あるとき義姉からいっ冊の冊子をいただく。
『浄土真宗の常識』を知りたいとも思っていなかったので
親鸞聖人のおしえに興味がなく積読だった.
けれど本棚には般若心経をわかりやすく解説した、真紅の表紙の本がある。
身近に生長の家の熱心な友人もいる。その人は
ときどき宗教のことを言いすぎて仲間から注意を受ける。
また不思議な考えに質問をされていた。
「それぞれの生活を大切にしょう」ということで他人の言うこと惑わされないことを
他の友人たちは言いたいのだろう
体力も気力も希薄な時、読み物を贈るのはまちがっているのではないか
病み上がりの身体を不自由に動かしながら
見透かされるような行為は疲れる。
夫が言うには『君が病気をしたからくれた』らしいが大げさに言えば
自分の信じている確かなものの安売りになるかも知れないではないか・・・
私のへそ曲がり考!!
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澄み渡る空のもとの散歩を楽しむ。
いつのまに山並みのコントラストが消えて次の雪を待つ状態に
自分の自身の行動の変化を思う。(大雪山が恋しいなぁ・・・)
雨ののちの植物が生き生きするのは、春の終わりまで・・・
あるいは夏までである。
最近の花壇は枯れがおおく、労いの言葉をかけるだけだ。
そのなかで色よく咲くナツズイセン
この花は何年か前、栗山の姉から我が狭い庭に植え替えた
彼岸花科の毒を持つがまことに美しい花だ。
レンゲショウマは最近咲いたものはまだ写せる。
リシリヒナゲシの夏期は済んだがフレームに入れていたので帰り花のように。
道東の旅の思い出。
通りがかりの店の花壇は憩いの花壇だ。
山野草が適当にまじる。
名草に見飽きてから瞳が癒される。
野草にもそれなりの効用がある。
家電専門店の通りにガガイモが咲いていた。
草類が少なく丁度具合が良いと思い近づくと、足元のベニヤ板が頼りない
今にも敗れて足が落ちる不安があり、早急に離れた。
ガガイモは誰も歩かないようなところがお好みのようだ。
実はまだのようだが、健気に花をつけている。
毎日降り続いていた雨があがり今日は晴れ。
草木を潤すように、まんべんなく降り続く雨(一味の雨)は良いとして
気鬱を誘う日々だった。
その中でシュウメイギクが咲き始めた
夏水仙
レンゲショウマ
、
朝顔の夏期が早ことも今年気づいたこと。