88 夕対卯花
卯の花の咲ける垣根のゆふづく夜さすとはなしに物ぞかなしき
一三八 白妙のうの花がきの夕づく夜さすとはなしに物ぞかなしき
□きれいに云ふなり。夕卯花に対光のことを云ふが力なり。「夕づく夜」、いまださしたるけぢめなきなり。
「物ぞ悲しき」、夕ぐれがたのけしき、物思ひのつまとなるなり。「昔こひしき」とか何とか、おもひ出づるなり。
「徒然草」に、「物思ひの限りは夏こそ」とあるなり。景樹さも思ふなり。
○きれいに言うのである。夕べに卯の花に光が射すことを言う点が力である。「夕づく夜」は、まだそれといったけじめがない(時間帯のこと)である。
「物ぞ悲しき」は、夕暮れ方の景色が、物思いのいとぐちとなるのである。「昔恋しき」とか何とか、思い出すのである。
『徒然草』に「物思ひの限りは夏こそ」とある。景樹もそう思うものだ。
※一、二句が大きく改稿されている。現代の感覚からすれば、むろん刊本の方がよい。別稿は、調べはやわらかいが、装飾的になりすぎるようだ。「一枝」には、同じ初句の歌が三首あり、編者がそれと混同した可能性もある。「桂園一枝 雪」では「白妙のうの花がきの」である。
89 卯花隠路
卯の花のつゆふむ小野の山かげは浪にぬれゆくこゝちこそすれ
一三九 うの花の露ふむをのゝ山陰は浪にぬれ行こゝちこそすれ 文化二年 卯花の陰ふむ小野の山人は郭公にもあひやしつらむ
□「つゆふむ小野の山」、ふむばかりせまきみちなり。
○「露踏む小野の山」は、(誇張だけれども、そうやって露を)踏んでしまうぐらいに狭い路なのである。
90 山家卯花
ほととぎすなくと云ふなる山ざとの垣根もたわにさける卯の花
一四〇 郭公なくといふなる山ざとのかきねもたわにさけるうのはな 享和元年 二句目 なくとツゲタル 五句目 ウツキ花サク 文政六年 二句目 キキツル
□ほととぎすがなきます、聞きに御出なされ、など云ふ時節なり。
「垣根もたわにさける卯花」、「拾遺」にあるなり。
(小字注)資之曰、「後撰」にもあり。「拾遺愚草」にもあり。
○「ほととぎすが鳴きます。聞きに御出なされ」などという時節である。「垣根もたわにさける卯花」は「拾遺集」にある。
(小字注)(松波)資之曰く。「後撰集」にもある。「拾遺愚草」にもある。
※「時わかずふれる雪かと見るまでにかきねもたわにさける卯の花」よみ人しらず『拾遺集』九三。『後撰集』一五三。ここで景樹は「『拾遺』にあるなり」と言っているが、私のみるところ、景樹が享和年中に作歌の参照として使っていた本の一つが「古今和歌六帖」であろう。景樹の「万葉」ぶりというのも、そのあたりを見る必要がある。この歌は、同書の八二「うのはな」の項に収録されている。
91 葵
神山のみあれの後のあふひぐさいつをまつとてふた葉なるらん
一四一 神山のみあれのゝちのあふひ草いつを待とて二葉なるらむ 享和三年
□「みあれ」は、すんだら二葉の用はすんだに、いつをまつとて、やはりりんとしてゐるなり。「あふひ草」、昔は「逢日草」と云ひたると見ゆるなり。古今の物名を見れば、逢日と云ひたると見えるなり。今は「あをい」とつかふなり。「あふぎ」、「扇あをぐ」とも云ふ。後に「あをぎ」など云ふもしれぬなり。何分昔は「あふ」を「逢」と云ひたるとみゆるなり。「藤」、むかしは「ふち」とすみてよみたると見ゆるなり。「土佐」では「ち」をすむなり。
○(葵祭の)御生れ(の神事)は、それが済んだら二葉(葵)の用は済んだというのに、稜威(いつ)を待つといってそのまま凛としているのである。「あふひ草」は、昔は「逢日草」と言ったと(諸書に)見える。古今の物名を見ると、「逢日」と言ったと見えるのである。今は「あをい」と使うのだ。(同様に)「あふぎ」(は)、「扇あをぐ」とも言う。(これも)後には「あをぎ」などと言うようになるかもしれない。何分昔は「あふ」を「逢」と言ったと見えるのである。「藤」は、むかしは「ふち」とすんで読んだと見えるのである。土佐では「ち」を清音で発音している。
※この段、「を」の表記を一部旧仮名のままにした。
92 葵露
あふひぐさ日かげになびくこゝろともしらでや露のおきかへるらん
一四二 あふひ草日影になびく心ともしらでや露の置かへるらむ 文政五年 二句目 日影にムカフ
□「日かげになびく」、日かげにむかふなり。葵は根をかくすなり。
葵は日になびくのに、露はしらでや、おきては、おきてはするなり。おいたるなり、の意なり。俗に「りきみかへるにえかへる」とは、かへすがへすゆくことなり。又「しづまりかへる」ともつかふなり。そのまゝにすと行くことなり。ゆるんでは、またりきむではなきなり。「消かへりて」も、消え入るやうに、なり。
○「日かけになびく」は、日かげに向かうのだ。葵は根を隠すのだ。
葵は日になびくのに、露はそれを知らないでか、置いては、置いては、ということを繰り返すのである。置いたのだ、の意である。俗語に「力み返るにえ返る」とは、返す返す行くことである。又「静まり返る」とも使うのである。そのままにすっと行くことだ。ゆるんでは再び力むのではないのである。「消かへりて」も、消え入るように(の意)、である。
93 時鳥
ほととぎすしのぶが原になくこゑをねらひがりする人やきくらん
一四三 ほとゝぎすしのふが原に鳴こゑをねらひがりする人やきくらむ 寛政十二年 詠草
□「しのぶが原」、奥州なり。狩人をよみ合せり。先づ、ほととぎすの初声は、卯月なり。さかりなるは五月なり。さて「しのび音は」、ちさき折々の時分なり。それを忍ぶとは、郭公は夜に多き故しのぶと云ふなり。鶯のはじめになくを「しのびね」とは云はぬなり。
「ねらひがり」、五月五日をさかりとするなり。「ねらふ」は、ひかへてためらふなり。「ねらひ」と云ふことは、わが身をねりて、ためつすが(※す、の一字誤入あり。トル)めつすることなり。しづかに伺ふなり。ねりこしてゆくゆゑに、じつとすることになるなり。狩人はきくつ(※「く」の一字誤入、トル)もりではなきなれども、しのびて居るゆゑ調度きくなり。
○「しのぶが原」は奥州だ。狩人を詠み合わせた。はじめに、ほととぎすの初声は、卯月だ。(この鳥が)盛りなのは五月だ。さて忍び音は、(声が)小さい折々の時分である。それを忍ぶとは、郭公は夜に多いのでしのぶと言うのだ。鶯がはじめに鳴くのを忍び音とは言わないのである。
「狙い狩り」は、五月五日を盛りとするのだ。「ねらふ」は控えて躊躇うのである。「ねらひ」ということは、わが身を静かに歩ませて、ためつすがめつすることである。静かに伺うのである。そろそろと歩んでゆくので、じっとすることになるのである。狩人は、聞くつもりではないけれども、忍んで居るのでちょうど聞くのである。
※夏の夜に照射(ともし)をたいて鹿狩りをすること。
94
こゝろから深山いでゝもほととぎすよをうのはなのかけになくらん
一四四 こゝろから深山いでゝもほとゝぎすよをうの花のかげになくらむ
□「心から」「よを卯花」といふなり。「郭公 深山いでても 心から よをうの花」といふことなれども、それでは口調をなさぬなり。「深山出ても」、「も」は嘆息なり。出ずともよきに、いでゝからといふ位なり。
○「心から」「世を憂の」花と言うのである。「郭公 深山いでても 心から よをうの花」ということであるけれども、それでは口調をなさないので(「かげになく」とつづけるので)ある。「深山出(いで)ても」の「も」は嘆息である。出なくともよいのに出てから、というぐらい(の意味)である。
95 粟田山松の葉うづむしらくものはれぬあさけになくほととぎす
一四五 粟田山松の葉埋むしら雲のはれぬ朝けになくほとゝぎす 文化三年
□実景のうたなり。岡崎より聞ゆるなり。
○実景のうただ。岡崎から聞えるのである。
卯の花の咲ける垣根のゆふづく夜さすとはなしに物ぞかなしき
一三八 白妙のうの花がきの夕づく夜さすとはなしに物ぞかなしき
□きれいに云ふなり。夕卯花に対光のことを云ふが力なり。「夕づく夜」、いまださしたるけぢめなきなり。
「物ぞ悲しき」、夕ぐれがたのけしき、物思ひのつまとなるなり。「昔こひしき」とか何とか、おもひ出づるなり。
「徒然草」に、「物思ひの限りは夏こそ」とあるなり。景樹さも思ふなり。
○きれいに言うのである。夕べに卯の花に光が射すことを言う点が力である。「夕づく夜」は、まだそれといったけじめがない(時間帯のこと)である。
「物ぞ悲しき」は、夕暮れ方の景色が、物思いのいとぐちとなるのである。「昔恋しき」とか何とか、思い出すのである。
『徒然草』に「物思ひの限りは夏こそ」とある。景樹もそう思うものだ。
※一、二句が大きく改稿されている。現代の感覚からすれば、むろん刊本の方がよい。別稿は、調べはやわらかいが、装飾的になりすぎるようだ。「一枝」には、同じ初句の歌が三首あり、編者がそれと混同した可能性もある。「桂園一枝 雪」では「白妙のうの花がきの」である。
89 卯花隠路
卯の花のつゆふむ小野の山かげは浪にぬれゆくこゝちこそすれ
一三九 うの花の露ふむをのゝ山陰は浪にぬれ行こゝちこそすれ 文化二年 卯花の陰ふむ小野の山人は郭公にもあひやしつらむ
□「つゆふむ小野の山」、ふむばかりせまきみちなり。
○「露踏む小野の山」は、(誇張だけれども、そうやって露を)踏んでしまうぐらいに狭い路なのである。
90 山家卯花
ほととぎすなくと云ふなる山ざとの垣根もたわにさける卯の花
一四〇 郭公なくといふなる山ざとのかきねもたわにさけるうのはな 享和元年 二句目 なくとツゲタル 五句目 ウツキ花サク 文政六年 二句目 キキツル
□ほととぎすがなきます、聞きに御出なされ、など云ふ時節なり。
「垣根もたわにさける卯花」、「拾遺」にあるなり。
(小字注)資之曰、「後撰」にもあり。「拾遺愚草」にもあり。
○「ほととぎすが鳴きます。聞きに御出なされ」などという時節である。「垣根もたわにさける卯花」は「拾遺集」にある。
(小字注)(松波)資之曰く。「後撰集」にもある。「拾遺愚草」にもある。
※「時わかずふれる雪かと見るまでにかきねもたわにさける卯の花」よみ人しらず『拾遺集』九三。『後撰集』一五三。ここで景樹は「『拾遺』にあるなり」と言っているが、私のみるところ、景樹が享和年中に作歌の参照として使っていた本の一つが「古今和歌六帖」であろう。景樹の「万葉」ぶりというのも、そのあたりを見る必要がある。この歌は、同書の八二「うのはな」の項に収録されている。
91 葵
神山のみあれの後のあふひぐさいつをまつとてふた葉なるらん
一四一 神山のみあれのゝちのあふひ草いつを待とて二葉なるらむ 享和三年
□「みあれ」は、すんだら二葉の用はすんだに、いつをまつとて、やはりりんとしてゐるなり。「あふひ草」、昔は「逢日草」と云ひたると見ゆるなり。古今の物名を見れば、逢日と云ひたると見えるなり。今は「あをい」とつかふなり。「あふぎ」、「扇あをぐ」とも云ふ。後に「あをぎ」など云ふもしれぬなり。何分昔は「あふ」を「逢」と云ひたるとみゆるなり。「藤」、むかしは「ふち」とすみてよみたると見ゆるなり。「土佐」では「ち」をすむなり。
○(葵祭の)御生れ(の神事)は、それが済んだら二葉(葵)の用は済んだというのに、稜威(いつ)を待つといってそのまま凛としているのである。「あふひ草」は、昔は「逢日草」と言ったと(諸書に)見える。古今の物名を見ると、「逢日」と言ったと見えるのである。今は「あをい」と使うのだ。(同様に)「あふぎ」(は)、「扇あをぐ」とも言う。(これも)後には「あをぎ」などと言うようになるかもしれない。何分昔は「あふ」を「逢」と言ったと見えるのである。「藤」は、むかしは「ふち」とすんで読んだと見えるのである。土佐では「ち」を清音で発音している。
※この段、「を」の表記を一部旧仮名のままにした。
92 葵露
あふひぐさ日かげになびくこゝろともしらでや露のおきかへるらん
一四二 あふひ草日影になびく心ともしらでや露の置かへるらむ 文政五年 二句目 日影にムカフ
□「日かげになびく」、日かげにむかふなり。葵は根をかくすなり。
葵は日になびくのに、露はしらでや、おきては、おきてはするなり。おいたるなり、の意なり。俗に「りきみかへるにえかへる」とは、かへすがへすゆくことなり。又「しづまりかへる」ともつかふなり。そのまゝにすと行くことなり。ゆるんでは、またりきむではなきなり。「消かへりて」も、消え入るやうに、なり。
○「日かけになびく」は、日かげに向かうのだ。葵は根を隠すのだ。
葵は日になびくのに、露はそれを知らないでか、置いては、置いては、ということを繰り返すのである。置いたのだ、の意である。俗語に「力み返るにえ返る」とは、返す返す行くことである。又「静まり返る」とも使うのである。そのままにすっと行くことだ。ゆるんでは再び力むのではないのである。「消かへりて」も、消え入るように(の意)、である。
93 時鳥
ほととぎすしのぶが原になくこゑをねらひがりする人やきくらん
一四三 ほとゝぎすしのふが原に鳴こゑをねらひがりする人やきくらむ 寛政十二年 詠草
□「しのぶが原」、奥州なり。狩人をよみ合せり。先づ、ほととぎすの初声は、卯月なり。さかりなるは五月なり。さて「しのび音は」、ちさき折々の時分なり。それを忍ぶとは、郭公は夜に多き故しのぶと云ふなり。鶯のはじめになくを「しのびね」とは云はぬなり。
「ねらひがり」、五月五日をさかりとするなり。「ねらふ」は、ひかへてためらふなり。「ねらひ」と云ふことは、わが身をねりて、ためつすが(※す、の一字誤入あり。トル)めつすることなり。しづかに伺ふなり。ねりこしてゆくゆゑに、じつとすることになるなり。狩人はきくつ(※「く」の一字誤入、トル)もりではなきなれども、しのびて居るゆゑ調度きくなり。
○「しのぶが原」は奥州だ。狩人を詠み合わせた。はじめに、ほととぎすの初声は、卯月だ。(この鳥が)盛りなのは五月だ。さて忍び音は、(声が)小さい折々の時分である。それを忍ぶとは、郭公は夜に多いのでしのぶと言うのだ。鶯がはじめに鳴くのを忍び音とは言わないのである。
「狙い狩り」は、五月五日を盛りとするのだ。「ねらふ」は控えて躊躇うのである。「ねらひ」ということは、わが身を静かに歩ませて、ためつすがめつすることである。静かに伺うのである。そろそろと歩んでゆくので、じっとすることになるのである。狩人は、聞くつもりではないけれども、忍んで居るのでちょうど聞くのである。
※夏の夜に照射(ともし)をたいて鹿狩りをすること。
94
こゝろから深山いでゝもほととぎすよをうのはなのかけになくらん
一四四 こゝろから深山いでゝもほとゝぎすよをうの花のかげになくらむ
□「心から」「よを卯花」といふなり。「郭公 深山いでても 心から よをうの花」といふことなれども、それでは口調をなさぬなり。「深山出ても」、「も」は嘆息なり。出ずともよきに、いでゝからといふ位なり。
○「心から」「世を憂の」花と言うのである。「郭公 深山いでても 心から よをうの花」ということであるけれども、それでは口調をなさないので(「かげになく」とつづけるので)ある。「深山出(いで)ても」の「も」は嘆息である。出なくともよいのに出てから、というぐらい(の意味)である。
95 粟田山松の葉うづむしらくものはれぬあさけになくほととぎす
一四五 粟田山松の葉埋むしら雲のはれぬ朝けになくほとゝぎす 文化三年
□実景のうたなり。岡崎より聞ゆるなり。
○実景のうただ。岡崎から聞えるのである。