里山の移ろい

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里山の紅葉

2016-11-15 16:00:15 | 日記

紅葉

曇り空であったが暖かい一日、早速里山に・・・・・

わが里山の紅葉、2時間ほど歩く。

 

〇蔵山

里山への上り路

山小屋の池に浮かぶ枯葉

 

農協祭

11~12日の二日間。JAみやぎ仙南の農協祭が好天に恵まれ盛大に執り行われた。

駐車場は、二日間とも満杯。

早朝に事務所2階から。今日も、多くのお客さんで賑わうことでしょう。

 

 


時の流れ

2016-11-13 15:23:22 | 日記

物忘れ

「年齢は隠せないなぁ」、感じる出来事がある。

今日、ある店で会った方の名前が出てこないのである。

どうしても、思い出せない。

考えながら店内を歩いていたら、突然思い出した。自分でもおかしかった。

痴呆にしては、少し早いような気がするが…

そんなことを考えながら、店を出ようとしたら、バッタリご夫妻にお会いした。

お互い顔を見つめ・・・・「数秒後、あの節はどうも…」。とお互い無意識のうちに挨拶を交わした。

私の名前を知っているようだ・・・・

今度は、顔は分かるが名字も名前も思い出せない?が、車で家に帰る途中で思い出す始末。

もっとも、二人とも10年前頃は間隔開けずにお会いしていた方々であった

いずれ、このようなことが多くなったような気がしている。

 

空手

昨日、孫の空手の大会があった。

全国中学生空手道選抜大会、宮城県予選会ということである。

この大会の結果、県の強化選手の一人に選ばれた、ということである。

小3から習い始めて、やっと念願の仲間入りである。

 

相談

Aさんが見えられた。

年1~2回は、仙台のA氏と3人で酒を酌み交わしているがその相談である・・・

 

いずれ、こんなことで旧友と酒を酌み交わせる機会を設定してくれるAさんに感謝。

しばらくぶりで、2時間ほど話し込むことになった。

諸々意見交換し新情報を聞かせていただいた。

いずれ、10年前とは環境が大分変化している・・・・

組織の置かれた状況は想像を超えている?

 

 

 

 

 

 

 


美徳とは

2016-11-11 16:00:40 | 日記

気温

今朝は、雨が降っていたので霜は確認できなかったが、この頃で最も寒むい朝となった。

起床は、5時半前後だか各部屋の気温を確認すると20℃、8℃、11℃、8℃と異なる数値。

但し、20℃はストーブがついているので別格で、10℃前後が我が家の室内温度ということ。

ストーブを設置してから、部屋の気温を気にするようになった。

高齢者は、感度が鈍感。

風呂場や寝室、それにトイレは特に気を配らねばと思う。

今年は、昨年よりも寒さが厳しい?

いずれ、これからますます厳しくなる

我々の親の時代は、我慢が美徳とされてきた、が、我慢は禁物だ。

 

 

竹ホーキ

明日、明後日とJA祭がある。

10年前と比べれば、人の出も少なくなったようだが、

それでも街で一二の祭りで結構な人でにぎわう。。

どんな祭りも、祭りは気分が爽快。私は、祭りに決まって買うものがある。

そんじょそこらに無いものが売られている?

竹ホーキだ。

どこでも売られているようだが、その辺で買えない高品質?

価格は、少し高いが値段以上に買い得だ。

余り、竹ホーキにこだわる人もいないのだが、私はこだわっている。

これから、朝に玄関を開ければ、庭にはたくさん枯葉。

これがまた集めるのが難儀で、小一時間もかかるような一仕事になる。

気にしなければよいが、一週間もそのままにすれば、枯葉を踏んで歩くようになる。

もっと良いものがあるはずだというが、竹ホーキはよくできている。

枯葉を集めるのに最適なのだ。

石ころが混ざっていても、枯葉だけ上手に集められる。

これが、竹ホーキの魅力だ。

 

 


分からない?

2016-11-10 15:52:15 | 日記

昨夜、先輩の通夜の席に出席し、線香を手向けてきた。

享年、82歳であった。改めてお悔やみ申し上げたい。

通夜の席には職場の同僚が、たくさん出席されていた。

弔問外交ではないが、リタイヤ後はこのような機会でないと、中々同僚先輩に会えないもの。

亡くなった先輩とも、お互いにリタイヤ後あったのはⅠ~2回あるかないか・・・・

そんなことで、逝去れた先輩の遺影を見て、本当に懐かしく思ったものだ。

彼が辞められて20年以上になるので、大概はこんなもののようだ。

遺影を見ると、何年ごろのものか・・・・、白髪は、若いときからあったが少し太られたようであった。

聞くところによると、2週間前に京都等に行かれたというから、その時のものだろうか…・

いずれ、これまで会う機会もなくはなかったが、

お互い、意識して合わなければ遺影を通して会うことになる。

リタイヤしたとはいっても、互いに何かに多忙なもので、誰もがこんなものなのか?

悔やみ返しに、お茶をいただいた、

当分、お茶を飲みながら先輩のことを偲びたい。

子供さんが一人おられた、が、北海道に嫁がれたとのこと、

奥さんの一人暮らしとなるようだ?

これも、子供の数が少なく、しかも核家族化時代のごく一般的な姿なのであろう?

我々とて、その時が来れば境遇はおなじ。

生きることにもっと熱心になりたい、と考えているが、

こればかりはわからない。

 

 

 

 


電機料安くなった?

2016-11-09 15:57:19 | 日記

いよいよ、暖房は欠かせない。と同時に、電気料が増加するのも困りもの。

しかし、最近の住宅は気密性が高く、暖を取る設備等もより高度になっている。

少ない熱量で、効率が良くなっているようだ。

それに比べ、我が家は何度も増改築し、建て替えて45年になるあばら家。

暖冷房を考慮した住宅などとは、とても言えない住宅構造。

そのため、部屋ごとにストーブは欠かせない。

普段は、最低でも4つの暖房器具が必要。

11月になって、早速ストーブを設置したが、出したり入れたりとこれが大変な作業?

電気、ガス、石油の3種類に、1昨年からオイルヒーターなるものも使っている。

ストーブもさまざま、どれがいいなどと言えないが、用途に応じた使い方による。

ただ、高齢者の仲間入りすると、危険でなく面倒でないものが最適の暖房機であることはたしか。

しかし、並行して多くなるのが電気料だ。

それでも、電力の自由化からか、我が家は昨年比(先月)33%は安くなっている?

いずれ年金暮らし、安いに越したことはない。

ただ、検針人が検針で回る件数が1日300件と聞いてびっくり。

労働過重が社会問題になっているが・・・・

300件とは・・・回るだけでも大変でないか?

 

   寒くなれば、里山もきれいになる。今朝の散歩道で2枚ほど・・・

 


繁盛する道の駅

2016-11-08 14:50:22 | 日記

道の駅

道の駅に興味があって、時間を見つけては県内はもちろん近県の道の駅回りをしている。

この頃も、県内2カ所、岩手県内2カ所、うち1件は初めての道の駅に回ってきた。

「何でそんなに楽しいの」、と問われるが一言で表現できない?

とにかく、楽しいのである。

リタイヤ後、本格的に回り始めた。かれこれ10年になった。

知らない土地を車を走らせる、何とも言えない気分である。

目的地の駐車場に着くと、気分が高揚するのもいい。

道の駅は、もちろん個性がある。

ただ、どこに行っても農産物の展示販売コーナーがある。

その農産物も、その土地その土地で産物に違いもある、これも楽しみの一つである。

また、同じ品物でも価格に違いがある。

つい、買いたくなるのは鮮度がいいもの。

もちろん、くたびれた品物が並んでいるところはさすがに無い?

「安い」といっても、ぺらぼーに安いということではないが、心を動かす雰囲気のあるところがある。

表現できないが、ぬくもりを感じ取ることが出来るところがあるのだ。

ともあれ、道の駅の必需品は農産物であること間違いない。

繁盛している処は、野菜でもなんでも、あまり価格にこだわっていないところ?

もちろん、安ければいい、と言っているのではない。

おばあちゃんがニコニコして「喜ん食べてくれる人が居ればいい」と話していた。

この言葉が、この駅を繁盛させているのではないか?

そんなことを思いつつ、帰路に就いた。

 

 


初氷初霜

2016-11-07 16:45:23 | 日記

いよいよ雪掻き?

今朝、初氷を確認した。それに初霜、車のフロントガラスもご覧の通り。

茶の間の気温は8℃、と、これまでの最低気温。

いよいよ、寒い冬に向かうと思うと、気が重くなる。

北海道も、早くも46㎝の積雪だという。さすがに、北海道の方々も早い積雪にびっくり。

冬は寒いのが当たり前、問題は積雪。とにかく、雪掻きは難儀なことだ。

馬齢を重ねると、特に足腰に来るのでしんどい。

県道を背にしている我が家は、県道の雪掻き車が通るたびに、出入り口に雪の山ができる。

車も人も、出入りが出来なくなる。

そのまま放置するものなら、雪が固まりその後が大変になる。

とにかく、車庫前、住宅の出入り口、裏庭の出入り口等々・・・・雪掻きするところが多い。そのうえ、日当たりが悪い。 

 

センブリ・リンドウ

霜を踏んで里山に行くと、道端にリンドウやセンブリの花が咲く。

いずれも、紫色。

特に、センブリは薄紫の小さな花で、かわいらしい。

何年か前、庭に植えたことがあったが枯れてしまった。

土壌が悪いのか、管理が悪いのかはっきりしないが、

また、植えてみたい気持ちにかられた。

成功すれば、今度は鉢植えにしてみたい。

鉢植えにできれば、もちろん観賞用にして室内に置ける。

この地では、乾燥させ胃腸薬として煎じて飲んだということである。

今でも、道の駅などに行くと乾燥させたものが売られている。

味は?

これほど苦いものはない。

一度飲んでみてはいかがかな。発毛効果や美容にも良いと、いうことである。

リンドウも、ところどころに咲いているが、センブリほどではない。

庭にも植えているが、意外と管理しやすい。

 

 

 

 


運命

2016-11-05 15:16:47 | 日記

誰でも、自分で思い通りにならないことがある。

と、言うより大部分そうでないかと思う。

あの大震災で、想像絶する被害を受けた場所を尋ねて、そのことを実感するのである。

大川小の子供たちも、学校であのようなことで死ぬとは、だれも思わなかったのではないか?

10歳前後で、この世に分かれあの世に住むことになるとは…

古希も過ぎ、自分の来し方を振り返ってみると、自分で思い通りになったことはあったのか?

無いように思うのである。

生まれた場所、自分の親も決して自分で選べた訳てはない。

ケッコンはどうか?

確かに、相手を選んだのは自分の意志であるが、

これもそのような出会いをセットしたのは・・・・と考えて見ると、

時代やら、経済環境やら諸々あり、それらが出会いをつくってくれたということになるのではないか?

なにか、照れくさい話になってしまったが、

自分の考えで思い通り生きてきたような気でいるが、

生かされて来た、と思わざるを得ない。

親父は、70前な亡くなったが、こうしてまだ生きているのも運命なのかもしれない?

津波に出くわしたい、などと思う人は1人もいないはず。

運命を感じざるを得ない。

この答えは、私ごとき凡人では見つからない。

あるとすれば?・・・・・・

 

       南三陸・防潮堤工事風景

 


有るもの無いもの

2016-11-04 15:35:33 | 日記

 

一日、県内の気仙沼から石巻まで南下してきたが、

どこに行ってもセイタカアワダチソウがある。

いかに、繁殖力があるかがわかる。

もともと在来種ではなさそうであるが、米国から入ってきたということである。

戦後になるが、進駐軍の靴底に種が付着してきたとかないとか?

また、蜜源植物として養蜂家が積極的に種子をまいたという説。

いずれにしても、あまり旺盛で嫌われもの雑草である。

 

高速道路を走ると、この雑草は県内だけにとどまらないようだ。

我が家では、見つけ次第引き抜き、種が落ちないうちに刈り取る等々心がけている。

それでも、日当たりのよい里山の斜面のところどころに、この雑草が見える。

良い駆除方法がないものか・・・・・

そんな雑草であるが、野草並みに庭等にあっても取り除こうとしていない家庭もチラホラ。

「栽培しているの?」、と間違いそうになる処もなくはない。

もっとも、観賞用に導入されたという説もある…・

 

一方、この地にあって他では見られないのが、

山林を削り、山肌をあらわにしての太陽光発電の設置。

5年前の大震災で大きな被害をこうむった町でも、ほとんど見られなかった。

いい悪いではないが、景観等諸々配慮しながら開発されているのではなかろうか・・?

 

     里山もやっと紅葉

 

 

 

 

 

 


祈り

2016-11-03 19:57:48 | 日記

けあらし

どうしても、行ってみたいと思っていた被災地訪問、

気仙沼、石巻などの浜通りを行くと、まだまだ工事のダンプが列をなして走っていた。

9月1日のこの日、岩手県に入ると間もなく小雨が降り出す、あいにくの空模様。

雨の中、県道を気仙沼へ向かう。私にとっては、初めての道である。

40年前、行ったことがあったが、記憶が断片的である。

 

気仙沼のホテルから見る海は、何もなかったように静かであった、が、

高台のホテルの2階が露天風呂。ここまで、津波が来たというから信じられない。

漁船の明かりがともり始める(ホテルの窓越しに)

 

翌朝、けあらしであろうか?

朝日が昇る直前

 

大川小学校

お参りの人たちが2~30人ぐらいいたであろうか。

中には、徳島県からも6人、2度目の訪問だという。

2年前に、南三陸の防災庁舎。

今回は、大川小学校にお参りすることができた。

周りは何一つなく、鉄筋コンクリートの学校が無残な姿をさらけ出していた・・・・・

山を後ろに慰霊塔が建てられ、周囲は砕石が敷き詰められていた。

慰霊塔には、この学校で亡くなられた生徒、先生、

そのほか、この地区で亡くなられた方々の名前も・・・・

ナミアムダブツと祈るだけであった。

 

地形を見ると、真後ろに山。

500m位離れたところに、北上川にかかる橋。

裏山に上る選択しはなかったのだろうか?

いかにパニックになっていたとしても・・・・

誰が悪いとか、良いとかでない、

ただ言えることは、子供たちは先生に従うだけ、

選択権はなかったのではないか…

そのように考えると、先生方の判断が遅れたのではないか。

裏の山は、橋に向かうよりもまじかにあり、

子供たちが常に上って遊んでいたという。

 

津波は想定外、と言えばその通り。

だが、自然界であろうと何であろうと、

人生想定された道を歩むことは少ない。