さて、哲学の道から京都国立博物館へ行くのに手間取って着いたのは15時になっていました。
あの時は素直に東大路までいってバスに乗れば近かったのに。でもいつか、ものすごく混んでいたのでそれもよかったかどうか。街のキャパシティに対して観光客が多すぎる気がする。そういう私も観光客ですが。
はい、こちらですね。明治時代に作られたフレンチルネッサンス様式の、京都の近代建築を代表する建物。開国以来何年目か不勉強で知りませんが、こんなものが建てられる時代の熱気と言いますか。
今は使われていないんでしょうか。三男が小学生の時、ここで東寺展を見せてそのあと大覚寺へ連れて行ったら「下らんもんばっかり見せる」と激怒されたことが。それ以来行ってません。
後に京都に遊学し、6年もいたのに神社仏閣、美術館に博物館など一切行かなかったとか。
「百万遍の手作り市は行った」そうなので、何を買ったのでしょう。
最近の展示は平成新館の方でするらしい。こちらは初めて。
お目当てはひな人形の展示です。
特集展示 雛まつりと人形 - 京都国立博物館 (kyohaku.go.jp)
チケット売り場で70歳以上は無料ですと案内され、免許証見せて入れてもらった。
けど、なんで私が70歳以上って分かった???
展示は本当に素晴らしかった。収蔵品と特別展で構成されています。
仏像、陶器、書、掛け軸、屏風、着物、そして特別展のひな人形各種。
各地ひな巡りがあり、その土地土地の旧家に残る人形を展示していますが、京都の旧家の人形はとてつもなく豪華で迫力がありました。借りているのでしょうか。一部コレクターとか寺院などのは出所が表示していますが、ないのもあります。
個人像でしょうか。
中でも見ごたえあったのは明治宮廷を模した人形。男雛は洋装、女雛は十二単。馬車行列の御者も洋装、馬車の中には皇子らしい二体の人形。
その他にも大きな享保雛に御所人形。
やはり地方の雛のコレクションとはスケールが違うのでした。
その他にも仏像には特に感動しました。ただの彫刻ではなく、長い間人々に信仰され、仏性が宿っているように感じます。仏師も無心に、木の中の仏様を彫り出す、その心がとても尊いように思いました。
こんな感想、祖父に言ったらとても喜んだと思う。仏さん大好きだったので。
なんやかんやの感動を無料で味わえて、年取るのも全然悪くないなと思います。それにしても同世代の女性が一人で歩いているのにとんと出会わない。皆さんどこでどうされているんでしょうか。どうもこの私、立ち回り先がずれてきているようで。。。。
三階の北側から、隣接する豊国神社が見えます。元は方広寺の境内だったようですが、明治なってから秀吉をまつる神社が付け加えられたんだったかな。
天下を統一したけど幕府を開かずに天皇を敬って偉かったと称揚されたのに加えて、江戸時代を脱却する、否定する風潮も働いていたのかな。
この先には方広寺、耳塚などがあり、京都でちょっと独特な所です。
以前、国立博物館の守衛さんに方広寺への道を聞いたら知らないので驚きました。
もう一人の方が「豊国さんの向こうかな」とあやふやな答え。知名度は低そうです。観光客もほとんど見ないし。
あとで池の傍に立つ説明版で、この石垣のことがありました。
方広寺創建当時の石垣だったそうです。驚きました。17世紀初め16世紀終わりですね。
間に小石を挟んで、当時としては新しい積み方。立派な寺院だったことでしょう。
池のあの部分に南大門の礎石があったそうです。今よりもうんと広いお寺だったんですね。いゃあ、知らんかった。驚きました。京に歴史あり。
方広寺の前の御前通は徳川の世になって、西本願寺、東本願寺、枳殻邸などが作られ、分断されて辿りにくくなっています。秀頼秀吉が寺を作ったころはきらびやかで、豪壮な眺めだったことでしょう。当時の絵図など見たことないけど、どこかにあるのでしょうか。
この年になっても知らないことだらけ。いろいろ勉強になりました。
京都駅前で食事して、
改札口へ向かいます。いつ来ても不思議な空間。屋内のようで完全な屋内でなく、屋外かと言えばそうでもない。
どのようにも解釈できて、どのようにも楽しめるのが建築の持つ力。
いつかは歩きにくくなる。それまで頑張って出歩くことにして出かけた京都では千年以上も都を張っていた都市の底力を感じたのでした。