さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

近田順子の歌  「未来」の短歌採集帖(1)

2016年08月31日 | 現代短歌
垂直の壁にぶつかるようにして絶望生るる 世界汚れて  近田順子 

                           「未来」2016年6月号

 深夜に起きだして、雑誌をめくっているうちに、歌がこころに届く瞬間があって、これを書いておこう、と思う。
 掲出歌。世界で深刻化する環境問題、中東の情勢など、みんな「世界汚れて」とでも言うほかはないような状況だ。「垂直の壁にぶつかるようにして」。本当にそんな感じがする。つづく一首。

今日も又ショップチャンネルで買物ださみしい人がテレビの前で  近田順子

これも、わかる。ショップチャンネルを何となくみてしまう時間帯というのは、どちらかというと気力や意力が落ちていて、あなた任せの気分になっている時間帯が多い気がする。

近田さんの歌をあらためて見直した。こういういい歌人が、「未来」にはたくさんいる。と言うか、短歌の世界にはたくさんいる。結社誌を読んで、この人の歌はいいなと思って依頼するような編集者がいないと、どうしても利害がらみで依頼が行く。そうすると雑誌がやせる。

もう誰も好きにならないくっきりと線が引かれし高速道路     近田順子

 好きになると、裏切られる。というような経験を何度もしたのだろうと思う。高速道路は、自分とは関係ない、勝手に走って行ってください。というようにも読める。高速道路に乗ると、見えなくなるものがたくさんある。高速道路に乗ってしまった人には、さようなら。というようにも読める。底にいらだちや怒りが沈めてあって、でもそんなことを言ったって仕方がないから、すぱっと、こう言ってみた、というところだろうか。潔い。読んでから、うん、そうだな、と納得するのである。



中野雨情の歌(「現代短歌新聞」平成28年8月号) 短歌採集帖( 3 )

2016年08月15日 | 現代短歌
 木村雅子の連載「潮音の歌人 53」のコラムである。本文を引く。

「中野雨情は、海外での農業を夢見、国策に添って渡米、カナダへ。その後太平洋戦争勃発のため、捕虜キャンプに強制収容された。戦中の日本人の苦難の体験を詠み残している。」

にはとりを鶏屋に追ひ込む姿勢にて銃口向けられ獄門くぐる

背一ぱいの日の丸のシャツ着せられて有頂天なりしが射殺の目印

  ※「鶏屋」に「とや」と振り仮名。「目印」に「めじるし」と振り仮名。

木村の記事には、「トロント短歌会を創設し、カナダに短歌を普及させた。」とある。作者は戦後カナダ国籍を取得するが、そのことをうたった

墳墓の地カナダと決めて宣誓紙に署名するわが手はふるへたり  歌文集『宣誓』(昭和四十四年刊)

という歌によって歌会始に入選し、これはカナダの国定教科書にもとられたという。

 今年のNHKスペシャルでは、満蒙開拓団の悲劇を取りあげていた。戦後アメリカは、戦時中の日本人収監について公式に賠償する必要を認めた。

ニワトリのように収容所に追い込まれた開拓農民の体験も、戦争中の記憶として語り継がれなければならないことの一つである。「背一ぱいの日の丸のシャツ着せられて有頂天なりしが射殺の目印」という歌は、ソ連のラーゲリ体験に匹敵するきびしさであると思う。

何があろうとも、民間人と軍人はちがう。そのために軍服というものがあった。その区別が無くなって以後の時代をわれわれは生きている。

今、われわれ二十一世紀の時代を生きている人間は、アイエスの登場という経験を思想化しなければならないところに追いやられている。それは、国際金融資本やイスラエルの都合という謀略史観からだけでは説明できない問題だと私は思う。歴史を語る者は、人類の業のようなものにも向き合わなければならない。

かつて動物学者のコンラート・ローレンツは、人間が動物として持っている攻撃性は、スポーツによって解消することができると、述べていた。この数日間、オリンピックの柔道試合の映像を私も見ていた。試合が終わったあと、選手に道着を着直させて、互いに一礼するまで待つ審判の姿に、日本文化が世界に広めた美学が現れていると私は感じた。


プサングルメ旅行案内書一押し 『おとなの釜山 歴史の迷宮へ』書肆侃侃房 1500円+税

2016年08月12日 | 旅行 プサン
 休みに韓国に行こうと考えている人におすすめの本が出た。福岡に住む夫婦の共著である。
これは釣り記事ではない。何しろ三十年ほど前に私は、この本の著者の夫の方と一緒に韓国に旅行に行ったことがあるのだ。あの頃から著者は写真に凝っていた。私は歌を作り、彼は、はじめたばかりの写真を撮っていた。
 
好きな街歩きと、グルメの話題が満載で、地図も電話番号もしっかり載っていて、しかも韓国料理好きにはたまらない、とろけるような食べ物の話が随所に見える。私もこの本を持って、また韓国に行きたくなった。


江田浩司『想像は私のフィギュールに意匠の傷をつける』 2

2016年08月09日 | 現代詩 短歌


 (承前)続いて、太字の俳句が出て来る。前回の引用にあたって、「雲雀堕つ 柱の傷の水明かり」が太字で印刷されていたのを見落としていた。これは、詩のなかに織り込まれた俳句なのだった。

「冬の雲雀」とノートに書いてみる
力ない羽ばたきが遠くで聞こえたかと思ふと
たちまちに 雲雀堕つ 柱の傷の水明かり と耳もとで囁く声
「雲雀は冬をどうやつて過ごすの……」
なんども妹に訊ねられ 翼のすれる音が匂いくる 

「柱の傷」というのは、背比べをして、兄弟が柱に印をつけるという五月の節句の歌を
想起してみればわかるだろう。そこから「妹」が出て来るというのも、わかりやすい連想ではないだろうか。しかし、その思い出のようなイメージと、「雲雀堕つ」の初五とは、どうつながるのか。「水明かり」だから、川が流れているのだ。「雲雀堕つ」という悲劇的な言葉と幼年期の思い出のようなイメージがぶつかっている。このあとに、一行あけて次の句が来る。

眼裏に虹 麦の神から届けられ

「眼裏」には、「まなうら」と振り仮名がある。「麦の神」は季節の神と考えていいだろう。「麦」は夏の季語だ。ちなみに「雲雀」は春の季語である。引用を続ける。

温かき時間の間 一筋の 水が逝く

やっぱり水だ。五七五、と来て「水が逝く」で座五が一句多い詩行だ。「間」には、「あはい」と振り仮名がある。続いて太字の俳句。

牛乳の膜 キルケゴールの奈落かな

「牛乳」に「ちち」と振り仮名。悪くない。キルケゴールというのが気障な感じがするけれど。キルケゴールの「絶望」という言葉は、印象的なものであるが、これを「奈落」とひねってある。朝の安寧な一時。それを「温かき時間」と言えないことはない。そこで、牛乳をあたためて飲んでいる。キルケゴールのような厭世的な気分にとらわれることのある自分も。続いて四行の詩句のあとに短歌一首。

嘯きながら抱く 冬の雲雀の血はうす青く   
朝のスープに沈む針……
レマン湖の畔に住む老詩人の遠き声音に疼く 股間   
冬の雲雀は一羽ずつ死の様式を自らに課し
      ※「嘯」に「うそぶ」と仮名。「畔・ほとり」「声音・こわね」。

憎しみは玻璃の中で育ちゆきさみどりの夜にしづめむ怒り
      ※「玻璃」に「ガラス」と仮名。

水は時間につながっている。どうして「嘯きながら抱く」のだろう。ここでは「冬の
雲雀」を抱いているとしか、読めない。生きる力が衰えると、それは冬の雲雀のようなものかもしれない。血もうす青い。スープに針があるというのは、食べ物に刺すような痛みが伴っているということの喩である。そうして、ここで書き手は「レマン湖の畔に住む老詩人」に自分を投影しはじめる。レマン湖はバイロンの詩に関係があるが、若くして亡くなったバイロンは「老詩人」ではない。これも少しずらしてあるのだろう。「レマン湖の畔に住む老詩人の遠き声音に疼く 股間」というのは、やっぱり加齢に関係しているのだ。股間が疼くというのは、若者の股間ではなくて、ある年齢に達して残存する性欲なのだ。「冬の雲雀は一羽ずつ死の様式を自らに課し」というのは、正直なわかりやすい句で、作者は死について考えている。しかし、そのあとの歌において急に「憎しみ」が出てくるのはどういうわけか。
短歌の技術批評は私は得意だ。「玻璃の中」はあまり丁寧ではない(と書いたが、この「中」を「うち」と読めば問題はないと、後になって気がついた。訂正8月15日)。ガラス窓がある部屋の中、ぐらいの意味だろうか。たぶん、これは幼少年期の記憶なのだ。そこに戻っているととると、少し「憎しみ」がわかる。作者に現実の妹がいたかどうか、私はそんなことは知らない。別解では、塚本邦雄の歌に、ヘロデの幼児虐殺を題材にした歌がある。その歌でも作者はガラスの内側から五月の緑を見ていた。続けて三行の詩。

「雲雀は冬をどうやつて過ごすの……」と何度も訊ねる妹……
滅びの美しさだけが夕波に揺れつつあらむ一日に
君は月影あをき霧の階段をのぼる

「一日」に「ひとひ」、「階段」に「きだはし」と振り仮名。「滅びの美しさだけが夕波に揺れつつあらむ一日に 君は月影あをき霧の階段をのぼる」というロマンチックな二行は、むろん肯定的な描写ではない。「滅びの美しさ」を作者は好意的に見ていない。死に引かれる「君」に対して作者は、いらだっている。たぶん、これが正解だろう。誰だか知らないが、たぶん自死に近いかたちで死んでしまった誰かについて、書いたのがこの詩なのだ。一応答を出してしまったから、この後は全部引かない。一行だけ。
冬の雲雀は初霜を置き 歓喜の果てに裂ける臓器か

なかなか美しい詩句である。この詩は、「冬の雲雀」のような、か弱い存在、そういう生き方をする誰かを悼む詩なのだ。

水島朝穂『戦争とたたかう 憲法学者久田栄正のルソン島戦体験』

2016年08月09日 | 
 戦争についての本をこの時期は読むことにしている。今年はこの本を選んだ。

「ポソロビオにいた時、警察署長のデソンが私に、当時経理室に出入りしていた男が、日本軍の捕虜になってバターンでひどい目にあい、日本軍を恨んでいると教えてくれたので、私はバターンではひどいことをやったのだなと思っていた。そのことが頭にあったので、その報復だとピーンと来た。(略)
私たちは、ボントック道五二キロ地点からバギオの収容所までの間五六キロを、二日間五食を飲まず食わずで行進させられたわけです。これはどうみても、捕虜となった日本兵を必要以上に虐待したものといわざるをえない。」 (「バターン死の行進の報復」)

 バターン死の行進については、よく知られている。しかし、栄養失調でマラリアにかかっていることが多かった日本兵を二日間飲まず食わずの絶食状態で歩かせて死者続出となったこの事実は、ほとんど知られていない。ルソン戦の評価をめぐって、久田栄正は次のように述べている。

「「本土上陸を阻止した」という形で、あの戦闘を美化することは許されない。戦争目的からすれば無駄死だったという事実をおさえ、そういう無駄死に追い込んでいった者たちの責任、指導者たちの戦争責任を追及しなければならない。そのうえでルソンのあの多大な犠牲は、平和憲法を生み出す大きな礎になったのだ。こう考えるべきだと思うのです。」

 私はある時、故松本健一氏にこう質問したことがある。

「私が学生の頃に教わった橋川文三先生は、思想というのは、きちんと葬らないと亡霊が出る、と書いたことがありますが、松本先生は、この言葉から思う事がございますか。」

 少し考えてから、松本氏は、次のように答えた。

「そうですね。それは「国体」という言葉です。「国体」という言葉だけは、絶対に甦らせてはならない。橋川氏の言うような意味において思い浮かぶのは、この言葉ですね。」
ときっぱりと答えた。


 


江田浩司『想像は私のフィギュールに意匠の傷をつける』 1

2016年08月06日 | 現代詩 短歌
 今度の江田さんの歌集は、なかなかおもしろく読めそうだと思ったから、以下に書いてみることにする。まずタイトルがきまじめでコワモテだ。「私のフィギュール」って何だろうか。その「私のフィギュール」に「想像」が「意匠」の傷をつける(ほどこす、変形し、加工し、転用する)のだから、「想像」は、もしかしたら悪いヤツなのかもしれないな。「私のフィギュール」とあって、わざわざ「私の」としてあるところに、短詩型の詩の作者のこだわりがありそうである。そうして、この本では「私のフィギュール」を見てほしいのか、それとも「意匠の傷をつける想像」を見てほしいのか、その両方なのか。こういう直球の題より安井浩司の『氾人』みたいなひねりが私は好きであるけれど。

たとえば「私のフィギュール」が金の玉だとすると、空を飛ぶ金の玉にミサイルを撃ち込んだら、大火花が散って、熱い、熱い。殿様待って。みたいな、こういう突発する言葉の「意匠」の働きが「想像」というものなので、「想像」は、本来暴力的な作用を持つものなのだ。
そういう場所では、私の下半身と上半身は、どうしても分裂してしまい、どんなに大空に火花の華がひらこうが、私の足は暗い大地を踏みしめながら周囲の夜闇に溶け込んでいる。そこで私が見ている光景は、何なのか。「想像」の「意匠」なのか。…やっと頭が動くようになって来た。要するに作者が言いたいのは、次のような問いなのだろう。

遂に詩は、想像は、私のフィギュールに意匠の傷をつけるものでしかない、のか?

これなら、わかる。なんで世界中の詩人が言葉の前で悶え苦しむのかということが、普遍的な問いとして差し出されているのである。と、ここまで書いたところで夏の夕光の反射が、西窓から届いて来た。空の火花よりもこちらの方がうつくしい。

でも、私はわがままな読者にもどることにする。全部で二七篇の詩がおさめられた作品集をめくってみて、私の読み方はこんなふうだ。冒頭の「言葉の内なる旅へ」ちょっと見て、パス。めんどくさい。「兄妹たちの風景」読める。「冬の雲雀」これは、楽しい。「終はることのない祝祭」歌の半分まで読む。悪くない感じだ。「ものはづくし」これ、いいな。ここまで読んで、この文章を書くことを決意。そのまま十日ほどテキストを寝かせた。

「冬の雲雀」とノートに書いてみる
力ない羽ばたきが遠くで聞こえたかと思ふと
たちまちに 雲雀堕つ 柱の傷の水明かり と耳もとで囁く声
「雲雀は冬をどうやつて過ごすの……」
なんども妹に訊ねられ 翼のすれる音が匂いくる 
   
「冬の雲雀」の冒頭部分を引いた。この五行で作者は、伊東静雄から荒川洋治までの現代詩の話法をまとめてたどってみせている。しかも芭蕉の病雁の句まで下敷きにしてしている。
江田さんてこんなに詩が上手だったっけ、と仰天したのだった。