しがらく前から頭を悩ませていたさそり座の章が見つかり安堵した。
若い時読んださそり座の所が現在違う解釈になり、どうしてという
疑問が大きくなり不思議だった。
賢治が未完で残したため後世の研究者の解釈がさまざまになったらしいこと
を知り納得した。以前の私の記憶と一致したものを拝見して
安心したと同時にまだ残されていた解釈だった。
グリム童話でも残酷な場面を書き直しているらしいと・・・
先日知人と話したばかりだった。
残酷ばかりでなく、とても大切なことを言っていると思っている。
最近手に入れた絵本は役に立たなかったが
翻訳物でなくてもこんなこともあると理解した。