つい追想にふけってしまったのだが、このスローガンは、社〇同(無関係な検索よけにあえて伏字にします)の長年にわたる陰惨な党派抗争とは無縁の、晴れやかで、浪漫的な昂ぶりを覚えさせる言葉だ。それは「いっ」「てん」「とっ」「ぱ」「ぜん」「めん」「てん」「かい」という、語頭の促音に続く怒濤のような撥音の連続と、間にはさまる「ぱ」という破裂音の絶妙な響きに、音に敏感な歌人が反応して用いられただけなのかもしれないが、作者の持っている理念を希求する資質のようなものが、無意識のうちに呼び寄せた言葉なのかもしれないと、いま思った。
自らの専門を武器となすことに微かな後ろめたさはきざす
若き日の糊しろ部分を生きている私よ走ってから考えよ
タイミング違えて生きる 息つぎのようにときおり君を見かけて
どんな人と聞かれて春になりゆくを 春は顕微鏡が明るい
居心地のよき背中なり凭れても撫でても我にひらかれていて
いま、たまたま手探りで「作者の無意識のうちに理念を希求する資質」と書いたけれども、要するにまっすぐに育った健全な感性を持ちながら成長したひとの、たとえて言えばフランクリンとかホイットマンとか、百年以上前のアメリカ人が持っていた開拓精神みたいなものと同質の感激と興奮を、いまでも日本の社会の理科系の研究者・教育者のなかにエートスとして維持している人がいるのだということが、何となくわかって、そういう人の相聞歌をリアルタイムで読めるということが、何だかとてもうれしかった。今日はここまで。