NHKのラジオに限っての話で、自分に限っての話なんだけどと言い訳しないと面倒な時代になった気がして。
で、震災から5年という事でNHKラジオでも震災”関連”特集を放送しているんだけど、どういう意味合いで番組を作り、どういう意味合いで放送し、どういう意味合いで聴けばイイのかチョット考えているんだよな。
詳細は実際に聴いて、自分で考えて欲しいんだけど、こういう放送ってなんなんだろうねぇと、上記と同じ事の繰り返しをつぶやいてしまうんだよなぁ。
被災地では、このような人がこのように生きています。
て事を報じたいわけかなぁ。
で、なぜ報じたいのかなぁ。
記録として報じているのかなぁ。
てな事で、つまるところNHKがどうしてこういう番組を報じるのかの意図がつかめないんだよ。
番組は極めてオーソドックスな作りで、まさしくNHKらしい。
そういう放送を”みんな”は望んでいるのかなぁ。
人の事はわからん。
個人的には、こういう放送を聴くと、大変な思いをしてみんな頑張っているんだなぁ、そういう場所へは足が遠のくなぁ、となるんだよなぁ。
それでいいのだろうかね。
必要なのはカネが動く事じゃないのかね今。
ちょっと行ってこようか東北へ。
って感じで人が行った方がイイんじゃないのかね。
そこでそれぞれ好き勝手に震災前のように、ある人は温泉に、ある人は釣りに、ある人は観光に、ある人は徘徊にと散らばって動く事で「復興」になるんじゃないのかなぁ。
だって震災前はそうやって東北へ行って遊んでいたじゃない。
そうする事の復活が「復興」って事じゃないのかね。
”また”遊びに来たよって言える事が必要なんじゃないのかね。
でもラジオを聴いていると、そんな気持ちで行っちゃぁ悪いかもとか、頑張って!って応援しに行かなくてはとか思わせる真面目さを感じるんだよ。
その結果、足が遠のくと。
そういうふうになるのはマズイんじゃないのかなぁ、それでイイのかなぁって思うんだよね、ラジオを聴いていると。
常磐湯本町の街並み 12
福島県いわき市常磐湯本町天王崎,吹谷
撮影 2015年9月22日 火曜日 12時35分
で、震災から5年という事でNHKラジオでも震災”関連”特集を放送しているんだけど、どういう意味合いで番組を作り、どういう意味合いで放送し、どういう意味合いで聴けばイイのかチョット考えているんだよな。
詳細は実際に聴いて、自分で考えて欲しいんだけど、こういう放送ってなんなんだろうねぇと、上記と同じ事の繰り返しをつぶやいてしまうんだよなぁ。
被災地では、このような人がこのように生きています。
て事を報じたいわけかなぁ。
で、なぜ報じたいのかなぁ。
記録として報じているのかなぁ。
てな事で、つまるところNHKがどうしてこういう番組を報じるのかの意図がつかめないんだよ。
番組は極めてオーソドックスな作りで、まさしくNHKらしい。
そういう放送を”みんな”は望んでいるのかなぁ。
人の事はわからん。
個人的には、こういう放送を聴くと、大変な思いをしてみんな頑張っているんだなぁ、そういう場所へは足が遠のくなぁ、となるんだよなぁ。
それでいいのだろうかね。
必要なのはカネが動く事じゃないのかね今。
ちょっと行ってこようか東北へ。
って感じで人が行った方がイイんじゃないのかね。
そこでそれぞれ好き勝手に震災前のように、ある人は温泉に、ある人は釣りに、ある人は観光に、ある人は徘徊にと散らばって動く事で「復興」になるんじゃないのかなぁ。
だって震災前はそうやって東北へ行って遊んでいたじゃない。
そうする事の復活が「復興」って事じゃないのかね。
”また”遊びに来たよって言える事が必要なんじゃないのかね。
でもラジオを聴いていると、そんな気持ちで行っちゃぁ悪いかもとか、頑張って!って応援しに行かなくてはとか思わせる真面目さを感じるんだよ。
その結果、足が遠のくと。
そういうふうになるのはマズイんじゃないのかなぁ、それでイイのかなぁって思うんだよね、ラジオを聴いていると。
常磐湯本町の街並み 12
福島県いわき市常磐湯本町天王崎,吹谷
撮影 2015年9月22日 火曜日 12時35分