Nonsection Radical

撮影と本の空間

終わりの始まりの終わり

2009年12月29日 | Weblog
某月某日
なんとか本日で2009年の仕事が終わった。
来年のカレンダーを壁にかけていて、来年が平成22年だということを知った。
つまり今年は21年。
ずっと20年だと思っていた。
別に、使わないからいいけど。

仕事の関係上漏れ伝わってくる話を聞き続けると、今年の日本の「ケーザイ」というのが曲がり角の角に来ている事が理解出来た。
日本はものづくり大国つまり第二次産業社会だと、いつまでも言い張って、ちっとも第三次産業への転換が進まないうちに、肝心の製造業がダメになってしまった。
某経済学学者が日本人の賃金を下げれば雇用は増えるみたいなことを言っていた。
satoboはケーザイ観念がないので、見たままを述べると、そんな理論は嘘っぱちで、賃金を下げたうえに雇用を増やさないで過重労働をさせているところが多い。
つまり安く使い捨てにしているのだ。
仕事が無いのでそんな劣悪な環境でも働く者が絶えないという考えだ。
そうなるというはケーザイ理論にはあるのだろうか?

問題は、そんな甘い汁を覚えた企業が、人件費が高いからではなく、円高で利益が消えると言う理由から海外、特に中国、ベトナムあたりへ進出しているのだが(つまり人件費が低くなっても為替次第で海外へ工場を移してしまうという事だ)、そこでいろいろなトラブルを起こしているらしい。
中国などは目先がアメリカやヨーロッパに向いているので、トラブルの多い日本とは仕事をしたがらない企業が多いという。

大企業の製造業と言っても所詮は組み立て屋で、部品は多くの「外注先」(下請けだよ)から買い付ける。
日本で大企業が大企業として存在したのは、外注先と「密な」関係で取り引きしていたためで、「一を聞いて十を知る」「阿吽の呼吸」で外注先が努力をしてきた結果だ。
大企業のいい加減な部分を下請けがウマくこなしてきた、という事だ。
ところが海外に出た企業が同じ事を現地企業に求めるから問題が起きる。
たとえば、試作品を作る注文を出し、途中で不具合がわかって仕様を変更するとしよう。
日本でだと口頭で、あるいは仕様変更書で終わりである。
下請けは途中でも変更後の仕様に替えて試作をやり直す。
その費用は「どこか」で工面する。
それが通用しないのだ。
「我々は注文書通りのものを作った。それで仕様変更するというのなら、新たな契約、注文書を出してもらえないと受けられない」と当たり前の事を言って、日本企業を「びっくり」させるのだ。
それを日本企業は「使いづらい」と思うらしい。
でも、西欧や日本以外の企業ではそれは当たり前らしい。
日本には「ケーヤク」という概念はないらしい。
だから日本の企業を避ける会社が多いというのだ。

作ったら作ったで、文句が多い。
品質が悪い、納期が遅い、対応が悪い、と。
コストに見合った品質、という言葉は日本企業には通用しないらしい。
バカみたいにうるさい品質管理をバカみたいに安い値段で求めるのだ。
そのバカみたいな安い値段のおかげで日本人はメードインジャパン(カンパニー)という製品を安く買えるのだが。
といっても日本製品は安くないけどね。

納得がいつもいかないと思うのは、「工場監査」というものだ。
値段が決まった。
受注が決まった。
納期が決まった。
そこで日本企業は「工場監査」をいうものを行なう。
相手先の工場に行って、点数づけをするのだ。
どこそこが汚い、書類が整っていない、工場が古い!と「難癖」をつけて「改善」を求めるのだ。
製品に改善を求めるのではなく、環境に改善を求めるのだ。
そういうことは自分の会社内だけにした方がイイとsatoboは思う。
だって、「単に」仕事を出している「だけ」なんでしょ。
それもその企業の大部分の仕事を発注しているような優位な立場ではなく、初回など少ないとせいぜい数万円の試作を発注しているだけなのに。
そういう「改善勧告」は重要な「お客さん」になってから口を挟めよ、と思うのだが、多くの日本企業は取り引きが決まって「から」そういうことを言い出す。
相手がイヤだと言わないと思っているのだろうか?
何社とも取り引きがある企業だと、いちいち相手に合わせてくれると思っているのだろうか?
それが通用すると思う日本企業は「甘い」なと思う。
ガタガタ言うところは簡単に切られてしまうのだ。
お客様は神様です、は日本だけで通用するのだ。
キチンとした環境のところで製造して欲しければ、そういう環境のところへ仕事を出せばいいのだ。
出せないのは安い値段で発注しようとするからだ。
中国にだってビックリするような近代的で大きな工場を持つ企業がたくさんある。
そういうところへ出す仕事が今の日本企業には多くは無いのだ。
ロット100万という桁の企業へロット100の仕事は出せないのだ。
それも100万あたりと同じ単価で。

日本の中で温々と育ってきた「企業戦士」の頭には、チューゴクは安いところ、というイメージがあるようで、上記のような大量生産での単価だけが頭に入って、自社のクソみたいな小ロットが同じ値段で作ってもらえるという「幻想」を抱く人が多いようだ。
それは有名な企業であっても、名もない企業であっても同様だ。
不思議とみんな自社の看板を背負ってものを言えば通用すると思うようだ。

世界中が工場として中国はじめ東南アジアを使おうとしている時代に、我が国サイコーの考えで日本国内でニッチもサッチもいかなくなって進出する企業がはたして相手にしてもらえるのだろうかと思った一年であった。
ジャパンアズナンバーワンの終焉が始まった年が終わろうとしている。

最後に付け加えると、東南アジアで仕事するのに重要なのは「人のつながり」なのだ。
信頼関係がなくてはウマくはいかない。
その点、日本企業はウマくやって行けるのかなぁ。
やりづらい、とか、あいつら、とか、所詮、とか、そういう声が聞こえてくるのが多いけど、そういう気持ちで接していたら絶対に信頼関係など生まれないと思うのだけどね。ましてや差別心など持っていては・・・

以前、ある有名発動機会社の現地副社長を務めた方と話をする機会があったが、その人は中東を担当しており、ショーバイの秘訣はとにかく信頼関係と言っていた。
信頼関係を築くために各地でその地の族長と死ぬような「酒宴」を繰り広げていたそうだ。
酒が弱い現代日本人がはたして中国や韓国で「信頼関係」を築けるのか心配であるが・・・
コメント (7)
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