写真とエッセーの森

徒然の写真によせて

春は、あけぼの。

2015-03-18 | エッセイ

私の春のイメージ

枕草子のなかで清少納言が書いている・・・

春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、

紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

イメージの写真をフレームにいれた.

これもサクラ

 

 

オキナ草 

 

 

サンカヨウ 

 

☝の3点は k-koyamaさんの山野草の加工を参考にアレンジしました

 元画像→スポット→元画像グラディション→円形切り抜き→合成→文字入れ

 

山桜

 

 

 

 

 


山の幸

2013-09-25 | エッセイ

クレソンは水の中にあるけれど海ではないから山の幸だ。

バイカモを見にゆき見つけたクレソンはスーパーの野菜コーナーにおまけで置かれている野菜ではない。

摩周湖の湧水を存分に蓄えてきれいだ。

今年も収穫する。今となってはバイカモを見に来たのか、クレソンを摘みに来たのかと

思ったりしている。

「山野草をたべると、ほかの野菜が死んでいることに気がつく」。

向田邦子がエッセイのなかで言っていた。私は特に山菜好きでもないが、この

文章に大きなショックをうけウンーとうなったきり次に続く言葉がみつけられない。

しばらくしてそのことを夫に言うと、夫も言葉が見つけられずウーンと

唸り声ともならない音声を発した。

あまりにも的を得た言い回しに脱帽の体でどの位過ぎただろう。

私たちの知る蕗やワラビの収穫できる処が

毎年同じように収穫できるわけではないなど、取り留めのなく話を終えた。

死んだ野菜うんぬんは心に残るエッセイだった。

 

クレソンのごまあえ

 

 


敗戦記念日

2013-08-15 | エッセイ

今日は敗戦記念日だ。

終戦記念日と言うほか、考えていなかったかなり前

俳句の主宰が敗戦記念日と言った方が正しいという。

わたしもそうかもしれない。と、それからは敗戦記念日が

気持ち的にしっくりした。

そのような15日悲しい出来事を知る。義理の姉(夫の兄嫁)

が体調を崩しているという。同世代の義姉のことを思った。

包容力をあまり感じることができない損な性格のため

問題がいろいろあったが、夫も私も心配のあまり暗い1日になる

8月はとても辛い月だ。原爆や戦など決して繰り返さないよう

祈りの月でもあるはずが、戦いの最中の国もある。

世界中が平和を共有するのはいつになるのだろう。

並んで咲いたカンパニユラ

 

 

レンゲショウマ

 

 

 


花の思いで

2013-06-21 | エッセイ

 

小さい花

ハマエンドウに歴史があった。稚内に転勤していた

30歳代のころだ。サロベツ原生花園に頻繁に遊びに行った。

一面に咲くハマエンドウの美しさに圧倒され、秋には

種を取った。何年か経ち庭隅に埋めたハマエンドウが芽を出した。

驚いたが嬉しかった。それから数年経ち花を見つけた。

今も脇役でニオイヒバの下に咲いている。

 

 

スカシユリらしくと思い

地を透かすように撮ったらこのようになった。

 

庭に軒下に自由きままに咲くオダマキは、順応性の高い花。

どこからきたの?と声をかけている。


早春

2013-04-22 | エッセイ

      春
              
 今年の春はベランダからの眺めが例年と違っていた。

昨年の十二月から今春にかけて、堤防の改修工事が行われた。

 三月初旬から築堤の上に雪が無く土の色が見える

最近は築堤の斜面の雪を解かす滴るような音が聞こえ、風が春の匂いを運んできた。
 ある日、目を凝らし築堤を見ると緑の点が見え「蕗の薹に違いない」。

確信になり夫に「あそこに蕗の薹がありそう、行ってみない」と誘う。

山歩きが好きな彼に良い返事をもらった。

 さて、行ってみようという矢先、不覚にもぎっくり腰を患う。

身動きが出来なく、万事休す。想像だにしない、ぎっくり腰か!


 冬の間、野の花の撮影はできない。

のんびり冬眠状態が続いていて、運動不足だった。  


 春の一歩戸外は見慣れた風景が新鮮な驚きを与えてくれる。

枯れ葉の間から紫や白のスミレが顔をだす。新たな感動だ。
 撮影は決まって上手く撮れない。五感のほとんどが、緩み、決まらないのだ。


 二~三日してから蕗の薹の撮影に出かけたが、

次の日から腰の痛さ、だるさが増してぎっくり腰を二度患ったようになった。

 

 

神戸ビオラ(パープル&ホワイト)暖かくなると花びらの斑がきれいになるらしい。

ウサギの耳のような2枚の細長い花弁が可愛いい。
 


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