私の春のイメージ
枕草子のなかで清少納言が書いている・・・
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、
紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
イメージの写真をフレームにいれた.
これもサクラ
オキナ草
サンカヨウ
☝の3点は k-koyamaさんの山野草の加工を参考にアレンジしました
元画像→スポット→元画像グラディション→円形切り抜き→合成→文字入れ
山桜
私の春のイメージ
枕草子のなかで清少納言が書いている・・・
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、
紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
イメージの写真をフレームにいれた.
これもサクラ
オキナ草
サンカヨウ
☝の3点は k-koyamaさんの山野草の加工を参考にアレンジしました
元画像→スポット→元画像グラディション→円形切り抜き→合成→文字入れ
山桜
クレソンは水の中にあるけれど海ではないから山の幸だ。
バイカモを見にゆき見つけたクレソンはスーパーの野菜コーナーにおまけで置かれている野菜ではない。
摩周湖の湧水を存分に蓄えてきれいだ。
今年も収穫する。今となってはバイカモを見に来たのか、クレソンを摘みに来たのかと
思ったりしている。
「山野草をたべると、ほかの野菜が死んでいることに気がつく」。
向田邦子がエッセイのなかで言っていた。私は特に山菜好きでもないが、この
文章に大きなショックをうけウンーとうなったきり次に続く言葉がみつけられない。
しばらくしてそのことを夫に言うと、夫も言葉が見つけられずウーンと
唸り声ともならない音声を発した。
あまりにも的を得た言い回しに脱帽の体でどの位過ぎただろう。
私たちの知る蕗やワラビの収穫できる処が
毎年同じように収穫できるわけではないなど、取り留めのなく話を終えた。
死んだ野菜うんぬんは心に残るエッセイだった。
クレソンのごまあえ
今日は敗戦記念日だ。
終戦記念日と言うほか、考えていなかったかなり前
俳句の主宰が敗戦記念日と言った方が正しいという。
わたしもそうかもしれない。と、それからは敗戦記念日が
気持ち的にしっくりした。
そのような15日悲しい出来事を知る。義理の姉(夫の兄嫁)
が体調を崩しているという。同世代の義姉のことを思った。
包容力をあまり感じることができない損な性格のため
問題がいろいろあったが、夫も私も心配のあまり暗い1日になる
8月はとても辛い月だ。原爆や戦など決して繰り返さないよう
祈りの月でもあるはずが、戦いの最中の国もある。
世界中が平和を共有するのはいつになるのだろう。
並んで咲いたカンパニユラ
レンゲショウマ
小さい花
ハマエンドウに歴史があった。稚内に転勤していた
30歳代のころだ。サロベツ原生花園に頻繁に遊びに行った。
一面に咲くハマエンドウの美しさに圧倒され、秋には
種を取った。何年か経ち庭隅に埋めたハマエンドウが芽を出した。
驚いたが嬉しかった。それから数年経ち花を見つけた。
今も脇役でニオイヒバの下に咲いている。
スカシユリらしくと思い
地を透かすように撮ったらこのようになった。
庭に軒下に自由きままに咲くオダマキは、順応性の高い花。
どこからきたの?と声をかけている。
春
今年の春はベランダからの眺めが例年と違っていた。
昨年の十二月から今春にかけて、堤防の改修工事が行われた。
三月初旬から築堤の上に雪が無く土の色が見える
最近は築堤の斜面の雪を解かす滴るような音が聞こえ、風が春の匂いを運んできた。
ある日、目を凝らし築堤を見ると緑の点が見え「蕗の薹に違いない」。
確信になり夫に「あそこに蕗の薹がありそう、行ってみない」と誘う。
山歩きが好きな彼に良い返事をもらった。
さて、行ってみようという矢先、不覚にもぎっくり腰を患う。
身動きが出来なく、万事休す。想像だにしない、ぎっくり腰か!
冬の間、野の花の撮影はできない。
のんびり冬眠状態が続いていて、運動不足だった。
春の一歩戸外は見慣れた風景が新鮮な驚きを与えてくれる。
枯れ葉の間から紫や白のスミレが顔をだす。新たな感動だ。
撮影は決まって上手く撮れない。五感のほとんどが、緩み、決まらないのだ。
二~三日してから蕗の薹の撮影に出かけたが、
次の日から腰の痛さ、だるさが増してぎっくり腰を二度患ったようになった。
神戸ビオラ(パープル&ホワイト)暖かくなると花びらの斑がきれいになるらしい。
ウサギの耳のような2枚の細長い花弁が可愛いい。